イラク戦後統治と中東社会への影響

 

講師 東京外国語大学大学院教授

酒井 啓子 

平成17年11月24日 於:如水会館

【無断転記転載を禁ず】

社団法人 如 水 会

責任編集

 




◆内容目次

はじめに

アルカーイダと言う現象

ムスリム青年層の間に広がる反米主義

テロを拡散させたイラク戦争

テロリストのプロファイル

テロに走る動機

イラク戦後統治の失敗が生んだもの

シナリオ不在の戦後統治

警察機能の委譲を急ぐアメリカ

生活、経済環境の停滞・悪化

復興支援資金はどうなったか

復興資金のばらまき

復興資金のばらまきが残した禍根

移行政府成立の過程

イスラーム主義勢力のポスト独占

治安機構を牛耳るイスラーム勢力

連邦制の構想と問題点

法体系をイスラーム化することの問題点

最後に

質疑応答

講師略歴


はじめに

 ただ今ご紹介に与りました酒井です。本日は多数の皆様にご出席頂きましてありがとうございます。「イスラームを考える」というテーマで、12回にもわたる連続講座であるにもかかわらず、これだけの方々がコンスタントにご出席になっているのは、私どもが中東研究を始めたときにはとても考えられないことでした。20年前に中東研究を始めた頃には、「そのような分野に関心を持つ酔狂な人がどこにいるのだ?」と思われておりましたので、これだけ関心が高まってきたことは、私どもにしてみれば、たいへん感慨深く、喜ばしい展開です。

 しかし、ただ喜こんでばかりはおられません。皆さまがこれだけ関心をお持ちになるようになった背景を考えると、喜ばしいとはいえない要素の方が多いのではないかという気がします。4年前の9・11、ニューヨーク、ワシントンでの同時多発テロ事件、それに引続き毎年のように起こっている一連のテロ事件の背景に、どうしても「イスラーム」という名札が付いて回るような時代がこのところ続いています。そういうわけで、我々日本人も「イスラームとは何なのか」、あるいは「イスラーム諸国が今いったいなぜ西欧社会に反発し、なぜこうしたさまざまな事件の背景になってしまったのか」を考えざるを得ない時代に入っています。そういう意味では、私どものような中東研究者が休む暇なく商売繁盛では困ったもので、少し暇なくらいに世界が平和になってくれた方がありがたいと思う次第です。


アルカーイダと言う現象

ムスリム青年層の間に広がる反米主義

 さて、私が専門に研究しているイラクというところは、昔から10年に一度大きな事が起こると言われておりました。さかのぼれば、イラン革命に引き続くイラン・イラク戦争、それから湾岸戦争があり、そして今回のイラク戦争へと続きました。イラク戦争が起こったときには、十年ごとに何かゴタゴタを起こしていたイラクだけれども、「遂にこれで少しは方向が変わって落ち着くのかな」と思った時期もないではありませんでしたが、現状は、10年と言わず、毎年のようにいろいろな事が起こっています。

 イラクだけではありません。先日は隣国のヨルダンで大きなホテルへの自爆テロ事件が起こりました。他の中東諸国でも、1カ月に1回、2カ月に1回ぐらいは、いろいろな形の大きなテロ事件が起きています。7月には、ロンドンで地下鉄とバスを狙った自爆テロ事件が起こりました。死傷者数は9.11には比べ物にならないほど少なかったわけですが、それでもイギリスの歴史のなかで考えれば、50数名の犠牲者を伴う事故は大変ショッキングな事件だったでしょう。それに続くようにして、テロではありませんが、今度はフランス国内のイスラーム系の移民らが暴動を起こしています。

 テロとはまったく違うとは言うものの、いろいろ辿ってみると、こうしたロンドンでの事件、あるいはフランスでの暴動という事態の背景に、イスラーム教徒が西欧社会の中に溶け込む、あるいはその中で共存していく上で、多大の苦労を強いられ、あるいは不満を蓄積していることがうかがわれます。これまであまり表には出てきませんでしたが、9.11以降のここ数年、特に西欧に住むイスラーム教徒のあいだでフラストレーションが高じて、もう我慢できないとばかり、非常に過激な行動に出てくるようになったという気がします。

テロを拡散させたイラク戦争

 そのように見ると、イラク戦争でもアフガニスタン戦争でも、さまざまなかたちでアメリカのブッシュ大統領がテロに対する戦いとしてとってきたここ数年の対策がテロを押さえ込んでいるとはあまり思えません。むしろテロを拡散させ、テロじゃないにしても暴動などのかたちで、世界中でイスラーム教徒の不平不満を煽り、過激な行動を促すような結果になっています。「世界は安全になった」とは、とても言いがたい状況で、ますます不安定になっているのではないかと思います。

 こういうお話をして、「テロがなかなか撲滅できない」「テロに対するブッシュ政権の政策が効果を上げていない」と言うと、その撲滅の対象になっている「アルカーイダとかザルカウイだとかの国際テロ組織は、これだけのアメリカの攻撃なり撲滅作戦にもめげずに、よくまあ頑張っているものだ」とお思いになる方も多いと思います。「イラクにも随分手ごわい組織があるものだ」とお考えになると思うのです。メディアは、テロが起こるたびに、「背後にアルカーイダがいる」とか、「ザルカウイがやっている」と報道しがちですが、アルカーイダにしてもザルカウイにしても、ほんとうにそんなに堅固な地下組織があって、反米闘争を地道にやっているような大物がいるのだろうかと考えると、どうも疑わしい気がします。

 最近ヨーロッパで起こっているような事件、ロンドンの事件もそうですし、もう少しさかのぼると、スペインでも大がかりな列車爆破事故がありました。あるいはフランスで、アルカーイダ系のテロリストが捕まったというような報道などもありますが、こういうのを見ていると、アルカーイダ系だとかザルカウイ系の支持者などと言われますが、彼らがほんとうに「しっかりとしたネットワークを持って行動しているか」と言えば、私は怪しいと思うんですね。おそらく多くの皆様が、特に年配の方などは、いわゆる国際テロリズム組織というと、冷戦時代のCIAとKGBの間のスバイ戦争のようなイメージをお持ちで、そういう図式をアルカーイダのごときイスラーム系のテロ組織にも当てはめて考えておられるような気がします。

