なぜイスラムは近代とヨーロッパに反発するのか

 

講師 一橋大大学院教授

加藤 博 

平成17年9月13日 於:如水会館

【無断転記転載を禁ず】

社団法人 如 水 会

責任編集

 




◆内容目次

はじめに

基調講演を始めるにあたって

第1章 イスラムをめぐるイデオロギー事情

(1)21世紀におけるイスラム

イスラム教徒の人口推移

イスラムの世界におけるアジアのウエイト

世界の人口の4分の1がイスラム教徒

キリスト教とイスラムの世界的な対峙

「文明の衝突」

「文明の衝突」への反論

イスラムへの高い評価

(2) イスラムと原理主義

世界新秩序とイスラム

チョムスキーのアメリカ文明批判

ユダヤ教、キリスト教、イスラムと続く一神教

原理主義を理解していない日本人

原理主義が浸透するアメリカとヨーロッパ

原理主義の定義

(3) イスラムと報道

歴史の中のイスラム世界

イスラム王朝が支配するユーラシア大陸

島国でイスラムと離れていた日本

オリエンタリズム

サイードのイスラム報道批判

イラク戦争における報道合戦

日本人独自のイスラム観が必要

(4) なぜイスラムは近代とヨーロッパに反発するのか ― トラウマとしての「近代」

イスラム教徒のトラウマ

第2章 イスラムとグローバリズム

(1) 新しい冷戦の時代?

祭政一致と政教分離

(2) イスラムと近代化

世界政治からみたイスラム世界

80年前のイスラム教徒の屈辱と恥辱

人工国家のイラク

原理主義と近代主義

近代化と西欧化

近代化を拒否する原理主義

(3) イスラムとグローバル化

イスラム主義

フランクフルト学派のイスラム主義解釈

アンチグローバリズム

時代が要請するイスラムの柔軟性

(4) 原風景としての「近代」

質疑応答

講師略歴


はじめに

 いまご紹介にあずかりました加藤です。始める前に一言私的なことを申し上げます。私の学生時代のことを思い出すと、一橋大学関係の行事でイスラムを取り上げる機会が作られ、私が基調講演と総括を行うようなことは考えられませんでしたので、非常に感慨深く思っています。私の先生はインド経済史の深沢宏先生でして、先生はこよなくインドを愛され、亡くなられたときにはインドの新聞にも訃報が載るぐらいの先生でした。54歳の若さで亡くなられました。

 その深沢先生の先生が村松祐次先生で、これまた学長代行までされた世界的に有名な中国経済の先生でした。このお二人は、今もって我々の世代においても、中国研究やインド研究においてはその名前が必ず出てくる大先生です。しかし、大先生が必ずしも自分の専門分野の弟子を持つことにはならないのが世の常のようで、村松先生のお弟子さんはインド史の深沢宏先生であり、深沢宏先生の弟子が私で、西アジアです。そのように、どんどん専門が西のほうに移っています。地球は丸いので、そのうち東のほうに戻ってくるのではないかと冗談半分に思っています。

 私が学部の学生の頃には、一橋大学には立派な経済史・経済事情を専攻する先生が大勢おられましたけれども、中東についての先生はおられませんでした。アラビア語など中東の言語講座は設けられておらず、全部独学でやらなければいけない状態でした。ただ私が一橋大学にいて幸せだなと思ったのは、その当時の村松先生や深沢先生はもちろんですけれども、その他のヨーロッパ史の先生たちもこぞって、「これからは中東、特にイスラムという宗教は決定的に重要な意味を持つようになる」という認識を持っておられたことです。そのため「中東やイスラムを専攻する研究者が一橋の中にいてほしい」と仰っておられました。

 私がその期待に応えられているかどうかはともかくとして、一橋大学は非常に世帯の小さな、共同体的な大学です。教員の人数が限られているため、専門分野の異なる多くの教員がいるわけではありません。しかし、それぞれの先生の専攻は中国や、インドや、東南アジアや、ヨーロッパであっても、問題関心を広く持って、自分の専攻する地域や国以外の世界で生じている事件に興味を持っておられました。そのため、当時の一橋大学には、「日本で最も足りない研究領域の一つがイスラム世界研究である」ということをよく理解されていた偉い先生が多くいたのです。このことが、私のような人間が曲がりなりにも、ここまで来られた最大の理由だと思っています。その一橋大学のOB会の如水会が、このようにイスラムを正面から取り上げる講演会を企画してくれたということは、私にとってありがたく、名誉なことだと思っております。

基調講演を始めるにあたって

 さて、今日は基調講演ということですが、このフォーラムで講演をなさる先生方は、何を基調にすればいいのかよく分からないほど、専門も問題関心も、分析視角も、多様です。これらの先生方は、アカデミズム、外交、民間の企業と、働く場は違えども、イスラムやイスラム世界について一家言を持っておられます。おそらく、これほど充実したラインナップはそうないのではないかと思われます。

 イスラムは時間的にも空間的にも非常に多様に展開しており、同じイスラムといっても地域によって、あるいは領域によって様々な形をとっています。したがって、それぞれ一流の話ではあれ、先生方の講演において、多くの相反する意見に出くわすであろうと想像されます。そこで、この一連の講義が役に立つか否かは、聴き手の皆様がどれだけそうした違った形での発言を吸収し、自分なりにイスラム問題の核心をまとめ上げていけるかという、皆様の理解能力にかかっているのではないかという気がします(笑)。

 というわけですから、是非とも勉強をしてください。先生方は様々な地域、領域について、これから講義をなされます。今日、私は、最近イスラムについて私的に考えていることを話させていただくわけですが、少々理屈っぽい話になると思います。学者風の話となって、分かりづらいこともあろうかと思います。この点は、次回以降の先生たち講義で補ったり、敷衍したりしていただきたいと思っています。

 以上、長い前置きになりましたけれども、資料に基づいて、私の話を進めたいと思います。今日お配りした資料は、8月24日にエジプトへ調査旅行に発つ直前に、あわてふためいて事務のほうにメールで送ったものです。帰国したのが一昨日、9月11日でして、もう少し整理した形でお話ができるかと思っていたのですが、結局はあまり整理できないまま、先に旅立つ前に準備した資料に基づいて話を進めていくことにします。


第1章 イスラムをめぐるイデオロギー事情

(1) 21世紀におけるイスラム

イスラム教徒の人口推移

 お配りした資料(スライド)は少し見づらいかもしれませんが、この2つの統計資料から、私の話を始めようと思います。これは21世紀の人口動態に関して、世界の現実の一端を示す統計です。左側の表は、2000年現在と20年後の2025年における世界人口に占めるイスラム教徒の数を示しています。2000年時点で、世界のイスラム教徒数は約13億で、世界の総人口の約21%と推計されています。しかし、それから25年後、21世紀も四半世紀を過ぎた2025年には、イスラム教徒数は約20億で、世界の総人口の約25%になると予想されています。つまり世界の人口の4人に1人がイスラム教徒になるという勘定になります。これは私の友人の人口統計学者が推計したもので、現在の人口増加率を基準にしてシミュレートした数値です。

イスラムの世界におけるアジアのウエイト

 この統計資料からだけでも、いろいろなことが分かります。その1つが、世界におけるイスラム教徒の分布です。この表にある、南部中央アジアという言い方は非常に曖昧で、インド世界の南部アジアと中央アジア世界とはハッキリ分けて人口統計をとったほうがいいと思いますが、ともかく、この南部中央アジアに、イスラム教徒人口の40.2%が住んでいる。ついで、イスラム教徒人口の16.2%が東南アジアに住んでいます。

 このことから分かるように、イスラムの世界の人口分布に関して留意すべきことは、イスラムというとすぐに中東やアラブと考えられますが、多くのイスラム教徒が住んでいるのは、既に現在においても、南アジアや東南アジアだということです。したがって、現在まではイスラム研究というとアラブ研究が主流でしたが、恐らく21世紀のイスラム研究の中心はどんどん東に移っていき、インドや東南アジアのイスラムやイスラム教徒に関する研究が大きな意味を占めてくるであろうと思います。

 このアジアへのシフトは、世界政治経済の領域においても同じです。とりわけ、このことは、日本にとって重要な意味を持ちます。労働力の輸入を中心に、日本の社会において、南アジア、東南アジアとの付き合いは今後ますます緊密になっていくからです。その結果、イスラム問題が国内問題としても重要になってくるであろうと、容易に予想されます。

世界の人口の4分の1がイスラム教徒

 もう1つ、この統計資料から読み取れる重要なことは、2025年には世界人口の4分の1がイスラム教徒になるという事実です。そして残りの4人に1人が中国人、インド人ということになります。麻雀のプレーヤーにたとえると、ジャン卓の4つの椅子の3つに座るのは、中国人、インド人、イスラム教徒となります。そして残りの1つの椅子に、日本を含めたその他の人々が座るということになります。これは人口動態から見た21世紀の世界の現実であり、21世紀の世界を考えるとき、まず念頭に置かねばならない事実です。

