カメラの鬼才 ― イーストマン・コダック物語

 

講師 一橋大学イノベーション研究センター助教授

青島 矢一 

平成16年10月5日 於:如水会館

【無断転記転載を禁ず】

社団法人 如 水 会

責任編集

 




◆内容目次

はじめに

写真業界のイノベーションとコダック社

2つの視点

ビジネスモデルのイノベーション

湿板時代のビジネスモデル

乾板時代のビネスモデル

KODAKのビジネスモデル

1954年同意判決後のビジネスモデル

銀塩写真市場のビジネスモデル(日本)

もう1つのイノベーション:レンズ付きフィルム

レンズ付きフィルムのビジネスモデル

電子スチルカメラ(デジカメ)の脅威

デジタルカメラの脅威:機能分離

デジタルカメラ市場のプレーヤー

ビジネスモデルの転換と破壊的技術

技術変化の歴史

講師略歴


はじめに

 ご紹介ありがとうございました。最後に紹介のあった著書は、「戦争戦略論」ではなく、「競争戦略論」という本です(笑)。戦争というのはちょっと苦手です。

 僕は最近、歳だと思うんですが、映画を観るとどうも涙が出てきてしまう。この映画でも最後、ちょっと感動してしまって。この映画はジョージ・イーストマンの一生を描いていて、彼の特徴をある種デフォルメして描いているところもある。すごく細かく帳簿を付けたりとか、いろいろなものをすべて計画し、人に指図するとかですね。そういう人生の中でも最終的には大きな目的を達成していて、私も死ぬときには"My work is done. Why wait?"と言って死にたいなと思いながら、最後にちょっと涙が出てしまいました。

 最近はMOT、技術経営ということがいろいろなところで叫ばれていますが、なぜそういうことが叫ばれるのか。日本の企業に、技術力はある。バブル崩壊以降、企業や経済が低迷すると言いながらも、その時期に特許の数が減っているわけでもないし、技術力はそこそこある。実際、僕自身は、製造業の製品開発、技術開発を専門としていますので、エンジニアや研究者と話をすることが多いんですが、優秀な方が多い。日本の理科系の大学教育は非常に優れていたのではないか。一橋は問題だったかもしれないなと、逆に思うときあるんですが。にもかかわらず、なかなか利益が出ないという状況、疑問が、ここ数年、わき出できたんじゃないか。言葉がいいかどうかは別として、それに対してMOTという視点が出てきた。技術と企業経営をいかに融合させるか。われわれの研究センターは、まさにそこを狙いとしているわけで、だから私の研究センターには理科系の教員がいます。理科系の知識と文科系の考え方をうまく融合していくことが、必要になってきたというのが最近の状況だと思います。


写真業界のイノベーションとコダック社

 イーストマンという人は、もともと技術者じゃないですよね。銀行に勤めていたわけです。その人が技術のことも勉強する。でもやっぱりビジネスマンだから、非常に優秀な化学者なり技術者を連れてきてビジネスをつくりあげていく。たしかにイーストマン・コダック社は技術的にも優れたものを作っていくわけですが、よくよく振り返ってみると、そこで一番決定的だったのは、僕の目から見れば、ビジネスのモデルをつくったことです。技術とビジネスモデルをうまいこと組み合わせる、そういう歴史だったと思います。それを簡単に説明して、そういう視点から見ていきましょう。まずは今のビデオの内容と、プラスアルファとして他の資料から取ってきたものを含めて1回おさらいしてみたい。コダックを中心としてこの産業がどのように発展してきたのかということをおさらいします。

 スライド2スライド3最初の写真というのは、1839年にフランスのダゲールという人がつくったダゲレオタイプという銅板の上に銀の溶液を塗ったものらしい。ビデオの中で、ガラスの上に硝酸銀の溶液を塗って感光剤を作るというプロセスがあったと思うのですが、それがだいたい1850年代の中盤くらい。コロジオンという粘着性のある物質をガラスの上に貼って、その上に硝酸銀の溶液を塗布していくものが普及する。プロの写真家がこんなふうにガラスの板を作ったということで、湿板と言われるプロセスがビデオに最初に出てきた。あそこで見て分かるように、あれは非常に感光が速いので、写真を撮る直前になって塗布をやるわけですよね。ダーッとやって、ダーッと撮って、それで現像する。スキルが必要です。非常に複雑な工程をかけている。前後工程が非常に複雑で、プロ以外の人にはなかなかできない。それから、感光物質の変質が速いので、そこのスピードも重要になる。そういう問題があったのが湿板の時代です。

 それに対して出てきたのが乾板です。ビデオの中でイーストマンが粘着性のある物質を塗っていましたが、あれはゼラチンの感光乳剤を塗布していたわけです。写真を撮る前に感光性を与えるという作業をしなくていいのが乾板。これにイーストマンは飛びついた。イギリスの雑誌でそういうものが紹介されているのを読んで、それを自分でも作ろうということで始めた。それで彼はプレートを自分で作って、「イーストマン・ドライプレート・カンパニー」を設立した。ビデオにも出ていましたが、その後いろいろな会社が参入してきて、乾板事業はどんどん競争が激化してくる。コモディティー化してきて、すごく競争が激しくなって、それでぜんぜん利益が出なくなるという時代がくる。乾板の部分だけ切り離されて、いろいろな会社が競争し始める。ここはなかなか利益が出ない。しかも後ろの工程は相変わらず複雑なまま、プロがやらなきゃいけないというプロセスになっていたのがこの乾板の時代です。

 その後、1870年代の終わりに、ロシアの移民のウォルネルケという人が、大きなゴムの上に先ほどの乾板のようなものを貼り付けて、それをスライドさせながら撮っていく方法を開発した。そこからアイデアを持ってきてできたのがイーストマンのロールフィルムとロールフォルダーであり、それが数々の賞を取ったという説明があったと思います。フォルダーの中に紙に乳剤を塗布したロールのフィルムを入れて、それを回すことによって、プレートを交換しなくても済む。ところが、これは成功しないわけですよね。なぜ成功しないかというと、簡単に言えば質が悪いからです。主なユーザーはプロのユーザーであって、彼らはそういう複雑な工程を処理するところにノウハウがあるわけで、それを効率よくできる。でも、彼らからすると、やはりいい写真、きれいな写真を撮りたい。そういう観点からすると、このイーストマンのやったものは、たしかに簡便性はあるけど、プロのユーザーにはぜんぜん受け入れられないわけです。

 その後、イーストマンはコダックというカメラを作る。ターゲットを一気に大衆の方に向けるんですね。大衆はそれほど画質とかクォリティーは求めていない。だから使いやすいカメラを作る。これが1888年に出てきた携帯可能なカメラ、コダックです。"You push the button, we do the rest"あとは全部こちらでやると。消費者はボタンだけ押せばいい。カメラは25ドル。給料の3カ月分だといってましたね。フィルムは10ドル、給料の1カ月分ぐらい。けっこう高い。その中に現像料が含まれているというのがポイントです。あとでお話しますが、これが新しいビジネスモデルだったわけです。「現像料込みで10ドル払ってください」というパターンをつくったのが、このコダックというカメラだったんです。

 このあと、コダック社は何をするかというと、セルロイドのフィルムをつくる。これは特許で負けて賠償金、和解金を払わされるわけですが、透明フィルムの特許を申請した。その後は一気に工場を立ち上げていく。その途中で、透明フィルムを開発したライケンバックという人が退社して、その後世界的な不況があって、一気にフィルムの品質が悪くなり、不況もあって、大きい負債を抱え込んで苦しむ時代があるというのがビデオに出ていました。