 つまり、どこかにイスラーム教徒の過激派を束ねるような拠点があって、中心的な人物がいて、テクノロジーを駆使して、その本拠地からいろいろ指令が下っていく。だから、その指令の源を辿っていけば、こうした組織が撲滅できるのではないか。おそらくアメリカのCIAなどもそう考えているのだと思うのです。だからこそ「アフガニスタンのアルカーイダの本拠地を徹底的に潰さにゃいかん」といって、アフガニスタンを攻撃する。あるいは、どこそこにテロ組織が発見されたといっては、そのたびに掃討作戦をやるわけですが、おそらく今起こっていることはもっと卑近なもの、もっと現代社会で我々がよく見るような日常的な性格のものではないかと思うのです。

 アルカーイダだとかザルカウイの行動パターンを見ていると、私は、日本で最近話題になっている「インターネットで知り合って心中をする」みたいな世界と近いのではないかという気がするのです。こういうことはなかなか調査が進まないので、はっきりしたことはわかりませんが、部分的に伝わってくる話によれば、生き延びた、あるいは逮捕された人などに「なぜあなたはアルカーイダのメンバーになったの?」あるいは「なぜあなたはテロに誘われて加わることになったの?」と尋ねると、その多くが「ネットで知り合った」「インターネットで募集を見て応募した」と答えるといいます。

テロリストのプロファイル

 さらに言うならば、変な言い方ですが、参加する人たちも、たいへん気軽な考えで参加している。おそらく、こうしたテロなどに関わってきた人の多くは、そんなに貧しい家庭や国の出身ではない。自分自身が世間で苦労して、社会で矛盾を感じた結果、そうしたテロ活動に走った人も若干いるかも知れませんが、むしろそれよりも、生活苦も被占領国の苦難も知らず、苦労なしに生活している人たちがこういうテロ活動に走っていることが多い。

 典型的なのがビン・ラーディンです。9・11以降いろいろなところで指摘されましたが、アルカーイダの指導者と呼ばれるビン・ラーディンは、もともとがサウジアラビアの財閥の息子です。息子の中でも下の方ですから、長男に比べれば待遇が悪かったかも知れません。しかし、幾つもの事業を抱えるような裕福な家の息子です。しかも、彼は高校の頃まではべつに宗教に熱心だったわけでもなんでもなく、レバノン、ベイルート辺りに行ってバーでお酒を飲んで羽目を外していたという話も伝えられています。

 また、彼の高校時代の写真などもありますが、べつに現在のように、頭に何かかぶっているわけでも、髭を生やしているわけでもありません。Tシャツにジーンズという当たり前の格好をした留学生時代の写真まで残っています。そういう意味では、今のアルカーイダなりなんなりの国際テロ組織で活動している人たちの多くは、実は自分自身にはそれほど大きなフラストレーションがあるわけではない。しかし、彼らが何故にこうした運動に飛び込むことになったかというと、一番のきっかけは、国際情勢を知れば知るほど、「自分たちイスラーム教徒があちらこちらで迫害を受けている。あちらこちらで理不尽な攻撃を受けている」と国際政治を認識してしまったことです。

テロに走る動機

 たとえばビン・ラーディン系の国際テロ組織が犯行声明を出すたびに常に挙げるのは、パレスチナ問題であったり、チェチェンの独立運動であったり、今でいえば、イラク人がアメリカの占領下でどれだけ虐待されているかというような報道です。こうしたイスラーム系のインターネットのサイトでは、トップページを開くと、新聞のように「きょうのイスラーム教徒の被害」というような紙面が出てきます。「きょうはフィリピンの南部でイスラーム系の住民が何人不当に逮捕されました」あるいは「インドネシアで警察とぶつかって、何人の無辜(むこ)の住民が殺されてしまいました」あるいは「イスラエル軍の攻撃で、どれだけの人がパレスチナで死傷しました」というようなニュースが、インターネットですぐ見られるようになっています。

 インターネットだけではなく、衛星放送なども、そういったニュースばかりをやっています。世界でなにか事故が起きたときに、日本のマスコミが「日本人の被害者はありません」と真っ先に言うのと同じような感覚でしょう。いずれにしても、衛星放送やインターネットでそういうチャンネルがある。毎日のようにそういうニュースに接していると「なぜ自分たちイスラーム教徒ばかりが常にそんな目に遭っているんだろう」と思う若者が出てきてもおかしくない。

 それでも、実際に自分たちの生活が大変であれば、わざわざ「まあ、なんて可哀相なパレスチナ人」とか「なんて可哀相なチェチェンの人たち」などと思い浮かべる余裕もないかも知れません。しかし、幸か不幸か、サウジに生まれたビン・ラーディンなどは、お金も時間もたっぷりあって、サウジアラビアという国に住んでる分には何不自由もない生活をしています。しかし、朝から晩まで、インターネットを開けば、「チェチェンで何人死にました」「パレスチナで何人死にました」というニュースばかりやっている。20代になるかならないかの若者がそういう情報に毎日接していれば、「これは何かしなければいけない」と血気にはやってしまうのも、良いか悪いかは別にして、ある意味では自然なことです。

 ビン・ラーディンなどは、その思いが募って、当時ソ連侵略の下で苦しんでいたアフガニスタンの人たちを助けようと、義勇兵として馳せ参じたのです。こうした現象は、20年前のビン・ラーディンの行動の時代と比べると、もっともっと増えています。それは「ああ、これはなんとかせにゃいかん」と思わせるような状況の情報が2004年、2005年の今、非常に増えているからです。

 イラクで毎日のように自爆テロが起こっています。後から詳しくお話しますが、この自爆テロの誘因に、外国人勢力がたくさん入っているという情報がよく挙げられます。イラクで何十人もが死ぬような自爆テロ事件があったときに、「犯人はヨルダン人でした」あるいは「犯人はシリア人でした」と、海外から入って来たテロリストがイラクで自爆攻撃を行っている情報を見ると、かつてビン・ラーディンが「なんとかせにゃいかん」と思ってアフガニスタンにすっ飛んで行ったのと同じ思いでヨルダンから馳せ参じ、そんなことをやっている人たちが多数いるんだなと思います。