 次に右側の統計数値ですが、これはキリスト教徒との比較におけるイスラム教徒の数です。2000年現在、キリスト教徒とイスラム教徒が世界の総人口に占める割合は、それぞれ約30%、約19%と推定されています。これに対して、今から20年後の2025年には、キリスト教徒が約25%、イスラム教徒が約30%になると予想されているのです。つまり、キリスト教徒のイスラム教徒に対する数的な優位は、20年後には逆転すると考えられているわけです。

キリスト教とイスラムの世界的な対峙

 この数的な優位の逆転は、日本人にとってはさしたる意味を持ちません。キリスト教が多いとか、イスラム教徒が多いとかいうことは、日本とは直接関係ない対岸の火事のように思えるからです。しかし、欧米の人々にとっては、決してそうではありません。19世紀の近代から今日まで世界をリードしてきたのは、疑いもなく欧米でした。その背景には、彼らの圧倒的な力の優位がありました。それは政治、軍事、経済、文化のすべての領域に及んでいましたが、彼らの自信の源には、自分たちの宗教であるキリスト教が普遍性を持っているという確信と、キリスト教の現実における世界規模での普及があったのです。それがいまやイスラムの拡張の前に脅かされようとしているわけです。

 資料の「文章1」を見てください。

 「21世紀は、ふたつの主要なかつ急激に増大しつつある世界宗教、キリスト教とイスラームの世界的な対峙と、西洋とそれ以外の地域との間の関係を緊張させるグローバリゼーションの威圧によって支配されるであろう」

 これはアメリカのジョージタウン大学教授で、「ムスリム・クリスチャン相互理解センター」の設立委員長ジョン・エスポイズィートの言葉です。このセンターは、イスラム教徒とキリスト教徒との間の相互理解を図ろうという目的で設立されました。彼は現在イスラム問題において最も影響力のある学者の一人です。

 その彼が、21世紀はキリスト教とイスラムの対峙の時代となるだろうと言っているわけです。ここでのキリスト教は、欧米とほとんど同義と考えられます。それゆえに、彼は、「21世紀は西洋とそれ以外の地域との間の緊張関係に支配される時代でもある」と述べています。彼は「ムスリム・クリスチャン相互理解センター」の設立委員長であったことが示すように、西洋とイスラムとの対立を強調するような「文明の衝突」論者ではありません。

「文明の衝突」

 この「文明の衝突」という議論は、ここにおられる方はほとんどご存じだと思いますので説明する必要もないでしょうが、アメリカのハーバード大学の政治学教授サミエル・ハンティントンが提起した議論で、その骨子は次のようなものでした。

 冷戦後の世界では、自由主義とか社会主義とかのイデオロギーではなく、宗教を核とした文明の帰属意識、難しい言葉で言えばアイデンティティによって統合や分裂のパターンがつくられつつある。世界に普遍的な文明が生まれるというのは楽天的な幻想であり、西洋のリベラルな民主主義を普遍的なものと思うのは西洋の考え方にしか過ぎない。他の文明圏から見れば、それは文化帝国主義、つまり西洋の考えの押しつけと見られる。とりわけ東アジアの経済成長とイスラム世界の人口急増によって、中国文明とイスラム文明の勢力が拡大し、儒教・イスラムコネクションも予想される。

 最近ハンティントンはこうした儒教とイスラムの共謀という議論を取り下げましたけれども、初期の論文においては、具体的に中国とイランおよびパキスタンの連合が想定されていました。それが西洋に敵対し、今後の世界は、西洋対非西洋という対立の構図になるという議論でした。この議論の中で西洋に敵対する勢力としてとりわけ強調されているのがイスラムでした。この議論は、少し考えれば馬鹿馬鹿しいほど単純なものなのですが、日本を含め、世界中において、いたくもてはやされました。同時平行的に展開しているテロを含む過激なイスラム政治運動の動向がこの議論を後押しし、何となく説得力のあるものにしたからです。

「文明の衝突」への反論

 エスポズィートという人はこの文明の衝突の議論に批判的な研究者です。しかし、その彼でさえ、21世紀はキリスト教とイスラムの対峙の時代となるであろうと主張しています。しかし、欧米の論者すべてが文明の衝突論を支持しているかというと、決してそうではありません。ヨーロッパで地中海を挟んで歴史上イスラムと深く関係してきたフランス等においては、また違ったイスラム観が見られます。そうしたイスラム観については、幾つでも紹介できますが、あまり紹介しても時間ばかりかかりますので、1人だけフランスのミッテラン大統領時代にフランス政府の政治顧問も務めたこともある、国立理工科大学の経済学教授ジャック・アタリの見解を紹介します。

 少し長い文章ですけれども読ませてもらいます。この文章は、彼が執筆した『21世紀事典』という著書の中での「イスラム」という項目での文章です。

 イスラム、それは1つの文明であって、帝国ではない。世界の最大の宗教であり、2050年には20億の信徒を持つことになる。それは中心も統一された教説も持たない。なぜならば、信者の共同体が忠誠を守っているのは、そのグループに対してであり、一切の権力に対してではないからである。この宗教にとって、国民という観念は無縁である。イスラムはそれが包み込んだ様々な文明の中で形づくられたものであるため、地域的な相違が生じる。ヨーロッパのイスラム、アフリカの様々なイスラム、東アジア、南アジア、中央アジア、中東のイスラム等である。イスラム、少なくともイランとパキスタンと中国の間の西洋に対決する連合という想定はまずあり得ない。・・・イスラムは不寛容の衣を脱ぎ捨てて、科学、宣伝、優雅の基礎を生んだ文明の1つを築いた天才的なひらめきに立ち戻ることになるだろう。イスラムは世界を発展させる力強い推進力となるだろう。砂漠の中で生まれた価値観は、他のものよりも深くノマディズム(その意味は放浪だとか遊牧、とにかく「動く」という意味です)の再定義に貢献することになろう。

イスラムへの高い評価

 これは我々イスラム研究者にとっても、イスラムに対する信じられないほど高い評価の言葉であり、文明の衝突論とはまったく対極にあるイスラム観です。アタリがこの文章の中で、「イスラム、少なくともイランとパキスタンと中国との間の西洋に対決する連合という想定はまずあり得ない」と述べたのは、明らかに文明の衝突論におけるハンティントンの「儒教・イスラムコネクション」への反論を意図していました。

 彼がノマディズム、文字通りには先程説明したように放浪生活や遊牧生活に言及したのも、イスラムを現在の国際秩序の攪乱要因としてではなくて、すべてが国境を超えて流動化するこれからのグローバリゼーションの時代に最も適合的なイデオロギーであると高く評価するからです。

 当たり前のことですけれども、欧米の人々のイスラムへの見方はこのように多様です。しかし、イスラムに対して否定的であろうが肯定的であろうが、欧米の人々にとって、イスラムはこれまで気になる存在でしたし、今もそうなのです。それは目の上のたんこぶと言ってもよいかもしれません。

 この点は、立場を逆転させて、イスラム世界の人々が欧米社会に対して抱く見方や感情を取り上げても同じことが言えます。欧米とイスラム世界との間の長い愛憎半ばする関係の歴史が、こうした両者の感情的わだかまりを生み出してしまったわけです。我々日本人はこの歴史にほとんど関与してこなかったため、彼らの感情的なわだかまりを容易に理解することはできません。しかし、我々がイスラム問題に取り組むとき、まず留意すべきは、これまで欧米とイスラム世界との間には、こうした錯綜した複雑な歴史の展開があったという事実です。こうした事実が、文明の衝突論者ではないエスポズィートの言葉のちょっとした表現の中にも出てきてしまうのです。そして21世紀の世界を、キリスト教とイスラムとの対峙の時代として説明する歴史観を知らず知らずのうちに持ってしまったものと考えられます。

(2) イスラムと原理主義

 次に「イスラムと原理主義」に移ろうと思います。ともかく先に指摘した人口動態に関する2つの数値は、中国人やインド人と並んでイスラム教徒の動向が21世紀の世界にとって大きな意味をもつことを端的に示しています。地球が運命共同体としての船にたとえられて既に久しいわけですが、ますます狭くなる世界において、我々日本人も、好むと好まざるとにかかわらず、確実にイスラムという宗教と向かい合わねばならない時代になっていると思います。

 しかし、そのイスラムを巡る政治状況は、20世紀末における東西冷戦体制の終焉後、21世紀初頭の現在に至って、超大国アメリカの一極体制の下で、出口の見えない袋小路に入り込んでしまったように見えます。東西冷戦体制の終焉直後には、米ソ2極支配に代わる多極支配の下での新しい国際政治秩序の出現が期待されました。しかし、この期待はすぐに裏切られました。体制崩壊によって現れたのは、それまで抑えられてきた民族、宗教意識の爆発であり、民族の浄化に象徴される排他的な原理主義と、それに基づく地域紛争の多発だったからです。