 その後、高品質の乳剤を開発し、品質の高いものを導入することによって、また利益を確保していく。これは、ビデオには出てこないんですが、1890年の半ば、まさに不況が終わったあたりからイーストマンが何をしていたかというと、製造技術を大幅に変えて、大量生産をやっているんですね。これは一つの推測なんですが、最初にライケンバックとのやり合いがありますよね。大きな工場を建てたけど、工場の人々は昔ながらの小さい工房のやり方をやりたいと。それに対してイーストマンは、ああやって指図をする人だから、全部計画を立てて、たぶんシステマティックにやりたかったんでしょう。そこで、うまくいかないので、なんで乳剤が届かないんだとか、そういうことでいざこざがあった。で、最終的にクビにするんですが、結局クビにしたあと、一方では高品質の乳剤を開発すると同時に、もう一方ではすごく製造設備に資本を投入する。どうやらイーストマン・コダック社は、連続の製造技術ではちょっと後れていたらしい。それで、一気にこのプロセスの技術に資本を投入して、高品質、低コストのフィルムを作るという、いわゆる材料ビジネス、装置ビジネスに大量の投資を行い、製造技術の導入をやった。この結果、1902年には、もうセルロイド・フィルムの80%から90%をコダック社が供給しているんですね。最初に高品質のものを作って、そのあとは徹底してプロセス技術に投入し、大量生産でものを売っていくということをやったのがイーストマンです。そのあたりは、あまりビデオには出てこなかったかもしれません。

 そのあいだにあったのがブラウニーというカメラです。このカメラは徹底的に安くつくったものです。いったん市場を立ち上げたあとは、フィルムを安くするために大量生産向けの連続製造技術に投資すると同時に、一方でカメラも安く設計して、大衆の人が使えるようなかたちにする。ブラウニーというカメラは1ドルでした。このときフィルムは15セント。これもまた現像料を含んでいるんですね。こういうものを投入するというやり方です。

 そのあとは、少しビデオに出ていましたが、研究所が設立され、イーストマンは退社する。で、ピストル自殺をする。そのあたりからコダック社はムービーシステムを導入したりします。あとで少しお話しますが、重要なのは、それまではコダック社はフィルムの中に現像料を入れていたわけですね。だからフィルムを買うときは、現像して返すまでのお金を全部抱え込む。これはある種の抱き合わせ販売の可能性があって、独禁法の問題が出てくるんですね。それで同意判決によって1954年にフィルム代と現像代を分離するということで、今のかたちになるわけです。したがって、コダックはフィルムを導入します。現像は現像所で行われる。そこにいろいろな機材を導入するというビジネスに変わっていった。その後は、ポラロイド・カメラがやっていたようなインスタントカメラにコダックは入っていった。実際には63年の段階でポラロイドカメラに使われていたフィルムはコダックが全部納入していた。自分たちでもインスタントカメラを投入して、あとで特許の係争で結局はコダックは負けて撤退するわけですが、そういうものに投入してやっていた。

 その後は電子写真の領域にも投資していく。このあたりの話はあとで少ししたいと思いますが。こういうかたちでだんだん「もの」が進化してきたという状態です。それで、現状ではコダックは調子がよくないわけですね。フィルムがどんどん減っていて、結局デジタルカメラ、電子スチルカメラ、電子の世界に入ってきた。そこではコダックはあまり重要な地位を占めることができていない。かつては、そのあたりの領域で日本が強いというので、日本に研究所を設立したこともありますが、それも撤退したりして、カメラ自体も基本的にはチノンという日本の元カメラ会社を子会社化して、そこが供給するという体制になっている。このあたりの話はあとで少ししたいと思います。


2つの視点

 きょうは「ビジネスモデルの転換」としてこのヒストリーを見ていきたいというのが一つの役目です。もう一つは、それとの関係で有名になったハーバードのクレイトン・クリステンセンという人が言った「破壊的技術の論理」というのがあって、そういう視点からこれを見るとどういうふうに見えるかを探ります。


ビジネスモデルのイノベーション

 (スライド5)経営者としての資質という観点からジョージ・イーストマンを眺めるという見方もあるでしょうが、きょうは、技術のイノベーションというよりは、ビジネスモデルのイノベーションとして捉えると、この業界はどういうふうに見えるのかという観点から見ていきたいのです。いろいろな技術的な転換があるわけですね。

●湿板から乾板への転換

●乾板からロールフィルム、ロールフォルダーという転換

●ロールフィルム、ロールフォルダーからカメラ自体も一緒に売ってしまうというコダックというシステム

 先ほどの同意判決のあと、コダックはフィルムを販売すると同時に、写真の機器は別途納入していく。写真用の現像機とか、そういう方向をどんどん多角化し、広げていくわけです。いまの日本の富士写真フィルムとかコニカも似たようなことなわけですが。フィルムを投入し、最終的に現像所のネットワークを組みながら、そこへの部材供給で利益を出すというビジネスモデルが出てくる。

 その後に出てくるのがレンズ付きのフィルム、いわゆる「写るんです」、使い捨てカメラと言われていたもの。あれ自身も、ある種の新しいビジネスモデルで、昔のコダックに戻った感じがありますよね。フィルムとカメラが一体化している。そのあと出てくるのが電子スチルカメラ。いわゆるデジカメ。これは一つ一つがみんな技術のイノベーションであると捉えることもできるんですが、それと同時に、非常に大きなビジネスのモデルが転換しているという捉え方をしたいと思います。

湿板時代のビジネスモデル

 (スライド6)まず湿板時代のビジネスモデルというのはどうなっていたかというと、ガラス板とコロジオンという粘着剤と硝酸銀を塗布する。この材料がどこかから供給されてきて、それをプロの写真家が撮影の直前に感光化するわけですね。直前に感光化して、それをカメラに装填し、撮影し、それを現像して、最終的には光を当てて焼き付けるという作業をやる。これを全部プロの写真家がやっていたわけです。そうすると、基本的には材料を供給するのがビジネスのあり方であった。これが湿板の時代だった。ただ、これだと、プロの写真家がこの部分を統合的に行うノウハウを持っていて、非常に限定的な人しかノウハウを持っていないということで、市場自体大きくは広がらない。ある特定の人に限られる。材料から最終的に映像をつくり出すという一連のプロセスの中で、ほとんどの付加価値の創出をプロの写真家が担っているという状態だったのが湿板の時代です。

乾板時代のビネスモデル

 (スライド7)乾板の時代は、一部が取り込まれたわけです。乾板というのは、感光性を持たせるという作業を事前にやってしまう。最近はやりの言葉で言えばソリューション・ビジネスというんでしょうかね。今までお客さんがやっていた付加価値の創出活動の一部を川上に引き寄せて、それを中に組み込んだ状態でお客さんに提供するという意味からいえば、ある種のソリューション・ビジネスです。乾板メーカーは感光ガラスと乾板の製造をするわけですが、従来お客さんがやっていた感光化というプロセスを川上に取り込んでしまったということです。

