阿部謹也君を偲ぶ会 2006年11月20日(月)17時開催 松風の間

              小雨降る夕べ大きく美しい阿部君の遺影に五十一名が献花を終え、

              安田君の司会で偲ぶ会が始まった。

              藤田昌巳君が代表して挨拶。

            「阿部君はドイツ中世史から出発して西洋社会と日本社会の比較研

             究をなしとげた不世出の歴史家というある人の評価が彼の業績をよ

             く顕しているのではないか。小平・国立の統合による一貫教育。

             学長選挙制度改革など行政官としても手腕を発揮して大學の長年の

             懸案を解決した。」続いて柴田君が学生時代阿部君の家で彼に似て

             優しい妹さんを紹介され嫁さんにくれないかといったら「ああいい

             よ」と阿部君がいってくれた話を披露。その時彼女は中学三年で早

             すぎたと皆の笑いを誘ったところで献杯に移った。塩川君「阿部君

             が修道院をでてきた好少年の中学の時から高校・浪人・大学と長い

             付合いだった。泣いて危険だと反対する母親にかくれて拙宅から山

             支度して山登りを続けた。父親を亡くしてアルバイトで家計を支え

             ながら山登りを止めなかった。その性格がのちに行政官として難し

             い課題を義務として自らに課しやり遂げたことに繋がるのではない

             かと思う。山で識りあった新宿のデパートのエレベーター嬢を追い

             かけて二人で何度上がり降りしたことか。懐かしく思い出される」

             去来川君「阿部君は学生から親しまれた学長ではなかったか。ゼミ

             の旅行で女子学生から先生お風呂に一緒に入りましょうよと誘われた。

             これは本人から聞いた。鎌倉の図書館に行くと彼の著作が40冊ほ

            どありよく読まれている。万葉集から漱石までの多数の日本の古典

            の中の日本人の世間とのかかわり個人の確立を論じた。彼は日本人

            はどう生きるべきか探求していたのでまだまだそうした社会への貢

            献が期待された。真に惜しまれる」市畑君「長年小平の国立移転と

            いう大学の希望は文部省に認められかった。今井学長選出が寮費値

            上げ問題で歴史上初めて学生の拒否権に会い文部省は愕然とし拒否

            権制度の廃止を求め一橋大学は応じず両者の間で冷戦が続いた事が

           背景にある。ところが日米構造協議の内需拡大策で文部省は小平の

           国立移転に予算をつけたいと打診したが学内協議でこれを断る。高

           等教育局長は「一橋はどうなっているのですか」という。そこに火

           中の栗を拾う形で阿部君が登場、一人で学生と立ち向かい説得。国

           立移転がなった。彼から小平跡地利用についてスポセン建設募金を

           33年が如水会で音頭をとるよう新米理事でしかない私に依頼があ

           り如水会はなかなか立ち上がらず苦労したが終に17億を集め文部

           省との関係も改善、阿部君は国立大学協会会長を例外的に勤めるま

           でになった。彼の大学・学生を思う熱情と行政手腕なくして総ては

           ならなかった。ご冥福をいのります。」稲次恵さん「阿部先生を訪

           ねゼミに入れて下さいとお願いした。その時の先生の目のきらきら

           した輝きは今でも思い出します。先生のゼミは禅問答のようで「君

           たち時間とはどんなものだと思う?時間の定義を述べてみなさい。

           時間は意識によって変わるものだよというような話が次のゼミも又

          その次のゼミも続きました。先生は常々お母さんにも分かるように

          本を書いていると言われ、そうした弱い学問のない人市井の人を愛

          し優しい眼差しをそそいでおられた。歴史学者であったが未来もみ

          ておられたため公的な仕事にも就かざるを得なくなり、どれだけ先

          生が心血を注がれ命を削られたかと思うと胸が熱くなります。天国

          でのご冥福をお祈りします。」

          阿部夫人の謝辞。「主人は弱気の時はあと五年は生きるかなと言っ
 
          てました。出版社に本を書く約束をしてました。透析のあと鼾をか

          きはじめその侭亡くなりました。本日主人のためにこのような会を

          開いてくださり皆様に厚く御礼申しあげます。」

          小雨降る道を、良い会だったなと語り合いながら会館をあとにした。

                                                  (文責・鶴田)

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