世界新秩序とイスラム

 こうした状況にあって、新しい国際政治秩序をつくり出せる主体は、唯一の超大国アメリカしかありませんでした。こうして圧倒的な政治力、軍事力、経済力を背景に、アメリカは世界新秩序を目指すことになります。そのキーワードは「セキュリティ」、つまり治安でした。その中でイスラムが国際秩序を攪乱する敵役としてやり玉に上がっていきます。それには詳細な分析を必要とする複雑な過程があります。私の講義では扱いませんけれども、それは先に指摘した欧米の屈折したイスラム観と、現代の火薬庫である中東の国際情勢、とりわけパレスチナ・イスラエル問題の展開と深く結びついていたことだけは指摘しておきたいと思います。その複雑な過程の詳細については、これ以後の一連の講義の先生方の話によって徐々に明らかになっていくものと思います。

 その中で、2001年9月11日の同時多発テロは、イスラムを異常なほど国際政治の舞台に、それも誠に不幸なことに、テロを介してセキュリティとイスラムを結び付けるというネガティブな形で引き上げることになりました。

 確かにテロをも辞さない過激な政治運動は現実に多発しています。そして、その多くがイスラム原理主義者の仕業とされています。それはそうかもしれないですが、テロを短絡的に特定の民族や宗教と結び付けることができないのは誰でも分かることだと思います。これについては配布資料の「文章2」を見てください。

チョムスキーのアメリカ文明批判

 これはノーム・チョムスキーという、現代における天才的な言語学者であるとともに、現代アメリカ文明に対するラディカルな批評家としても有名な研究者の言葉です。これはイタリアの雑誌に載ったものから翻訳されました。その中の一部ですが、イタリア人の記者と思われる人が次のように質問します。

 質問「アラブ人は、定義上、必然的に原理主義者ですが、西側の新たなる敵でしょうか?」

 それに対してノーム・チョムスキーは次のように答えます。

 答「もちろん違う。まず第一に、ひとかけらでも理性を持った人ならアラブ人を"原理主義者"などとは定義しない。第二に、米国と西側は一般に宗教的な原理主義自体に何ら反対はしていない。事実、米国は世界における、最も過激な宗教的原理主義文化の一つなのだ。国ではなく、大衆文化が」

 と答えています。この文章に見られるアラブ人をイスラム教徒と置き換えても、文意はまったく変わりません。現在においては、日本人にはアラブ人というよりも、イスラム教徒と言い換えたほうが分かりやすい質疑応答かとも思います。

 ともかく、この質疑応答はいろいろな点で誠に興味深い。まずその無神経さですが、「アラブ人は定義上必然的に原理主義者ですか?」という質問は、アラブ人と日常的に顔を合わせているイタリア人の質問とは思えない。国際感覚の欠如を指摘される我々日本人でも、ここまで頓珍漢な質問をする人物は恐らく稀だと思います。

ユダヤ教、キリスト教、イスラムと続く一神教

 次いでチョムスキーが「米国と西側は一般に宗教的な原理主義自体に何ら反対はしていない」と述べている点が重要です。これはまったく正しい指摘ですけれども、日本人はその意味をとらえかねて、狐につままれたような気にさせられる答えだと思います。それはなぜかというと、日本人はユダヤ教、キリスト教、イスラムと続く一神教の伝統の中で、イスラムをユダヤ教とキリスト教の兄弟の宗教として理解する習慣がないからです。そしてイスラムを特殊で特異な宗教とみなしがちです。

 この3つの一神教の関係については、私の次に講義する市川氏がその専門ですので、この点について解説があると思います。この3つの宗教がいかに近い兄弟の宗教であるかということは、そこで詳しく解説されるものと思います。

 ともかく、欧米やイスラム世界にあっては、文明の背後には宗教があると考えますが、その宗教とはもっぱらユダヤ教、キリスト教、イスラムという一神教なのです。仏教やヒンドゥー教、さらにそれが宗教であるならば儒教も含めて、その他の宗教は忘れられがちです。つまり彼らの伝統的な宗教・文明観は、3つの一神教を軸に構成されているわけです。

原理主義を理解していない日本人

 ところが日本人の間では、こうした宗教・文明観の伝統がないため、20世紀末におけるイスラムの復興という宗教の回帰現象を、イスラム以外の他の一神教との比較の中で理解しようとする発想がない。その結果、日本人は宗教的な原理主義をイスラムの専売特許と考えがちです。ところが、現実には、宗教への回帰現象は他の宗教においても同じく見られます。そこで、米国や西側では、「一般に宗教的な原理主義自体には何ら反対していない」というチョムスキーの言葉になるわけです。

原理主義が浸透するアメリカとヨーロッパ

 アメリカにおいてもヨーロッパにおいても、原理主義は政治に、さらには日常生活に深く浸透しつつあり、その点ではまったくイスラム世界と同じです。チョムスキーはそのことを的確に指摘しているわけです。ということになれば、欧米において、原理主義自体を否定すれば自分の社会のあり方を否定することになるのですから、人々はそんな馬鹿なことはしません。結局、イスラムは原理主義的であるから批判されているのではありません。テロを行うイスラムについて批判はなされます。しかし、原理主義だからイスラムが批判されているわけではないのです。

 この点の理解は実に重要なことです。米国や西側は、原理主義だからイスラムを批判しているのではないということを理解するのは、現在のイスラムを巡る諸問題を考える際に決定的に重要です。このことと関連して、チョムスキーは、米国は世界における最も過激な宗教的原理主義文化の1つであるが、それは国ではなく大衆文化においてだと主張しています。この指摘は、チョムスキーの文明批評家としての高い資質をよく示していると思います。

 原理主義は、そもそもはアメリカの超保守的なキリスト教プロテスタントの1セクトを示す言葉として使われました。聖書に書かれていることはすべて現実に起こったことだ、と主張するようなセクトに対してです。そして現在のアメリカ大統領ジョージ・ブッシュの有力な支持母体の1つが、こうした保守的なプロテスタントであることはよく知られています。

原理主義の定義

 恐らくこれからの一連の講義の中でも重要なテーマの一つとして「イスラム原理主義」が扱われると思います。そこで、原理主義について一言述べておきたいと思います。イスラム原理主義については、否定的であるか肯定的であるかを超えて、講師によって、微妙に違うニュアンスをもつ定義が与えられることでしょう。しかし、私はこうした定義のニュアンスの違いにあまり拘泥する必要はないと思います。

 原理主義を、単純に考えて、「理念と現実との間にあって、理念を優先させる政治的立場やスタンス」というぐらいに思っているからです。理念と現実は決して一致しません。これは当たり前のことです。だから、いつの時代、どの社会にも原理主義はあるのです。ただ、その現れ方に違いがあるだけです。この点において、唯一神を核とした信仰体系を持ち、聖典を共有するユダヤ教、キリスト教、イスラムという3つの一神教には、似た原理主義が見られます。

 アラビア語では唯一神のことを「アラー」といいますが、イスラムのみでなく、ユダヤ教とキリスト教の神も、アラビア語訳のバイブルでは「アラー」と呼ばれています。英語の「ザ・ゴッド」がヘブライ語で「ヤーウェ」と呼ばれているように、ユダヤ教の神もキリスト教の神もアラビア語に訳せば「アラー」であり、イスラムの神と同じです。またユダヤ教とキリスト教の旧約、新約の2つの聖書は、コーランとともにイスラムの聖典でもあるのです。ただ旧約、新約の2つの聖書が神について書かれたものであるのに対して、イスラム教徒にとってコーランは神の言葉そのものであり、最良にして最後の聖典であると理解されているのです。

 イスラムとユダヤ教、キリスト教との関係に触れるとキリがないので、この点については市川先生の講義に譲りますが、ただ一言。一神教にとっての宗教への回帰とは、改めて原理主義を主張することであり、それは、この世の創造主である神の存在と、聖典に基づく人間の生きざまを確認する行為だということです。以上を念頭において、これからの「イスラム原理主義」についての講義を聞いてもらえたらと思います。

(3) イスラムと報道

 次に「イスラムと報道」というタイトルで、我々日本人のイスラムに対する見方を振り返ってみたいと思います。

歴史の中のイスラム世界

 日本はこれまでの歴史において、幸か不幸か、イスラムという宗教と深く相対する経験を持たないできました。それは、基本的には、日本が極東の島国としてユーラシア大陸における歴史の展開から直接的な影響をこうむることを免れてきたからです。ユーラシア大陸こそイスラムの歴史の舞台だったのです。お配りした「イスラム王朝年表」という資料(スライド)は、よく講義などで使うものです。具体的な地名等の固有名詞を示すためお見せしたので、見づらい点はご容赦していただくとして、この資料をお配りしたのは、7世紀の初めにイスラムという宗教が成立してから現在に至るまでの、イスラム世界の広がりを知ってもらうためです。

