一橋大学柔道部の沿革を紹介します。 |
| 概要 |
| 創部 | 明治32(1899)年 | |||||
| 三商優勝回数 | 5回(東京商科大学時代)、22回(一橋大学時代) | |||||
| 所属 | 東京2部 | |||||
| 歴代部長・師範 | 歴代部長 | 歴代師範 | ||||
| (本科・学部) | 永岡 秀一 | 明32〜明35 | ||||
| 奈佐 忠行 | 明34〜昭4 | 藤 嘉三郎 | 明44〜昭16 | |||
| 吉田 良三 | 昭4〜昭13 | 内田 作蔵 | 昭14〜昭18 | |||
| 山中 篤太郎 | 昭13〜昭34 | 子安 正男 | 大11〜昭20 | |||
| 石井 頼三 | 昭34〜昭36 | 牛島 辰熊 | 昭4〜昭20 | |||
| 荒 憲冶郎 | 昭36〜昭63 | 森 務 | 昭16〜昭20 | |||
| 池間 誠 | 平元〜平16 | 柴山 謙治 | 昭27〜平2 | |||
| 大月 康弘 | 平17〜 | 現部長 | 野瀬 清喜 | 平3〜 | 現師範 | |
| (予科) | ||||||
| 峯間 信吉 | 大13〜昭14 | |||||
| 小比木 為三 | 昭2〜昭18 | 中田 善久 | 平13〜 | 現コーチ | ||
| 石田 龍次郎 | 昭14〜昭18 | |||||
| 石井 頼三 | 昭18〜昭20 | |||||
| 片野 一郎 | 昭18〜昭20 | |||||
| 明治:柔道部の創立 |
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一橋大学は、明治8(1875)年8月に森有礼先生によって「商法講習所」として施設されました。渋沢栄一先生の協力を得、東京会議所から東京府知事に同講習所の開設を届け出て9月24日に創立されました。明治18(1885)年文部省に移管。明治35(1902)年に東京高等商業学校となりました。 一橋大学柔道部は明治32(1899)年に創立され、100年以上続いている大学内でも伝統ある部活の一つです。東京高等商業学校になる前から柔道部は続いています。柔道の創始は明治15(1882)年ですから、国内においても早い段階から柔道が行われている団体と言えます。一橋大学柔道部初代市師範は永岡秀一先生でした。また、本科明治33年卒の南郷三郎先輩は講道館柔道創始者の嘉納治五郎先生の甥に当たる方です。 |
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| 大正〜昭和初期:三商大柔道連盟の発足、第二次世界大戦 |
大正9(1920)年に東京商科大学と発展して、大学学部のほか予科、附属商業専門部、附属商業教員養成所を設置します。大正12(1923)年の関東大震災の影響により、昭和5(1930)年に本科を国立へ、昭和8(1933)年に予科を小平へ移しました。 大正9(1920)年、東京商科大学ののち、昭和3(1928)年の大阪商科大学の設立、昭和4(1929)年の神戸高商の大学昇格を期に、昭和6(1931)年に三商大柔道連盟が発足しました。大正5(1916)年、8年、10年の3回にわたる東京・神戸高商との定期戦の流れを受け、昭和6(1931)年12月25日から3日間、東京において第1回三商大会が開催され、第8回大会は水害により中止を余儀なくされたほかは昭和17(1942)年の第12回大会まで行われました。 昭和18(1943)年秋、徴兵猶予が取り消され学徒出陣で上級生が徴集されると、予科生だけの稽古がつづけられましたが、戦争の激化によりそれも束の間に終わり、三商大戦は昭和18(1943)年の第13回大会無期延期という形で幕を閉じました。 |
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| 休戦後〜昭和:柔道部の再興、旧三商大戦・商東戦の始まり |
昭和20(1945)年、降伏文書が調印され戦争は休止しました。 昭和24(1949)年、東京商科大学は改組され一橋大学と改称、商学部、経済学部、法学社会学部の3学部となりました。昭和26(1951)年に法学社会学部が法学部と社会学部とに分離し、昭和28(1953)年には大学院設置、修士課程・博士課程が開設され現在にいたっています。 休戦後、GHQは学校柔道の禁止令を出しています。学校で柔道をすること自体を禁じており、昭和26(1951)年までは柔道を行えませんでした。この時期、柔道は危険なものではないと米国兵に訴えた柔道家の一人が柴山謙治先生でした。戦前からの師範である子安・牛島両先生のご紹介もあり、昭和27(1952)年の一橋大学柔道部の再開と同時に師範となられました。 