 感光化を取り込んだけど、相変わらず材料供給であることにはかわりない。ところが、カメラと乾板は比較的インターフェースがシンプルですよね。ただ入れ込めばいいわけですから。誰が作ってもそこそこの品質が出れば、どれを買ってもそんなに変わらないという時代になってくる。そうなると、標準化されて、価格が非常に競争的になり、収益が悪化する。だから誰もあまり儲からないという時代になってくる。つまり、標準化されたコモディティー・ビジネスの問題が起きてくるわけです。それはイーストマンも例外ではない。プロの写真家が相変わらず複雑なところをやっていて、感光化を取り込んだけど、これを使うところについてはインターフェースが切り離されていて、比較的標準的なものをどこからでも買えるので、プロの写真家はそこそこ良ければ安いものを買う。それで価格競争に陥って利益が出なくなるというのが1800年代の後半に起きるわけですね。

KODAKのビジネスモデル

 (スライド8)これに対して、コダックは、大衆化といえば大衆化なんですけど、やったことは一種の囲い込み戦略ですね。結局は、フィルムの製造からカメラの装填、最終的な現像、これを全部イーストマン・コダック社がやる。コダック社が事業としてやってしまう。で、お客さんがやるのは撮影だけ。「ボタンだけ押してください。あとはわれわれがやりますよ」というビジネスのモデルになったわけです。カメラは25ドル。カメラ25ドル、フィルム10ドルと考えると、やはり現像料も含めてフィルムがけっこう高いんですね。後にはカメラも安くなっていくわけですが、結局はカメラを比較的安く売って、フィルム現像料を繰り返し払ってもらうことによって利益を得るというビジネスのモデルを作っていった。しかもフィルムのなかに現像料も入ってるから現像はコダック社でやってくれる。コダックのカメラをばらまくことによって、彼らの現像まで含めた全体のビジネスにお客さんを囲い込むことができるというやり方になったわけです。

 乾板の時代は乾板自体が標準化されていて、どこからでも買えるから競争的になり、利益が出なくなる構造になっていったわけで、そこの部分を中に取り込んでしまうやり方をしたと捉えることができます。今もこのビジネスモデルは継承されている。オープン化じゃなくて逆に囲い込み、クローズ化していくというビジネスのあり方をしたのが、このコダックのポイントであった。コダックの場合は、必ずしもプロの写真家が本格的に撮るような品質は出なかったかもしれない。それでも大衆の人にとっては、こういうやり方の方が非常に便がよかった。便がいいだけでなく、コダックにとっても非常に都合がいい。なぜかというと、カメラを買ってもらえば全部買ってもらえる。すべてをコダック社で取ることができる。こういう形にしたのがコダックのビジネスモデルであった。だから、技術の変化と共にビジネスの境界を変更しているわけですね。湿板から乾板で、まず感光化のところが取り込まれ、そのあとはコダックというビジネスのモデルでカメラの中にすべてを含めてしまうという囲い込みをするのがコダックのビジネスモデルと言えるのじゃないか。

1954年同意判決後のビジネスモデル

 (スライド9)その後、「フィルムの中に現像料を含めるのはいかん。それはまさに独禁法違反である」ということが起きるわけです。それでそこは分離される。分離されたあと、どう変わったかというと、フィルムの製造はします。フィルムは比較的標準化されるわけです。装填したり撮影するのはお客さんがやってくださいねと。でも、お客さんに対してカメラ、現像所に対して現像液とか現像機とか、そういうものは基本的に供給しますよという。そのように全体のところにすべてを供給していって付加価値を取り込む。フィルムに現像まで含めることはできなくなったけど、現像のプロセスを他の現像所がやったとしても、そこでいっぱい現像してくれれば、コダック自身は利益が出る。つまり、材料、現像液とか現像機も儲かるし、あとは紙、印画紙もビジネスになる。だから結局そういうビジネスモデルが作られてきた。

 フィルムメーカーというのはカメラをばらまいてもいいわけですね。カメラをばらまいて、みんながフィルムを買ってくれて、最終的に少なくともプリントしてくれれば、そのプロセスが成り立つ限り、彼らには利益が落ちる。そういう仕組みに変えていく。完全に囲い込みはできないんだけど、マーケットが広がれば、お客さんが写真を撮ってそれをプリントするという一連の作業が残る限り、どこからでも利益が落ちる。これが基本的なビジネスのモデルになっていて、今まで続いてきた。つまり、デジタルカメラが出てくるまで、フィルムメーカーは基本的にはこのビジネスモデルで利益が出る構造をとってきた。

 だからフィルムメーカーは、みんなが現像機の開発など、機器の方向にどんどん出ていくわけですよね。コダックも一番最初に暗室が要らない現像機を作った。こういうのをどんどん作っていく。彼ら自身がその機器でほんとうに儲かると思ったかどうかはちょっと分からないけど、少なくともそういうものを開発していくことによって、彼らの材料が売れるわけですよね。マーケットが広がって、みんなが写真を撮れば撮るほど、材料ビジネスで利益が出る。そういうモデルが銀塩写真のときの基本的なモデル、現在のビジネスのモデルになっている。

銀塩写真市場のビジネスモデル(日本)

 (スライド10)たとえば日本で見ると、写真は入力から出力までがあって、入力はカメラとフィルムで構成されている。これは銀塩写真の場合ですね。実際にそれを出力するのは現像機器であったりプリンターであったり、印画紙に焼き付けたりとか、こういう一連の機械がある。材料と機器がある。コダックという会社は、基本的には、ここ全部に登場するわけです。コダック、富士写真フィルムとかコニカとかアグファゲバルトとか、こういう会社は、さまざまなところに登場してくるわけです。

 銀塩写真のコンパクトカメラというのは、そんなに利益が出ていないと思います。僕がオリンパスを調べたときも、彼らが非常に大きな改革をしてやっと黒字になったということでした。コンパクト カメラは長いあいだ赤字のビジネス。でも、フィルムメーカーからするとそれはそれほど問題にはならない。赤字でもいいから安くなって、お客さんがいっぱいカメラを買って、たくさん写真を撮ってくれれば、お金がいっぱい落ちるわけです。だからカメラなんて安く出せばいいわけですよね。

 その代わり、フィルムを押さえる。あとはみんながプリントをしてくれれば、現像の機器とか写真のプリンターとか、印画紙とか現像液とか、これが全部儲かる。利益が出る。したがって、基本的には、顧客の撮影枚数さえ増えれば自動的に利益が落ちるという仕組みをとっていって、そのためには、写真の入力から出力までの全プロセスに対する機器開発を徹底的に進めていく。だから、コダックも研究所を作るわけですが、そこで徹底的に開発して、そういうものを投入していくというやり方をする。

 たぶんカメラで儲けるというよりは、フィルムなどの材料で利益を得るというパターンになっている。実際コダックはカメラをやっていましたけど、詳細には分からないですが、カメラで利益が出ているとは思えないし、カメラでプレゼンスの高い会社ではない。

 日本のコンパクトカメラのメーカーも利益が出ていないと言われていた。一眼レフはまた別です。あれは特に交換レンズの利益が出る。キヤノンとかニコンとかですね。マウントが完全に独自仕様になっていて、それ用に皆がレンズを蓄えていくということで利益が出るわけですが、それ以外のものについては、カメラはフィルムを売るための道具として使われたという経緯があるのではないか。だから、このようにいろいろなところにみんなが出てくる。こういう構図の中に、ノーリツがいたり、日本だと三菱製紙が入ってきたりする。こういうのは既存メーカーからすると迷惑なことであるわけです。非常に市場が乱される。実際に、こういう会社が入ってきたときは、ガッと値段が下がったりしている。こうのようにビジネスのモデルが転換してきたことが一つ。