 イスラム世界の定義については、ややこしい議論がなされていますが、ここでは単純に、これまでにイスラムを理念とした政治体が支配した地域をイスラム世界と呼ぶならば、この表において、イスラム王朝が成立していた地域がその時代におけるイスラム世界だと言えるでしょう。

イスラム王朝が支配するユーラシア大陸

 この表(スライド)を見ると、一番上の欄外のところに地域の名前が書かれております。一番左がイベリア半島で一番右は東トルキスタンとなっておりますが、これは現在の中国の新彊地区です。すなわち、イベリア半島から中国の西域まで、ユーラシア大陸のほとんどの地域においてイスラム王朝が成立していたのです。

 ユーラシア大陸において、イスラム王朝の支配下に置かれなかったのは、後期ローマ帝国であるビザンツ帝国だとか、南部インドのヒンドゥー文化圏だとか、中国の中核地域だけです。もっとも、中国の場合、元の時代のように、西方・北方の遊牧民文化から大きな影響を受けたので、イスラムからどれほど独立して存在したかは疑問ですが。ともかく、一部の地域を除けば、ユーラシア大陸のほとんどは、イスラム勢力の影響下に置かれました。近代が開始されるまでのユーラシア大陸事情とは、このようなものでした。イスラムの普及は顕著なものがあり、かくてイスラム教徒は、自分たちの歴史に大いなる誇りを持つことになりました。

島国でイスラムと離れていた日本

 ところが、日本はこうしたイスラム勢力が活躍の舞台であったユーラシア大陸から離れた島国として歴史を歩んできました。そのため、イスラムとこれまで直接的に相対することがありませんでした。それは幸せであったのか、不幸せであったのか。しかし、ここへきて、地球規模での社会のグローバル化が進む中で、我々日本人も好むと好まざるとにかかわりなく、イスラムという宗教と向かい合わねばならなくなってきました。このことは国家のレベルにおいても、国民一人ひとりのレベルにおいてもそうです。そして、そのためには、個々のイスラム問題に対処する術を超えた、イスラムという宗教についての我々日本人の見方を確立しなければならないと思います。

 この点に関しては、しばしば日本人のイスラム観は欧米のイスラム観に影響を受けていると言われます。日本におけるイスラムに関する情報の蓄積は薄いので、イスラムについての情報や知識の入手を欧米のチャンネルに頼らざるを得なかったからです。そのため、我々日本人のイスラム観の多くが欧米のイスラム観に負っていることは、紛れもない事実です。

オリエンタリズム

 昨年亡くなったエドワード・サイードという、パレスチナ生まれでアメリカのコロンビア大学で文学を教えていた研究者は、日本人のイスラム観に影響を与えた欧米のイスラム観を、「オリエンタリズム」という名のもとに痛烈に批判しました。オリエンタリズムという言葉は、現在でもよく耳にするので、今日ご出席なさっている方々の多くも聞いたことがあると思いますが、それは、一言で述べれば、西洋の東洋に対する偏向したものの見方です。

 オリエンタリズムというのは本来、西洋が、18世紀以降世界進出に伴って接触することの多くなった東洋への知的関心、それを満たすための学問のことを意味しました。そのため「東洋趣味」だとか「東洋学」等と訳されてきました。

 サイードはこの言葉の意味を拡大解釈して、そこに東洋を鏡とした西洋の自意識の表現方法をみたのです。そこでは、東洋は西洋の自我を映し出す鏡でしかありません。したがって、西洋の自我の影でしかない東洋というのは、その主体性を奪われて、抽象的ないくつかの観念、風俗、制度として現れることになります。

 たとえば、そのような例として、ジハード(聖戦)や、イスラム教徒の男性に許されている4人妻の制度等があります。これらの制度や風俗は、その形成の歴史的な背景やイスラム法上の意味付けをまったく無視され、イスラムがいかに好戦的で好色な性格を持っているかを示す証拠として繰り返し取り上げられることになります。こうした思考パターンをサイードはオリエンタリズムと言って批判したわけです。

サイードのイスラム報道批判

 彼によれば、こうしたヨーロッパのイスラムに対する偏見を作り出すのに力があったのは、イスラム関係についての報道でした。「文章3」は、サイードが死ぬ直前に書いたエッセイの文章です。彼にとってオリエンタリズムのオリエントとは、もっぱらイスラム世界を意味しました。したがって、彼のオリエンタリズム批判は、欧米のイスラム観に対する批判であり、とりわけサイードは、欧米の偏向されたイスラム報道を厳しく批判しました。

 この文章では、混迷するパレスチナ問題について、道義的に見て正しい主張をしているパレスチナ民衆が、なぜ今日のように苦しい立場に置かれるようになったかを自問し、次のように自答しています。読み上げてみますと、

 「イスラエルの過去54年間にわたるパレスチナ人への仕打ちを可能にさせてきたのは、イスラエルの行動を正当化し、その一方でパレスチナ側の行動の価値を貶めて抹消しようとする、慎重かつ科学的に計画されたキャンペーンの成果である」

 これはサイードの死ぬ直前の言葉なので、ちょっと陰謀史観くさい、投げやりで少々ファナティックな文章になっていますが、ここで死の直前にあった彼が自戒を込めて言わんとしたのは、パレスチナ、そしてアラブは、宣伝戦、とりわけその主戦場であるアメリカでの宣伝戦に敗れたということです。というよりは、自らの道義的立場、主義主張の宣伝の重要性にまったく無知であり、無策であったということです。そこで、これまでの過ちは過ちとして、これからは自分たちの道義、ビジョンを広く訴えることに努めようと呼びかけたのが、この文章ということになります。

イラク戦争における報道合戦

 ここでサイードの主張を取り上げたのは、我々がこのサイードの切羽詰まった反省を理解し、その訴えかけに聞く耳を持つことができるかを問うためではありません。異文化理解における報道の重要性を改めて確認したかったからです。

 1990年の湾岸戦争当時と、2003年のイラク戦争当時では、報道環境に決定的な違いが見られます。それはカタールのジャジーラ放送に代表されるアラビア語による現地報道機関が、アラブ中東情勢を報道するようになったということです。その前はCNNを中心としたアメリカ報道機関の独壇場でした。現在ではアラブ中東情勢について、アメリカの報道機関とアラビア語による現地報道機関によるニュースを同時に聞くことができます。また日本の首相がイラクへの自衛隊派遣問題について、ジャジーラ放送に自ら出演して直接その意図を訴えるというようなことも起きるようになりました。

 したがって、徐々にではありますけれども、我々はイスラム報道をアメリカあるいはヨーロッパからだけではなく、他の報道機関、特に現地のアラブ中東の報道機関からも得ることができるようになったのです。自覚的に対応しようとする限り、情報の幅は広がってきています。したがって、これからますます情報戦というか、宣伝戦は活発になっていくものと考えられます。

日本人独自のイスラム観が必要

 このような情報環境の変化は確実に起きています。しかし、それにしても、我々日本人は、依然として中東、イスラム世界についての情報を圧倒的に欧米の報道機関に頼っているということには変わりありません。だからといって、我々のイスラム観が欧米のイスラム観と同じわけではありません。我々は日本人であって、欧米人ではないからです。また、そのほとんどがイスラム教徒でもありません。したがって、我々日本人独自のイスラム観があって然るべきだと思います。

 恐らく戦後の日本の人文科学の分野において最も高く評価されている研究者に、井筒俊彦という慶応大学で長く教えられたイスラム哲学の先生がおられます。彼がなぜ世界に広く受け入れられたかというと、従来イスラムを一神教の枠の中で、ユダヤ教、キリスト教との比較から論じることがほとんどであったなかで、仏教哲学という東洋の哲学との比較のなかで、イスラムの特徴を明らかにしたためです。

 日本人は、今や、こうした研究のレベルのみでなく、実業のレベル、外交のレベル、政治のレベルにおいても、日本独自のイスラム観、イスラム世界観というものを持つべき時にきていると思います。イスラム報道を巡っても、ただただ欧米の、あるいは現地の報道機関の情報を受け身で受け止めるだけでは済まされない時代になっていると思います。

 日本人の多くは、欧米のメディアでのイスラムとテロを結び付ける報道に恐らく首を傾げていると思います。日本人は、その意味では良識的な方々が多いと信じています。しかし、首を傾げながらも、それに納得してしまうのです。過激な政治行動をとるのは、一部の突出したイスラム教徒に過ぎず、またこのような政治行動をとる組織はイスラムに限らず他の宗教にも見られるということを、頭で理解していながらも。実際、我々はイスラムという宗教にある種の違和感を感じとりますが、それはなぜなのか。

