オペレッタ 「蝙蝠」

by ヨハン・シュトラウス
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高知尾さんの研究です。

オペレッタ:こうもり の登場人物 と その時代

 

 オペレッタ:こうもり の登場人物やこの時代をあれこれ調べた。

この音楽は格調が高い。大衆的で、ウィーン的とはいえ、後世のレハールやカールマンの作品よりも、物語がずっと辛口である。音楽は伝統様式美を纏う。

この作品の特徴をいえるほどオペラやオペレッタを知らないが、心地よさは何故か、は解る気がする。

1.      甘い恋、シリアスな愛とか恋とか、悩ましく難しいものがない。男と女の火遊び、それも僅かにかすめる程で、気楽に見ていられる。

2.      人物たちは素直な欲にしたがい、他愛ない行動をとる。欲はあっても他人を傷つけ、貶めるようなエゴではないので、笑える。

3.      道徳や教訓や人生論などは勿論なく、肩が凝らない。

4.      音楽が軽快、甘さは控えめで、声楽的旋律よりも、器楽的で爽快である。
ビールでいえば、Weitertrinken (もっと飲めそう)なのだ。

Wein、Weib、Weise 酒・女・歌 がオペレッタの三要素と言われる。どれもこの作品でもふんだんに出るし重要な要素だが、本質的には脇役でしょうね。
第三幕までいくと、アルコールの強烈な匂いがして、こちらが二日酔いになりそうだ。また、登場する女性は魅力的だが、アデーレもロザリンデも、ことさら女を強調せず、愛や恋が無い分だけ、さらりとして寧ろ笑いの対象である。

では、Weise 詩とか歌はどうかといえば この音楽はいわばダンスの連続。しんみりと情感を歌うシーンにも笑いのネタが入り、常に冗句、ユーモア、皮肉、のオンパレード。それがこの「こうもり」の特徴だろう。即物的で乾いて、感傷的・感情的でなく、声高でもない。

この作品の最後では、すべてはシャンパンの泡、消えてなくなる夢、と言う。
難しいことは抜きで、ただ楽しむ、それだけでいい。何も残らず、何も残さず、特別なものは無いが、それが人間だよな、という感じである。

空虚のようでいて、ニヒルではない。虚しいのではない。中途半端な幻想をやめ、現実を見るのだから。
 さて、登場人物は以下の通り。無論、確たる証拠や論拠はなく、「へぇー」とか「そんな馬鹿な〜〜」と笑ってお楽しみくだされ。この作品同様に。

 

Eisenstein           アイゼンシュタイン:鉄の石・岩山。
日本流にいえば石部金吉という語感か。武骨で無粋で堅物というイメージの名前だが、どうしてどうして、女に関しては研究家発展家。
職業は銀行家。

鉄はプロシャのビスマルクの異名である。私はつい、この名前から鉄兜を思い出す。頭が固い?

役人を殴って刑務所にはいるのだが、親友ファルケがその前に、オルロフスキ公爵の夜会へ行こう、美人がいっぱいくるぞと誘うと、ホイホイと乗ってくる。

第二幕では、フランス人のルナール侯爵という変名で登場、Renard とは、キツネ、または、ずるい奴という意味のフランス語。

このオペレッタでは、親友のファルケから、仕返しされる役。その墓穴を掘るのが、彼の女好きという癖である。

Falke                   ファルケ。アイゼンシュタインの親友。
公証人であり、貴族の夜会の司会もする。
名前は鷹。ハプスブルク家の紋章は、鷲でとてもよく似ている。

3年前にアイゼンシュタインから悪戯にあった。仮装パーティの帰り道で、夜明け方の森の中に酔っぱらったファルケは置き去りにされた。こうもりの仮装をしたファルケは、明るくなって子供らから「こうもりだ」と囃し立てられ、以来「こうもり博士」という有難くないあだ名を付けられた。

このオペレッタの狂言回しの役。この芝居は、すべては彼のアイゼンシュタインへの仕返し作戦である。

それにしても、こうもりとは、鳥でなく獣でもない、という中途半端な者の代名詞。このあだ名は嫌でしょうね。日和見という感じもあり、ウィーン人の誰かさんを皮肉交じりで名付けたのでしょうか。油断ならない知的な感じもあるが、元来はおバカさんでしょうか。