もう1つのイノベーション:レンズ付きフィルム

 (スライド11)もう一つ、これは近年ですけど、旅行などに行くと置いてあるレンズ付きフィルム。最近はあまり見なくなりましたね。最近ディズニーランドとかに行くと一番多く見られるのは、携帯電話。若い人たちは携帯電話で写真を撮りながら、メールで友だちとやりとりしながら、ディズニーランドで遊んでいる。明らかにカメラの使い方が変わってきているわけです。あとはデジカメ。昔だと「写るんです」が多かったんですが、最近ティズニーランドへいくと少ないですね。実際、いま「写るんです」が一番ダメージを受けているはずですね。特に携帯カメラによる代替が大きいと思いますが。

 レンズ付きフィルムは1985年に開発され、1986年に導入されるわけですが、コダックはその後を追うわけですね。富士写真フィルムが開発したもので、出たときは1380円。覚えていらっしゃるかもしれませんが、初期の頃はまさにフィルムの箱と同じ格好をしていたわけです。フィルムの箱だったわけですね。発想が違っていて、フィルムを売る、その現像から利益を出す、さっきのビジネスモデルの延長なんですけど、少しコダック的に戻っている。カメラとフィルムが一体化してしまっている。フィルムにレンズを付けるというビジネスモデル。

 開発自体も、カメラというよりはフィルムの開発部隊が開発したんですね。そのときにはいろいろな事業計画があった。皆さんも覚えていらっしゃるかもしれませんが、この小さいカメラって昔からあるんですね。ぜんぜん違う規格のフィルムを使っていた。ただし、そういうものは必ずしも市場が大きくならなかった。で、小さなカメラという企画はあったんですが、最終的に落ち着いたのは、小さなカメラをつくるんじゃなくて、レンズをくっ付けたフィルムを作ろうと。そういう逆転の発想で出てきたのが、このレンズ付きフィルムです。ボディはフィルムそのもので、今度はフィルム代にカメラ代を含める。こういう発想で、これもある種の囲い込みをしたわけです。先ほどの書き方をすれば、フィルムを装填する作業を完全に取り込んでしまった。

 今はそんなことないですが、昔、僕の父親とか母親などは、フィルムを入れるのにけっこうみんな苦労したんですよね。引っ張っちゃったりして感光しちゃって、同時プリントすると白くなっているのが出てきちゃうとか。だから、そういう面倒なものを排除して、カメラの中に取り込んだというのが一つのモデルで、これも、さらに大衆化を進めて面倒な作業を全部取り込んでしまおうというやり方として捉えることができるわけです。少し元に戻った、コダックの時代にもどったところがあると思います。

レンズ付きフィルムのビジネスモデル

 (スライド12)もう一つは、別の経緯で出てきたわけですが、リサイクルのビジネスモデルになっているんですね。それがビジネスモデルとして利益が出るかどうかというのは、ちょっと微妙なところがあるんですが、皆さんご存じかどうか分かりませんが、「写るんです」の部品は、多くの部分がリサイクルじゃなくリユースしているんですね。われわれは新品として買っているんですけど、中のコンポーネント自身はリユースしているものが多いんです。ストロボとかは5回6回リユースするんですね。

 われわれが撮影したフィルムを現像所に持っていくと、現像してネガと写真は返してくれますけど、カメラは返してくれないじゃないですか。カメラは回収されるんですね。で、回収されて、富士写真フィルムだったら富士写真フィルムでそれが解体され、分解されて、検査をして、使えるものはもう1回使う。樹脂の部分については、実はリサイクルをしていて、それはペレタイズといって、ペレットにして、もう1回樹脂を再生するんですね。だから、ほとんどの部品はリサイクルで作れるようになっているわけです。ビジネス的にそれで利益が出るかというと、微妙なところがあると思うんですが、一つは、当初出たときに使い捨てのカメラは環境に悪いというので叩かれたという経緯があって、それから出てきたビジネスのあり方なんです。

 フィルムは昔から、銀の部分はもう1回再利用しているのが多いので、それの延長ではあるんですけど、さらに本体部分までも全部含めて再利用している。レンズとかストロボだと、たしか6回目までは普通に使っていって、7回目からは1個1個全部検査するとか、そういうプロセスだったと思うんですが、けっこう何回か使うんですね。

 一つは装填作業をさらに取り込んで、自分たちでやってしまう。「お客さんはほんとうに撮るだけですよ」というパターン。それから現像して、このあとリサイクルして、新しいものを再生するところのプロセスまでを社内で取り込んでいく。

 きょうのコダックのビデオの話とは直接は関係ないんですが、このレンズ付きフィルムのビジネスモデル、リサイクルモデルが成り立つためには一つ条件があるんてすが、どなたかお分かりになりますか。

 「写るんです」を売りますよね。お客さんは現像所に持っていきます。自分たちは写真を貰います。実はこのカメラは、そのあと工場に移って分解され、検査され、再生されて新しいカメラになる。で、再び店頭に並んで、お客さんはそれを買う。こういうふうになっているわけですが、だいたいリサイクルとかリユースというのは、ゼロから作るよりコストが掛かったりするわけですが、それでもこのリサイクルのモデルが成り立つためには一つ条件があります。推測でどうぞ。

会場:たとえば隣の国、日本と韓国の場合、輸送コストを考えて、一方でやった方が安いとなると、一つの国からもう一つの国へ一方的に流れちゃうから、リユースできないことになるかもしれないですね。

講師:今のは、リユースができない理由が海外に流れてしまうということですか。

会場:はい。価格差が大きいとか為替とかの影響で。

講師:価格差というのは何の価格差ですか。カメラの価格差ですか。

会場:実売価格です。

 もう少し他にどなたか。どうしたらこのビジネスのモデルが成り立つか。もしくは、逆にいうと、成り立たなくなってくるか。そういうケースは昔書いたことあるんですが、どういうときに成り立たなくなるのか。今のは少し近いかもしれないですけど。

 簡単に言うと、お客さんがそのカメラを欲しいと言ったら困るんですよ。要らないでしょ。いわゆるフィルムだから、フィルムを現像所に渡したら、そのカメラはお前に上げたんだから返せとも言わないし、それに対して金をくれとは言わないじゃないですか。そのあとは、たとえば富士フィルムなりコダックなりコニカなりが材料を現像所に供給するトラックに積み込まれて工場に戻っていくわけですね。そのときのカメラ代、仕入代はただなわけですよ。あとのリサイクルに費用は掛かるけれど、少なくともリユースなりリサイクルするもの、その本体自体は、それにプラスアルファの仕入値を払っていないというのが前提ですよね。

 問題は、金が掛かってもそれを欲しいという人が出てくることです。たとえば、海外のメーカーが現像所に行って「それを売ってくれ。1個50円で売ってくれ」という。で、50円で買って自分の国へ持っていって、フィルムをそこに違法に入れて、いかにも新しいカメラのごとく売る。こういう海賊版はいっぱいあるんですよ。一時期、けっこう訴訟がありました。だから、カメラ自身に市場価値が付いてしまうと、このビジネスモデルは成り立たなくなっちゃうんですね。そうすると、現像所の人は「なんで俺はただで返さなきゃいけないんだ。あいつに売れば1個50円貰えるのに」と思って、そっちに売ろうとするでしょ。