 日本人が独自のイスラム観をつくり上げようとするならば、最初になすべき作業はこうした違和感を自分の問題としてとらえ直すことだと思います。ヨーロッパとかアメリカとの比較においてはもちろんですが、それ以上に自分たちの宗教観とか世界観の中でイスラムをしっかりと位置づけるように努力することです。そうしたことがいまほんとうに問われているのだと思います。それが井筒俊彦の研究のように、世界におけるイスラム理解への貢献にもなるのだと、私は思っています。大げさに言えば、そのための思索の材料を与えるのが、このフォーラムの目的です。

(4) なぜイスラムは近代とヨーロッパに反発するのか ― トラウマとしての「近代」

 そこで、「なぜイスラムは近代とヨーロッパに反発するのか」というタイトルで、私のイスラム観、イスラム世界観の一端を述べさせてもらいます。「トラウマとしての近代」というちょっと恰好いい副題がついていますが、私の言いたいことは、この副題に込められています。

 さて、原理主義的な思潮が有力ななか、イスラムはヨーロッパや近代に反対しているように見えます。また多く、そのような報道がなされます。それはイスラムという宗教の本質なのでしょうか。本質であるならば、それは仕方がないことであります。しかし、私は、それがイスラムの本質に基づくものではないと思っています。では、もし本質でないとしたら、なぜイスラムはヨーロッパや近代に反発するようになったのでしょうか。以下、それに関する自分の考えを、政治と宗教との関係に焦点を絞って、述べてみようと思います。そこでのキーワードが「トラウマ」という言葉です。

 「トラウマ」という言葉は精神分析学の言葉です。それは深い心の傷、意識はされない、無意識にその人の心に深く沈潜していく心の傷、心の病のことを指す言葉です。お配りした資料の文章4を読みましょう。

 「最も一般的な定義では、トラウマとは、突然の破壊的出来事を経験して圧倒された状況を指す。トラウマ状態に陥ると、たいていの場合、問題の出来事に対する反応は後になってから現われ、その症状として、幻覚やその他の現象が繰り返し人の精神に割り込んできて、本人には制御できなくなる」

イスラム教徒のトラウマ

 もちろん、ここでは、トラウマという言葉を比喩的な意味に使っています。それは多くのイスラム教徒の近代やヨーロッパに対するこだわりに尋常ならざるものを感じるからです。

 なぜイスラム教徒にとって近代やヨーロッパは繰り返しネガティブな表象としてあらわれることになったのだろうか。そこに我々は日本人には想像できないほど過酷な近現代の歴史と、その過程で刻み込まれたイスラム世界、とりわけ中東の人々の心に深く刻み込まれた傷、つまりトラウマを感じざるを得ません。

 彼らには、いくつもの直視できない過酷な歴史上の事件があります。現代史について言えば、1948年のイスラエルの建国、今の中東和平の出発点となった1967年の第3次中東戦争、1991年の湾岸戦争などです。

 中東の人々はこれらの事件の前でたたずんで茫然自失している中で、速さを増す時間はどんどん流れ、彼らの打つ手は後手、後手に回って、時代後れのものになっていきました。こうした失敗と挫折の繰り返しが、彼らの心に深い傷を残し、一種のルサンチマン、出口のない怒りとして鬱積されていきました。その爆発がテロを含む過激なイスラム政治運動であると考えられます。それはどのような性格を持つものなのか、このことを、次の「イスラムとグローバリズム」のなかで話してみようと思います。


第2章 イスラムとグローバリズム

(1) 新しい冷戦の時代?

 「新しい冷戦の時代?」ということですが、その前に、現代における過激なイスラム運動の歴史的な背景を簡単に振り返ってみましょう。その出発点は、19世紀以降における伝統的なイスラムの価値観と近代のヨーロッパの価値観との相剋、あるいは対立です。

 伝統と近代との相剋という問題は、日本を含めたすべての非ヨーロッパ社会に生じました。しかし、イスラム世界の場合には、それまでの歴史経過から、より深刻なものになりました。資料の文章5は、スイスの孤高の歴史家ヤーコブ・ブルクハルトの言葉です。彼は1818年に生まれ1897年に死んでいます。

 「回教徒(イスラム教徒)を根絶することの出来ない人々またはしようと欲しない人々は、それをそのままにして置くのが最もよい。その空虚な疲弊し草木のない国土を彼等から恐らくとり上げることは出来ようが、その現実の従順さを非コーラン的国制の下で強いることは出来ない」

 ヨーロッパ文明は2つの源泉から成り立っていて、1つはギリシア・ローマの古代文化であり、もう1つはキリスト教であると言われます。ブルクハルトは、このうちギリシア・ローマの古代文化を育んだ地中海世界をこよなく愛しました。それが透明で理性的な世界だからです。その彼にとって、イスラムは彼が愛するヨーロッパの合理的な価値観とは余りにも異なった性格を持つものに映りました。

 彼にとってとりわけ耐えがたかったのは、コーラン的な国制、すなわちコーランに基づく政治、イスラムにおける政治と宗教を一致させようとする考え方でした。それが文章5の言葉になったわけです。ここに見られるキリスト教世界におけるイスラムの価値観に対する苛立ちと諦めは、百数十年たった現在でも変わっていないように見えます。むしろ現代ではそれが増幅されている感じさえ受けます。

祭政一致と政教分離

 ユルゲンスマイヤーという宗教学者がいますが、彼は冷戦体制後に、世界が「祭政一致の国家を奉じるナショナリズム」と、「政教分離の国家を奉じるナショナリズム」とが対立する時代に入っていくことを危惧し、それを新しい冷戦の時代と呼んでいます。

 グローバル化が叫ばれる現在でも、我々の身近にある日本、韓国、中国間の歴史認識の違いを取り上げるまでもなく、ナショナリズムは国際政治においてその影響力を失うどころか、さらに強力となる気配さえ見られます。その中で、政治対立をナショナリズムの文脈で理解しようとするユルゲンスマイヤーの議論は、先程言及した政治対立を文明の文脈で理解しようとした文明の衝突論より、私にはよっぽど説得力があります。そこでの対立軸が祭政一致対政教分離、つまり世俗化の問題なのです。

 現在アメリカによって進められている世界新秩序が、依然として世俗的な国民国家を前提とした政治体制であるとするならば、セキュリティとイスラムを結び付け、イスラムをネガティブに評価する思考の背後には、明示的であれ、暗黙理であれ、政教分離の国民国家体制に敵対する祭政一致のイスラムというイメージが前提されているように見えます。そして、欧米の人々のイスラムへの反発をもたらしているのが、このイスラムにおける政治と宗教との結びつきにあると推定されます。

 ともかく、ブルクハルトが半ばやけになって述べているように、イスラム教徒を根絶することができないのはもちろん、世界がグローバル化している現在、そのままにしておくこともできません。我々には共存の道を探るしかない。その際、議論の出発点とすべきなのは、イスラムは一枚岩的なイデオロギーではないこと、また時代によって影響力を持つ主張が異なるという、少し考えれば、至極当たり前の事実です。

 イスラムは時代、地域を超えて、いつも同じであると考える発想それ自体をまず頭から取り去るべきです。イスラムには、いくつもの解釈が、それゆえに複数の政治戦略の可能性があるという認識から、すべては出発すべきです。

(2) イスラムと近代化

 イスラムはいつの時代、どの社会においても、近代やヨーロッパに敵対的であったわけではありません。この点の決定的なターニング・ポイントは、第一次世界大戦後の1920年代でした。この時代にイスラム世界、とりわけ中東において、国民国家を単位とした政治体制が確立しました。つまり、19世紀の近代になって、イスラム世界は、オスマン帝国とか、サファヴィー朝とか、ムガル帝国といったイスラム諸王朝の解体によって、現在のように、近代のヨーロッパを起源とする国民国家の集合体として再編されるようになったのですが、その完成が1920年代においてであったのです。

世界政治からみたイスラム世界

 お配りした資料のうちの、もう1つの見づらい地図(スライド)は「世界政治からみたイスラム世界」と題されています。この地図は、現在におけるイスラム世界が国民国家の集合体からなっているのだということをイメージしていただくために用意しました。

 つまり、我々はイスラム世界という言葉を使いますが、現実には、イスラム世界という単一の政治体はもちろんのこと、ゆるやかな統合体さえもありません。言葉を換えれば、ここからここまでであると指摘できる、領域としてのイスラム世界があるわけではありません。結局のところ、現在の国際政治におけるイスラム世界というのは、イスラム諸国会議機構加盟国及びそれに準ずるオブザーバーの準加盟国の集団を指しています。イスラム世界といっても、そこでの政治主体は国民国家、主権国家であり、この点において、欧米とまったく変わりはありません。このような国民国家、主権国家の集合体としてのイスラム世界が完成したのが、1920年代だったのです。

 中東の場合、この政治体制の改変によってつくり出された政治体制は中東諸国体制と呼ばれています。そして、この政治体制の改変によって、イスラム世界における宗教と政治の関係は決定的に変化しました。つまり、イスラムは政治から遠ざけられたのです。それは、言葉を換えれば、政治と宗教の一致をうたうイスラムの理念と現実の政治体制との間に決定的な溝が作られたということを意味しました。