 アルカーイダとか国際テロ組織などというと、私どもは、何か邪悪な犯罪組織が地下に潜っていて、そこから世界各地に指令を飛ばして随所でテロを起こしていると思いがちです。そういう状況であればむしろ対処は簡単です。犯罪組織を撲滅する地道な努力を続けていれば、効果が出るはずですから。しかし、今起こっている事態は、それよりもっと厄介なのです。世界中のイスラーム教徒の誰かがインターネットや衛星放送を見て「こりゃいかん。なんとか自分にできることはないか」といって立ち上がってしまう。そういう意識は戦争でも押さえられない。犯罪防止でも押さえられない。教育の面でもなかなか難しいところがある。そういう意味ではたいへん根の深い問題です。

 そのように世間に憤って立ち上がろうという思いを起こさせる種というか、材料、これが世界中でますます増えています。イスラーム教徒が被害を受けるような事件は年々増えていますから、テロ組織の応募に馳せ参じる人々の数は年々増えていくと考えられます。こういうことを考えれば、国際的なテロ対策としては、戦争や治安というようなこと以上に、イスラーム教徒が「自分たちは疎外されている」と思わないような環境をつくることしか手だてはないという気がします。

 たとえば、パレスチナ問題にせよ、フランスの暴動にせよ、イスラーム教徒ばかりが阻害されているのではありません。「フランスで失業者といえばイスラーム教徒ばかり」というようなことではありません。「イスラーム教徒であろうがなかろうが、機会均等、同じようなチャンスを持って社会に参加できる」というかたちにそれぞれの社会が変えていくしかこの問題の真の解決はないと考えています。

 さて、以上総体的な見地から話を進めましたけれども、きょうの本題は、その中でも「一体イラクはどうなっているのか」です。きょうは、世界中のイスラーム教徒が「イラクをなんとかしなくちゃ」と馳せ参じてしまうようなひどい状態になってしまったのはなぜかを検討したいと思います。


イラク戦後統治の失敗が生んだもの

シナリオ不在の戦後統治

 お配りしたレジュメでは「イラクの戦後処理の失敗が何を生んだか」と書いてあります。このレジュメのタイトルは「イラクの戦後統治と中東社会への影響」です。実はこのタイトルを書くときに「イラクの戦後統治の失敗と中東社会への影響」と書こうかなと思っていたのですが、ちょっと長くなり過ぎるので削りました。このように書き惜しんだ言葉通り、率直に言って、今のイラクの戦後統治、あるいは戦後の復興は、どう見てもことごとく失敗しているとしか見えない状況にあります。

 見方によっては、戦後数年を経て、着々と進んでいる部分もないわけではありません。イラクに主権ある政府を立てて、国会選挙をやって、憲法を定めて、といったような、イラクという国が一人前の国家として自立し、国際社会に復帰するという政治的なプロセスだけは予定よりかなり早く進んでいます。もともとアメリカは、イラクという国を数年間は直接軍事占領するようなかたちで統治を進めていこうと考えていた節があります。

 しかし、実際のところは戦争が終わって1年して、さっさとイラク人に主権を渡してしまいました。昨年の6月に主権移譲ということで暫定政権ができます。そのあとも、国会とか憲法制定などをどうしようかというような話し合いのなかで、アメリカは、日本式と言ったらおかしいですけれども、「国連なりアメリカなり、国際社会がある程度まとめて憲法の原案を作った上で、イラク人に提示して決めさせればいいじゃないか」ぐらいに考えていた節があります。

 ところが非常に重要な点なのですが、戦争が終わってもう数カ月後には、イラク人の側から「いや、そんな押しつけ憲法は困る。憲法ぐらい自分たちで決めさせろ」という意見が出てきました。アメリカによって任命された人たちに「ハイ、これが新しいあなたたちの憲法ですよ」というようなことはしないでくれ、ということです。アメリカも仕方がないということで、渋々選挙を行います。今年の1月に、憲法を定めるいわゆる政権議会議員の選挙で、半世紀ぶりに自由で民主的な選挙をやりました。そこで国会議員を選んで、その国会議員の中から憲法の草案を定めるというやり方をとりました。

 新聞あるいはいろいろな場で、「アメリカは『イラクに民主化を』と唱えているけれども、イラクのみならず、イスラームの国に民主化はそぐわないんじゃないか」というご意見やご質問を頂くことがたいへん多くなっています。しかし、そういったご質問を頂くたびに、私は今挙げたような例を引き合いにお話しするのです。「いえいえ、イラクで選挙を後回しにしようと言っていたのは、実はアメリカなのですよ」と。「民主主義、民主化とは何ぞや」という大きな問題がありますけれども、少なくとも制度的な民主化という意味では、イラクの戦後の事例を見る限り、アメリカはむしろ民主化を遅らせたかった。「選挙とか議会はもう少し落ち着いてからにしましょう」と言ったのはアメリカです。

 むしろイラク人の側が「いやそれは困る。なんでもかんでもアメリカに決められて、その後で、『さあイラク人が選挙やりなさいね』というやり方ではなくて、戦争が終わったらすぐにでも、自分たちで選挙をやりたい」と言い出したのです。そういうことを考えれば、今のイラク、あるいはイスラーム諸国が抱えている問題は、「イスラームだから民主化に合わない」あるいは「イスラームだから民主化に反対している」ということではない。むしろ逆。イスラーム諸国の中でも「早く民主化をしよう」という声が実はけっこう根強いということを、ちょっと頭の片隅にとどめておいてください。

 さて、このように政治的な日程だけを取り上げれば、着々と戦後の復興は進んでおります。しかし、政治日程が進んできた背景を見れば、あまり順調な進展とは言えない部分がある。今言ったように、実はアメリカとしては、もう少し時間をかけてこうした政治日程を進めたかった。選挙や憲法の制定など、もう少しじっくりやりたかったという当初の政策にもかかわらず、その後は、なぜこんなに急いでいろんなことを進めてしまったのか。結論を最初に言っておくと、アメリカが、とにかく早くバトンをイラク人に渡したかった。なぜならば、アメリカとしては、これ以上イラクに首を突っ込みすぎて死傷者を増やしたくない。その1点に尽きます。

