ロシア民謡の歌詞〜何言ってんだ?
ロシア民謡の訳詞(古色蒼然!)
黒木純先生から「何を歌っているのか歌詞がさっぱり聞き取れない」というご指摘がありましたが、真にそうですねえ。僕が合唱を聴きに行くのを嫌いになったのもこれが主因。言葉が全く聞き取れない。特に現代詩なんかに曲をつけたものを初めて聞く時は最悪。でも歌ってる方は聴衆にキチンと伝わっているかいないかなど、全くお構いなしの自己満足オタク。これでは合唱から客足が遠のくのも当然では。
これに輪をかけているのが創意工夫の無い訳詞。しかも未だに古代語たる津川主一の訳なんかが罷り通っている。「緋色の」なんてまず歌いにくいし聞いても誰も解りませんよね。「緋色」ときいて、その色を想像出来るのは「緋色の腰巻」世代だけでは?後はせいぜい、「緋文字」「緋牡丹お龍」ぐらいか。
「緋色のサラファン縫ってみても 楽しいあの日わ帰りゃせぬ
たとえ若い娘じゃとて なんでその日が長かろお
燃えるよおなその頬も 今にご覧よ色褪せる
その時きっと思い当たる
笑うたりしないで 母さんの 言っとく言葉をよくお聞き
とわいえ(とは言へ)サラファン縫うていると お前と一緒に若返る」
歌っていると解りませんが、こうして書き出すと、さて、正視に堪えます?これが「詩」かあ?
僕が中学で習った訳詞はこうでした(ずっと覚え続けたものゆえ、自分で無意識に改作しているかも知れません。訳詞者は残念ながら忘れました。市川都志春かも知れません)
「赤いサラファン縫いながら 母さん娘に語ります
懐かし昔 その晴れ着 祝いの時に着たのです
希望に満ちたあの頃が 今でも心に生きてます
赤いサラファン縫いながら 可愛い娘に語ります
バラ色染めたその頬も やがては色も褪せてゆく
その日がいつか来たときも 変わらぬ心で生きましょう」
これも40数年前の訳詞。でも詩心があると思いません?これなら歌うに堪えるのでは?聴衆の耳にもまだ馴染むのでは?
カチューシャの石丸寛も凄い。
「村の娘 カチューシャ 祭りの赤い花
暮れ行く森は賑わい 娘は乱れ咲く
歌えよ 舞えよ カチューシャ 裳裾 空になびけ
金の髪は揺れて 汝が靴 床に舞う
手を打ち 舞えよ(踊れ) カチューシャ
来たれよ 我が胸に
おのこの 眸 燃えて 酒に青く光る」
「娘は乱れ咲く」なんざあ、なんと現代風俗の先取り!(教育委員会卒倒)
「もすそ そらになびけ」:これをパッと聞いて、上記の文字を一体何人が思い浮かべられるか?
「ながくつ ゆかにまう」:昨夜は「長靴 床に仕舞う?」なんて解釈あり。それと暮れ行く森に
「床」があるの?森の中の居酒屋? 或いは特設ステージ?
何とか、原訳を尊重しつつ、辻褄を合わすとすれば
「旅の娘 カチューシャ 祭りの赤い花
暮れ行く村は賑わい 娘ここに集う
歌えよ 踊れ カチューシャ その裾 空に舞え
豊かな髪は揺れて その靴 床を打つ (=フラメンコのタップ)
手を打ち 踊れ カチューシャ
来たれよ 我が胸に
若者の 眸(ひとみ) 燃えて 酒に青く光る(?意味不明だが、マッいいか)」
『鶴』も曲は素晴らしいが、訳詞は???
「私はふっと思う 傷つき帰らぬ兵士ら
異国の土に眠り いつしか白い鶴に
鶴は昔からも今も 訪れては声伝う
それゆえか いつもせつなく
声も無く 空見上げる
日暮れの霧の空を 疲れた渡り鳥 飛ぶ
あの列の中の 隙間は もしや私のために
やがて鶴の群れとなり 青い夕靄を飛び立とう
大空へ 鶴の言葉で 世の人々 偲びつつ」
*確認と疑問
@私がふっと思うのは「異国に倒れた兵士らが白い鶴になったのでは?」と言う事ですよね。
A「こえつとう」は「声伝う」? 声を伝える割に、「声も無く 空見上げる」の?
B「広島」に触発されての作品とか。この詩で言いたかった事は何なのでしょうか。どなたかお教え下さい。
色々、生意気を申しましたが、歌詞をこれから変えろとか不満とかではなく「聴衆の立場から見た合唱訳詞に関する一考察」でした。
B2・北澤和郎
B1黒田です。
ロシア民謡訳詩についての北澤氏の考察を楽しく読ませていただきました。原詩を知りませんので的はずれかもと思いながら若干の感想を書きます。
1.緋色のサラファンについて
我々の歌う訳詩には、母が愛娘の幸せを願う気持ちとともに、若さに対する羨望、妬みの気持ちが現れます。しかし、母はそうした自分の心の動きに気づき、それを抑えて自分が輝いていた青春の思い出を懐かしむのです。諦観を交えながら。
というニュアンスを感じます。
一方、市川都市春?さんの訳詩は、母が娘に与える教訓めいたものになっている気がします。年老いても、ふっと垣間見せる「女心」の艶かしさは前者の方が良く表現されているのでは?
2.鶴について
私は戦場を離れて故国あるいは前線から遠い後方部隊に居ます。夕空を列を成して声を交わしながら飛行する鶴の群れを、私は声もなく見上げているのです。(私の友が戦死したとの鶴の言葉を聴こうとして)私も間もなく戦場に赴き、倒れ、あの鶴の群れに加わることになるだろう。そして、倒れた兵士達の出身の村々を訪れ、彼らが愛した人々に伝えよう兵士が戦死したことを。故郷の人々を愛していることを。自分たちの愛する人々の平安を願っていることを。
|