大学からの御理解と御援助のもと、山中篤太郎先生を部長に就いて頂き、それまでの小平寮から前期小平体育館にて柔道部が復活しました。再開にあたり昭和29(1954)年卒の神谷信能、松尾弘大両先輩を初めとした先輩方のご尽力がありました。再開して間もない昭和27(1952)年12月、東京都国公立大会ジュニアの部で優勝しました。この当時のメンバーは2年に鈴木輝彦先輩、奥田碩先輩、三上魁先輩、1年に木村文彦先輩、高橋宏先輩でした。 また東大・一橋2校対抗戦(略称:東商戦、商東戦)が始まったのは昭和27(1952)年で、第1回は東京大学本郷構内七徳堂にて初めて開催されました。大戦前は一高対東京高商(それぞれ現在の教養学部に相当するもの)の試合として何度も行われてきましたが、真に定期的なものではありませんでした。しかしながら戦後になって再興の機運が高まり、以後脈々と両校主管持ち回りで続いています。両校ともに同じような境遇の学生が集まるので試合も非常に盛り上がります。 そして、昭和18(1943)年に無期延期となった三商大戦も一橋大学、神戸大学、大阪市立大学の三校により旧三商大戦として復活し、昭和28(1953)年11月23日大阪市立大学において第1回旧三商大戦が開催されました。その栄えある第1回優勝校は一橋大学でした。三商大柔道の伝統を受け継いだ試合が毎年行われます。 |
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| 近年 |
平成8(1996)年に小平分校が廃止され、国立キャンパスで4年一貫教育を行うことになりました。平成12(2000)年の125周年を期に、日本初のMBAコースである国際企業戦略研究科の設置、平成16(2004)年にマーキュリータワーの完成、 国立大学法人一橋大学発足 法科大学院を新設、翌17年には創立130周年を迎えています。 平成11(1999)年に一橋大学柔道部は創部100周年を迎えました。現在の道場有備館は国立東キャンパス構内にあります。昭和54(1979)年に旧有備館が取り壊されたので、新有備館が建設されたのは翌55年のことです。平成20(2008)年現在に至るまで畳の入れ替え等はあったものの変わらぬ場所に立地しています。 石井頼三元部長、荒元憲治郎部長、池間誠前部長より引き継がれ、平成17(2005)年より現在は大月康弘先生(経済学部教授)に部長職に就いて頂いています。普段の研究でご多忙の中柔道部の行事や大会に欠かさずご出席いただき、その都度柔道だけでなく教育、研究、部員の私事まで幅広い分野でのお話をして頂いています。 平成3(1991)年に柴山謙治先生が総師範に、野瀬清喜先生(現埼玉大学教授)が師範になられました。平成13(2001)年に柴山先生は御逝去されました。野瀬先生はロサンゼルス五輪銅メダリストで現在は全日本女子強化部長として日本の柔道界の第一人者です。現在まで野瀬先生に20年に渡り御指導を頂き、私たちの目線に立った柔道の技術に加え、武道としての柔道、礼儀、人間性などの教育にご尽力いただいています。 また、平成13(2001)年よりセコム柔道部監督、全日本ジュニア特別強化コーチであられる中田善久氏(現セコム株式会社)にコーチとしてお招きしています。実兄の中田勝久先輩が当柔道部の卒業生であるため、その御縁もありお越し頂いています。学生と一緒になっての稽古、ウェイトトレーニングといった基礎体力強化練習、練習が終われば親身に部員の相談に載っていただいています。 過去5年間の柔道の成績は平成15(2002)年から旧三商大戦三連覇を遂げました。当時の歴代主将は金子正幸先輩(平成15年卒)、上田幸冶先輩(同16年)、野瀬将悟先輩(同17年)です。ここ2年間は3位と屈辱を味わっていますが、旧三商大柔道精神である「立ってよし、寝てよし」の伝統を受け継ぎ、必ず雪辱をと主将柿元將希を筆頭に現役部員一同稽古に励んでいます。 その他の試合につきましては、平成14(2002)年、翌15年に東京都国公立ジュニアで2連覇を果たしました。個人戦では平成13(2001)年から野瀬将悟先輩(現監督)が東京都国公立個人無差別級4連覇を成し遂げています。昨年は同大会で柿元・安井がそれぞれ3位・2位入賞を果たしました。安井(現副主将)は初心者から柔道を始め、現在でも初心者から柔道を始めるという当柔道部の特徴が活きていると言えると思われます。 |
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柔道場紹介
「有備館」の写真です。(柔道部80年史より)
【初代】
大正6年頃

【二代】
昭和11年頃

【三代】
昭和57年頃
