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「縄文土偶」と浄瑠璃 by 藤本さん |
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| 「縄文土偶」は、“三善浄瑠璃”とも言うべき人形浄瑠璃だと考えたほうがよいかもしれません。 物語の部分もいかにも文楽の人形が演ずるのにふさわしい世界ですし、何よりも歌とピアノの関係が、並みの西洋音楽の伴奏でもなく、協奏曲でもありません。まさに浄瑠璃の語り口だと思います。 3.5拍子とか4.5拍子などと言う妙な拍子がたくさん出てきますが、これは西洋音楽に直せばこうなる、と言う事であって、これが浄瑠璃だと思えば、何のことはないリズムです。日本語の語り口を大事にすれば素直にこの拍子がこなせます。 浄瑠璃をはじめとした邦楽の世界には「付かず離れず」という言葉があります。メロディと伴奏の三味線が、互いに違ったことをやりながら、全体の音楽を構成してゆく手法ですが、「縄文」の歌とピアノはまさにそんな関係で出来上がっているように思います。随所にこのようなピアノとのやり取りが出てきます。最も極端には、歌とピアノが全く違う拍子で書かれている部分もあります。しかしこれが一体となったときには、見事な音楽になっています。 いつか、NHKの番組で、語り竹本住太夫と三味線鶴沢清治という二人の人間国宝が、「阿古屋」という演目を上演するに当たって、文字通り火花を散らして芸を競い合いながら稽古を重ねるというドキュメンタリー番組を見たことがあります。(DVDもあります) 語りと三味線が、それぞれ独立を主張しあいながら、0.0何秒かの間合いをめぐって呼吸を合わせようと必死に稽古する様は、鬼気迫る迫力でした。至芸とはこういうところで生まれるんだと納得した記憶があります。人間国宝といえども、こんな必死の稽古をしてひとつの物語を作り上げています。 我々も、名人中嶋先生のピアノに正面から向かい合える演奏で三善浄瑠璃を上演したいものです。 |
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| 黒田です。 浄瑠璃説大変面白く拝読しました。 あの不格好な「土偶」が我々黒装束の人形使いによって踊りだし、大きな目から「琥珀の涙」が溢れ流れ出す。 実にシュールです。 団長は音楽の作りについて仰っているのですが、リズムは確かに日本語の持つ固有のリズムを音符に置き換えた部分がある。しかし音は間宮先生のコンポジションで感じた日本的なものではなく(民謡から採ったので当然ですが)近代フランス(印象派以降)の響きを感じます。増4度音程、6thの和音等ドビッシーやミヨー等のようです。 長調とも言えず短調とも言えないこうした不安定(どっちつかず)な音作りは理由なく若い命を断ち切られた不条理や己を見つめ続けるしかない思いを表しているのでしょうか? 同じテーマを歌った前回の木原さん、一柳先生の「鎮魂歌」は社会に何かを訴えようとする意志を感じましたが、今度の曲はずっと内面的ですね。とすれば叫びではなく,もうすこし繊細な音作り(音色の変化、緊張感に満ちた P,PP)が必要なのでしょうね。 私は昨日先生に叱られました。「いつまでも」はそんなに陽気に歌うところではないという訳ですが、この左近さんの難解な詩の意味を歌っていない(語っていない)と痛感しました。色彩感あふれた言葉の断片に何を感じ どうお客様に語りかけたら良いのか。 何かを伝えたいと思うまで「詩」を読み込もうと思っています。 |
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