警察機能の委譲を急ぐアメリカ

 もっとはっきり言えば、「アメリカ兵をなるべくイラクから遠ざけて、これ以上人死にが出ないようにしたい。どのみち治安が悪くて死傷者が出るのであれば、イラク軍やイラク警察に受けて立ってもらいたい」、そういう及び腰の結果、これだけイラク人にバトンタッチを早く進めてきたのだと思います。それでは、アメリカがなぜここまで及び腰になってきたのか。それは今言ったように、とにかく治安が悪い。これは3日程前の数字ですが、これまでにすでに2100人近くのアメリカ兵士がイラクで亡くなっています。これは死者として発表された数字ですが、イラク国内の作戦で怪我をしてヨーロッパなどの基地や病院に移送され、そこで亡くなった兵士らもいるので、実際にはこれを相当数上回る数がイラクへの進駐が原因で亡くなっていると言います。いずれにしても、2千人以上の犠牲者は、かなりのプレッシャーになっています。

 戦死その他の犠牲者が2千余人といっても、徐々にその被害が減ってきているのであれば、まだ改善に向かっていると言えますが、数字を見る限りでは、多少減っているとはいえ、それほど改善が見られない。戦争が終わった直後の方がアメリカ兵の被害は少なかったのですね。2004年、あるいは今年の10月、11月は特に増えています。そういう意味では、アメリカ兵が多く駐留していればいるほど、被害が増える状況が続いているということです。

 もちろんアメリカ兵だけではありません。むしろアメリカ兵などは最近はあまり表に出てこない。自衛隊もある意味ではそうですけれども、外国軍、多国籍軍は、自分たちのバラックの中に潜んでいて、よほどのことがない限り出てこない。日々の治安維持や検問などについては、基本的にイラク軍やイラク警察に任せている状態です。ですから、今年に入ってから、イラク軍やイラク警察の死傷者数がうなぎ登りに増えています。

 確認されただけでも1日平均10人近くのイラク兵やイラク警察官が命を落としている。警察や軍だけではなくて、民間人の被害も多数に上ります。これには、もちろん国内のテロもあり、アメリカ軍との衝突に巻き込まれたものもあり、いろんな原因がありますけれども、いずれにしても、1月当たりに病院に運び込まれる遺体、これが多いときで千人近い。1カ月に千人近くの遺体が首都のバグダッドだけでも数えられている。そういうことを考えれば、戦後2年半以上経っていますが、治安面では一向に改善しないばかりか、ますます悪くなっていく状況にあります。

生活、経済環境の停滞・悪化

 治安面では悪くなっていますが、生活実態はどうでしょうか。治安が悪くても、生活がそこそこ安定してきたとか、失業が減ってきたとか、食うに困らなくなったなら、まだ救いがあるでしょうが、残念ながら、こうした面でもあまり状況は改善していません。下に示した数字は、今年の5月にUNDPが報告した2004年の経済報告です。十分な全国的な統計があるわけではないので、この報告自体も全国の各県にわたる2万軒位の家計を対象とした調査による数字であり、必ずしもすべての対象を網羅しているわけではありませんが、ざっと見ても、まだまだ電力が不足している。水も十分に行き届いていない。失業率もあまり改善していない。生活に必要な基礎的な物資が一向に充填されていません。

電力の安定的供給:南部28%、首都4%、中部9%、北部13%
下水道完備:南部18%、首都79%、中部8%、北部55%
飲料水安定供給:南部60%、首都63%、中部58%、北部61%
周辺で毎日銃撃戦がある:南部33%、首都59%、中部39%、北部1%
15〜24才の完全失業率:南部22%、首都24%、中部14%、北部15%

復興支援資金はどうなったか

 そのあとのいろいろな報道などを見ても、こうした2004年の数字が良くなった気配はありません。むしろ悪くなっています。イラク国内に住むイラク人などに話を聞くと、「電力とか水といった生活基礎物資などに関しては、戦争が終わった直後の方がまだ良かった。時間が経つにつれて状況が悪くなっている」というのですね。これだけ聞くと、にわかに信じがたいというか、不思議な印象を受けます。なぜなら、戦争終結の直後の2003年の10月にマドリッド会議があり、その会議で、アメリカ、イギリス、ヨーロッパ諸国などが顔を揃えて、「イラクの戦後復興のためにみんなでお金を出し合いましょう」という、いわゆる復興支援会議を開催したわけです。そこで約束された金額は、4年間で330億ドル、1年間で80億ドルというたいへん大きなものです。

 それとは別に、日本にしてもアメリカにしても、それぞれの政府が支援金を約束しています。特にアメリカは、戦争の前から、182億ドルという大金をイラクの復興に費やすると言っています。アメリカ政府の予算としてそれだけのお金を出すことを約束していたわけです。こういう状況ですから、戦後2年半経った今では、約束されたお金をもとに、どんどん復興が進んでいるはずだし、そうでなければおかしいと思うのが当然です。

 しかし、現実は、残念ながら、そうしたことが実際に行われていません。幾つか問題があります。まず第一に、マドリッド会議で約束された330億ドルが実際どのくらい支払われたかを見ると、これがたいへん不明確です。ヨーロッパなどは、実際にはほとんど払っていないと言われています。アメリカの場合は、昨年の10月頃、イラクに主権が移譲されてから数ヶ月の間に「イラクにどのくらいお金を払ったか」がアメリカの議会で話題になりました。そのときに、182億ドルのうち、わずか5%くらいしか実際には払われていないことが明らかになりました。その後、「これではまずかろう」ということで、だいぶ支払いが進んだと言われていますが、少なくとも、戦後1年半ほどは、「払う」と言いながら、イラクの復興に実際にお金を提供した国はほとんどなかったのです。

 ODAなどで真面目にコツコツと資金を出していたのは日本ぐらいなもので、他の国々は不真面目だったということになります。言葉は少々不謹慎ですが、たいへん面白いのは、アメリカはあれだけ「イラクの復興」と言いながら、それだけしかお金を支払っていないことです。戦争に入る前からイラクの復興を言いながら、戦後まったく復興事業に手を付けていなかった。これはたいへん大きな疑問ですね。いろんな理由があります。

