ユダヤ教・キリスト教・イスラム
講師 東京大学大学院人文社会系研究科教授 市川 裕 平成17年9月20日 於:如水会館 【無断転記転載を禁ず】 社団法人 如 水 会 責任編集
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◆内容目次
私の専門は、いまご紹介頂きましたが、ユダヤ教です。ユダヤ教と言われて普通皆さんが連想するのは、イザヤ・ベンダサンという人がかつて書いた『ユダヤ人と日本人』という比較文化論だと思います。あの本を読むと、古代、聖書時代のイスラエルと、現代のイスラエルのことが詳しく書いてあります。ところが、その間がまったく書かれていないのです。つまり、イエス・キリストが生まれて以降、近代までの間に果たしてユダヤ人は何をしていたのか。これは歴史にぜんぜん出てきません。私はその時代のユダヤ教の宗教を研究するようになりました。
これはいわゆるタルムードという律法の書物なのですが、これを私は専門にしております。ただ、日本ではユダヤ研究者が非常に少ないものですから、現代の事情を含め、いろいろ訊かれます。私はイスラエルに留学していたこともありまして、どうしても現代までを含めたユダヤ教とユダヤ人の長い歴史を考えずにはいられません。そういうことを考えてみますと、今の時代は、たとえばユダヤ人とアラブ・イスラムの人とは、あたかも犬猿の仲で、それが昔からずっと続いてきたのではないかと思われている人がけっこうおられるんですね。
それから、私が「イスラエルに留学しました」というと、「ああイスラムですか」って言われる。「いえ、イスラエルです」といったら、「イスラムですか」と(笑)。意識の中ではあまり変わらないんですね。そう言われるのも一理ありで、確かにイスラムとユダヤ教というのは非常に近い宗教なんです。宗教が近いだけじゃなくて、民族的にも非常に近い人たちです。ですから、ユダヤ教を研究していると、イスラムと似たところが沢山あります。そのうえ、パレスチナという場所も長い間アラブ系の人が住んでいましたから、非常に親近感はあるのですが、残念ながら、政治上の問題があって、敵対関係が非常に強く前面に出てきています。
ではなぜそうなったのかということも含めて、きょうは考えてみたいのです。実は、イスラム教とユダヤ教の関係以上に仲が悪かったのは、ユダヤ教とキリスト教の関係です。これは今でもアンチ・セミティズムと言いますね。反ユダヤ主義。ユダヤ人はユダヤ人であるというだけの理由で憎まれる。ヨーロッパでは、ユダヤ人と聞いただけで鳥肌が立つとか嫌悪感を持つという人は、今でもやはりいるんですね。これは実際にその人を見て判断しているのではなくて、そういう文化的な伝統が語り継がれ、文化の中に浸透しているので、ユダヤ人に対する嫌悪感がどうしても拭いきれない。そういうキリスト教社会も一方であります。
ユダヤ教を見ていると、ユダヤ人の国は、もともと2千年の間ありませんでしたので、イスラムの国にもユダヤ人がいるし、キリスト教の国にもユダヤ人がいます。日本にはあまりいないですね。ですから、日本人が一番そういう偏見がない民族であり得るわけです。
そういう意味では、偏見を持たずにユダヤ教なりイスラムなりを見ることができるのではないか。キリスト教とかヨーロッパの学問を経由してユダヤ教を学んだりイスラムを学んだりすると、どうしてもバイアスが入っています。これはほんとうに知らず知らずのうちに入っていると思います。
ヨーロッパが世界の中心だと思っている人にとっては、イスラムもユダヤもセム族といって、あまり親しみのない民族ですから、そういう民族に関するヨーロッパ人の書いた研究書をそのままわれわれが学んでしまうと、自分が直接目で見たり、肌で感じたりしないうちに偏見に感染してしまうのではないか。そういうことをできるだけ少なくしたいという気持ちが私にはあります。
今回は歴史の話になって恐縮ですが、ユダヤ人が辿った過去何百年かの歴史を見て、今がどうなっているのかを見直してみたいと考えています。細かいレジュメをつくってきましたが、実際に使うのは2枚目以降の歴史的な地図で、これを見ながら進めていきたいと思います。この地図の真ん中に、ヨーロッパが描かれていますが、これが実はけっこうユダヤ人にとっては重要な地図です。
イスラエルの中学校ぐらいの教科書を持ってきましたが、これは『シオニズムの始まり』という本です。これ1冊でシオニズムのことだけしか書いてないのですが、テオドール・ヘルツルという現代の予言者とも言われていて、『ユダヤ人国家』という著作を初めて書いた人が表紙に載っています。この『シオニズムの始まり』の教科書にこの地図が出てきます。これは、そこから取ったコピーですが、西ヨーロッパでユダヤ人が解放されたという地図です。それまでユダヤ人はキリスト教の社会の中では差別され、社会の外にはじき出されていましたから、法的な権利も与えられませんでした。そういう人々がやっと近代になってヨーロッパの一員になったという記念すべき地図です。
この地図の西欧近代のユダヤ人解放という事柄に関しては、イスラエルの教科書では、やや疑問を付されています。どういうことかというと、このときにヨーロッパのユダヤ人は初めて世界で人権を認められた。しかし、それが本当の解放であったのかどうか。そういう問い掛けです。ユダヤ人は、フランスで1791年にフランス市民として認められました。イタリアでは1870年、ドイツでは1871年、オーストリアでは1866年、ハンガリーでは1867年。19世紀ですね。ちょうど日本でいうと明治維新で日本が近代国家になった。憲法ができて、四民平等になって、それまでの身分制社会から平等な社会になった。ちょうど同じようなことがヨーロッパで行われたわけですね。そのときにユダヤ人が初めて、ある意味で人間として認められたという感じです。
これをユダヤ人解放と呼んでいて、非常に意味があるわけですが、しかし、このユダヤ人解放の流れは、百年も続かないのですね。ドイツでいえば、1871年にユダヤ人が初めてその人権を認められてから僅か60年ちょっとでナチスが政権を取って、そのあとホロコースト。そこまでは解放の当時には分からなかったわけですけれど、ユダヤ人が解放されたというのが本当に解放になったのかということが、ユダヤ人にとっては非常に深刻だったということです。この地図を中心に、ユダヤ教の変化を通して近代という時代を考えたいということで進めていきたいと思います。
皆さんの中には直接ユダヤ人に会われた方もいらっしゃるかと思いますが、私はこういう話をするときに、まず「5人のユダヤ人」という話をします。ただの5人ではなくて、「世界を変えた」5人のユダヤ人。世界を変えた5人の日本人というのが果たしているかどうかということはまだ考えたことがないのですが(笑)。
とにかく「世界を変えたユダヤ人」で5人の有名な人を挙げてみよう。そうすると、最初に皆さんご存じのモーゼですね。世界に律法というもの、法を与えた。神の法を与える、これは理性ですね。頭を使わなければいけないですから、理性です。だからモーゼは、「人間にとって大事なのは理性である。頭脳である」と言ったと思います。
次に現れたのはナザレのイエス、あるいはイエス・キリストですね。これもユダヤ人です。キリストは何を言ったかというと、「頭脳も大事だけれどもハートが大事だ。隣人愛。愛」ですね。「愛が世界を救う」ではないですけど、「愛こそは人間にとって大切なものだ」と。「だからハートである」と。
ところが、その後に世界を変えた3番目のユダヤ人となると、カール・マルクスまでいきます。マルクスが出てきて、歴史的弁証法的な経済理論、科学的共産主義思想を世に問うたわけですが、「一番大事なのは理性でもない。ハートでもない。一番大事なのは食べることである。経済である。だから胃袋が大事だ」と。まあ「胃袋が大事だ」とは言わなかったかもしれませんが、話の順番として、頭からハートにいって胃袋にいくという三題噺のような順番になりました。
4人目の世界を変えたユダヤ人はフロイト。ジグムント・フロイトという精神分析の人がいます。世界で初めて無意識というものに焦点を当てた。人間には、意識が大事だが、意識を支えている無意識がある。これこそが人間を動かしている力である。無意識というのはどこから来ているかというと、父親殺しという話もありますが、性欲なんです。リビドー。これが抑圧されて無意識の中に蓄積されている。それが場合によっては意識として出てくるわけですね。無意識という世界があることを初めて世界に知らしめた。大事なのは性欲である。だんだん下がってくるわけですね。頭が大事。ハートが大事。胃袋が大事。性欲が大事と。