Rosalinde                          ロザリンデ。アイゼンシュタインの妻。
まだ結婚して間もないようだ。イタリア人のオペラ歌手のアルフレートが昔の恋人で、彼の口説きには堪えられるが、ハイCの声にとろけちゃう、という単純さがある。

                            名前のローザは薔薇。薔薇は聖母マリアの印。-linde とは、Lindern: 〜が穏やかにする、守るの意味。つまり、聖母マリアが守護する国=ハンガリーになぞらえてあるのかな。ハンガリーの王冠には、正面に聖母マリア、背面にイエスキリストが描かれているそうだ。

                            第二幕では、無名のハンガリー伯爵夫人として登場し、夫アイゼンシュタインがそれと気づかず、浮気相手に誘うと云う役。その時、夫の口説きの小道具である鈴の時計をまんまと取り上げ、浮気の証拠物件とした。

ハンガリーのひとであるという証拠を見せてと、皆につめ寄られたときには、故郷のチャルダーシュを見事に歌うと云う設定である。やはり、ハンガリーのひとでしょうね。

                            かつて昔、11世紀、東方から侵入したマジャール人は、すでにいたスラブ人を南北に分断した。
スロバキア、ガリツィア、トランシルバニア、スロベニア、クロアティア、セルビア、モンテネグロ、ブルガリアなど。この、民族的宗教的な分裂が、作曲された時代のハンガリーやオーストリアをも悩ました。ヨーロッパの政治的不安定な要因だったのでした。

                            のちに、1914年、ボスニアのサラエボでのオーストリア皇太子夫妻の銃殺事件が、第一次世界大戦の発火点となった。このオペレッタの初演から40年後のこと。さらに、その後のことをも俯瞰すると、笑えない設定でもある。

                            1866年、プロシャに敗れたオーストリアは、翌1867年ハンガリーを二重帝国に組み入れた。フランツ・ヨゼフ1世は、ハンガリー国王を兼務した。最近「エリーザベート」というミュージカルでもおなじみの時代。エリーザベートはフランツ・ヨゼフ1世の妃である。

ハンガリー国旗にかつては王家の紋章がついていたが、1956年の動乱後は紋章は国旗からは除かれたとのこと。現在、ハンガリー観光局のサイトには、この紋章がちゃんと出ている。エライ!。

Adele                                アデーレ。アイゼンシュタイン家の小間使い。
妹(姉?)のバレエ・ダンサー:イーダ(Ida)からの招待状で、オルロフスキの夜会に出かける(ファルケの偽の招待状)。

                                          名前のAdel(アーデル) とは、高貴な、貴族出身の、という意味。

第二幕では、自分自身を女優オルガ(Olga)と名乗り、「うちの小間使いそっくり」と失礼を言うアイゼンシュタイン(ルナール侯爵)に対し、ギリシャ的な美形をよ〜くご覧なさい、と面白半分にからかう役。第3幕では、田舎娘、女王、パリの貴族夫人を演じ分けるなど、コロラトゥーラふんだんで、ソプラノにはとても演じがいのある役。

                            ところで、オルガはロシア系の女子名: オリガ のラテン表音。著名な王族の子女にも多数ある名前。この時代、ロシアは様々な支援をギリシャにした。1867年には、ギリシャ国王ゲオルギウス1世へ嫁いだロシア・ロマノフ家のニコライ1世の孫娘(オリガ・コンスタンティノヴナ)が有名だったか。このドラマでは、第3幕で、アデーレが女優になるための支援を、ロシア貴族のオルロフスキ公爵が申し出る。

                            アルプスの北側にすむ国々のひとは、とりわけ男性は、ギリシャに強い憧れを抱いたらしい。かの文豪ゲーテも、イタリア紀行の折に、ギリシャに足を延ばして遊んだらしいが、彼はギリシャに行ったといういい方はしなかったようだ。イタリアは知と論理と科学の国であるが、反対にギリシャは、神秘と美と生命(エロス)の国というイメージである。啓蒙主義の先端を行きたいゲーテには、端的にいえば・・・女遊びかぁ、とひとにいわれるのが嫌だったのだ。