80年前のイスラム教徒の屈辱と恥辱

 アメリカのブッシュ政権にイスラム世界に関する情報を与えていると言われている研究者に、バーナード・ルイスというスタンフォード大学名誉教授がいます。中東研究の大立者ですが、その彼が、アメリカの中東政策を支持する内容の著作の中で、オサマ・ビンラディンのジハード(聖戦)のメッセージに言及して、「文章6」の言葉を述べています。オサマ・ビンラディンはさまざまな理由を挙げて、自分たちの政治行動をジハード、つまり聖なる戦争と主張しているのですが、その主張について次のように言っています。

 「これを強調するためにビンラディンは、声明文でしばしば歴史的な出来事をとりあげる。もっとも劇的だったのは2001年10月7日のビデオだろう。ビンラディンは、イスラーム教徒たちが「80年以上にわたって」苦しめられてきた「屈辱と恥辱」について語ったのである。それではこの「80年以上」とは何を意味するのだろうか。欧米の多くの消息筋の人々は考えあぐねて、80年前のさまざまな事件をもちだしたのだった。ところがビンラディンが語りかけたイスラーム教徒たちには、それが何を意味していたかすぐにわかったはずだし、その意味をしっかりとうけとめたに違いない。

 さて、2001年から80年以上前、すなわち1920年前後に中東で何が起きていただろうか。何がイスラーム教徒に「屈辱と恥辱」を与えたのだろうか。少し歴史を振り返ってみよう。偉大なイスラーム帝国の最後を飾るオスマン朝のスルタンがついに決定的な敗北を喫したのは1918年のことだった。首都のイスタンブルが占領され、スルタンは捕虜になった。そして帝国の旧領土の大半は、勝利を収めたイギリス、フランスの両帝国の間で分割された。肥沃な三日月地帯にあったオスマン帝国のアラブ語地域は三つの新しい国に分けられ、それぞれに新しい国名と国境が定められた」

人工国家のイラク

 このときに、現在のパレスチナという地域が設定され、そこに、イスラエルという国家が建設されることになりました。また、レバノン、シリア、イラクという国家も建設されることになります。この1920年まで、政治体としてのイラクは一切存在しておりません。イラクは、このときにできた完全に人工的な国家だったのです。この点については酒井さんが詳しく解説すると思いますけれども、中東世界において現在まで生じているほとんどの政治・社会問題は、この1920年代に端を発していると言っても過言ではありません。それはこのとき、すでに指摘したように、国民国家、主権国家の集合体としての中東が完成したからです。こうして、イスラムが理想とする政治体制と現実の政治体制とが完全に分かたれました。彼のイスラム教徒の屈辱と恥辱を見る目が非常に冷やかなことは別にして、1920年代をイスラム世界における宗教と政治との関係における決定的なターニング・ポイントであるとする、バーナード・ルイスの指摘は正しいと思います。

原理主義と近代主義

 両大戦期にイスラムを巡る政治環境は決定的に変わりました。そこから理念と現実との間の溝を一挙に埋めようとして過激な原理主義が芽生えました。これに対して、ソフトランディングによって理念と現実との間の溝に橋を架けようとしたのが近代主義です。

 こうした近代主義に代表される国家と社会の近代化は、日本を含む非ヨーロッパ世界の近現代史を理解するために決定的な重要なプロセスです。なぜならば、それなくしては、国家の存続自体が危うかったからです。近代というのはヨーロッパが生み出した概念であり、非ヨーロッパ世界は近代を自ら生み出し得なかったのです。このことはイスラム世界についても同じです。

 そのイスラム世界の近現代政治史について、西欧化、民族化、イスラム化の3つの対抗関係として分析するのが日本では一般的です。この3つの方向性について、西洋、民族、イスラムのそれぞれを、理想あるいは理念とする政治モデルと考えるならば問題はありません。しかし、この3つが同じレベルにあり、自由に選べる3つの選択肢とするならば、それは誤っていると思います。

近代化と西欧化

 と言うのも、西欧化は通常、広い意味での近代化を含み、それは人や社会が同じ時代に生きる限り、等しく直面せざるを得ない時代状況だからです。近代化は西洋を中心とした権力関係の下では、実質的には西欧化と同じです。西欧化と近代化の2つは、概念の上では区別することができ、ことを明瞭に分析するためには、この区別が不可欠ではありましょう。しかし、西欧化を時代状況ととらえるならば、この区別にさしたる意味はないと思います。つまり、西欧化と近代化を抽象的に区別して、「西欧化がなくても近代化は可能である」と考えることは、1つの夢を語っているようなものでしかないと思います。

 近代化を目指す限り、西欧化は時代の流れとして受けざるを得ないのです。それは民族、宗教、文化の違いに関係なく、同時代の人と社会が共通して対処せざるを得ない状況だからです。この点は中東にあっても、中東諸国体制の前であっても後であっても同じです。しかし、違いもありました。中東諸国体制の前の19世紀の政治状況下では、近代化と西欧化とを区別した上で、両者の間に橋を架けようとする考え方、つまり近代主義という考え方が強かったのです。しかし、その後1920年代以降になってからそれは弱くなっていき、原理主義的な傾向がどんどん強まっていきました。

近代化を拒否する原理主義

 西欧化を時代状況としての近代化の中で相対化できなくなったとき、原理主義という妖怪があらわれたのだと思います。そのあらわれ方は様々です。それは民族的にもなれば宗教的にもなる。また親西洋にもなれば、反西洋にもなるのです。しかし、そこに共通しているのは、近代化とは西欧化に他ならないという考え方です。すなわち、近代化と西欧化を結び付け、西欧化を拒否することによって、近代化をも拒否するという考え方です。西欧化を嫌う余り近代化をも拒否するとき、近代という時代はトラウマ、心の傷となってしまいます。

 私はかつて大学時代、余り勉強はせず、小説ばかり読んでいました。たとえばサルトルという実存主義の小説を好んで読んだものです。そこには、急激な時代の変化についていけずに、頑に自分の過去に閉じこもる人間像が執拗に描かれています。現実を直視するとは、どこかで時代と妥協することに他ならないと思います。それができないで原理主義的なスタンスをとり続けると、それは人間であれ、社会であれ、自己に閉じこもり、それが精神的なトラウマとなり、時代の流れに柔軟に素早く適応することができなくなっていくのだと思います。残念なことに、イスラム世界は現在そのような状況に立ち至ってしまったのではないかと思わざるを得ません。

(3) イスラムとグローバル化

 現代のアメリカを震源とするグローバル化についても同じことが言えると思います。西欧化とアメリカ化、そして近代化とグローバル化は、もちろんその理念のあり方において、あるいはその性格において異なるところがあります。しかし、それぞれの時代状況の中で、近代化が実質的に西欧化であったように、現代のグローバル化は、実質的にはアメリカ化に他なりません。残念ですが、それが現実だと私自身は思います。つまり、グローバル化とは、アメリカ一極の国際権力構造のもとで、近代化がそうであったように、現代人が民族、宗教、文化の違いを超えて等しく対処せざるを得ない時代状況だと思います。

 現在多くのグローバリズム批判がなされていますが、その中で少なくとも戦闘的な一部の知識人にとって、イスラムはグローバリズム批判における強力な刺客であります。「刺客」というのはつい先日よく使われた言葉です(笑)。それは現代のグローバル化が、かつての近代化以上に厳しい時代状況であるなか、イスラム教徒の少なくとも突出した部分は、現実との妥協を拒否し、頑に原理主義的立場をとり続けているところから、目立つ存在だからです。

イスラム主義

 「文章7」は、こうした現在の原理主義的なイスラム教徒の政治的な言説を分析した文章です。読んでみます。

 「わたしはイスラムという共通言語で表現された、本書では「イスラム主義」と呼んでいる言説領域の、さまざまな政治言説について読みふけった。研究者や書き手によって、解釈や評価はさまざまだが、彼らはいずれも一致して、この政治言説を、いわゆる第三世界の数百万ものムスリムが経験してきた「近代」にたいする、辛い、しかしやむにやまれぬ批判であるとみている。おそらくなによりこの経験の共有性のゆえに、多様で広大な現代イスラム政治を、ひとつの言語領域とみなしてかまわないだろう。イスラム主義は、ポストコロニアル状況でのイスラムの政治化、対立と討論からなる現代の言説であり、西洋の政治的・文化的規範のヘゲモニーに異議を唱えつつ、政治的正義、権力の正統性、生の倫理といった問題を扱うのである」。

