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一寸いい話2編

一寸いい話・・・神戸での出会い

  今年6月、白石武夫さん、鈴木徹郎さん(共に応援部OB、植樹会理事)の引率で、神戸大学で開催された第46回三商大応援団・応援部合同演舞会ステージを参観しました。母校の応援部を応援するこのツアーに参加したのは前記お二人に白石夫人、岸田夫人(植樹会員)と私並びに愚妻を加えた老壮男女各3名計6名です。
   母校の若者達による熱演90分の興奮もさめやらぬまま六甲台講堂を辞し、少し下りたバス停留所で、カメラと三脚を携えた同齢(?)とおぼしき素敵なご婦人に話しかけられました。聞けば福岡市から一橋大学応援部のショウを撮影に来られたとのこと。「僕等も東京からの追っ駆けですよ」。「孫の博章がいるものですから」。これが応援部主将(植樹会学生理事)兼井博章君のお祖母さん(古橋芳枝さん)との偶然の短い出会いでした。
   暫くして古橋さんから、便箋3枚ぎっしりと詰まったお手紙を頂戴しました。「・・・私もあの時皆様よりとても暖かなオーラを山のように感じ受けました。何か昔からの仲良し仲間に出会ったような楽しさにルンルンで帰路につきました・・・」そして、ご家族の紹介と11月の一橋祭には、皆で行くので再会を楽しみにしていると結んでありました。
   11月4日土曜日一橋祭の中日、兼松講堂前には開演前から大変な人ごみとなりました。後方から私の名前を呼ぶ声に振り返るとそこに満面の笑みをたたえた古橋さんが手を振っておられました。一段と若やいだ古橋さんの近くには兼井君のご両親、妹さん、親戚の叔母さん達もお揃いでファミリー総出の賑わいです。
   2時間余りの応援部ステージ2006の取りは応援部第51代主将兼井博章君のリードによる校歌「武蔵野深き」です。永年歌いなれた校歌ですが、この日の私はいつもより大声で歌っていたようです。
   お開きの後、兼井ファミリーを中心に老若男女が相集い枡酒と応援部特製うどんで歓談がつづきました。応援部と植樹会のご縁から、6月偶然の出会に始まった新しい交友の輪が更に広がることを期待しながら。

以上 (國持重明記)