5人目になると、もうそれ以上、下には行かないわけですが、5人目はこれもまた有名なアインシュタイン。この人もユダヤ人です。アインシュタインは何と言ったかというと、「頭脳も大事、ハートも大事、胃袋も大事、性欲も大事だけれども、すべては相対的である」と言ったとか言わないとか(笑)。本当は相対性理論のことですが。これで5人ですね。ちょうどうまく頭からハートへ行って、胃袋へ行って、性欲まで行っている。うまく話が出来ているのですが、これは冗談ではなくて、5人がみなユダヤ人だということなんです。モーゼはほんとうにユダヤ人かというと、あれはエジプト人ではなかったかとか言われていますが、一応聖書の記述の中ではユダヤ人になっています。
皆さんお気づきと思いますが、この5人を年表に時代順に置いてみますと、モーゼとイエスは紀元前。紀元前というか、イエスは西暦元年ぐらいですね。生まれたのが紀元後の4年とか言われています。だいたい古代の人です。ところが、マルクス、フロイト、アインシュタインは19世紀の人です。それもヨーロッパです。むしろユダヤ人というよりは、ヨーロッパ人と思われる方のほうが多いと思いますが、そうではないのですね。彼らはみなユダヤ人だったわけです。
さきほどのお話をしますと、19世紀になって初めてユダヤ人はヨーロッパ社会に入れてもらえた。そこからやっと世に出てきたわけです。そうすると、今の5人の人たちが出てこない時代というのは、キリスト教が出現してから近代の、たとえばフランス革命ぐらいまでですね。それまでの間は、ユダヤ人はほとんど歴史に出てきません。だいたい歴史に出てくる人というのは、それぞれの国があって、そこで権力を持っていて、なにか重要なことをしたり、あるいは政治家であったり、文学者であったり、科学者であったり、そういう人が主なわけですが、ユダヤ人は、どの社会にいてもその末端、端っこの方で、中央に出て来れなかったのです。
そういう1500年から2000年位の長い時代があった後に、初めてポッと西ヨーロッパに生まれた、あるいは出てきたわけです。それで私は、その間、彼らはいったい何をしていたのかと思って研究してきたのですが、中世の長い間、ユダヤ人は、べつに存在しなかったわけではなくて、どこにいてもユダヤ人のグループをつくっていました。イスラム教の社会にもキリスト教の社会にも、いずれにも存在していたのです。
@の地図はヘブライ文字で書いてありますので、お分かりにならないと思うのですが、右から左に読みます。アラビア語と同じです。この地図はイスラム教の王国が最大の領土を誇ったときの地図です。斜線が入っているのはイスラムが征服した土地です。これはイスラムが登場して間もない時期です。ムハンマドがアラビア半島を統一し、それから征服を始めます。そしてペルシア、バビロニア、エジプト、さらにモロッコまで征服し、さらにジブラルタル海峡を渡ってスペインまで行っています。スベインから先に行こうとしたときに、フランスに行くところで止まってしまいました。しかし、632年位から百年位の間に地中海の南側全部を抑えてしまった。これだけ短い期間にイスラムはすごい勢いで世界を征服しています。
この白いところ、残されたヨーロッパの地域を支配していたのはキリスト教です。このときはちょうどコンスタンチノープルを中心にして、ギリシアとか小アジアは、ギリシア正教のビザンチン帝国が支配していました。そしてイタリア半島辺りからずっと北の方、フランスやドイツの地域は、カトリックが支配していました。むしろ、イスラムの進出を阻止するために、キリスト教カトリックと世俗王権が手を結んで支配圏が確保されたと考えられますが、このイスラムが起こったときに初めて地中海を囲んだ世界は一神教で覆われてしまっている。このときのイスラムの領土は非常に広い領土ですね。キリスト教は僅かにヨーロッパのところだけです。たぶん人口としてはイスラム教徒の方が多かったのではないかと思うほどです。
このようにイスラムの勃興に対して、Aの地図を見てもらうと、今度はフランスを中心にしてヨーロッパの国々が、エルサレムに向けて軍を派遣するようになります。聖地を追われた。キリスト教の聖地であるエルサレムがイスラム教によって奪われた。奪われたのはもっと前なのですが、しばらくしてからヨーロッパが遠征します。これが有名な十字軍ですね。Aの地図は十字軍がちょうどイスラムに向けて遠征を始めたときです。Bの地図はスペインの地図です。@の地図ではスペイン全土にイスラムが勢力を持っていたのですが、このときには僅かに南の方のアンダルシアだけがイスラムの領土になっています。
いわゆるキリスト教勢力によるレコンキスタというのがスペインで起こり、イスラムの勢力をどんどん南へ追い詰めていく。最後に残ったのがグラナダという国です。有名なアルハンブラ宮殿、コルドバが最後まで残るわけですが、この地図は14世紀のスペインのユダヤ人コミュニティーです。この時期ユダヤ人はスペインのイスラム圏にもキリスト教圏にも等しく住んでいることが分かります。このあと、遂にスペインのレコンキスタが完成して、イスラム勢力はすべてスペインから追放されてしまいます。このときにユダヤ人も同じように追放されてしまいます。
Cの地図には、1492年にユダヤ人がスペインから追放されたときの行く先が矢印で示されています。このときまでに、スペインのユダヤ人はイスラム教の時代ですけれども、黄金の時代と言われるぐらいに栄えた時代でした。この中世の時代はイスラムとユダヤ人の関係が非常に良かったのですね。特にスペインのユダヤ人は世界で最も栄えたと言われているぐらいです。ところが、それがスペインのキリスト教の人たちに征服されて、レコンキスタによって追放されてしまいます。この矢印は、そのユダヤ人が追放されていった先々の地図です。行くのは主にバルカン地方ですね。オスマン帝国がその頃栄えていますので、オスマン帝国を中心にイタリアとか地中海を移動していきます。
このときポルトガルからオランダの方に矢印が行っています。アムステルダムを中心にユダヤ人たちが逃げていったのですけども、この人たちのグループから後にスピノザという人が出てきます。スピノザはオランダのユダヤ人コミュニティーの中にいた人です。彼らはもともとスペインから追放されてポルトガル経由でオランダに行った人たちだという大きな流れがあります。
Dの地図の斜線の部分は、オスマン帝国の最大領土を示しています。だいたい16世紀から17世紀に至りますが、ヨーロッパに深く入り込んでいますね。もうちょっとでウィーンまで行くというところで止まったわけですが、モーツァルトなどの『トルコ行進曲』など、トルコ風の音楽は、ウィーンから見れば目の前までオスマン帝国が進入していますから、そういう意味では、文化的には非常に近いものがあったわけです。このオスマン帝国に、さっきのスペインから逃げていったユダヤ人たちがたくさん入っていきます。この時代にちょうどエルサレムのちょっと北に、ユダヤ教の神秘主義でカバラーというのがありますが、そのカバラーの中心がイスラエルに新しく生まれて、非常に新しいカバラーをつくり出します。
このように、近代までの間に、地中海を挟んで世界中がイスラム教とキリスト教に征服されます。ユダヤ人は、その両方にいたわけですが、どちらの地域の方が住みやすかったでしょうか。これが問題です。私のように比較宗教学だと、イスラムだけをやるわけでもないし、ユダヤ教だけをやるわけでもない、キリスト教だけをやるわけでもないので、たとえば、今のような比較を考えたときに、「果たしてどっちだったのかな」という疑問が湧いてきます。
これについてはレジュメにも書いてあるのですが、実はイスラムに関して皆さんは「経典の民」という言葉をご存知でしょうか。イスラム教が征服した地域は未開の地域ではありません。イスラムよりも文明が高かった地域に入っていっています。その地域は、もともとキリスト教が広まっていたのですね。地中海の周りは、周辺を全部ローマ帝国が支配していて、そのローマ帝国が後にキリスト教化していましたから、だいたい地中海の周辺は、キリスト教が浸透していたわけです。
そういうところにイスラムが入っていったときに、無理やりイスラム教徒に改宗させてはいないのです。そんなことは無理です。それこそ殺してしまうぐらい厳しくしないと無理です。そういうことはしていないわけですね。何をしたかというと、キリスト教は自分たちのアッラーと同じ、唯一の神の啓示を受けた宗教である。ユダヤ教も同じアッラーから受けた啓示を守っている人たち。ただし、ムハンマドより前に出た預言者は神の教えの一部しか伝えていない。あるいは時代が経るうちに、誤った教えが伝えられたりしているから不完全である。最後に出てきたムハンマドこそが最も優れた預言者で、神の教えをそのまま伝えている。
けれども、それより以前にも預言者はいて、その預言者をイスラムでは認めていますから、自分たちより前に唯一神を信じていた人たちの存在を許したわけです。ただし、ただで許したのではなくて、税金を取ったのです。税金を徴収した代償として、信仰はずーっと認めていました。一般には、ユダヤ教徒とかキリスト教徒は、同じ神の経典を持っているというので、「経典の民」という言葉が出来たのです。私も「その程度のことだろう」と昔は思っていたのですが、「経典の民」という言葉があるということは、すごいことなのです。イスラム教にとっては、キリスト教とユダヤ教を認めたということなのです。これはすごいことです。もちろん今でいう寛容の精神とは違うかもしれません。つまり税金を取ったりしていますから。ほんとうはしょうがないと思っているところがあるかも知れませんけれども、とにかく存在を認めていた。