 これはスーザン・バック=モースという女性の研究者の言葉です。彼女は、モダニティ、つまり近代という時代性を根底的に批判したフランクフルト学派という社会哲学の一派に属しております。彼女は9・11同時多発テロを前にして、いかに自分がイスラムに無知であったかを自覚して、「イスラム」という言葉で表現される政治的な主張、つまり言説を網羅的に読み進んでいく作業を行い、その中で自分のイスラム観を確立しようとした研究者です。その中の結論がこうした言葉となったわけです。

フランクフルト学派のイスラム主義解釈

 フランクフルト学派は近代の時代性そのものを問う社会哲学の流派ですので、先の文章においても、批判の対象になっているのは近代です。しかし、現実には、この文章は、20世紀末の冷戦体制終了後の現代におけるアメリカの覇権の下でのグローバリズムを批判するために書かれています。著者にとって現代は近代の延長としてとらえられているからです。その中でイスラム主義はヘゲモニー国家のアメリカを批判する言説として取り上げられています。この意味でのイスラム主義は、ほぼイスラム原理主義と同義です。

 そして、それは西欧的な政治言説から切り離されれば離されるほど、つまりはイスラムの本質に回帰すれば回帰するほど、その批判は効果的であると主張されています。たとえそれが暴力という形をとってもそうなのです。批判理論では、批判は暴力そのものではなく、その暴力が置かれた文脈に向けられます。アメリカの政治的な暴力とイスラム主義の暴力は、彼らによれば、同じ時代状況の産物としてコインの裏表の関係にあり、イスラム主義の暴力は、アメリカの政治的な暴力への異議申し立てとして生じると主張します。

 こうしてイスラム主義、すなわちイスラム原理主義は、その暴力をも含めて、西洋の政治的ヘゲモニーに異議を申し立てる批判的言説として評価されることになります。さらには、1970年代以降、イスラム主義の組織は市民社会の中で活発になり、「世俗政府もイスラム政府も果たさなかった社会的役割をイスラム共同体において果たすようになっている」とまでこの著者は主張しています。イスラム主義が西洋の政治的規範のヘゲモニーを打破し、グローバルな公共空間をつくる触媒として評価されているわけです。

アンチグローバリズム

 私はこの文章を非常に興味深い分析だと思います。なぜイスラム原理主義がイスラムの人々のみならず一部の欧米の知識人にもある種の共感をもって迎えられているかの背景に、この文章で分析されているアンチグローバリズムが隠れていると考えるからです。しかし、私は同時に、このイスラム原理主義の路線の先に、明るいイスラム世界の将来を見通せるとはまったく考えていません。

 ここで問題にしたいのは、ヘゲモニー国家アメリカの暴力性をイスラム主義の暴力性との対峙でもって批判しようとする姿勢です。アメリカ対イスラムという対立関係の中で、イスラムの現代性を分析しようとする姿勢です。「アメリカの政治的な暴力とイスラム主義の暴力はコインの裏表である」という主張は正しいと思います。なぜならば、アメリカの政治的暴力とイスラム主義の暴力は同じ時代状況の産物だからです。しかし、同じ時代状況だからといって、それがアメリカとイスラム世界で同じ意味を持つわけではありません。

 この「主体によって、時代の意味が異なること」を嗅ぎ取ることこそ、研ぎ澄まされた時代感覚だと思います。この文章における時代性の欠如は、現代を近代の延長として、両者を同一視していることにあらわれています。すなわち、近代化の時代であった近代とグローバル化の時代の現代は、やはり決定的に違う時代であるという認識のもとで、イスラムのあり方も考えなければいけないと思います。私自身は、人間というものは、結局時代状況を乗り越えることはできないと考えています。しかし、状況そのものが時代とともに変わりますし、状況に働きかけて時代を変えるのも、結局のところ我々人間でしかないのです。

時代が要請するイスラムの柔軟性

 これまでイスラム世界のダイナミックな展開をもたらしたのは、時代状況の変化に対するイスラムの柔軟性だと思います。この一連の講義の中でイスラム金融が取り上げられますが、私自身、現在、大学院や学部の演習でイスラム金融やイスラム経済を好んで取り上げています。それは、イスラム金融の中に、現代におけるイスラムの柔軟性をうかがうことができるからです。イスラム金融の現実を知っていただければ、イスラムの時代に応じた柔軟性の一端がご理解いただけるのではないかと思います。

 私は、時代状況の変化への柔軟性を失うとき、イスラムの将来はないと思っています。イスラム世界の将来は、住民の時代状況を前にした柔軟で積極的な働きかけ如何にかかっていると思っています。自分たちが社会や国家を変革しようとしなければ、どうにもならないのです。その中で西欧主義、民族主義、イスラム主義という3つの社会のモデルのどれを選択するかも問題になりましょう。しかし、それは理念の問題というよりは、そのモデルが運動関係者の目的や目標にどれだけ有効な結果をもたらし得るかを基準に判断されるプラグマテックな、つまりは実利的、政策的な問題として処理されるべきだと考えています。

 言葉を換えるならば、西欧主義も民族主義もイスラム主義も、それが「主義」という政治的な言説である限り、同じ時代性を刻印された3つのスローガンです。したがって、イスラム主義を西欧主義、民族主義と本質的に異なる主義主張と考えてはならないということです。イスラム主義は、西欧主義、民族主義との関係の中でのみ主張され得るものです。この認識を欠くならば、1970年代後半以降のイスラム復興の近現代史的意義付けをも誤ることになると思います。時代性を捨象してイスラムの性格を論じることは決してできません。イスラムそのものは、西欧主義や民族主義を標榜する独裁的な政体のために利用される一方で、独裁的な政体を倒す住民の政治運動のイデオロギーともなり得るという両義的な性格がこのことを如実に示しています。

 実際、中東を取り上げてみるに、政権の長期化、独裁化、世襲化が進む1970年代以降、政治体制の変革をもたらした政治運動は、1979年のイランのイスラム革命や、1985年のスーダンでのヌメイリー政権の崩壊等、イスラム絡みでした。そして、イスラムが中東では重要な政策の選択肢となり得ることを逆説的な形で示したのが、1991年のアルジェリアでの初の複数政党制による国会選挙です。その選挙でイスラム救国戦線(FIS)が勝利したものの、その直後に選挙結果の無効が宣言され、イスラム救国戦線も非合法化されました。その結果が、以後のアルジェリア内戦の勃発です。これは、民意がイスラムを支持したにもかかわらず、イスラムが非民主的だという理由から、既存の民主主義的と称されてきた政権はイスラム勢力による政権掌握を潰した事例です。中東の世俗化は一筋縄ではいかず、世俗化政策を採ることによって、中東がそのまま民主主義的に変革されるというような単純なものではない、ということです。これは現在のイラク情勢を取り上げてみるだけでも、明らかです。

(4) 原風景としての「近代」

 ともかく、中東の近現代史は、デジャ・ヴュ(既視)の世界です。そこに戦争が起きるたびに、「それは既に起きたことだ」「既に見たことだ」との感覚がつきまといます。たとえばイラク戦争、湾岸戦争、アフガニスタン戦争、数度にわたる中東戦争と、戦争が起きるたびに、「これは前に起きた戦争と同じ戦争だ」「前の繰り返しではないか」という感覚にとらわれるのです。

 その中で、イスラムとかヨーロッパとか近代とかのいくつかの言葉が繰り返し語られることになります。また、「イスラムとは何であるか。なぜイスラムはヨーロッパと近代に反対するのだろうか」とそのたびに繰り返し問い直されます。その過程で、これらの言葉が、本来持っている意味から離れ、それ自体が一人歩きし、意味が増幅され、固定されていきます。

 この繰り返しの出発点、つまり原風景は、19世紀初頭におけるヨーロッパとの出会いです。中東史家であり、千葉大学教授である栗田禎子は、イラク戦争を特集した雑誌の寄稿文において、次の「文章8」のような文章を書いています。

 「結局、20世紀を通じての中東の民衆の闘いの成果はすべて失われ、中東は植民地時代に逆戻りすることになるのではないか?」

 というのは、1920年代というのは、中東諸国体制の完成期であるとともに、植民地行政の終結の出発点でもあったからです。

 「かつての英仏に代わり、今度はアメリカと(域内におけるそのパートナーである)入植者国家イスラエルによって、中東の再分割と支配、大規模な「地図の塗り替え」がおこなわれることになるのではないか?」

 ここでの地図の塗り替えというのが、中東諸国体制の成立です。

 「その意味で現在第一次大戦以来、あるいは1798年のナポレオンの侵入以来の危機である…このような認識を反映して、中東地域の出版物には(昨年、アメリカの対イラク戦争の動きが本格化した時期から)次のような見出しが躍るようになった。「ブッシュは21世紀のボナパルトだ!新たなサイクス=ピコを警戒せよ!」

 サイクス=ピコというのは、中東諸国体制をつくった、1920年の旧オスマン帝国のアラブ領の分割統治を定めた条約のことです。この点において、現在のイラク情勢を見るとき、「新たなサイクス=ピコを警戒せよ!」とは、まことに鋭い指摘だと思います。