 そうすると、そっちに売られないために何をするかというと、フィルムメーカーはインセンティブを与えなきゃいけなくなるわけですね。つまり「それを返してくれたら幾ら幾ら払いますよ」と。これがいわゆる仕入値になってしまう。だから仕入値がついてしまった瞬間にビジネスモデルは成り立たなくなってくる。これはまったくの余談ですが、そういうカメラ自身の市場ができてしまう。カメラというか、レンズ付きフィルムをお客さんが現像所に渡した時、それ自身に価格が付いて市場が形成されてしまうと、これは非常に成り立ちにくくなるということが起きてきたわけですね。詰め替えたりする海外市場が出てくると、海賊版が出てくる。だから徹底的に訴訟で抗戦したわけですね。いろんなところで訴訟で勝つんですけど、勝ったって通用しない国も最近ありますし、あまりそういうのを気にしない国がいっぱい出てきているので、なかなか難しくなってくる。だから、これはある種のビジネスモデルなんだけど、それがうまく機能しなくなってくることもあるということですね。


電子スチルカメラ(デジカメ)の脅威

 (スライド13)このあと、最大の脅威であるデジタルスチルカメラが出てくるわけです。これも技術の革新であると同時に、ビジネスモデルとしての大きな変革をもたらしているがゆえに、コダックとかがうまくいかなくなるわけです。コダックも、最初の頃はけっこうやっていたんですね。特に高級なものとか、電子の目であるCCDなども、航空宇宙用とかでけっこう大きなものを作っていたし、今でもコダックのCCDを搭載しているカメラはあります。オリンパスのE1とか、あれはコダックのCCDを使っている。だから、ああいう技術を持っているわけです。富士写真フィルムとかも、シェアが少し落ちてはいるけど、ずーっとデジカメの市場を牽引してきたプレーヤーです。技術力としてはけっこう頑張ってやってきたところがあるんだけど、決定的に違うのは、ビジネスのモデルが大きく変わってしまうことなんですね。それが技術革新の持つ大きな意味です。

 デジタルスチルカメラというのはどうやって出てきたかというと、最初は1970年にベルラボでCCDが発明される。Charge-Coupled Device、つまり電荷を電送するわけです。この前にもこの手の固体撮像素子と言われているものは、あるにはあったんです。最近C−MOSセンサーとか言われているMOS型のものは、XとYでアドレスして引き出す方式ですが、これは昔もあって、60年代後半から日本の会社、電気メーカーはやっていたと思います。NECとか日立とか、そういう会社は60年代後半から、真空管でやっていた撮像管を固体化するプロセスをやっていたわけです。その中で、70年にはCCDという新しい方式、電荷をスキャンしていく方式が出てきて、これでいろいろな研究開発が触発されて、だいたい70年代前半から始まる。いまCCDのトップメーカーは世界シェアを取ったソニーですけど、ソニーがプロジェクトを始めたのは1972年ですね。だから日本の会社は非常に早い段階からこのあたりに手を付け始めたんです。

 もともとは、エレクトロニクスメーカーの方がこのあたりは先行しているんですね。半導体メーカーとかエレクトロニクスメーカーが先行している。カメラ系のメーカーはといえば、キヤノンなどは初期の段階では米国のTIと組んでCCDを開発したり、富士写真フィルムの場合は70年代、77〜8年ぐらいから電子カメラに着手したり。カメラメーカーもこれに対して脅威を感じたので、研究開発はしていくというプロセス。

 ただ、市場がなかなか大きくならないし、新しい市場が見つからないということもあって、「動画の方をやろうかな。ムービーにしようかな。それともやっぱりカメラを電子化する方が市場があるのかな」みたいな時代が続いてるなかで、MAVICAショックと言われていることが起きた。81年、ソニーが電子スチルカメラのシステムを提案したんですね。発売したわけではないんですけど。これを見たときに、「あっ。世の中はこれで全部電子カメラになっちゃうんじゃないか」と、相当ショックを受けて、いろいろな会社がこのあと、アナログなんですけど、電子スチルカメラの開発に取り組みます。これが80年代の前半です。それで、80年の中頃に、いろいろな会社がアナログの電子スチルカメラを展開します。

 デジタルカメラのヒット、最初に市場を立ち上げたのは95年のカシオのQV−10ですけど、この80年代中盤も、カシオが安いカメラでVS−101というのを出しているんですね。それ以外にも、富士写真フィルムも出したり、キヤノンも出したりとか、いろいろな会社が出している。ちょっと見た目はムービーカメラっぽい感じもある。それで静止画を撮る。ただ、プリント画質にはとてもいかないので、普通はテレビで見る。規格も、今でいうビデオ規格に非常に近いものだったですから、ビデオ、テレビで見るという、そんなものが出たのが80年代中盤。でも、これは見事に失敗した。それで、みんなだいたいプロジェクトをやめたりとか、冷飯食わされるわけです。このあたりの研究をしていた研究者の方とか技術者の方というのは、だいたい中央研究所のようなところに戻って細々とやっていたり、ファクシミリの開発をやらされたり、ムービーカメラの方に移されたりとかしながら、うろうろ、うろうろしていた。でも、うまくいかないと言いながらも、そこそこ研究は続けていたというのが80年代の後半です。

 アメリカでも、この頃はコダックもやっているし、ポラロイドもやっている。ポラロイドなんかもCCDをやっていたし、比較的高価格帯の高画素のカメラ、電子カメラをポラロイドとかアグファゲバルトとかが90年代前半に出してくるわけですね。ただ、いろいろな作業で起きることと同じなんですが、民生のところまで、低価格で出せるというところまで結局うまくいかなくて、日本の企業が取っていってしまうというのが歴史です。

 そのきっかけを作ったのが1995年に出たカシオのQV−10です。カシオはある種面白くて、カメラメーカーでもないし、フィルムメーカーでもない。ほんとうは、技術的にはエレクトロニクスメーカーというか、撮像素子を作っているメーカーというのが一番有望だったと思うんですけど。そういう会社が出てくる。

 カシオは最初はべつに力を入れてなかった。開発した人は、1回失敗しているので、デジタルカメラを作りたい、なんとかデジタルのカメラで写真を置き換えたいと思っていたんですけど、実際会社として何をやったかというと、当時高知の大きな液晶の工場に200億円も投資していた。もともとは小さな液晶テレビです。小型テレビ用の液晶に投資したんですけど、それが思ったほど売れない。それで、その液晶テレビのラインアップの一つとして、テレビにカメラが付いてるというのが最初の発想なんですね。だから、いわゆるカメラメーカーとか、エレクトロニクスメーカーが考えていたものとは、ちょっと違う発想から出てきている。だからこそ、こういう奇異なものが出てきてヒットしたのだと思うんですけど。テレビにカメラが付いてる。だから試作機のときには、テレビチューナーが付いてたんですよね。ところが、テレビチューナーが付いてると、どうしても受信状態の変化によって画質が悪くなるでしょ。そうすると、トップの人が「なんとかこの画質をきれいにできないか」と言ったそうです。でも開発者の人は「汚いのは俺らの技術の問題じゃなくて、受信の問題なんだ。これはどうにもならない。なんとかチューナーを取りたい」と思っていたらしいんですね。で、最終的にはテレビチューナーを取った。

 あと、95年というのはウィンドウズ95が発売され、立ち上がったときで、インターネットが、そろそろはしりで出てくる頃だったんですね。それで、そちら側の方に急に環境が振られたので、コンセプトを少し変えて、パソコンの周辺機器みたいなコンセプトで出してきたというのがポイントです。画質は非常に悪かったですね。だから普通のカメラのユーザーにはとても受け入れられない。今までちゃんと撮って、印画紙に焼き付けて、アルバムに貼りつけてというユーザーは「とても使えない」と。

