1954(昭和29)年度 1954年7月1日、新委員の選挙を行う。 夏?、秋の合唱コンクールに初めて出場することを決定する。 10月上旬、合唱コンクールのための強化合宿を行う。 10月17日、国立音楽大学にて、三多摩合唱連盟合唱祭(秋季)が行われ、これに参加する。 「日は暮れぬ」、「主は冷き土に」を、指揮石丸泰郎にて演奏する。 10月30日、女子学院講堂にて、第9回全日本合唱コンクール関東予選が行われ、これに出場する。 男声合唱の部課題曲「家路の歌」、自由曲「日は暮れぬ」を、指揮石丸泰郎、ピアノ内藤弘子にて演奏する。入選しなかった。 11月3日、一橋祭が行われ、兼松講堂にて、演奏する。 「清きたそがれ」、「主は冷き土に」、「懐かしき愛の歌」、「日は暮れぬ」、「家路の歌」、「兵士の合唱」を、指揮石丸泰郎、ピアノ舟木善麿、吉田磯雄にて演奏する。 11月28日、慶応義塾大学中里記念講堂にて、三多摩大学合唱祭が行われ、これに参加する。 「清きたそがれ」、「主は冷き土に」、「日は暮れぬ」、「家路の歌」、「兵士の合唱」を、指揮石丸泰郎、ピアノ舟木善麿、浜館康夫にて演奏する。 12月8日、一橋講堂にて、一橋大学音楽部第2回定期演奏会を行う。 オーケストラ、メルクール、ブリランテの出演、メルクールOB5名、津田塾大学音楽部の賛助出演により演奏する。 12月11日、如水会館にて、如水会忘年会に賛助出演する。 12月12日、東京芸術大学音楽部講堂にて、第1回国公立大学文化会音楽サークル発表会が行われ、これに参加する。 「日は暮れぬ」、「清きたそがれ」、「主は冷き土に」を、指揮三島稔弘にて演奏する。 1955年1月22日、東邦生命ホールにて、ブリランテグループ発表会が行われ、これに参加する。 男声合唱は、「日は暮れぬ」、「清きたそがれ」、「レットナムスクヌート」、「主人は冷き土に」、「ティンムプクトゥ」、「兵士の合唱」を、指揮石丸泰郎、ピアノ舟木善麿にて演奏する。 独唱は、「ポスト」(F.P.Schubert)、「からす」、「幻の太陽」を、独唱舟木善麿、ピアノ石丸泰郎にて、 「洪水」(F.P.Schubert)、「道しるべ」を、独唱西村隆治にて演奏する。 1月28日、国立学生集会所にて、卒業生歓送コンパを行う。 4月、旧三商大交歓音楽会の企画が突如持ち上がる。 5月22日、東京女子大学にて、大熊文子独唱会を開催する。三商の資金を稼ぐためであった。 5月29日、八王子にて、三多摩合唱連盟合唱祭が行われ、これに参加する。 6月4日、女子学院にて、関東合唱連盟合唱祭が行われ、これに参加する。 6月30日、大阪産経会館にて、第1回旧三商大交歓演奏会を行う。この年より、オーケストラ・コーラスのフル出場となる。 練習は、月曜日は午後1時30分から、金曜日は午後3時から行った。 昭和29年度委員会 部長・山田欽一、常任指揮者・石丸泰郎、顧問・太田宏(3年)、 委員長・舟木善麿(3年)、副委員長・三島稔弘(3年)、会計・寺本尚司(3年)、渉外・岡本文男(2年)、庶務・川村彦男(2年)、ライブラリー・今井彦一(2年)、委員(合唱)・内田純一(2年)、委員(オーケストラ)・内田雅大(2年)、同・大沢穣二(2年)、同・紋谷幸夫(3年) この年から副委員長を新設する。委員会の会合は1度もひらかれなかった。 部員は1954年12月8日現在40名であった。その中には女性(ソプラノ1名、アルト2名)もいた。オーケストラと掛け持ちをする者もいた。