ところが、キリスト教の世界では、キリスト教の外に救いはないのです。教会の外に救いはないという徹底した考え方です。ユダヤ教徒は教会の外にいて、しかもイエス・キリスト、神を殺している。その責任をずっと負っていると見られていますから、存在が認められていないのです。つまりアウトサイダー。アウトサイダーというと軽い意味で使いますけれども、実態はアウトローです。法の支配、法の保護は受けられない。たとえば、いま外国人でビザを持っていなかったりビザが切れてしまったりして不法に残っている人たちがいますね。そういう人たちは法の保護が受けられないわけです。それと同じ立場です。法の保護を受けることができないから、たとえば極端に言えば、殺されても何をされても、それを訴えるところがないのですね。
ユダヤ教徒はどうしたかというと、まとまって住んで、王様とか貴族とか、その地域を支配している人たちと何らかの金銭のやり取りをすることによって居させてもらう。ユダヤ教徒、ユダヤ人たちは、そういう非常に心細い存在なのです。キリスト教の世界では、それを続けてきたのです。そういう生き方しかできなかった。
それに引き換え、イスラム教の世界に居たユダヤ人たちは、「経典の民」ですから、キリスト教徒もそうですが、法によって同じように保護されているわけです。これはもう全然違うと思いましたね。比較して見ると、中世のイスラムの世界というのは、いかにキリスト教、ユダヤ教に対して寛容であったか。もちろん迫害がまったくないということはないのですが、キリスト教世界と比較してみると、明らかにイスラム教の世界の方は恵まれていた。法律で守られるのは大事だということをつくづく思うんですが、そういう時代が長く続くわけです。
ところがその後、世界が動きます。オスマン帝国の地図を@の地図と見比べて、斜線部分を比較をすると、オスマン帝国の時代になると、東ローマ帝国が滅びているのですね。バルカン半島を中心に、みなイスラムの勢力に入ってしまいます。ヨーロッパのキリスト教国にとっては、ローマ帝国が滅びるというのは一大ショックですね。イスラムがずーっとヨーロッパに入ってくるわけですから、ドイツとかフランスはかなり脅威を感じていたでしょう。
逆にスペインは、かつてそこにイスラム勢力がいたのに今はいなくなった。この頃からスペインが力をつけたわけです。ここからスペインとポルトガルが新大陸を発見していくわけです。やっとその段階から南アメリカとか中南米、アフリカとかにキリスト教が広まっていった。今のキリスト教を支えている人たちは、中南米とかアフリカの人たちですね。ヨーロッパの人口は大したものじゃないですから。ですから、新大陸に進出できるようになったのは、ヨーロッパが東側でオスマン帝国に侵されてゆく一方で、西の方ではスペインをレコンキスタで取り返し、さらに新世界を開き、世界に広がってゆくという、激しく世界秩序が揺れ動いた時代だったのですね。
ここからヨーロッパが初めて世界に広がっていく。ここからヨーロッパの北のフランス、オランダ、イギリスがインドにいったり、アフリカ経由で中東からインドへ進んでいく。こういうかたちで、ヨーロッパの植民地支配が始まるわけです。それまではイスラムの方が勢力としては強かったのですが、それ以降はキリスト教、言い換えれば「キリスト教ヨーロッパ」が世界を征服していく。その過程でヨーロッパはいち早く近代化を遂げていきます。
そしてEの地図です。いわゆる西ヨーロッパ、かつてのカトリック圏を中心にして近代国家をつくるわけです。自由平等で憲法をつくって、すべての人は法のもとに平等であると。人種とか宗教の違いとか、肌の色とか、そういうものによって差別をしないというのが近代の特徴ですから、ここで同じヨーロッパに住んでいるユダヤ人が初めてその仲間入りをするわけです。ユダヤ人にとっては「解放」という言葉が当てはまるぐらいヨーロッパ社会に入っていくというすごい時代になるわけです。
Fの表を見て頂きたい。ヨーロッパでユダヤ人が解放されたというのはどういうことかというと、たくさんの著名なユダヤ人がどんどん出てきたということです。ここに出ているのはごく限られた有名人だけですが、19世紀生まれの人がほとんどです。スピノザ、ハイネ。ハイネはちょうどフランス革命の頃と重なる時代の人です。それからフェリックス・メンデルスゾーン、ロイター、マルクス、オッフェンバック。
30年代はピサロ。40年代生まれがピュリッツァー。50年代生まれはすごいですね。フロイト、デュルケーム、ザメンホフ、ドレーフュス、ベルクソン、フッサール。60年代がマーラー、ヴァールブルク。70年代もすごいですね。ローザ・ルクセンブルク、プルースト、シェーンベルク、ワルター、マルチン・ブーバー、ヤヌシュ・コルチャック、トロツキー、アインシュタイン。さっき言ったマルクス、フロイト、アインシュタインというのはこういう時代に出てきた人たちです。
80年代になると相当広い範囲です。カフカ、モディリアーニ、ルービンシュタイン、シャガール。90年代のマンデリシュターム、これはロシアの詩人ですね。ダリウスミヨーは音楽家です。ガーシュイン、ヴィトゲンシュタイン、ワルター・ベンヤミン、ロマン・ヤコブソン、ゲルショム・ショーレム、セルゲイ・エイゼンシュタイン、ヘルベルト・マルクーゼ。90年生まれだとエーリッヒ・フロム、アドルノ、オッペンハイマー、シンガー、レヴィナス、フランクル、ハンナ・アレント、ビリー・ワイルダー、レヴィ・ストロース、シモーヌ・ヴェイユ。
こういう人たちはヨーロッパの中で出てくるわけですが、この人たちが出て来られたのはユダヤ人が解放されたからです。ただし、ここに出てくるのはみな同化ユダヤ人。同化ユダヤ人というのは、ユダヤ教の厳しい規則や戒律にあまり関心がない人たちです。世俗化してヨーロッパ社会、キリスト教社会に入って行った人がほとんどです。この人たちの多くはキリスト教に改宗しています。作曲家のマーラー、マルクスもそうです。マルクスは父親が改宗していますし、ハイネもそうです。
とは言っても、それまでの長いユダヤ人に対する反発がありますから、ヨーロッパのユダヤ人は絶えず摩擦を受けます。キリスト教社会に入って行こうとすると、向こうから激しく抵抗される。さっき言ったアンチ・セミティズム、反ユダヤ主義です。ユダヤ人解放と裏腹に、ユダヤ人に対する憎悪がすごく激しくなってきたのです。解放された後どうなったかということですが、次頁の地図を見て頂きたい。今度はホロコーストの話をしたいのですが、なぜホロコーストが起こったのか、どの地域のユダヤ人が殺されたのか。
Hの地図を見てください。これはユダヤ人の死亡者数です。1939年から45年、第2次世界大戦の間に死んだユダヤ人の数が概数で出ています。「少なく見積もってある」と書いてありますが、全部合わせると595万になる。当然それは最低数であって、これより数はもっと多かっただろうと言われるわけです。どこのユダヤ人が一番犠牲になったのか。ドイツを見て頂くと12万5千人です。相当な数ですが、全体から比べると非常に少ない割合です。フランスも8万3千。イタリアも7千。オーストリアでも7万。オランダでも10万。今言った地域は、さっき言った解放されたユダヤ人が住んでいた地域です。だからユダヤ人が解放されても、その解放されたユダヤ人というのは西ヨーロッパに限られていて、数もそんなに多くなかった。そんなにユダヤ人の人口は多くなかったのです。
それならどこが一番被害に遇っているかというと、ポーランド、リトアニア、ラトビア、西ソ連、ウクライナとベラルーシです。これら諸国を合わせて456万5千人。すごいユダヤ人人口がこのポーランドとかウクライナに居たわけですね。この地域のユダヤ人は解放されてはいなかったわけです。解放されてはいなかったけれども、こんなに人口が居たということは、ある意味で住みやすかったのかも知れません。Gの地図は、ポーランドとウクライナの地域ですが、南の方に黒海があります。上の方はバルチック海です。この地域は日本の人にはあまり馴染みのない地域ですが、たくさんユダヤ人が住んでいたのですね。
ポーランド分割ということを皆さん聞いたことがあるかと思います。西ヨーロッパで解放が進んでいるときに、ロシアとドイツとオーストリアがそれぞれポーランドを征服して分割し、それぞれ併合した。このGの地図は、ロシアが征服した地域にたくさんユダヤ人が住んでいたことを示しています。ロシア人はこのとき初めてユダヤ人と面と向かうのですが、ユダヤ人が非常に嫌いでした。そこでユダヤ人に居住制限をします。ここからはロシアに入ってきてはいけない。モスクワとかペテルブルグとか、ロシアの本来の地域にはユダヤ人は入れないようにして、この太線で囲んだところにユダヤ人の居住区域を制限しました。