 イーストマンがロールフォルダーを作ったときに普通のプロの写真家はなかなか使ってくれなかったというのと似たところがあるわけですね。だけど大衆ユーザーが「ちょっと撮って遊ぶぶんにはいい」という。そこで広がったのと同じで、カシオのQV−10も最初はインターネットで広がっていった。25万画素の4分の1という画質でしたから、今でいうとちょうど携帯電話の画面の画質と同じです。QVGAという画質ですけど、あれをプリントしてもしょうがないわけですね。あのレベルのものだったわけです。でもそれがすごくヒットした。

 日本の会社ってすごいもので、95年に出たときはそんな画質だったんですけど、もう2年後にはメガピクセルというのが出てきてプリントできちゃう。その前に技術の蓄積が尽きていなかったというのがポイントなんですが、それで出てきた。これが銀塩カメラを代替し始めた。国内だと、出荷台数で2000年を境に引っ繰り返りました。今はもう大きな差があります。ほとんど銀塩カメラは売れない。ということで、完全に代替してしまうということが起きたのが、ここら辺の大きなヒストリーです。

デジタルカメラの脅威:機能分離

 (スライド14)えらく厄介なもので、単純に技術が変わっただけでは済まされないというのがポイントなんですね。フィルムにはいろいろな機能が全部ぶち込まれていたんです。これ自身がけっこう囲い込みされている技術なんです。光からの入力はカメラ、光学機器がやるんですけど、それを画像のかたちで転写する作業はフィルムがやっていますよね。転写したものから、それを画像処理して、きれいな画質にするための技術もフィルムの中に入っている。それから、フィルムというのは、その画像を保存しているわけですね。

 画像を転写し、処理し、定着させて保存するという、これらすべての機能が統合されていたのがフィルムの特徴なわけです。したがって、非常に付加価値が高いということで、これら全部をいっぺんに技術的に囲うことができたんですね。さらに現像のところまで自社の機器を導入することによって全体を支配するという先ほどのビジネスのモデルがフィルムメーカーの強みだったと思う。それはまさにコダックが作ってきたビジネスのモデルだったのです。

 ところが、電子カメラ、デジタルカメラになると、たとえば画像を転写するところ、入力のところは、固体撮像素子と言われるCCDでやったり、C−MOSのセンサー、いわゆるイメージセンサーと言われているものが担当するし、撮った画像をきれいに処理するところは画像処理、信号処理のLSIが担当する。最近はビーナスエンジンとかなんとかいって、いろいろ宣伝しており、こういう処理の部分にいろいろなブランドを付けて宣伝するのが流行(はやり)のようですけど、そういうものに変わっていく。じゃあ保存は何でしているかというと、半導体、フラッシュメモリで保存しているわけですね。SDカードであったり、メモリスティックであったり、インターフェースはいろいろありますが、中身は全部フラッシュメモリです。問題は、機能がみんな分かれちゃって、全部を囲い込めなくなって、それぞれ全部が市場になっちゃうことです。それぞれが、技術的には化学のメーカーにとって馴染みのないもので、ここを押さえられてしまうというのがポイントなんですね。

 もう一つの問題は、出力の形態自体が多様化してしまうこと。かつては写真を撮ったらみんな必ずプリントしてくれたわけです。ネガだけ持って喜んでいる人ってあまりいなくて、だいたい現像所に行ってプリントしてもらってアルバムに入れるところまででいいわけです。最近は、たとえば携帯カメラで撮った人たちがそれをプリントするかというと、ほとんどの人は保存しておくだけで、プリントしてないでしょう。つまり、ショット数は増えても、なかなかプリントにつながらなくなってしまう。だから、かつてはカメラをばらまいて、全部ぶち込んでいけば必ず現像まで返ってくるから利益が出るという、まさにコダックのカメラの最初のビジネスのモデルはそうだったわけですけど、それが成り立たなくなってしまっているわけですね。撮ってくれるのはいいんだけど、プリントしてくれない。見るだけで喜んでいるとか、あとはコンピューターで出してみるというパターンが非常に多くなった。

 この中でデジカメを持っている方、手を挙げて頂けますか。その中で、撮ったら必ずプリントショップにいってプリントするという方は?(誰もいない)これが問題なわけですよ(笑)。いや、僕はやるんですね。僕は必ずプリントします。たとえばエプソンとかキヤノンが写真画質とか言ってますけど、あれでプリントされている方、これは多少はいるんですが、たくさんはいないんですよ。けっこう面倒くさいから。写真画質とか言いながら、ほとんど皆さんはインクジェットプリンターを年賀状以外では使っていないんですね。

 そこはエプソンのすごかったところだと思いますけどね。まさにプリンターのカラー化というときに、彼らがターゲット市場として狙ったのは年賀状だったわけです。年賀状市場からそれを普及させる。それは別な話ですけど。つまり、それがデジタルカメラの現状なんですよ。そこが決定的な問題であって、つまり、いろんなもの、あらゆる付加価値をを囲い込んで、とにかく写真さえ撮ってくれれば利益が落ちるというビジネスのモデルがまったく成り立たなくなってしまうのが、このデジタルカメラの領域の問題なわけです。

デジタルカメラ市場のプレーヤー

 (スライド15)だからプレーヤーを書くとこんなになっちゃうわけですね。もうたいへんなことで、レンズ、液晶画面。センと書いてあるのはセンサーです。さっきのCCDとか撮像素子。それからメモリー、LSI、電池。電池も非常に重要になっちゃったんですね。普通の銀塩カメラのときには、いいところオートフォーカス用の電池とかだから、リチウムの一次電池というのが使われていて、1回入れておけば長いこと、2年位もつわけですが、今はリチウムの2次電池、充電の電池ですね。あの性能が非常に重要になってきた。それから出力の方がインクジェットプリンターであったり、あとは普通にミニラボ、あれは現像所でやるもの、それからモニターに出しちゃうケースもあるし、それ以外にもフォトプリンタみたいなものも最近あるんですね。小さいやつとか。超小型のプリンタとかいうのもあって。

 そもそもカメラがもう、むちゃくちゃ競争的になる。これは銀塩カメラのときと同じなんですよ。カメラ自身はそれなりに安いところはいろんな会社がいて、今だいたいデジカメのメーカーは30社くらいありますね。去年はけっこう市場がガーッと伸びたので、カメラだけの営業利益率というのはどこも公開していないんですが、たぶんそこそこ利益が出たでしょう。キヤノンはいろいろな話から推測すると非常に儲かったのではないかと思います。今はキヤノンの一人勝ちみたいな状態ですけど。ただ、いろいろな会社がもう下方修正していて、いわゆるコンパクトのカメラで利益が出るというのは、僕の感じでは、そろそろなくなるんじゃないかなと。だからこそキヤノンはああいうEOSKISSデジタルみたいな一眼レフの方向に力を入れている。これは戦略的には正しくて、そこの方向で、彼らはレンズで利益を出すというモデルに戻さざるを得なくなる。