 よく言われているように、アメリカ企業はイラクに入ったものの、イラク国内でのオペレーションにはまったくの素人だったのです。イラクは、経済的には、フランス、ソ連時代のロシア、ドイツ、日本などとは関係が多かったのですが、アメリカ企業はイラク国内で仕事をしたことがないので、彼らが持ち込むような機材が、どれもこれもサイズが合わなくて、持ち込んだはいいけれども、使われずに棚晒しなっているというような技術的な問題もあったと言われています。悪名高いハリバートン社などのように、「この金額で事業をやろうと思ったんだけど、どんどん治安が悪くなるから、治安コスト、警備コストなどを考えると、とてもじゃないけど、最初に請け負った金額ではできなくなった」と言って、仕事を放り出したケースもたくさんあります。

復興資金のばらまき

 個別に挙げていけばいろんな問題があるんですが、アメリカの戦後統治が少なくとも最初の1年半まったく有効に機能しなかった最大の原因は、戦後の統治を国務省ではなく、国防総省すなわち軍人がやっていたことなのです。軍人が復興や経済開発に不慣れであるという問題も、もちろんありました。これまで国務省が一所懸命作ってきたイラク復興計画などをラムズフェルドは一顧だにせずゴミ箱に捨てたという話も聞かれるぐらいです。

 ペンタゴンの復興に関する無知はさておき、たいへん興味深いのは、軍が中心になって進めたイラクの復興では、どうしても駐留するアメリカ軍の安全を確保することがすべてに優先するのです。戦後復興、経済復興も、この目的のためにやるという方針なのですね。これはどういうことを意味するか。たとえば自衛隊が行っているサマーワに外国軍がいたとします。この外国軍は、周辺の住民と仲良くしていかなければ、いつなんどき後ろから迫撃砲で撃たれるか、いつ何時寝込みを襲われるか分からない。そういう攻撃を避け、住民と友好的な関係を築くためには、住民に厚い手だてをしなければならない。もっとはっきりいえば、お金あるいは事業をばらまく。

 ということで、特に戦後、アメリカ軍は、アメリカ軍に対する抵抗が強い、武装勢力の攻撃が激しいことが分かれば分かるほど、どんどんお金をばらまくようになっていきます。地元の部族、地元の宗教的な指導者、地元の有力者、こういったものに湯水のごとくお金をばらまいていきます。そこで、「これで学校を建てなさい」とか「これで住宅を建てなさい」といってばらまくのですが、ほんとうにそれで家が建ったかどうかは分かりません。このように、アメリカの復興資金や復興計画の多くが、実はイラク人の支持を得るための「ばらまき資金」として使われてしまったということがよく言われています。それ故に、ペンタゴンが握っていた戦後1年半の復興資金の会計報告は、どこを探してもなかなか見つからないので、今でも当時の収支決算はどうなっているのだという問題が始終蒸し返されるのです。

復興資金のばらまきが残した禍根

 このようにアメリカ軍が、資金をばらまいて人々の歓心を買うということをやり続けてきたために、いまイラクの経済はたいへん深刻な不正、腐敗、汚職に溢れています。言ってみれば、戦後のイラクは、そういうばらまき、賄賂がないと、もう動かなくなってしまっている。今アメリカは、国務省が中心になって戦後の経済復興をやっているのですが、いくら健全な復興事業を進めようとしても、戦後最初の1年間で定着してしまった「ばらまきの体質」が根づいてしまっています。去年の年末ぐらいに報じられた数字ですが、復興資金のおそらく3分の1近くが、こうした賄賂や手数料とか手付金などの名目で消えていると言われます。

 どこに消えているのか分かりません。イラク人に渡って消えているのか、あるいは請け負った企業で消えているのか、使途不明のお金が3分の1にも上っています。総額が330億ドルという巨額であることを考えると、恐ろしい数字です。100億ドル近くが使途不明で消える。世銀か国連だったかと思いますけれども、「史上例のない規模の不正が行われているのが今のイラクの復興ではないか」というような報告すら出されています。今のイラクの復興事業の実態は、資金をいくら注ぎ込んでも実を上げない仕組みになっているという問題があります。

 このアメリカのばらまき、「治安を優先させるためには、目の前にいるイラク人たちとうまくやって行くしかないんだ」という米軍主導の資金供与は、政治的にも大きなもう一つの禍根を残しています。それが今のイラクの宗派対立、民族対立に結びついていると言って差し支えないでしょう。


移行政府成立の過程

民族と宗派

 私どもはよくイラクという国について、あるいは中東どこについてもそうですが、「彼らは民族的、宗教的に複雑で、お互いに長年対立を続けており、とても一筋縄ではいかない。そういうことから、常に内戦の恐れがある。したがって、イラク戦争前までのサダム・フセイン政権があれだけの強大な独裁体制を敷いてきたのも、それでないと国がまとまらないからだ」などと言ったりします。

 しかし、70年代80年代に中東地域でお仕事をされた方はご存じかと思いますが、実際、中東は、蓋を開けてみると、案外民族的にも宗派的にも、そんなに複雑なものではありません。東南アジアや東欧や南欧などに比べても、実はそれほど複雑な構成をしているわけではありません。サウジアラビアなどは、住民の百パーセントがイスラーム教徒でアラブ人という、きわめて単純なつくりをしています。イラクはそれに比べると多少複雑なつくりをしています。民族的に見れば、アラビア語を母語とするアラブ民族が7割を占め、残り2割程度がクルド語を話すクルド民族です。あと1割程度がキリスト教徒、少数民族その他というような程度ですから、大雑把にいえば民族的には二つに分かれます。

 宗教で言えば、イラクも95%近くの人口がイスラーム教徒です。そのイスラーム教徒は、だいたいシーア派とスンニ派という宗派に二分されます。これは民族とは別です。宗派が違うからといって、言葉が違うとか、顔が違うとか、生活風習が違うわけではありません。こうした宗派の別が厳格に意識されず、非常に世俗的な人々が多かったのが70年代80年代のイラクでした。