ここにユダヤ人は押し込められて、押し込められるというほど狭い土地ではなくて、相当広い地域でしたが、この地域でユダヤ人は相当に人数が増えて、500万とも言われるぐらいに増えます。ところが、ここでユダヤ人に対する激しい暴動が起こったり、貧困が彼らを襲いました。その結果、ここのユダヤ人のかなり多くがアメリカ合衆国に移住するようになります。アメリカの地図を見て頂きますと、フロリダ半島に小さな囲いで「移住の波」というのが年代別に書かれています。そこに1880年から1914年と見えますが、1880年は、ユダヤ人に対する激しい迫害、「ポグロム」がロシアで起こる前年です。激しいポグロムのためにユダヤ人たちはかなり多くの人が死んで、アメリカに移住する人が増えた。このとき200万のロシア系ユダヤ人がアメリカに渡っています。それより前は、ドイツとポーランドから15万の人が20年位前に移っていますが、とにかくこの19世紀の終わりから20世紀の初めにかけて、相当のユダヤ人がポーランド、あるいはロシアからアメリカ合衆国に移住しています。これが後のアメリカのユダヤ人人口の増加のもとになっているわけです。
アメリカでのユダヤ人は、ちょうど近代になって、特にこの19世紀の終わりから20世紀の初めのロシアからの移民を中心にして形成されていますが、ユダヤ人の行く先はだいたい決まっていて、ここで言うと、縦横で線が引いてあるところです。縦と横に引いてある地域。ボストンとかニューヨーク、特に東海岸の州都ですね。それから真ん中の中西部のシカゴ、オハイオ州ですね。西海岸でいうとサンフランシスコ、ロサンゼルスのカリフォルニア州、この辺にユダヤ人の拠点ができます。都市でいうと、マルに斜線の入っている都市で、北からボストン、ニューヨーク、フィラデルフィア、真ん中へいってシカゴ、セントルイス、サンフランシスコ、この辺がユダヤ人人口が非常に多いところですね。
東ヨーロッパのユダヤ人の多くは、後にホロコーストでドイツのナチスの餌食になってしまうわけですが、その直前にアメリカに逃げていった人たちが少なからずいた。ホロコーストで、東ヨーロッパのユダヤ人はほぼ全滅しますけれども、東ヨーロッパ出身のアメリカ移住ユダヤ人がいたので、辛うじてユダヤ人は生き延びたということになります。
20世紀になって新しいイデオロギーが起こり、「ユダヤ人は宗教なのか、民族なのか」という論争が起こります。それについてちょっとレジュメの「西欧近代のユダヤ人解放の光と影」のところで補っておきたいと思います。先程触れましたが、フランス革命以降にユダヤ人の解放が実現しましたが、このときまで、ユダヤ人は世界各地に住んでいたわけですが、まだそれぞれの国の国民になることはできませんでした。ここでユダヤ人が初めてフランス人として認められるという重大な出来事が起こります。このときはナポレオンが間に入ってくるんですが、ナポレオンとユダヤ人とのある対決について見たいと思います。
1807年の5月、ナポレオンがまだ権力の頂点にいたとき、それまで長い間途切れていたサンヘドリン、ユダヤ人の最高議会というか、71名による最高法院をパリに召集します。ヨーロッパの主だったユダヤ人をパリに集めたのです。そこでナポレオンは、ユダヤ人に「あなたたちはフランス人なのか、それとも異邦人なのか」と質問をします。
それに対してユダヤ人たちはナポレオンを讃えて、次のような決定をします。「ナポレオンはメシアである」と。「ナポレオンは、我々に自分の信念に従って唯一神を礼拝することを認めてくれた。これは信教の自由をナポレオンが認めたということである。われわれユダヤ人を、フランス国家の大家族の一員にしてくれた。ユダヤの神の法には宗教的な規定と政治的な規定がある。宗教的な規定は、場所や時間に関わらず、永遠に妥当する規定である。しかし、政治的な規定は時代と環境に依存する。古代にはイスラエル民族の政府がかつてのパレスチナに存在したが、現代ではイスラエルはもはや民族を形成していない。だから自分たちには、その政治的な規定、イスラエルの神が命じる政治的な規定は適用されない。そして、ナポレオンは信教の自由を認めてくれたのだから、自分たちは宗教的な規定だけを守っていればよいのだ」
こうしてユダヤ人は自ら政教分離をし、政治の放棄を宣言して、フランス市民となります。
ここで初めて、「ジューダーイズムという言葉は何を意味するのか」が問題となりました。今もって問題なのですが、一般にはユダヤ教と訳してしまいますが、これは必ずしも適切ではないんですね。ナポレオンの時代「ジューダーイズムは宗教である。つまり人間の内面の信仰の問題である。ユダヤ民族ではない」とされた。ユダヤ民族の習慣のことをジューダーイズムと言うのではない。ユダヤ人は民族ではなくて宗教的所属なのだから、信教の自由を認めるフランス市民になることができる。こうしてユダヤ人が解放されてフランス市民になったわけですね。
これが近代西ヨーロッパでのユダヤ人解放の最初のページになるわけです。ユダヤ人が解放されたということなのですが、別な見方をすると、これは、それまで長い間ユダヤ教、ユダヤ人をまとめていたはずの中世的なユダヤ宗教民族共同体が崩壊したことを意味しています。これで西欧ではユダヤ教がもはや一つではなくなってしまった。このあと改革派とか、新正統派とか、アメリカ合衆国に至っては、さらに保守派とか再建派とかという、いろいろなユダヤ教の宗派が出来てきます。だから、もはやユダヤ教といっても一つではなくなってしまった。
多様化したユダヤ教、そして、生まれがユダヤ人でも、もはやユダヤ教徒とは限らない。先程言った世俗化した人ですね。ヨーロッパ社会に同化していった人たちはみなこの類の人たちです。世俗主義とか無宗教、キリスト教への改宗者とか、そういう人が19世紀にはヨーロッパにどんどん生まれてきてしまいます。ところがさっき見ましたが、東ヨーロッパでは近代国家がなかなか出来ていなかった。そのためにユダヤ共同体が昔のままで残っていた。これが後々ナチスの犠牲になっていくのです。
これが今のイスラエルの人たちが考えている問題です。西ヨーロッパのユダヤ人は解放されたというけれど、本当に解放されたのか。それから数十年後にホロコーストが起こったではないか。なぜ起こってしまったのかという問題。一方でユダヤ人の解放が進むと、逆にユダヤ人に対する反発がめざましく台頭してくる。
ドイツ系ユダヤ人は特にめざましい繁栄を遂げて、19世紀後半から20世紀の前半にかけて、これまでにないぐらいの繁栄を誇っています。先ほど著名な同化ユダヤ人の一覧表を見ましたが、これぐらい色々な人が出てくるぐらいにユダヤ人は生活程度が高かったわけです。ところがロシアでは、ポグロムと貧困が起こった。フランスではドレフュス事件が起きた。フランス市民であるはずのドレフュスという軍人がスパイの嫌疑をかけられた。単にユダヤ人だからということで。これが冤罪事件になるわけです。こうして近代ヨーロッパで解放されても、結局ユダヤ人に対する反発、憎悪、憎しみというのは強い。
そういう中でユダヤ人たちは、このヨーロッパでこれからどう生きていくかという選択を迫られたのです。皆さんだったらどうしたでしょう。可能なオプションは、3つぐらいでした。
一番多いのは、結局、今まで居たところにずっといるということです。自分が長く住んできた居住地で、市民として認められ、その国家の国民になっていくという選択ですね。西欧のユダヤ人はほとんどがこのタイプでした。また、東ヨーロッパでも、たとえば、ポーランドにいたら、そのポーランドが後々近代国家になれば、自分もそこの国民になっていく。東欧諸国に残ったケースでもこれが一番多かったです。
次に、暮らしやすい国へ移住する。これがアメリカへ移住した多くの人たちの心を捉えていた。ユダヤ教には、もともと、エジプトを脱出する、奴隷の国であるエジプトから神がわれわれを導いてくれたという、エクソダスという考え方がありますから、アメリカ合衆国へ向かって新たな脱出をする。キリスト教徒にもそういう強いシンボルがあります。それと非常に似ています。
最後は、これがいわゆるシオニズムになっていきますが、要するに自分たちが主権国家のマジョリティになるべきだと考えた人々です。新しい近代国家になったときに、自分たちがマジョリティになる国を創ろうというのがシオニズムなわけですね。20世紀の初期から、不毛の荒れ野と思われていたパレスチナに、開拓移民として入植するユダヤ人が、ロシア出身者を中心に非常にわずかながら現われました。この人たちが、後のイスラエル建国の立役者になっていきます。
19世紀はだいたいこういうかたちで進行していくわけですが、20世紀になって新しいイデオロギーとしての民族主義とか全体主義が興ってきます。今でこそ「20世紀は全体主義の時代であった」「民族主義の時代であった」と振り返ることができますが、19世紀の人たちにとっては、理性が花開いた啓蒙主義の実践が実現した時代に続く世紀として、みなけっこう明る未来を描いていた。「19世紀の著名な思想家のほとんど誰もが、まさか20世紀に全体主義とか民族主義が風靡しようとは予想していなかった」とアイザー・バーリンは言っています。しかし、実際そうなってしまったわけですね。