 フィルムメーカーはべつにそれでも構わなかったわけですね。カメラなんか儲からなくていいと。みんなどんどんカメラを売ってくださいと。そしたら「あとはいっぱいうちのところに来ますよ」というモデルが、残念ながら成り立たなくなってしまう。もちろんカメラが売れたからといって、彼らはこの部材をきちんとやっているわけじゃないから。レンズはやっていますね。だからレンズは、キヤノンみたいに、いろんなところにレンズをうまく供給するという非常にきちんとした会社もあって、だからこそ利益が出るわけですけど。

 あと液晶はこんな会社によって占められている。センサー自身は多くはソニー、松下、シャープ。この3社でソニーが一番強いですけど。このあたりが非常に強くなっている。メモリも結局はフラッシュメモリなので、生産しているところは、もとをたどれば東芝とか三星ぐらいしかないんですね。電池は三洋がいま世界シェアのトップで、ソニーが2番、松下電池が3番という状態ですが、非常に寡占化されている。ここにもけっこう握られてしまう。

 だからカメラだけやっていても、ちっとも儲からないわけですよ。さらに悪いことには、カメラ付き携帯電話というのが200万画素だ300万画素だと言い始めた。いまはフォーカシングにまだ時間が掛かるので、カメラとしてはちょっと難しいですけど、でも時間の問題だと思うんですね。そうすると、下の方の小型カメラというのは、代替品の脅威がものすごく大きくなってくるという問題がある。これでは利益が出ない。でも、「こんなの利益出なくたって」といっても、フィルムに相当するものはないでしょ。保存という意味では半導体メーカーに握られてしまっている。

 フィルムメーカーは規格の一部は取ろうとしたわけです。いまメモリスティックはソニーがやっていて、SDカードは松下、サンディスクのグループがやっていて、XDピクチャーカードというのをオリンパスと富士フィルムがやっているわけです。これは、いわゆる伝統的なカメラメーカー、フィルムメーカーが規格を指導したんですけど、結局はうまくいかないんですね。これがあまり広がらない。広がらない理由は幾つかあるんですが、もともとフィルムっていう発想があったんだと思うんですね。XDピクチャーカードの中にはコントローラーが入ってないので、デジカメ用以外には使えないんですね。

 SDカードとかメモリスティックというのは、ビデオカメラとか、最近だったらテレビにも入れるところが付いているんですね。いろいろなものに使えるんですが、そうでなく、単純なフィルムの置き換えとしてやろうとしたカードで、安ければよかったんでしょうけどね。あれで「メモリが1個50円です」とかいったら普及したと思うんですが、他で使えないのに「1個何千円です」とか言われたら、みんな躊躇しちゃいます。そこら辺を押さえることが結局はできてない。

 で、先ほど言ったように、出力をどうするかといったときに、みんなが最後にプリントしてくれれば、そこそこはよかった。フィルムメーカーは印画紙とかレーザーのプリンターの機械を納入していますから。だいたいミニラボというのは富士写真フィルム、ノーリツ、コダック、コニカ、このあたりが供給してるわけです。このあたりでプリントしてくれればいいんだけど、というのが今の状況だと思うんですね。「撮ったらプロに任せよう」とか、「デジカメでお店プリント」とかいうのにはそうした背景がある。デジタルスチルカメラが出てきた最大の問題は、それが大きな技術転換であると同時に、産業の構図自体が変わって、従来やっていたビジネスのモデルがまったく成り立たなくなるというビジネスモデルの転換であるという点。じゃあどうするかというのが、たぶんいま皆さんがすごく苦慮されているところだと思うんですね。

 フィルムは放っておくと、なくなっていくと思います。少なくとも日本ではどんどん消えていく。海外ではまだ広がっていくのかもしれませんが。なくなってもべつに困らないところはありますよね。だから、そうなってきたらどうするのかというのがフィルムメーカーが苦慮しているところでしょうね。コダックなんかはどうするのかな。

 日本の会社はそこそこ頑張ったんですよね。富士フィルムにしろ、コニカミノルタにしろ、けっこういっぱいカメラを出してるんですけど、コダック自身はまさにその電子化のところ、特に民生用の電子カメラでは圧倒的に後れてしまった。で、世界シェアは持っているけど、生産としては先ほど言ったように小さなものは基本的には子会社のチノンと、あとは一部OEM供給を受けているというパターンで、なかなかそこはきちんと捉えることができなかったというのがコダックのポイントです。だから、彼らが作ったビジネスモデルがあまりにうまくできていたがゆえに、そこからの転換がなかなか難しかったということが起きていたのではないかと思います。


ビジネスモデルの転換と破壊的技術

 (スライド16)このビジネスモデルの転換というのを、もう一つの視点、最近非常に有名になった「破壊的な技術」という考え方から見ると、まさにそういうものの繰り返しであるということが改めて再認識できると思います。読まれた方もけっこういらっしゃるかもしれませんが、破壊的な技術ということを最初に言ったのはハーバードのクリステンセンという人です。その内容はどういうことかというと、新しい技術が導入された。新しい製品が、ある技術をもって投入された。旧来の製品は何によって評価されるのかということです。たとえば写真なら画質とかいうもので評価される。その性能の評価軸からすると性能が落ちる、そういう商品である。

 コダックの場合は、まさにロールフォルダーがそうだったんですね。あれはたしかに使い勝手がいいという新しい評価軸は導入されているんだけど、画質とか、プロの品質に耐え得るかというと耐え得なかった。非常にいい発想だとイーストマンは思ったんだけど、結果的には受け入れられなかった。なぜかというと、プロの写真家は何が重要かというと、やっぱりきれいに写真を撮るというのが彼らにとっては重要な評価軸なわけ。その評価軸からすると、明らかに性能が落ちるんですね。だからこれは受け入れられない。ところが、そのときの技術は明らかに性能が落ちると同時に、違ったセールスポイントを持っていたのが重要な点なんですね。ロールフォルダーというのは乾板を変えなくていいとか、複雑な作業が一切要らなくなる、非常に手軽である、こういうすごく新しい用途が出てきた。そうすると、プロの人は画質を追求しているから、「ちょっとそれはな」と思うかもしれないけど、「画質なんかどうでもいいや」とは言わないまでも、とりあえず写真が撮れることが嬉しいというユーザーが当時はいっぱいいたわけですね。その人たちはそこに飛びついた。それがコダックのヒット。ただ、コダック自身はまだ価格が高かったから、それほど大きくはならなかったんでしょうけど、それがさらにプロセスのイノベーションによって改良されて、ブラウニーでいろいろな人が使えるようになる。それもまさにこんなパターンでした。

 それで、よくこんな図が出てくるんですが(スライド17)、どういう図かというと、今の例でもいいんですが、性能がある。これはたとえば写真がきれいに撮れるという性能だとしますね。先ほどの旧来の技術は、乾板を入れ替えながらプロの人が写真を撮るという技術。これがコダックというかたちでロールのフィルムが装填されていて、それをそのまま現像に出してくださいという技術なわけですね。これが投入された時点では、たとえばプロのユーザーからすると、この画質は到底耐え得ない画質である。だから受け入れられないわけですね。だけど一般のユーザーは、「まぁいいんじゃないの」というレベルだったわけです。そこら辺からこれが花開いたわけですね。ただ、最終的には品質が上がっていって、ロール型のものがプロでも十分使えるということで、全体的にはロール型のフィルムが写真業界を基本的に支配するというパターンになっている。これはけっこう歴史が繰り返しているわけですね。湿板から乾板というのも、性能からすると一部そういうところがあったんだと思いますね。