 冠婚葬祭のときだけ「自分の家の宗派は何だったっけ」という程度の人たちがたいへん多かったのです。「父親はスンニ派だけど、母親はシーア派。息子の自分はシーア派のお祭りにもいくし、スンニ派のお祭りにもいくし、どちらのお祈りもなんとかやりこなせる」というような、私どもが葬式に行って「ここは南無阿弥陀仏だな」「ここは南無妙法蓮華経だな」と思うのと同じ程度の人々もたいへん多かったのです。宗派で見てもせいぜい2つ、民族で見てもせいぜい2つですから、それほど複雑なものではありませんでした。大雑把に言えば、宗派と民族を掛け合わせて、アラブ民族のシーア派がだいたい人口の5割、アラブ民族のスンニ派が2割位、そして宗派的にはスンニ派ですがクルド民族が2割位いる。その3つに分けて考えると分かりやすいことは確かです。でも単純化してしまう分、あやういところがたくさんある。

 先ほど述べたように、米軍は治安第一です。テキサスから初めて海外に出てゆく19歳の若い兵隊さんたちにイラクという国を手っとり早く分からせるためには、「国の半分がシーア派という人たちで、その残りの半分の半分がスンニ派で、残りがクルド人で」というようなことを教えていくしかなかった。そして、住民とうまくやっていくために、手っとり早く「誰かシーア派の代表を出してこい。誰かスンニ派の代表を出してこい。何十人も何百人も相手にあれやこれや統治しているのは面倒くさいから、とりあえずその3つがそれぞれ代表を選んでこい」と言いました。人口比に基づいて、シーア派が5人だったら、クルド人が2人で、スンニ派が2人というかたちで、とりあえずアメリカが分かりやすいように代表を出させて、それで国をまとめていこうという統治の仕方をしたのです。

 クルド人の場合は、クルド語という少数民族特有の特殊な言葉を話しているので、比較的まとまりもあるし、代表を出せといえば、一応、代表的な政党なり代表的な人物が出てきます。しかし、シーア派とかスンニ派という宗派になると、それまでは、あまりこだわってきた問題ではありません。イラクの人たち、特に都市部の人々にしてみれば、自分がシーア派なのかスンニ派なのかは、あまり大きな違いではなかった。むしろ都市部の人たちにしてみれば、自分が公務員として、どこの省庁で何年キャリアを積んできたかというようなことの方が余程重要だったのですね。

 イラク人の側は、戦後のイラク統治、新生イラクの国づくりでは、宗派とか民族とかいう自分の出自、出身地域などではなく、キャリア、能力で登用してほしいと考えています。しかし、能力は、外国人がパッと見て分かるものではありませんから、アメリカとしては、そういう面倒くさいプロセスより、手っとり早く「宗派別に何人、何人、何人でいきましょう」という話になります。

スンニ派の凋落と反発

 戦争が終わったあと、アメリカがイラク人の組織を作っていくときのやり方は、たとえば大臣を30名選ぶ場合に、「シーア派が必ず何人いなければいけない。クルド人が何人いなければいけない。キリスト教徒も一応1人位は入れておかなきゃいけない」というものです。その大臣に能力があるかどうかは二の次です。能力がある人だけを選んでいくと、どうしても宗派に偏りが出てきます。スンニ派は、フセイン政権の頃からずっと政府の中枢を担ってきた人たちが多いので、能力重視で登用すれば、どうしても人口比に比べてスンニ派の方が多くなってしまうという問題が生じます。あるいは言葉の問題があるので、少数民族のクルド人の登用数が多少減ってしまうことにもなりかねません。そういうことを避けて、能力二の次で、出自母体のバランスを保つように物事を決めていきました。その結果、能力があり、今後のイラクの国づくりを担っていけると自負していた人々が、政権の中枢、国家建設の中枢から外されてしまうということが、あちらこちらで起きてしまったのです。その典型的な例がスンニ派の人たちです。

 スンニ派の人たちはフセイン政権のときに比較的政府の中枢についていたと言いましたが、必ずしもフセイン政権の時代だけではなく、アラブ諸国の歴史をさかのぼると、19世紀の頃から継続してイスラーム世界全体でスンニ派が主流を占めてきたのです。全世界のイスラーム教徒の人口で見ると、スンニ派が9割に対してシーア派が1割しかいないんです。この1割のシーア派がイランとイラクの南部に集中して住んでいるのです。ですから、シーア派の人たちは、イラク国内では多数派であるけれども、イスラーム世界全体を見ると、常に少数派の立場にあったのです。

 そのような宗派の人口構成を背景に、イラクのみならず、イスラーム世界全体で、政治や軍といった官僚機構の中心はスンニ派によって担われてきたのです。そこに今回の戦争の後、初めて「人口比で物事を決めないと」というアメリカの考えが入ってきます。そうすると、スンニ派の人たちにしてみれば、これまで何不自由なく、能力に応じて公務員のポストも軍の役職も得られていたのが、一転して「あなたたちはフセイン政権につき従ってきたでしょう」として、まるで戦犯のように扱われ、政治の中枢から追い出されてしまう。

 このスンニ派の人たちは、ただ「単に機械的に人口比に従って役職を配分するような戦後の国づくりのやり方はおかしい」といって、今の戦後体制に一貫して反発してきました。その結果、今年の1月に行われた初めての自由で民主的な選挙では、スンニ派の人たちが「このままスイスイ行かれては困るが、さりとてクルド人に投票するわけにもいかず、シーア派に投票するわけにもいかないし、スンニ派の候補と言っても、なかなか見つからない」ということで、結局選挙にも行かず、立候補もせず、選挙プロセスからすっぽり抜け落ちてしまったのです。

 そういう選挙でしたから、結果も歴然としています。選挙に積極的に参加したシーア派の人たちと、少数民族のクルドの人たちばかりが議員として選ばれて、スンニ派の議員は数えるほどしかいなくなってしまった。シーア派の人口が5割と言いましたが、選挙結果では6割7割近い票をシーア派の人たちが獲得しています。このような状況のなかで、今年の4月に、正式な政権が決まるまでの6カ月間だけを担う移行政府が立ち上がりました。この政府は、上記のような選挙の結果を反映しているので、シーア派の人たちが要職を占める、たいへん偏った政府になってしまいました。


移行政府の抱える問題

イスラーム主義勢力のポスト独占

 ここで、移行政府がどういう問題を持っているか、これから戦後復興を順調に進めていけるかを検討したいと思います。先ほど、戦後復興の過程で、アメリカが宗派や民族にこだわって人材を登用してきた結果、スンニ派が脱落してしまい、今のイラクの政府はシーア派にほぼ独占されていると言いました。しかし、本当の問題は、シーア派が多数を占めて政府を牛耳っていることではないんです。端的に言えば、今のイラクの最大の問題、あるいはアメリカが一番頭を抱えていることは何かというと、シーア派の中でも特にイスラーム主義勢力と呼ばれる人たちが政権の中枢をほとんど占めていることなのです。