ある養護学校の先生の体験談です。

きいちゃんは私が教員になったばかりのときに出会いました。きいちゃんは教室の中でいつも寂しそうでした。大抵のとき、うつむいて一人ぼっちで座っていました。だから、ある日、きいちゃんが職員室の私のところへ「せんせい」って大きな声で飛び込んできてくれたときは本当にびっくりしたのです。こんなに嬉しそうなきいちゃんを私は初めてみたのです。「どうしたの?」そう尋ねると、きいちゃんは「お姉さんが結婚するの。私、結婚式に出るのよ」ってにこにこしながら教えてくれました。ああ、よかったって私もすごく嬉しかったのです。  
それなのに、それから一週間くらいたったころ、教室で机に顔を押しつけるようにして、一人で泣いているきいちゃんを見つけたました。涙でぬれた顔を上げてきいちゃんが言いました。「お母さんが私に、結婚式に出ないでほしいって言ったの。お母さんは私のことが恥ずかしいのよ。お姉さんのことばかり考えているのよ。私なんて生まなければよかったのに」きいちゃんはやっとのことでそういうと、また激しく泣いていたのです。  
   でも、きいちゃんのお母さんはいつもいつもきいちゃんのことばかり考えているような人でした。きいちゃんは小さいときに高い熱が出て、それがもとで手や足が思うように動かなくなって車椅子に乗っています。そして訓練を受けるためにおうちを遠く離れて、この学校へ来ていたのでした。お母さんは面会日の度に、きいちゃんに会うために、まだ暗いうちに家を出て、電車やバスをいくつも乗り継いで4時間もかけて、きいちゃんに会いに来られていたのです。毎日のお仕事がどんなに大変でも、きいちゃんに会いに来られるのを一度もお休みしたことはないくらいでした。そしてね、私にも、きいちゃんの喜ぶことはなんでもしたいのだと話しておられたのです。だからお母さんはけっしてきいちゃんが言うように、お姉さんのことばかり考えていたわけではないと思うのです。ただ、もしかしたら、結婚式にきいちゃんが出ることで、お姉さんが肩身の狭い思いをするのではないか、あるいは、きいちゃん自身が辛い思いをするのじゃないかとお母さんが心配されたからではないかと私は思いました。きいちゃんはとても悲しそうだったけれど、「生まなければよかったのに・・」ときいちゃんに言われたおかあさんもどんなに悲しい思いをしておられるだろうと私は心配でした。  
   けれど、きいちゃんの悲しい気持ちにもお母さんの悲しい気持ちにも、私はなにをすることもできませんでした。ただ、きいちゃんに「おねえさんに結婚のお祝いのプレゼントを作ろうよ」と言いました。金沢の山の方に和紙を作っている二俣というところがあります。そこで、布を染める方法を習ってきました。さらしという真っ白な布を買ってきて、きいちゃんと一緒にそれを夕日の色に染めました。
   そしてその布で、浴衣を縫ってプレゼントすることにしたのです。でも、本当を言うと、私はきいちゃんに浴衣を縫うことはとても難しいことだろうと思っていたのです。きいちゃんは、手や足が思ったところへなかなかもっていけないので、ごはんを食べたり、字を書いたりするときも誰か他の人と一緒にすることが多かったのです。ミシンもあるし、一緒に針を持って縫ってもいいのだからと私は考えていました。でも、きいちゃんは「絶対に一人で縫う」と言いはりました。間違って指を針でさして、練習用の布が血で真っ赤になっても、「おねえちゃんの結婚のプレゼントなのだもの」って一人で縫うことを止めようとはしませんでした。  
   私、びっくりしたのだけど、きいちゃんは縫うのがどんどん、どんどん上手になっていきました。学校の休み時間も、学園へ帰ってからもきいちゃんはずっと浴衣を縫っていました。体を壊してしまうのではないかと思うくらい一所懸命、きいちゃんは浴衣を縫い続けました。  そしてとうとう結婚式の10日前に浴衣はできあがったのです。  
   宅急便でお姉さんのところへ浴衣を送ってから二日ほど経っていた頃だったと思います。きいちゃんのお姉さんから私のところに電話がかかってきたのです。驚いたことに、きいちゃんの御姐さんは、きいちゃんだけではなくて私にまで結婚式に出てほしいと言うのです。けれどきいちゃんのお母さんの気持ちを考えると、どうしたらいいのかわかりませんでした。
   お母さんに電話をしたら、お母さんは「あのこの姉が、どうしてもそうしたいと言うのです。出てあげてください」と言って下さったので結婚式に出ることにしました。  
結婚式のお姉さんはとてもきれいでした。そして幸せそうでした。それを見て、とても嬉しかったけれど、でも気になることがありました。  
   結婚式に出ておられた人たちがきいちゃんをじろじろ見ていたり、なにかひそひそ話しているのです。きいちゃんはすっかり元気をなくしてしまい、おいしそうな御馳走も食べたくないと言いました。(きいちゃんはどう思っているかしら、やっぱり出ないほうがよかったのではないかしら)とそんなことをちょうど考えていたときでした。  
   お色直しをして扉から出てきたお姉さんは、きいちゃんが縫ったあの浴衣を着ていたのです。浴衣はお姉さんにとてもよく似合っていました。きいちゃんも私も嬉しくて、お姉さんばかりを見つめていました。  お姉さんはお相手の方とマイクの前に立たれて、私たちを前に呼んでくださいました。そしてこんなふうに話し出されました。「皆さんこの浴衣を見てください。この浴衣は私の妹が縫ってくれたのです。妹は小さいときに高い熱が出て、手足が不自由になりました。そのために家から離れて生活しなくてはなりませんでした。家で父や母とくらしている私のことを恨んでいるのではないかと思ったこともありました。それなのに、こんなりっぱな浴衣を縫ってくれたのです。高校生で浴衣を縫うことのできる人がどれだけいるでしょうか?妹は私の誇りです」  
   そのとき、式場のどこからともなく拍手が起こり、式場中が、大きな拍手でいっぱいになりました。そのときの恥ずかしそうだけれど、誇らしげで嬉しそうなきいちゃんの顔を私は今もはっきりと覚えています。  
   私はそのとき、とても感激しました。お姉さんはなんて素晴らしい人なのでしょう。そして、お姉さんの気持ちを動かした、きいちゃんの頑張りはなんて素敵なのでしょう。きいちゃんはきいちゃんとして生まれて、きいちゃんとして生きてきました。そしてこれからもきいちゃんとして生きていくのです。もし、名前を隠したり、隠れたりして生きていったら、それからのきいちゃんの生活はどんなにさびしいものになったでしょうか?お母さんは、結婚式のあと、私にありがとうと言ってくださいました。でも私はなんにもしていませんと言うと、お母さんは、「あの子が、お母さん、生んでくれてありがとう。私幸せです」と話してくれたと泣きながらおっしゃいました。お母さんは、きいちゃんが、障害を持ったときから、きいちゃんの障害は自分のせいだと思ってずっとご自分を責め続けてこられたのだそうです。もし、もう一時間でも早く大きな病院に連れて行っていたら、あの子に障害が残ることはなかったのじゃないか、あの子の障害は自分のせいだと思ってずっと自分を責めていたと話しておられました。  
   きいちゃんは結婚式の後、とても明るい女の子になりました。これが本当のきいちゃんの姿だったのだろうと思います。あの後、きいちゃんは、和裁を習いたいといいました。そしてそれを一生のお仕事に選んだのです。

 
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