特に第1次世界大戦の後に、民族自決主義が正当性を勝ち取ります。これは「一民族が一国家を創ろう」という考え方ですが、もしこういう考え方がマジョリティ、多くの国の正当性の根拠になっていくと、東ヨーロッパのユダヤ人は非常に困るわけですね。まだ国が出来ていないわけです。東ヨーロッパは第1次大戦後に小さい国がたくさん生まれてきますが、そこにユダヤ人がいる。彼らはどうしたらいいのか。まさに少数民族が生きていけるのかという問題を突きつけられるわけですが、ちょうどそのときドイツの問題が起こってきます。
ドイツは、ドイツが第一次大戦に負けてしまったあとに、いわゆるワイマール憲法という最も自由な、最も個人主義的な憲法を制定しますが、ここではユダヤ人は完全なる市民権を獲得していたのです。ところがナチズムにいたって、民族主義、全体主義の国になってしまいます。こうなると個人主義とか自由主義ではなくなってしまいましたから、アーリア民族でない民族、少数民族は排除されていく。
ワイマール憲法ができてからナチズムまでは僅か十数年。1871年にドイツが統一されて、憲法ができてから60年ちょっとですね。ユダヤ人が千何百年もの間待ち望んでいたかどうかは分かりませんが、初めて完全な市民権を獲得したと思ったら、僅か50年か60年の間に、今度は差別の対象になって、隔離され、あるいは殺戮されていくという、そういう短い間の、まさに天国から地獄へという変化を受けてしまうわけです。
もともとドイツ人にとっては、東ヨーロッパに置き去りにされたドイツ人の処遇問題があったと言われています。ドイツが負けて領土が減ってしまった。各地にドイツ人が取り残されている。そのドイツ人たちとまた自分たちが結びつくということですね。それによってナチスはドイツの領土を広げていくわけです。こうして結局政治の力によってホロコーストが起こってしまった。
ホロコーストは第2次世界大戦の最中に起こっていますが、あれは戦争ではなくて、まさに対外戦争中の非戦闘員の大量殺戮です。ユダヤ人は敵ではないわけですよね。まさにある特定の民族の全滅を目指した政策です。これがドイツの国内から、さらにナチス占領下のヨーロッパ全域へと広まったわけですが、さっきのHの地図はまさにそれを表している。ドイツ国内では12万5千人のユダヤ人が殺されているわけですが、ナチスが征服したヨーロッパ全土、特に東ヨーロッパでは、その40倍近いユダヤ人がナチスの政策によって殺害された。
キリスト教世界でのユダヤ人の生存は、中世からずっと見ていくと、一時的な光は射したかもしれませんが、非常に厳しいということが歴史を見ると明らかですね。民族的な差別、宗教的な差別にいろんなものが加わって、そのときどきの政治的な情勢で、まったく恣意的にユダヤ人差別をしてきたのだと言えます。そういうことが歴史を辿っていくとよく見えてきます。
それにひきかえ、イスラム圏ではどうだったのかという問題ですね。これまでほとんどオスマン帝国までしか見てないわけですが、このオスマン帝国も第1次世界大戦までずっと生き延びていましたから、それを類推していただければ、イスラム圏でのユダヤ人の生活はある程度予測がつくと思うのですが、キリスト教に比べて、やはり住みやすかったんじゃないかと思わざるを得ないんです。
もちろん生活程度はヨーロッパの方がずいぶん進んでいたし、近代になって、ヨーロッパの植民地支配によって、イスラム圏や東南アジアは、だいたい植民地帝国の餌食になっていたわけですから、イスラム圏の人たちは、おしなべてそういう衰退の状況にあったと言えるかもしれないのですが。
最後に、第2次大戦の後のユダヤ人社会のことについて話したいと思います。最後のKの地図を見てください。これは今までほとんど話題になったことのない、イスラム圏のユダヤ人の存在を知る手がかりになる資料だと思いますが、イスラム圏からシオンへ帰還したユダヤ人の人口統計です。シオンですが、エルサレムを詩文で表現するときに、シオンという言葉が使われてきました。ですから、エルサレムの代名詞というわけですが、ここではエルサレムというよりは、かつての先祖の土地という広い意味でシオン、英語の発音ではザイアンと言っていると思います。
1948年のイスラエル建国以降1964年までに、このシオンへ帰って来たユダヤ人の統計です。ここで非常に特徴的なのは、それまでほとんど移住のなかったイスラム圏、アラブだけではなくてイスラム諸国ですが、そこから、新しく出来たイスラエルへ、ユダヤ人の移住が大波の寄せるように続いたことです。これを見ますと、一番多いのがイラクからで、12万3千人。次はモロッコの12万人。その他エジプトから7万5千人とか、イエメンから4万8千、イランから3万9千人。トルコから3万7千人。シリアから2万6千。チュニジアから3万。リビアから3万5千。アフガニスタン、中央アジアを含めて、これはもうほとんど旧オスマン帝国のユダヤ人およびイランの王朝ですね。これは何を意味しているのでしょうか。
もちろんヨーロッパからもユダヤ人たちは来ています。ポーランド、ルーマニア、チェコ、ブリガリアなど、僅かですが、ホロコーストを生き延びた人たちが戦後新しくできたイスラエルにも移住してきている。これで、イギリス、フランスなどの自由主義圏を除いて、ヨーロッパのユダヤ人人口は、特に東ヨーロッパでは非常に少なくなってしまった。 ここで特徴的なのは、イスラム圏から多数のユダヤ人が、戦後、国が出来たので、イスラエルに帰って来ていることです。これはヨーロッパにおけるキリスト教徒の迫害のような原因は当てはまらず、したがって動機がきっと違うはずですね。
どうしてこういうことが起こったのか。一つ考えられるのは、イスラム諸国のユダヤ人は比較的古い時代からの信仰を守っている。彼らが二千年来唱え続けるお祈りは、「メシアが世の終わりにやってくる。そのときにはエルサレムが再建されて、ダビデの末である王権がエルサレムに興って、世界中に離散しているユダヤ人がエルサレムに帰ってくる。そしてエルサレムの神殿が再建されて、そこでまた動物の生贄、家畜の生贄の犠牲が捧げられるであろう」と説いている。古代社会の理想が、そのまま祈りの願望の中にずーっと込められていて、それを絶えずお祈りしているわけですね。
私もエルサレムでシナゴーグという祈りの会堂へ毎朝行っていたのですが、私が行ったのはモロッコ系の人たちがよく行くシナゴーグでした。そこの人たちはヨーロッパ出身ではなかった。モロッコ系なのです。フランス語は話しますけど、モロッコから直接やって来た。そうすると、モロッコの生活からすると、昔ながらの祈りを唱えて、イスラム教と同じように「奥さんは4人まで大丈夫なんだよ」とか言ったりして、何となく一昔前の人たちのような感じがする。
そういう人たちの祈りの中には、やはり昔ながらのユダヤ教なんだなと思わせる雰囲気があって、西ヨーロッパの近代化したような、あるいはキリスト教の影響を受けたような厳粛さを求めるふうもありません。子供が走り回ったり、ゆったりと時間に身を委ねているようなくつろいだ雰囲気がある祈りでした。ただ、祈っているときはみんな一生懸命祈っていて、1時間位テキストを素早く読んでいくんですね。
その中に、事細かに神を讃える言葉があって、詩篇の言葉をそのまま引用している。そういう中で唱えられているのは、一方では昔のままの願望、すなわち、エルサレムでユダヤ人が集まって、そこでまた社会が出来る、ユダヤ人の国家が出来ること。そして、ダビデの末の王権がまた生まれるとか、そういう願望なのですね。だから、エルサレムに国が出来たというのは、終末のユダヤ人の願望が実現されたのだから、自分たちもそれに預かろうという気持ちで、エルサレムやイスラエルに移住して来た人たちが、このアラブ圏からの移住者の中にもかなりいたのではないでしょうか。
だから、これはヨーロッパのような、近代の流れの中で近代国家が出来て、そして個人のユダヤ人が世界中から集まって、ネイション・ステート、民族国家をつくるんだという近代的な発想から生まれた行動ではなくて、昔からあるユダヤ人の願望、自分たちから積極的にやってはいけない、あくまで神の自発的な行動によって行われた建国であると受け止めて、それが出来たからには、自分たちはもう何物を捨ててもイスラエルに上って行こうとする、そういう古い伝統に基づいた行動だったという人々が、かなりこの中には含まれています。戦後に国が出来たとき、多くのアラブ諸国からユダヤ人がイスラエルにやって来るというのは、そういう行動パターンで説明することができます。
