1952(昭和27)年度 1952年4月、入学式が行われ、初めてオーケストラ伴奏で校歌を歌う。 5月、音楽部総会を行う。音楽部規約を制定する。コーラスの名称を、野村勇雄の発案にて?「コール・メルクール」とすることに決定する。委員長に川島信を選出する。 5月か6月、如水会館にて、オーケストラの先輩を招き、合奏する。 6月、関東合唱連盟合唱祭が行われ、これに参加する。 6月?、兼松講堂にて、諏訪根自子リサイタルを、バレー部と共同で開催する。 メンデルスゾーン他が演奏される。 6月27日、兼松講堂にて、一橋・津田塾による混声合唱の初練習を行う。これにより、コーロ・ブリランテが成立する。 7月、部室の改築が成る。 7月28〜31日、富浦臨海寮にて、コール・メルクールの初合宿を行う。 夏、川島信、竹中章、藤本昂三らが関西に行き、第1回三商大音楽会の開催を取り決める。のちに、川島信が、当時の部の実力から無理と判断して中止し、ピアノソロ(森一)を送るのみとなる。 秋、兼松講堂にて、巖本真理リサイタルを、バレー部と共同で開催する。 11月5日、一橋祭が行われ、演奏を行う。 合唱(津田塾大学音楽部との混声)は、「流浪の民」(Schumann)、「ハレルヤコーラス」(Handel)を指揮佐藤勝にて演奏する。 オーケストラ(OB交響楽団の賛助)は、「未完成交響曲」(F.P.Schubert)、他小曲を、指揮竹内克彦(OB)にて演奏する。 12月、大阪にて、第1回三商大音楽会が行われ、ピアノソロの森一を送る。 この年初めて新制4学年が揃い、体裁が整う。練習は週1回行っていた。佐藤勝氏が映画の仕事の多忙のため合唱指揮をやめた後、#場準一が少し指揮をしていた。 メルクールと三多摩地区の町のコーラス団(コール国立、コール町田、八王子金曜会等15〜16団)が集まり、国立音大の岡本敏明教授、日本合唱連盟の秋山日出夫氏を戴いて、三多摩合唱連盟を結成し、時々国立音大で合唱祭を行った。成蹊大あたりから、三多摩大学合唱連盟結成の呼びかけがあり、津田塾とともに参加し、「メサイア」の「アーメンコーラス」等を演奏した。 1953年1月末、兼松講堂を締め出される代償としてピアノを購入する。 春、練習場所としていた兼松講堂を締め出され、その代償として新部室を獲得する。 春、指揮者に、青山学院等のパイプオルガン奏者として有名な石丸泰郎氏を迎える。 春?、合唱コンクールに出場する。 5月24日、一橋講堂にて、一橋講堂米軍接収解除記念演奏会を行う。 合唱は、「聖歌集」、「オレーグ公の行進」を、早稲田大学グリークラブの賛助出演にて演奏する。 オーケストラは、「交響曲第5番」(L.v.Beethoven)、「Golden sceptre序曲」、シンフォニックジャズ、「Begin the Beguine」(熊坂氏編曲)、他を、指揮竹内克彦にて演奏する。 昭和27年度委員会 指揮者・佐藤勝(1952年まで)、同・石丸泰郎(1953年から)、 委員長・川島信、会計・竹中章、 部員は30数名であった。