技術変化の歴史

 (スライド18)乾板からコダックが出てきた。最近でいうと、「写るんです」は画質は非常に悪いんだけど、「装填しなくていいからいいや」というので、小さなコンパクトカメラは「写るんです」がワーッと席巻していく。「写るんです」というのは市場でいうとピークのときには8千万台くらいかな。ものすごくでかい市場になったわけですよ。一部そういうものがある。

 いま起きていることは、いわゆる銀塩カメラに対するデジタルカメラ。先ほど言ったカシオのQV−10が出たときは、画質はぜんぜん耐え得ない。お客さんは「写真としては無理だね」と。だけど2年後にはメガピクセルが出てきて、さらに1年後ぐらいには200万画素レベルが出てきた。200万画素レベルになると、もうわれわれの目ではプリントしたときにまったく区別がつかないですね。もう無理です。大きく引き延ばせば多少ぼやけるかもしれませんけど。だから皆さんヨドバシカメラとかへ行って、「やっぱり600万画素の方がいいや」とかって買っても、どうせこれにしかプリントしない人からすると、変わらないですね。だから、200万画素クラスの安いのを買うのがいちばんいいんではないかと僕は思います。もしくは高いのを買って、解像度を落としてたくさん撮るというのもいいかもしれません。そういう時代になっちゃった。

 そういうことが起きているわけですね。ポイントは、だんだん良くなってくる、良くなってくるんだけど、特に画質みたいなものは生理的な限界があるから、あるレベル以上に上がっても、あまりお客さんに便益を与えないんですよね。画質の追求とかいっても、みんなルーペで写真を見るわけではありませんので、あるところからはもう識別がつかなくなってくる。通常、お客さんの画質に対する要求というのは、どこかでサチュレートしてしまうわけで、そうすると技術が追い抜いちゃうんですよね。そういうことで、劣っている技術が全体を引っ繰り返しちゃうということがカメラの業界では繰り返されてきている。

 クリステンセンという人が言ったことの一つは、そういうときにはだいたい既存の企業は凋落してしまうものだと。なぜかというと、こういうのはビジネスのモデルの根本的な転換だし、対象となるお客さんが根本的に変わってくるので、うまく対応できないと。実際にコダックがロールフィルムを出したときに、乾板メーカーはさまざまなイノベーションを乾板の領域でやるんですよ。頑張って画質を良くしていくとか、もう少し乾板の掛かり度を小さくして、マガジン形式にしていっぱい入れるとか、そんなのをいろいろやるんですけど、結局はロール型にうまく転換することに失敗するんですね。やっぱりうまくいかない。でもコダックは、デジタルカメラでやっぱりそういう目に遭ってしまった。デジタルカメラという新しいビジネスのモデル、新しいステージをうまく乗り越えることが、結局はコダック自身もできないで、凋落していくということが起きる。

 さらにデジタルカメラからカメラ付き携帯への最近の転換も似たようなものですね。カメラ付き携帯というのは、もともとはC−MOSセンサー、暗いところではほとんど撮れない、だけど写メールだったらいいやというくらいの、そういう用途で使われていたわけですが、それが今やもう携帯のカメラでプリントしても、われわれには区別がつかないです。何でプリントしたか分からないくらいきれいですよ。だから、これがまた引っ繰り返しはじめる。じゃあカメラ付きの携帯電話を最初にやったところはカメラメーカーなのか、それともカメラ用のCCD屋なのかというと、そうじゃないんですね。あれ最初にやったのはシャープなんですよね。だから、そういう意味でも、いわゆる既存の企業のドミナントな会社が、そういうところにうまくすぐに入っていけたかというと、そうではないということは、だいたい似たようなことが起きていると。で、コダックも例外ではなく、既存メーカーというのはだいたいこういう対応をして、うまくいかないと。

 コダックの場合は電子スチルカメラに対しては、ハイブリッドというのを開発していくんですよね。いわゆるインスタプリントシステムとかいって、フィルムをスキャンして電子化するとか、あとはそれをCDに焼き付けてあげるとか。その後出てきたのはAPS。「写るんです」のあのフィルムは小さいじゃないですか。24ミリ。あれはコダックと富士写真フィルムが作った共通規格なんてすけど、あれ自身は昔APSカメラで撮ると必ずインデックスプリントというのが出てきてたんですよね。だから少し橋渡し的なものをやっていく。ここに投資した会社がだいたいデジカメに乗り遅れたという事実もあるわけですが、こういうパターンで対応するんだけど、結果的にうまく乗り越えることができないというのが現状です。こんなことが起きます。

 最後に一つだけ、皆さん日本の会社に勤めておられたので、なぜこういうことができるのかを改めて考えて頂きたいんですが、日本の場合はカメラメーカー、フィルムメーカーがデジカメのシェアという面でけっこう頑張っているんですよ。コダックはどんどん下がっている。実際自分で作っていない。キヤノン、ソニー、オリンパス、ニコン、富士写真フィルムは、こういうパターンになっていて、案外日本の会社はこの手のものを頑張って乗り越えたんですよね。

 たしかにビジネスのモデルが転換して新しい会社が入ってきた。まずカシオみたいな会社が入ってきたけど、カシオはすぐに駆逐されて、最近やっと復活してきているんですが、相当長いあいだ横に追いやられてしまう。そのあいだ、市場を引っ張ってきたのは、オリンパスであり、富士写真フィルムであり、伝統的なカメラメーカーでありフィルムメーカーだったわけですね。

 だから、日本の会社については、先ほどの「破壊的技術」みたいな理論からすると、ちょっと説明が難しい現象が起きている。それはなぜかというのは、非常に面白いテーマで、僕も考えているんです。「あまり考えていなかったから」というような話をする人もいる。「投資について細かい合理的な行動をしていないから、面白いものがあれば投資しておけばいいや」と。特にフィルムメーカーは、たぶん儲かっていましたからね。あのビジネスモデルだったら、ものすごく儲かっていると思われるわけで。だから、「そのくらいやらしておけばいいや」という話だったかもしれない。少なくとも、そういうのを乗り越えるパワーが日本の会社にはどうやらあったみたい。こういう技術の開発の歴史をひもとくと、やっぱりビジネスのモデルの転換という側面がある。そうであるがゆえに、それを乗り越えながら歴史的に残っていくというのは、会社としては非常に難しいということもこれは示唆しています。

 一時期の日本の企業は、そういうことをうまくできるメカニズムを持っていたのかもしれない。ただ、それが今後もほんとうに続くのかということは、最近の状況では甚だ疑問なので、改めてそういうことも考えるという意味では教訓があったと思っております。これで全体の話は終わりてす。どうもありがとうございました。(拍手)


講師略歴

青島 矢一

職歴
1999年4月 一橋大学イノベーション研究センター助教授
1996年4月 一橋大学産業経営研究所専任講師

学歴
1996年2月 マサチューセッツ工科大学スローン経営大学院博士課程修了
1989年3月 一橋大学大学院商学研究科修士課程修了

著書・編著
『ビジネス・アーキテクチャ:製品・組織・プロセスの戦略的設計』有斐閣、2001年

共編著
『競争戦略論』東洋経済新報社、2003年(共著)
"Transfer of System Knowledge Across Generation in New Product Development: Empirical Observations from Japanese Automobile Development." Industrial Relations. Vol41. No.4 2002
「新製品開発プロセスにおける3次元CADの導入と組織プロセス」尾高煌之助・都留康(編)『デジタル化と組織革新』,有斐閣,2001年(共著)