もう一つ、これは近代国家という問題に関連して起こってきたものですが、特にイラクの場合は、新しい国、アラブの民族国家が出来る。そうすると、少数民族であるユダヤ人は、非常に存在が危ういんですね。居て欲しくない人たちになるわけです。実際にイラクでは特にアラブ人によるユダヤ人に対する迫害がありました。そのためにイラクのユダヤ人達は、財産をそのまま置いて国を出ざるを得なかった。そういう状況があったと考えられます。
しかし、アラブ圏から建国間もないイスラエルに移住してきたユダヤ人の多くは、先程述べたように、昔からの信仰による宗教的動機でやって来たというケースが非常に多かった。それが幸いして、この後オスマン帝国が滅びて、そのあとイギリスとフランスがこの地域をいわゆる委任統治の下に置いたわけですが、第2次世界大戦後にこの地域で多くのアラブの国が独立します。そうなったときに、異民族であるユダヤ民族あるいはユダヤ教徒が、果たしてアラブ民族国家で存在が認められたかどうかという難しい新しい問題が起こっていたはずですが、彼らは皆すでにイスラエルに行ってしまったということで、ほとんどその問題が起こらなくて済んだわけです。
ただ、その代わりといいますか、イスラエル自体が非常に不安定な状態で創られた国であり、これ以降、中東におけるユダヤ人とアラブ人の民族対立に関わる問題のすべてがイスラエルという国を焦点として発生するので、これ以降ずーっと今日まで、「ユダヤ・アラブ問題」という形の紛争の種が尽きない状態が続いていると思います。ですから、結果的にそうなってしまいましたが、本来はアラブ・イスラム諸国におけるユダヤ人というのは、お互い民族的にも非常に近いですし、宗教でも非常に類似点が多いイスラム教とユダヤ教ですので、イスラムが生まれてから1400年にもわたって、キリスト教と比べれば非常に良好な関係で来ていたと思われます。
もちろん小さな諍いというのは当然あるわけですが、現代の国家、領土あるいは主権の問題が入ってきたときに、このイスラエルという国が大きな存在として残ってしまったという感じがします。イスラエルの問題というのは、アラブ・イスラムとの関係だけでなくて、イスラエル国内においてもいろいろな問題があります。これは新しい国にとっては当然だと思います。何しろ世界中から、生活習慣が違い、文化程度が違い、考え方も違う人々が、ユダヤ人だというだけの理由で一つに集まって国を創るわけですから、当然ある種の民族的な違いのようなものが実際にイスラエル国内にはあります。
特にヨーロッパから来た人たちと、アラブから来たユダヤ人との間には、同じユダヤ人でも、それぞれの伝統の違いがあって、イスラエル国内でもオリエンタリズムの問題があります。また、アラブから来たユダヤ人に対する差別とか偏見がイスラエル国内でも当然起こっていく。同じユダヤ人でも、当然そういう事が起こっているようです。やはりイスラエルという国は人工的な国ですから、それだけいろんな問題が出てきやすいところです。
日本だと、「10年経ってもあまり生活も変わらないし、政治も変わらない」と言ったらちょっと言い過ぎかもしれませんが、あまり変化はない。ところが、イスラエルの国などは、10年の間留守にしたならば、まるっきり変わっていて、見違えることでしょう。新しい変化が絶えず起こっている国です。ですから、建国してから50年60年経ちますが、戦争とか、そういうことは別にしても、イスラエル国内というのは、僅かその間に二転三転していて、私からすると非常に興味の尽きない国といいますか、絶えず目の離せない、そういう印象があります。日本では一方的な記事しか出てこない場合が多いんですが、そこに住んでいる人は、世界中からシオニズムというだけの理由で集まって来て、新しい国を創った人たちですので、そういう点から興味を新たにして見て頂ければ、私としてはありがたいと思います。だいたいこのくらいで話を終えてあとは質問をお受けしたいと思います。(拍手)
ユダヤ教、キリスト教及びイスラム教の基本的特徴の比較を表にしたものについて、準備の間に補足致します。今日は触れませんでしたが、レジュメの2枚目に表が1個付いています。この表は私の友人でイスラム学の人が、中東のテキストの中に出ていたものとして私に紹介してくれたものですが、それをそのまま、ご参考に載せておきました。イスラムとキリスト教とユダヤ教は、一般に一神教と言われていますが、こういうふうに表にして互いに比べることができるほど互いに関係が深い。基本的構造は、とにかく唯一神がいて、それがある預言者にその言葉を伝える。それだけなんですね。問題はどの預言者が最も優れた預言者だとか、最も信頼を寄せる預言者であるかによって違ってきます。
ユダヤ人は、最も古いモーゼを唯一の神から本当の教えを受けた唯一の預言者と考えています。預言者はたくさんいますが、神から法を受け取ったのはモーゼしかいない。それが「モーゼ五書」ということで、聖書でいうと、最初の創世記から申命記まで、創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記という五つの書物がありますが、これが一つの巻物になっていて、これこそは神がモーゼに伝えた言葉であると信じられています。ユダヤ人はこれを巻物にして一番大事なとこに安置してあります。ユダヤ人は安息日ごとにみな集まってきて、お祈りをして、それから神の言葉を朗読して皆が聴く。1年掛けて「モーゼ五書」の創世記から最後の申命記まで読み通すのです。ですから、ユダヤ教では「モーゼに伝えられた言葉こそが神の永遠の掟である」。それを信じていくのがユダヤ教徒なわけです。
ところが、キリスト教徒の場合は、解釈が違います。モーゼのあとに次々に預言者が出てきますが、聖書に出てきますね。エリヤであるとかイザヤ、エレミヤ、エゼキエルだとか。その流れで最後に預言者以上のメシアが来る。それがイエスであると。イエスこそが神が遣わした預言者以上の者、最後に遣わしたメシアであると。このメシアを信ずるというのがキリスト教徒だ。モーゼは昔に出てきたたくさんの預言者のうちの1人でしかない。そういう考え方になってきます。
ところが、イスラムになりますと、もっと後から出てきましたから、もう先に出て来た人たちの教えをみんな知ってるわけです。それが全部不十分であると宣言する。そして、ムハンマドが初めてアラビア語で神からの啓示を受けているわけですが、これこそが最も真実の神の教えである。それを信じた人たちがつくっているのがイスラム教のコミュニティーであります。
しかし、すべて元は唯一神なのです。唯一神といっても、ユダヤ教徒が唯一神を呼ぶときの呼び方と、キリスト教徒がその唯一神を呼ぶときの呼び方と、イスラム教徒が唯一神を呼ぶときの呼び方は、それぞれ言語的な背景も違いますし、それぞれみな違うわけですね。同じ神様でもユダヤ人に対して与えた律法と、ムハンマドに与えた教えは必ずしも同じではない。だから、それぞれ形式は同じなのですが、中身を見てみると、ユダヤ教とキリスト教とイスラム教ではそれぞれ違ってきてしまっている。
この表でいうと、項目が1番から13番まであって、けっこうまともに答えようとすると難しいのですけども、たとえば1番は「いくつの神を信仰しているか」、これは唯一神なわけですが、たとえば「三位一体の三位はどうなるのか」とか、「天使はどこに位置づけられるか」とか、「2番目の超越的な存在の名前は何か」、これもちょっと難しい問題ですね。アッラーと答えるか。ユダヤ教では何と答えたらいいか、ちょっと考えてしまいますけど。それから3番目の宗教の創設者、ユダヤ教の創設者がいるのかどうか。一応信仰上はユダヤ教ではモーゼがそうなっています。キリスト教は、イエスが死んだ後にそれを信じた人たちがつくったものですから、イエスがファウンダーとは言えないわけですけども。ならば、ここで言うファウンダーは誰になるのかですね。この問題をちゃんと答えようとするとけっこう難しいわけです。ただ、こういうふうに一神教というのは、だいたい同じ構造をしているということです。
| 質 問 | ロシアにおけるユダヤ人についてお訊きしたいんですが、資料の地図を見ると、共産主義時代に、ポーランド、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリアからイスラエルにユダヤ人が帰還していますね。ロシアあるいはソ連にもユダヤ人がたくさんいたはずなんですが、ロシアにいたユダヤ人がまったく帰還してないのはなぜか。これは統計のミスなのか。その辺をお答え頂ければと思います。それから、せっかくお配り頂いた資料のIですが、読めませんので、時間がありましたらご説明頂きたいと思います。 |