                            しかし、ギリシャは、キリスト教以前の文明世界かつ、ローマ帝国以前の文明国。ルネサンスというフランス語は、古代ギリシャ精神に再び立ち返ろうと云うムーヴメントであると、のちの学者がおもったほど、中世からの脱皮に重要な出来事だ。それほど、重要な存在がギリシャだが、この国の名は、やはり Elena と呼ぶ方が相応しい。Helena でも同じで、Olga という名の語源は、Helga であると辞書に在る。

                            つまり、アデーレは、ヘレナの国の女性であり、高貴かつ神秘とエロスに包まれた謎の美貌の人、そういう風に思いながらこのオペラレッタを見ると楽しい。

Ida                                     イーダ。アデーレの姉、または妹。
職業はバレリーナ。このオペレッタでは特に重要な役ではない。だが、アデーレと考え合わせると、興味深い。

つまり、Adelaide(アデライーデ)に発音が近く、ドイツ系ではよくある名前のようだ。つまり Adel + Heid アデル+ハイデ(heitでも同じ)から転訛したもの。アデーレとハイディかもしれないぞ。
Heid
・Heitは、Freiheit(自由) のように、性質を名詞化する言葉。つまり、生まれは高貴な性質であるぞと言っているようでもある。この姉妹、ゆめゆめご用心あれ、や!

また、語尾の aida という名を取り上げれば、ヴェルディ「アイーダ」ヒロインと同じ綴り。このオペラの初演は、カイロ劇場で1871年である。世界中が鳴り物入りで注目したそうである。
それで、Aida の語源は、イタリア語では aiutare(アイユターレ:助ける、救う)で、フランスならば aidere (エデール:同義)と想像するのは、ややこじ付けにすぎるだろうか。

アイーダという女性は、祖国エティオピアと敵対するエジプト軍人との恋の板挟みに苦労をする、情熱的だが、終始控えめな役である。

このイーダは、つねにアデーレと行動を共にして、芝居の進行を手伝い、アデーレを助けている。第3幕では、アデーレの歌に合わせたアクションが、音楽を引き立てる。どこか面白い役である。

エレナの国の神話には、小アジア半島のトロイの南東にイーダ山というのがあるとか。ホメロスにもギリシャ神話にも疎くて残念だが、神聖な領域の山、また女神の集う山でもあるらしい。
3人の女神が美を争ったとき、イーダ山の羊飼いパリスが、アフロディーティが一番美しいと選定したので、他の女神ヘラとアテナが怒ってそれがもとでトロイ戦争が起きたと、ホメロスの叙事詩は語るらしい。

あるいは、ガニュメデがゼウスにさらわれたのも、イーダ山で、彼はオリンポスでネクター(神の酒)を注いだ。のちに彼は、水瓶座になったという。

かくもれっきとした名前がイーダで、麗しきバレリーナとはぴったり。この人もエレナ的な美女だと思いながら見る方が、楽しいな。

Orlofski                オルロフスキー公爵。亡命ロシア貴族の王子。毎晩パーティーを開いているが、同じ日常に退屈している。ファルケに何か面白い企画をと依頼した結果、この芝居の「こうもりの復讐」劇となった。

なお、彼の名前の語幹、Orloffgに変え、Orlogとすると、「戦争」の意味になる。戦争の材料を探しているのかな。ファルケの作戦がうまくいくように、ところどころで、助け船も出す人物。

Frank                                フランク。刑務所長。アイゼンシュタインを自宅まで迎えに行くが、間違えて、アルフレートを連れていった、とぼけた役である。

                            名前は、言わずもがなのフランス国であろう。第2幕では、シュバリエ・シャグラン(Chevallier Chagrin)というフランス人になり済ます。アイゼンシュタインと意味の通じないフランス語で、互いに四苦八苦の会話をする。この人物のフランス語の意味は、「悲しみの、あるいは、憂鬱なる騎士」ということ。普仏戦争(1870)で負けたからだろうか。

