コール・メルクール略年表(戦後) 1946年(昭和21年) 3月、復員、復学。 6月、学生が集まってコーラスを始める。平岩康雄氏に指導を願う。 6月、一橋音楽鑑賞会が発足する。 6月1日、化学教室において、第1回「一橋音楽鑑賞会」演奏会を開催する。 11月3日、兼松講堂において、一橋復興芸能祭が開催される。 11月3日、21番教室において戦没学生追悼会が開催される。 11月18日、三井新館においてOB主催の「学生を励ます会」が開催される。 1947年(昭和22年) 秋、一橋祭において、現役OB合同の無料公開演奏会を開催する。このときオーケストラが復活する。 このころ、一橋祭において津田塾大学や成蹊大学など近辺の学校と合同音楽会を開催する。 1948年(昭和23年) 11月、東京学生音楽文化連盟商大津田支部を設置する。 1949年(昭和24年) 4月から11月にかけて、東京学生音楽文化連盟商大津田支部で、諏訪根自子、巖本真理、安川加寿子、室井摩耶子、藤田晴子の各独奏会を開催する。 それと平行して、レコード鑑賞会を開催する。 5月、新制「一橋大学」が発足する。 6月頃、学生10数名がグループを結成してコーラスをはじめる。 12月、初代コーラス指揮者に国立音楽大学横田孝教授を招くことに決定する。 1950年(昭和25年) 1月、OBの援助で学生7〜8名位のオーケストラ班が練習を始める。 3月、コーラスグループも体裁が整う。 4月、音楽部が事実上再発足する。 新校歌の制定事業が行われ、校歌「一橋の歌」が制定される(「武蔵野深き」)。 10月22日、共立講堂において、一橋大学創立75周年記念祭が開催される。校歌「一橋の歌」が発表される。 コーラス指揮者が国立音楽大学作曲科卒業研究生の佐藤勝氏に交代する。 1951年(昭和26年) 4月、一橋大学音楽部が正式に発足する。 4月、入学式において初めて校歌を歌う。 6月、関東合唱祭に参加する。 7月9日、日本コロンビア社において、校歌のレコーディングを行う。 11月、一橋大学音楽部と一橋祭準備委員会の共催で、井口基成ピアノ独奏会を開催する。 12月、大学当局より兼松講堂の使用を禁止される。 1952年(昭和27年) 5月、一橋大学音楽部総会を開き、音楽部規約を制定する。コーラスの名称を「コール・メルクール」とすることに決定する。 6月27日、兼松講堂にて、一橋・津田塾による混声合唱の初練習を行う。これによりコーロ・ブリランテが成立する。 7月、部室の改築が成る。 7月28日〜31日、富浦臨海寮にて、コール・メルクールの初合宿を行う。 夏、旧三商大音楽会の開催を取決める。 12月、大阪にて、第1回旧三商大音楽会を開催する。メルクールよりピアノソロ1名を送る。 1953年(昭和28年) 1月末、兼松講堂使用禁止の代償としてピアノを購入する。 春、兼松講堂使用禁止の代償として新部室を獲得する。 春、指揮者に石丸泰郎氏を迎える。 5月24日、一橋講堂にて、一橋講堂米軍接収解除記念演奏会を行う。 秋、兼松講堂にて、モンブラン(ヴァイオリニスト)リサイタルを開催する。 11月21日、一橋講堂にて、一橋大学音楽部秋季演奏会(戦後第1回定期演奏会)を開催する。 12月、三多摩大学合唱祭が行われる。 1954年(昭和29年) 6月6日、運営資金獲得のため、如水会館にてダンスパーティーを開催する。 10月30日、女子学院講堂にて、第9回全日本合唱コンクール関東予選が行われ、これに出場する。 12月12日、東京芸術大学音楽部講堂にて、第1回国公立大学文化会音楽サークル発表会が行われ、これに参加する。 1955年(昭和30年) 1月22日、東邦生命ホールにて、ブリランテグループ発表会が行われ、これに参加する。 5月22日、旧三商大交歓音楽会の資金を獲得するため、大熊文子独唱会を開催する。 6月30日、大阪産経会館において、第1回旧三商大交歓演奏会を開催する。 7月10日、「学苑」復刊第1号が発行される。 11月6日、兼松講堂にて、自治会主催の一橋大学創立80周年記念合唱祭が行われ、これに参加する。 1956年(昭和31年) 1957年(昭和32年) 6月5日、三商の資金獲得のため、第一生命ホールにて、東京メールカルテット演奏会を開催する。 10月7日、部員総会を行い、メルクール規約を制定する。オーケストラとコーラスの運営を一部分離する。 1958年(昭和33年) 1月13日、山田欽一先生が渡英する。 5月19日、氷川小学校講堂にて、奥多摩町青年団と学生会との主催により、氷川演奏会を行う。 5月25日、三商の資金を獲得するため、藤ホテルにて、音楽部主催ダンスパーティーを開催する。 9月3日〜8日、飯田・赤穂へ、初めて演奏旅行を行う。 このとき、石丸泰郎氏が病気のため、荒谷俊治氏を指揮者に迎える。 9月27日、石丸泰郎氏が急逝される。 10月5日、青山学院チャペルにて、石丸泰郎氏の告別式が行われる。 1959年(昭和34年) 4月13日、コール・メルクール規約を制定する。 5月7日、府中病院文化祭に、慰問特別参加する。 オーケストラとコーラスが完全に分離する。 1960年(昭和35年) 6月25日、神戸三ノ宮駅頭にて安保反対を呼びかける。 ヴォイストレーナーに宮原卓也氏を迎える。 1961年(昭和36年) 1月28日、追出しコンパにおいて、卒業生よりオルガンを贈られるが、のちに盗難に遭う。 3月29日、NHKに出演する(放送は4月5日)。 この年、メルクール会館建設を目的とする「メルクール・ファンド」が設立される。