 イスラムは時代とともに歩んできました。その結果、実に多様に展開してきました。現在は原理主義的な思潮が有力ではありますが、こうした多様なイスラムの歴史的展開の一部でしかありません。こうした多様な展開、あるいはあり方については、今後の講義によって明らかにされると思いますが、私が最後に言いたいのは、イスラム世界が変革するためには、本日述べたような歴史の失敗と挫折の連鎖から早く立ち直らねばならないということです。トラウマから解放されたイスラム教徒であれば、イスラムの本来の非常に楽観的で柔軟なイスラムに戻ることができると、私は信じています。しかし、そうでなければ、中東やイスラム世界の混迷はずっとこれからも続くように思います。それは中東やイスラム世界だけではなく、日本を含む世界政治、経済にも決定的な影響を及ぼしかねないため、我々にとっても、人事ではありません。

 以上が私の「基調講演」です。少々理屈っぽくなりましたが、私の話をこれで終えさせていただきます。(拍手)


質疑応答

質 問 今日の講義の中で石油のことについては余り触れられなかったと思うのですが、石油とイスラム世界、あるいは中東地域との関係についてどう考えておられるかご説明いただきたいと思います。
   
講 師 それは「拡大するイスラム世界と石油の地政学」という講義の中で詳しく説明されるものと思います(笑)。私の意見を簡単に述べれば、イスラムの問題と石油の地政学の問題は、とりあえずは分けて議論したほうが良いと思います。この二つの問題は、直接には関係しないからです。しかし、両者を結びつけて論じるべき、問題領域もあります。結びつきは間接的でも、結びつけて論じることによって、それぞれの問題の有り様がより良く理解される場合があるからです。後者の問題領域を三つ挙げましょう。

第一は、1つはサウジアラビアなどの産油国がイスラムの宣伝に使われているという問題です。たとえば、最大の石油埋蔵量を誇るサウジアラビアは、イスラムの聖地メッカ、メディナを国内にもち、イスラムを守ることを国是としているため、1970年後半以降のイスラム復興の中で、大量の資金をイスラムの宣伝・運動に注ぎ込んできたということです。

第二は、貧しい非産油国へのオイル・マネーの還流が、草の根レベルでのイスラム復興を支えたということです。産油国の膨大なオイル・マネーは国際金融市場に流れていくわけですが、それが回り回って、アラブ世界における産油国の資金と非産油国の労働力との分業を通して、非産油国に還流し、それがイスラムの日常的な慈善運動を活性化させました。

第三は、国際政治経済とイスラムとの関係です。これは、イスラム教徒が多く住んでいる中東、中央アジアがたまたま石油、天然ガスなどのエネルギー資源に恵まれているという偶然の結果ですが、ともかく、アメリカ合衆国による拡大中東という地域概念やイラク戦争に象徴されるように、欧米の国益を前提にしたエネルギー戦略はイスラム政治運動の動向と複雑に絡まって展開せざるを得ません。
   
質 問 聞こうか聞くまいか迷っているたいへん初歩的な質問ですが、基調講演のタイトルの「イスラム世界の現代史はデジャ・ヴュの世界」の中の「デジャ・ヴュ」というのは何語ですか。
   
講 師 これはフランス語で、既視、既に見たことがあるというある種の幻覚のことを意味しており、新しいことが起きても、既に前に起きた繰り返しではないかという感覚です。
   
質 問 ああ、フランス語ですか。
   
講 師 そうです、フランス語です。これはエジプトへ調査旅行に出る前に、寝ずに資料をつくっているとき、精神が高揚して書いたタイトルです(笑)。活字にするときは、もっと簡単な「なぜイスラムは近代とヨーロッパに反発するのか」というタイトルにいたします。
   
質 問 報道を見ていますと、イスラムはスンナ派だとシーア派だとか、いろいろな派に分かれているようですが、彼等は将来的に溶け合うことは可能なんでしょうか。
   
講 師 スンナ派だとかシーア派とかのイスラムのセクトについては、酒井先生だとかの他の先生が詳しく説明なさると思います。私の意見ということで述べさせていただければ、イスラムという宗教を前提にしたセクトが問題になっている限りでは、スンナ派とかシーア派のセクトは、イスラムの旗の下に協力し合えると思います。そのレベルでは、たとえばイラクにおける政策合意などの形で、利害調整ができるからです。しかし、スンナ派とかシーア派とか呼ばれている集団が、イスラムのセクトとしての次元を超えて、血縁とか地縁でもって結ばれている社会集団であるならば、協力関係は非常に難しいと思います。それは、様々な帰属意識や利害関係の積み重ねの中で形成され、たまたまイスラムのセクト名で呼ばれている社会集団だからです。たとえば、イラクのスンナ派とシーア派が成立した契機が宗教だけでなく、もっと複雑な血縁的・地縁的で政治的なものであるならば、イラクの国民統合は困難なものだと思います。詳しくは、イラクの専門家の酒井さんに聞いてください(笑)。
   
司 会 よろしいでしょうか。今日はありがとうございました。(拍手)

講師略歴

加藤 博 (かとう ひろし)

学歴
1974年 3月一橋大学商学部卒業
1974年 4月一橋大学大学院経済学研究科修士課程進学
1976年 3月同修了
1976年 4月一橋大学大学院経済学研究科博士課程進学
1977年 10月カイロ大学留学(1979年6月まで)
1980年 3月一橋大学大学院経済学研究科博士課程単位取得
1982年 12月カイロ大学留学(1984年12月まで)
1983年 12月一橋大学大学院経済学研究科より博士号を取得

職歴・研究歴
1980年 4月東京大学東洋文化研究所助手
1985年 4月東洋大学文学部(教養課程)人文科学科専任講師
1988年 4月同助教授
1990年 4月一橋大学経済学部助教授
1991年 4月一橋大学経済学部教授
1993年 4月日本学術振興会カイロ研究連絡センター派遣員(1994年3月まで)
1997年 4月国立民族学博物館地域研究企画交流センター教授(併任)(2002年3月まで)
1998年 4月一橋大学大学院経済学研究科,経済学部教授,現在に至る

著書(単著のみ)
『私的土地所有権とエジプト社会』創文社,1993年,xxxiii+668+35頁。
『文明としてのイスラム-多元的社会叙述の試み』東京大学出版会,1995年,248+28頁。
『イスラーム世界の危機と改革』(世界史リブレット(37))山川出版社,1997年,90頁。
『アブー・スィネータ村の醜聞―裁判文書からみたエジプトの村社会』創文社,1997年, 240+23頁。
『イスラム世界の常識と非常識』淡交社,1999年, 239頁。
『イスラム世界の常識と非常識』(韓国語訳)Godo Publishing Co., Korea, 2001年,250頁。
『イスラム世界論―トリックスターとしての神』東京大学出版会,2002年,227+23頁。
『イスラム世界の経済史』NTT出版、2005年、264+19頁


官公庁等各種審議会・委員会等における活動
国立民族学博物館地域研究企画交流センター運営委員会(委員)(2000年8月-2003年7月)
国立民族学博物館地域研究企画交流センター外部評価委員会(委員)(2003年4月-2004年3月)
参議院国際問題調査会「イスラム世界と日本の対応」(参考人)(2004年2月18日)
独立行政法人・日本学術振興会・特別研究員等審査会専門委員(2004年-)
独立行政法人・日本学術振興会・特別研究員等審査会専門委員(2004年−)

一般的言論活動
「世界経済のなかのイスラーム」朝日カルチャーセンター,2003年10月-2004年3月
「文明としてのイスラーム―宗教と経済」日本中東学会講演会,2003年11月1日
「なぜイスラーム世界は近代において経済で遅れをとったのか―イスラームが問題なのか?」国際交流基金・中東理解講座『イスラームが問題なのか?―近代化との関係を考える』2004年3月10日
「イスラム社会の常識・非常識」小平市民講座,小川西町公民館,2004年5月11日-7月20日
「中東世界の経済社会―歴史的視点から」国分寺市民講座『外国を知る講座:知られざる中東』光公民館,2004年6月23日
「中東問題の歴史的・構造的背景」国際交流基金・中東理解講座『岐路に立つ中東―国家・民族・宗教』, 2004年9月29日
「世界経済史のなかのイスラーム世界」2004年慶応義塾大学言語文化研究所公開講座『世界史におけるイスラーム世界』2004年11月6日
「中東とはどういう世界か」「中東ではなぜ戦争・紛争が絶えないのか」日野市国際講座『中東理解講座』2005年2月12日、19日
「概説:中東にとっての近代」朝日カルチャーセンター・横浜『新しい世界史 中東近代の光と影−伝統と近代の相克−』2005年4月2日
「岐路に立つ中東−パレスチナ/イスラエル、イラクを中心に」平成17年度一橋大学春季公開講座『紛争の地域史』2005年5月7日