| 講 師 | はい。それではまずKの地図で、ソ連からのユダヤ人の帰還がないのはなぜかということです。これは、建国後64年までの状態ですので、ソ連からの出国の細かな相違は認められていない状態です。この時代はソ連のユダヤ人の動向が分からなかったのですね。統計つまり情報がほとんど得られない。ソ連は冷戦時代の真っ只中ですから、ソ連からのユダヤ人の脱出は許されていなかった。ユダヤ人が実際どういう状況にあったのかも分からない。 そのために、特にソ連から逃げてきたアメリカのユダヤ人たちを中心に、ソ連のユダヤ人の状況について、いろんなネットワークを通じて様子を知りたいということで、情報を集めました。その結果、徐々にソ連のユダヤ人の厳しい悲惨な状況がアメリカを中心に分かってきます。 特に70年代から、「ソ連のユダヤ人を救え」というキャンペーンがアメリカのユダヤ人を中心に非常に華々しく行われ、ユダヤ人の人権擁護運動がソ連に対してすごく圧力を加えるようなかたちになってきた。それが幸いして、ユダヤ人の生活環境がだいぶ良くなってきたと言われました。ただ、その後もまだしばらくは、ユダヤ人が出国することはできなかったのです。Lの年表の91年の年表ですが、この間は、ちょうどソ連が崩壊する前後辺りからユダヤ人の出国が認められるようになった。下の注に細かく書きましたが、この統計資料の時代、1989年から94年までの5年間で、50万人近いユダヤ人がイスラエルに移住している。 ですから、キャンペーンも効を奏して、イスラエルのユダヤ人の状況がかなり良くなった段階で、ユダヤ人の出国が認められるようになって、今では、旧ソ連のユダヤ人人口は、このLの統計から、百万を切るぐらいの人口に減っています。そのかわりに、今のイスラエルは、第二外国語がロシア語ではないかというぐらいにロシア系のユダヤ人が増えています。50万といえばイスラエルのユダヤ人の十分の一ぐらいの人口ですので、至る所で看板にもロシア語が出てきているとか、方々でロシア語が聴かれるという状況に今なっています。 ソ連では宗教が禁じられていたので、ユダヤ教は宗教ではなくて、ユダヤ人は民族であると。だから宗教的なものは一切認めないけれども、民族的な規定は認めるという感じだったと思います。 Iのヘブライ語で書かれている資料ですが、右に年度が書いてありまして、たとえば1880年、これを左に見ていくと、まず27万5千人というのがユダヤ人の数です。アメリカ合衆国にいるユダヤ人ですね。その次の0.55%というのがアメリカの総人口のうちのユダヤ人人口の割合です。1%にも満たない数です。その左側は、世界のユダヤ人の中にアメリカのユダヤ人が占めるパーセンテージ。だから、世界で見ると、1880年、アメリカには僅か3%のユダヤ人しかいなかった。ところが1900年になると世界のユダヤ人人口の1割までがアメリカに集まって来ている。その後、1925年になったら、世界のユダヤ人人口の4分の1以上がアメリカに来ているという数字になります。その次の1945年になると44.8%ですから、もう半数近くになりますね。 アメリカのユダヤ人人口は470万で、アメリカの国内での人口比でいうと3.35%しかいないんだけれども、世界のユダヤ人人口の中では44.8%。半分近い数がアメリカにいる。これは逆にいうと、東ヨーロッパのユダヤ人、600万人と言われている数が全部なくなってしまったために、相対的にアメリカのユダヤ人のパーセントが増えたということですね。 その下の表、これはアメリカのユダヤ人の出身地別の統計ですが、1840年から1953年の間にアメリカにやってきたユダヤ人たちの出身地別の統計です。上から順にいいますと、25万人という数、これは出身地がドイツ、ゲルマニアと書いてあります。その次がイギリス15万人。その次がフランス5万人ですね。その次が西ヨーロッパのそれ以外の国。その次の235万人というのが、東ヨーロッパからアメリカに渡って来たユダヤ人の数。一番下の数がアフリカとアジアです。15万人。1953年が入っていますから、戦後ですから、アジアとかアフリカからのユダヤ人のアメリカへの移動があったと思いますが、圧倒的に多いのがやはり東ヨーロッパですね。次に、ドイツとイギリスという数字になります。 |
| 質 問 | 先生はイスラエルに何年もおられたというので、ユダヤの人が日本人をどう見ているかを教えてください。私は証券系の国際金融の担当をしていまして、ロンドンで仕事をしたときに、ほとんど相手はユダヤ系の銀行だったんですね。その経験では、非常にスムーズで、うまく仕事ができたのです。さっきの表を見ますと、アジアでまともにユダヤ人が住んでいるのは日本だけですよね。だから印象としては、ユダヤの人も、日本は、やりやすい民族と思っているのでしょうか。先生が最初に日本人は偏見がないと言われましたが、どうなんでしょうか。 |
| 講 師 | 世代によっても違うと思うんですが、1つの例として、ヘブライ大学に日本研究者で有名な、ベン・アミー・シロニーという日本学の先生がいまして、この方の授業は見たことはないんですが、ヘブライ大学で一番人気がある。日本の歴史と文化を講義している方ですが、この人はジョークも上手だし、日本によく来て日本の事情をご存じで、日本の右翼の研究、天皇の研究をされているんですが、その方からよく聞く話としては、日本人というか、東洋に対する関心がイスラエル人には強いと。若い人の間にですね。 ユダヤ人は男性も女性も兵役があって、高校を卒業してから男性が3年、女性も2年間兵役をやります。兵役が終わったあとにある種の精神的なゆとりを取り戻すために、彼らが行くのは東南アジアとかチベットとか、ネパールとかですね。その流れで日本にもやって来ると。彼らのアジアに対する関心は非常に高いものがある。それから、日本に関しては、さらに古い文化とハイテクが結びついている国ということで。ユダヤ人も古い伝統と、一方ではハイテク技術というのがありますから、その共通点をどこかで感じているんじゃないか。 それからもう一つは、近代化をして成功したアジアの国として日本というのは唯一の国だと思うのです。ユダヤ人は、ヨーロッパの白人社会に対してアウトサイダーであって、それでもヨーロッパに伍して戦っているという意味では、日本にある種の親近感を持っているのではないかと察せられます。そういうことを私も聞いています。実際イスラエルにいたときもアジアに対する関心というか、東洋系に対しては非常に関心を示しています。私が行ったときにちょうどブルース・リーの映画がはやっていたので、私の顔を見ると子どもだけじゃなくて大人まで指さして「ブルース・リー」「ブルース・リー」と言われて(笑)、それで仲良くなったということもあるんですが、そういうことも含めて、比較的東洋には親近感を持っていたという感じがします。 |
| 質 問 | 先生は日本についてどういう質問を受けましたか。 |
| 講 師 | 一般の人はブルース・リー以上の関心はあまりないんですね(笑)。私が比較的親しくなったユダヤ系イスラエル人はスファラディ系といって、かつてスペインから追放されたユダヤ人の子孫で、ヨーロッパ系とは違った意味で、教養のある階層の人たちです。イラク、シリア、エジプト、モロッコなどから来た人の中でも、かなり知的な人がいます。そういう人は、日本という国がどういう宗教で出来ているかとか、ユダヤ教徒との日常生活の違いはどういうものかとか、歴史についての質問をします。 ある種の知的な人たちは、日本を非常に興味を持って見てくれています。歌舞伎とか、生け花とか、文化的なことは言葉でも聞いている。私が知り合った人は、たまたま建築家だったものですから、日本の建築にすごく関心があって、ヨーロッパを通して日本の古い建物として知られている桂離宮とか、そういうものだけじゃなくて、近代建築で非常に関心を引くようなものがあるといって、私が知らないものをずいぶん教えてもらいました。 |
| 質 問 | 日本の宗教はどういう宗教だと訊かれて、どう答えられましたか(笑)。 |
| 講 師 | 実はその頃はあまり日本のことを言葉でうまく説明できなかったものですから、むしろ帰って来てから勉強したという感じなんです。私は神道と仏教が混ざった宗教というふうに日本のことは言っていました。私が非常にショックだったのは、私の指導教授だった人の家にゼミで2週に一遍ぐらいお宅に招かれた。招かれたというか、お宅でゼミをする先生だったものですから。そこには、ほんとうに仲のいい先生とか学生、院生から、大学院を卒業した人たちが10人位集まって、非常に和やかな雰囲気だったのですが、その人たちはもう聖書を見ないのです。暗記してしまっているんですね。やはりすごいなという感じがしました。私自身は大学に入ってから聖書に関心が生まれて、少しずつコツコツ、ヘブライ語をやってはいたのですが、伝統の重みというか、途中で勉強を始めたのではとうてい追いつかないな、という感じがしました。タルムードを暗記している人がいるくらいですので、若いときからやらなければだめだという感じがしました。その中の1人で、新約聖書研究の教授がいて、その人は非常に勝気な人で、私の顔を見て「アジア人だ。アジアは仏教だ」というのですね。「私だって仏教を知ってるぞ」と言って、私が何も訊かないのに向こうから、「仏教にはテーラバーダとマーハーヤナというのがあって、テーラバーダは東南アジアに広がって、マーハーヤナは東アジアより北の方に広がったんだ」というような話をしてくれたんです。私はそういう仏教史の認識はぜんぜん持っていませんでした。日本のいまの仏教は戒律がない仏教ですから、ないと言ってはちょっと言い過ぎですが。つまり大乗仏教では小乗のことを低く見たり、けなすわけです。しかし、テーラバーダ仏教というものの最も重要な基本は戒律にあるわけですから、そこから仏教をちゃんと見なきゃいけないんだということをイスラエル人に教わったところがありました。その後、帰って来て一生懸命論文を読んだり、仏典を読んだりして、なんとか日本人の宗教のことを自分なりに理解するように努めてきました。 |