 イスラーム主義勢力については、他の講義でも聞かれたかと思います。いま、「シーア派」だけではなくて「イスラーム主義」が出てきたことが問題なのだと言いましたが、「でも、イスラーム教の国でイスラーム主義は当たり前じゃないか」と受け止める方が多いと思うのです。ここで皆さんに注意して頂きたいのは、政治的なイデオロギーとしてイスラームを掲げる人々と、日常生活でイスラーム教徒であることは、まったく違うということです。

 単に日常的なイスラーム教徒であるということであれば、先程触れたように、イラクの人口の9割以上、サウジアラビアの百パーセントがそうです。また、エジプトでもシリアでも、いわゆるイスラーム教の国、イスラーム教徒の国はたくさんあります。インドネシアやマレーシア、バングラデシュを含めて、世界中にイスラーム教徒が人口の大半を占める国は多々ありますが、イスラーム主義を政治的に掲げて、それに基づいて国をつくって行くという考え方の人々が政治を主導している国、すなわちイスラーム国家は、実は世界で2か国しかありません。ちょっと広く解釈しても3か国しかないのです。それはイランとサウジアラビアです。

 イランとサウジアラビアは他とどう違うのか。イスラームを国の法律、あるいは国の制度として、政治と宗教を一致させて国を運営しているところです。他の国々は、イスラーム教徒が百パーセントを占めようが、国民がいかにイスラーム教に信心深く熱心であろうが、それは国の制度や国の法律で規定されているわけではありません。一部にそうしたイスラーム的な掟を国の法律として取り上げている国はありますが、上から下まで全部について「イスラームに反してはいけない」という規定を国として定めているのは、現在わずか2カ国しかないのです。これはたいへん大きな違いです。

 イラクではシーア派が過半数を占めていて、その中でも特に政治の中枢を担いつつあるのが、イスラーム主義者、すなわち、このような意味でイスラームを国づくりの根幹に置こうと考えている人たちです。具体的には、憲法を初めとして、「イラクの法律体系、国の統治の根幹を支える法律全体をイスラーム的にしてしまおう。イスラームに則った法体系にしよう」と考える人たちなのです。こうした人々は、イランなどで著名です。そう考えると、アメリカはイラク戦争でフセイン政権を倒したものの、なんだかんだと戦後復興のシナリオを誤り、結局イランと似通った国をイラクにつくってしまうことになるのです。

 ここで謎なのは、「なぜそんなにイスラーム主義の人たちが出てきてしまったのか」です。これを説明していると長くなるんですが、一つには、戦後の混乱の中で宗教の持つ力がたいへん大きかったことでしょう。政府がない。政府の公共事業がない。福祉政策がない。あるいは教育や医療、そういったものを担う公共サービスがない。そんなときに、日本や欧米諸国であれば、おそらくNGOなりなんなりが活躍すると思いますが、中東諸国では、どこでも、政府がきちっとした公共サービスを担えないと、それを代替して行うのは宗教勢力なんですね。常識的に考えてもお分かりだと思いますが、宗教勢力が人々の生活を支えていく。戦後の混乱期であればあるほど、そういう能力を発揮していく。その勢いに乗って早く選挙をやった結果、民主的に選ばれた人々は、どうしても宗教的な人々ということになります。

治安機構を牛耳るイスラーム勢力

 そういった人々が政治の中枢に立って、今の「イラクをイスラーム化していこう」という流れになっているのです。シーア派のイスラーム勢力が政治の中枢を占めることでいろいろな問題が生じているのですが、そのうち最も大きな問題は何か。いまだに続いている深刻な問題として、イスラーム勢力が治安機構を牛耳ってしまったことがあります。イスラーム主義勢力の中でも一番イランに近く、イランで設立されたイラク・イスラーム革命最高評議会(SCIRI)という組織がありますが、現在のイラク移行政府の内務大臣は、その幹部を長く経験した人です。このSCIRIという組織出身の内務大臣が着任して以来、SCIRIあるいはSCIRIと密接な関係を持つバドル部隊という組織が、内務省に連なる警察、治安部隊などの治安組織をすべて握っていると言われています。

 冒頭にお話したように、アメリカはイラクの治安に関しては「アメリカ兵の命を失わせないこと」を第一に考えていますから、治安を肩代わりしてくれるイラク警察、イラク軍をどんどん前面に使って行く考えです。しかし、前面に使って行くといっても、警察でも軍隊でも、昨日今日入った素人は役に立たないわけです。ある程度経験を積んだ人たちでないと使いようがない。そこで、イラク人で実戦経験を持つ人というと、フセイン政権時代の軍人あるいはフセイン政権時代の反政府ゲリラ部隊のどちらかしかいないわけです。

 フセイン政権時代の軍人たちは、戦犯扱いですから、怖くて使えない。彼らを使うぐらいだったら、「むしろフセイン政権とわたり合って来たゲリラ部隊を使おうじゃないか」という話になって、結局いまの治安部隊では、フセイン政権時代に反政府活動を続けていたイラク・イスラーム革命最高評議会のようなイスラーム勢力の民兵組織が使用されているのです。

 ここで一番の問題は、この民兵組織がどこでゲリラの実戦経験を積んで来たのかということです。SCIRIという組織は、1982年に結成されて以来、イラク戦争が終わるまで、一貫して隣国のイランで訓練を積んで来た、イラン子飼いの組織と言ってもいい組織なのですね。この民兵組織は、イランの革命防衛隊とかイラン国軍とか、そういった人たちの指導を受けてつくられています。彼らが今イラクの新しい警察や治安を担っているわけですが、「イランの軍人とどこが違うの?」というような状況になってしまうわけです。

 このことは、もちろんアメリカもあとから気付き、頭を痛めていることなのですが、つい数年前までイランで軍事訓練を受けていたような人たちがイラク政権の中枢でバリバリやっていることに一番恐れを抱いているのは誰か。それは長年イラクに住んでいた人たちです。長年イラクでイラク軍やイラク政府に勤めていたような人たちがたいへん困っているのです。