Frosch                               フロシュ。刑務所の看守。フランクの部下である。
第3幕だけに登場する、歌わない語り役である。

この名前の意味は、蛙。語源は Froh 陽気な、である。
カエルとは、感情を表さない者の代名詞で、たとえば、
Sei doch kein Frosch!
といえば、「気取っていないで、一緒に遊ぼうよ〜!」という使い方があると、辞書に在る。
よほどつまらない人物に見えるが、ところがどっこい、このオペレッタでは、とても面白い役である。

このフロシュだけが、こうもりの茶番劇の外に居て、一同のふるまいには無関心の様子である。それでいて、冷静かといえばそうではなく、朝から強い酒をのみ酔っ払っている。
飲まなくちゃ、やってられねぇ、という風情である。1873年は、ウィーン発のバブル崩壊で、ヨーロッパは株価も資産価値も大下落、倒産続出、自殺多数というみじめな時代だったらしい。

フロッシュは、ウィーン人の代弁者かもしれない。
酒を飲んで陽気なふりをして、時代の喧騒をじっと見ているが、埒の外に身を置き、皮肉まじりにため息をつく。そういう自分たちが幸福にはなれないことを、みな心得ているけれど、そうするほかに今はやり方が無いじゃないの、という心境に思えてくる。

Alfred                                アルフレート。イタリア人のオペラ歌手、テノール。
ロザリンデの歌の先生でもあり、恋人でもある。ロザリンデの家を見つけ、夫の留守に図々しく上がり込み、さらに夕食に手を付け酒を飲み、ナイトガウンとナイトキャップまで拝借するという、臆面のない人物。当然ながら、計略や陰謀とは無縁だ。ロザリンデに請われるままに、アイゼンシュタインの代役で刑務所に入る。

                            第1幕の冒頭で、ロザリンデに「小鳩ちゃん見つけたよ」と言い寄りながら歌う姿には、まったく罪はない。(ちなみに、小鳩とは、当然ながら、小沢―鳩山のことでは無論ない、ということをお断りしておこう。)

                            ただし、「もう帰らぬ事、変えようのないことは、忘れちまう奴が幸せなんだよ!」と歌う姿は、哲学的である。僕ら日本人は、歴史を忘れっぽい奴と思われがちだが、こだわりを持たない事は、仏教の禅的世界でもあるのである。過去は忘れちまえといい、明日は思い煩うなという姿勢の、このイタリア人を侮ってはいけない。

Blind            ブリント。アイゼンシュタインの弁護士。顧客が5日間の禁固刑を喰ったのに対し、抗弁したら、8日間に延びたという、間抜けな弁護人の役。名前の意味は、目が見えていない、視野が狭く、先が読めない奴ということ(私は笑えないなぁ)。

                                          特に、どこかの国や人の比喩ではないようである。ドラマの便宜上、設定されている役だろう。あだ花とか、空砲という意味もある。
目先がきかず、騙されやすい人でもあろう。もしかすると、ウィーン人指導者の一部を揶揄したのかも。

ところで、なぜアイゼンシュタインが、ずるい(ルナール:Renard)のか、といえば、たぶんであるが、1866年の1月のこと。プロシャはオーストリアを誘い、ともにデンマークを攻略する。その際、オ軍の後方から、兵器の能力や戦術をしっかりと盗み見たのがプロシャである。いや、オーストリアの軍事・兵器能力の判定のために、デンマーク戦に誘ったのである。

さて、随分だらだらと書きましたが、もうお開きです。つまり一言でいえば、「こうもり」という作品は、酒あっても恋も無く、浮かれて終わる風情の即物的なナンセンス劇。この世はすべてシャンパンの泡だと云うことにして、この作品と人生ずっと楽しんできたウィーン人は、哲学的だ。
ベルリンの壁が崩壊して、ヨーロパ共同体が出来た今を、シュトラウスとその同時代人には、どう見えるでしょうね。   完  (  記: 高知尾 明 )