| 質 問 | ユダヤ民族が迫害される原因がいまひとつよく分からないんですが、先生が最初におっしゃったようにキリストを殺したからとか、職業柄金融に関係したとか、あこぎな事をしているからなのか。どうなんでしょうか。キリスト教からすると、ユダヤ教はアウトローですからユダヤ教を差別するのは分かるんですけど、民族そのものが差別されるのはどういう理由なのか、お訊きしたい。 |
| 講 師 | まず民族と宗教に分けるのは、近代になってからです。特にきょうお話したように、ジューダーイズムは、あるときは宗教、あるときは民族と言われるわけですね。これはべつにユダヤ人が決めることじゃなくて、それぞれの社会の、そのときどきの宗教概念などと関係しています。宗教と民族は一体になっていると考えていいと思います。もともとユダヤ人はヨーロッパ人から見れば、民族としても違うし、宗教としても違うわけですね。しかも、本来ならば新しい本当の教えが生まれたのに、それを信じない人、頑な人、それでいてキリストを殺したということですね。神を殺したということ。 それから、民族が違う、生活習慣が違う人、よそ者が自分たちの中にいる。そしてけっこうお金儲けをしている。いい身分でもあると。そういうことが妬みを買うことが往々にしてあったと思うんです。だから、私は基本的には妬みじゃないかと思っています。 |
| 質 問 | ユダヤ人の中でもユダヤ教じゃない人がいっぱいいるわけですね。 |
| 講 師 | それは少ないです。ユダヤ教でないユダヤ人というのは非常に少ないです。ただユダヤ教徒ではなく、私はセキュラーだという人、宗教を信じないという人はたくさんいます。けれども意識的に他の宗教に入る例は少ないです。 |
| 質 問 | キリスト教に改宗するとか。 |
| 講 師 | 一時的には、19世紀のヨーロッパ社会にユダヤ人が入っていったときに、必要に迫られてキリスト教に改宗した人もいたし、キリスト教の方が優れているんじゃないかと思って入った人もいました。特に19世紀から20世紀に掛けてヨーロッパでキリスト教に改宗したユダヤ人がかなりいたと思います。 しかし、その後、ユダヤ人は民族だといって迫害されるので、そのときに初めて「自分はユダヤ人だ」と自覚する人がかなりいた。たとえばアルノルト・シェーンベルクという作曲家がいますが、あの人は最初はキリスト教に非常に近い位置にいたと思います。ところが、ナチスが出てきてユダヤ人に対する迫害が強まったときに、ユダヤ教徒である自分を自覚するということがあって、そこから「モーゼとアロン」とか、ユダヤ教の伝統に戻っていく。これは一つの例ですが、そういう人はたくさんいたと思いますね。 |
| 質 問 | ユダヤ人であるという、あるいはユダヤ民族であるということは名前かなんかで分かるんですか。 |
| 講 師 | 分かると言われていますね。 |
| 質 問 | 名前とか生活習慣がユダヤ人でも、熱心なユダヤ教徒でないユダヤ人がいるのでしょうか。 |
| 講 師 | たとえば、アメリカ合衆国にはセキュラーなユダヤ人がたくさんいます。イスラエルのユダヤ人から見たアメリカのユダヤ人の問題点は、他の宗教の他の民族と結婚してしまい、外見上分からなくなっているということ。だから、生まれた子どもでもユダヤ人と言えない場合が出てきている。そのようにアメリカ文化に同化している人がたくさんいることを非常に心配しているわけですね。イスラエルにいるとそう思うのかもしれませんが、アメリカの側からいうと、それだけ非ユダヤ人の世界にユダヤ人が広まっている、特に結婚を通して広まっているということなんです。それではユダヤ教的な、ユダヤ的な文化とか生活は果たして残っているかというと、それは分からない場合もあります。それを嫌う人たちがいますので、完全にユダヤ的な生活を否定して、「ユダヤ人でない」と思い込んでいる人もいます。それはべつに自覚の問題として、「宗教は自由なものだ。個人的な問題だ」とアメリカでは言われていますから、外見上分からない場合が多いかもしれません。 |
| 質 問 | 日本でときどきユダヤ人脅威論みたいなことが言われて、世界的な影響がどうなるとか、本を書いている人がいますが、先生はその話についてはどう思われますか。 |
| 講 師 | 困った人がいるというのは、こういうことです。全部うそであれば人は信じないけれども、幾つかの真実の中にうそが入ってると信じてしまうということがあります。そういう要素がかなりあるんじゃないかと私は危惧しています。ただ、私よりもその人の方が知識があったりしますので(笑)。私も考えがつかない場合もあるので、これは難しい問題ですね。 ユダヤ系の学者でも言う人がいますが、よく言われる陰謀説のなかに、かつてカスピ海の辺りにハザールという民族がいたという話があります。この民族は元来ユダヤ民族と関係なかったのですけど、中世のときに、「キリスト教とユダヤ教とイスラム教のどれが一番優れているか。一番優れている宗教を自分たちの宗教にしよう」と言って、その結果、ユダヤ教を国の宗教にしました。ところがこの民族がその後、跡形もなく消えてしまったのですね。それで一部の人は、この民族こそがヨーロッパから来た今のドイツ系、ポーランド系、あるいはアメリカ系の世界を金融で牛耳っている人たちの先祖ではないかと。彼らはユダヤ人と血がつながっていないと。 血のつながっている昔からの民族のことをユダヤ民族というのであって、改宗してユダヤ教になったのは偽だという。その偽のユダヤ人が陰謀を企んでいる(笑)。そういう発想なんですね。それが世界をすべて動かしてるという。 これには、ハザールの歴史的な問題と、ユダヤ教徒は果たして血縁のみの宗教なのかという二つの問題があるのですが、ハザールに関しては、残念ながら、アメリカにもたくさん移住していた東ヨーロッパ系のユダヤ人が喋っていた言葉、イディッシュ語といいますが、その言語の中に、ハザールが起源とされるような痕跡が何もない。普通、言語はなかなか失われないものですから、もし先祖がハザールであれば、ハザール語が残っているはずだ。ところが、その跡形がぜんぜんないということは、ハザールの末裔とは違うのではないかと考えられます。 スラブ系とか東ヨーロッパの言語は、スラヴ語系やドイツ語系なので、ドイツの方から移っていった、そこで混ざっていったと考える方が歴史的には筋が通っているのではないかというのが大方の意見です。 もう一つの「偽ユダヤ人じゃないか」ということですが、ユダヤ教徒は初めから改宗を認めた宗教です。男の子が生まれると8日目に割礼するのですが、ある割礼式で、ラビが、「生まれただけではユダヤ教徒ではない」と説教するのを聞いたことがあります。これは確かにそうであり、8日目に割礼をした段階で初めてユダヤ人がユダヤ教徒になる。ユダヤ人コミュニティーに入るということです。 キリスト教で幼児洗礼といって、生まれたままではクリスチャンではないけども、赤ん坊で洗礼を受けて初めてキリスト教の社会に入っていくのと構造的には同じなんです。 ですから、ユダヤ教も決して血のつながりだけでつながっている宗教ではなくて、改宗を認めた宗教である。ですから、キリスト教が出てくる前、ユダヤ教に改宗したいという人たちがたくさんいたのですね。これは新約聖書にも書いてあることです。だから、そういう意味では、ユダヤ教が広がっているのは、決して民族、血のつながりだけでなくて、「いろんな新しい血を入れたからである」という考えがありますので、偽とか真とか言う区別は、実際ないことになります。その人たちが陰謀を企んだかどうかという非難は、これはまた別の問題なんですが、ソ連とかロシアの中で、ユダヤ人に対する憎悪から起こっていることでもあります。実際、世界的にユダヤ人がいると、当然金融のつながりとか、貿易のつながりとか、情報のつながりとかというのがあるわけですね。そういう意味では非常に優位な立場にあるわけです。それを悪意にとって、陰謀だと考える人が出てくることもあり得ると思います。それは解釈の違いかもしれませんね。 |
市川 裕
東京大学教授。専攻は、聖書とユダヤ教。
1976年、東京大学法学部を卒業後、宗教学の大学院で旧約聖書を学ぶが、イエス時代のユダヤ教に強く惹かれたため、エルサレムのヘブライ大学に留学し、いわゆる律法研究に取り組む。現地のシナゴーグで毎朝の礼拝を経験し感銘を受けた。
主著『ユダヤ教の精神構造』東大出版会2004。