 イラクは1980年から88年まで、8年間にわたってイラン・イラク戦争を戦いました。当時のイラク政府はもちろんフセイン政権でしたが、なぜイラン・イラク戦争をやってきたのか。「隣のホメイニのような宗教政権がイラクにまで手を伸ばしてきたら、イラクという国がこれまで積み上げてきた世俗的、近代的、西欧的な発展が全部ないがしろにされてしまう。これはとんでもないことだ」と言って、イラン・イラク戦争を8年間戦い抜いたのです。もちろん、「そうした考え方は何かおかしいな」と思いながら、仕方なく戦争に行って戦った国民もいました。しかし、一方で、「でもやっぱりイランに来られたら怖いな。ホメイニのような坊さんに引っ張られて行くのはいやだな」と思って戦ってきたイラク人もたくさんいたのです。

 これがたかだか10数年前のことなのです。イランのバリバリのイスラーム勢力と、祖国を守らにゃいかんといって戦ってきた人たちが10数年前にいたのです。それが今の世でどうなっているか。ホメイニの下で指揮、訓練を受けてきたようなイラク人のイスラーム勢力が、勝てば官軍のような立場で、今のイラクの政府の中枢にいる。「こんなはずではなかった」と考えるイラク人は、フセイン政権の支持者ではなくても、たくさんいるだろうと思うのです。

 このようにして移行政府が4月に立ち上がり、その中でイラン仕込みの民兵が台頭してきた状況を見て、それ以降、イラク国内の治安がさらに悪くなった側面もあります。それはまさに今言ったような、「警察が信用できない。軍人が信用できない。新しい政府の治安組織がなんだかイラン人と同じように見えて、あんな連中に従うくらいだったら、抵抗運動を続けるぞ」と言う人たちがかえって増えてしまったからです。

 よりあからさまに言えば、最近問題になっているのは、警察が自ら治安を乱しているという事態です。シーア派のイスラーム主義という頑迷なイデオロギーの下で教育を受けてきた人たちが主流をなしてゆく中で、本来ならば政治的に中立であるはずの警察や治安部隊が中立的な治安維持活動をしているか、していけるかどうかは、たいへん怪しいものがあります。

 「あそこの事務所はテロの拠点になっている」と言ってイラク警察が押し入るということがしばしば報じられるのですが、見ておりますと、政治的なライバルの事務所に押し入って、何か嫌がらせをしているのではないかと思われるようなケースがままあります。そういう事態を考えると、今の政府の性格そのものが、かえって治安を悪くしているという側面があって、それが今後の不安定要因につながって行く可能性もあります。

連邦制の構想と問題点

 今のイラクが抱えている次なる問題は、クルド少数民族の処遇問題です。先程言ったように、クルド民族は人口の2割近くを占める少数民族ですが、彼らは少数民族の常として、民族自治を長年求めてきました。彼らは、イラクという国ができる前から一定の独立ないし自治を求めてきたのですが、この度、イラクの新しい憲法草案の中で、その自治を固定化させる連邦制の構想が承認されました。つまり、イラクという国を、単独の国ではなく、アラブ自治共和国とクルド自治共和国という2つの民族自治共和国の連邦国家としようとするものです。

 クルドの少数民族にとっては、自治がかなりの程度認められるということで、長年の悲願実現への大きな進展ですが、連邦制となるとしても、ただ単に一定の政治的な自治を認めることにとどまらない効果が出てきます。象徴的な意味での自治だけではなくて、自治あるいは自治権にどれだけのお金が付いてくるかという問題が切っても切れない難問なのですね。

 キルクークというクルド人の多い北部の地域に存在する油田は、イラクの国内および中東でも一番古く、1927年から操業している油田ですが、クルド民族は自治を要求するにあたって、長年これをクルドの自治地域に組み込みたいと言っています。組み込んだ以上は、当然そこから上がる石油収入および油田を開発する開発権やその他の利権についても、すべて中央に吸い上げられるのではなくて、「自治政府が大きなシェアを持つべきだ」と言いはじめたのです。そうなると、ただ単に民族独立とか民族自治という話ではなくて、だんだん地下資源の取り合いという話に発展します。

 北部のキルクーク油田もさることながら、イラクには南部の地域に大きな油田がたくさんあります。イラクの南部からクウェート、サウジに到る辺りは、どこを掘っても石油が出てくるような土地柄なので、南部の油田はたいへん重要な資源です。そうなると、北のクルド民族が油田の所有を主張して取り分を何割か要求するのであれば、「南だって同じようにしてもらいたい」という要求が当然出てきます。

 南に住んでいる人たちはシーア派の人たちです。シーア派の人たちは、人口の5割以上を占めていますから、イラクの国内では多数派です。したがって、べつに地方自治政府などをつくる必要は本来ないのですが、お金や利権の取り分の問題となると、彼らも南部の油田を自分たちで管理して、儲けを自分たちのポケットに入れたくなるのは当然で、そのために彼らも地方自治を要求するようになってきます。

 このように、本来ならば「7割のアラブ民族に対する少数のクルド民族の権利を守らなければ」と始まったはずの連邦構想が、石油が絡んでくることによって、徐々に国の陣地取り合戦というか、資源をめぐる陰惨な戦いに変わりつつある状況です。

 問題はさらに波及します。クルドとシーア派の住んでいるところには油田があるけれども、「残るスンニ派はどうするのか」という問題です。べつに好き好んでそこに住んでいるわけじゃありませんが、スンニ派の住む中部地域、中部、西部地域は、今のところまだ油田がない地域なのです。掘ってみなければ分からないのかもしれませんが、今のところは砂漠地帯の油田の見つかってないところにスンニ派は住んでいる。選挙をやってもスンニ派は取り残されているのに、追い討ちとして、連邦制だの油田権益分配議論がどんどん進んでいくたびに、スンニ派は置いてきぼりになっています。置いてきぼりになればなるほど、声高に叫んだくらいでは振り向いてくれないから、暴力に訴えます。あるいは「力で分からせてやるしかない」という感覚にどんどん慣れていきます。こうした状況を目にすると、今の移行政府が行っている政策自体が、国の治安や経済的な発展を保証するものというよりは、かえってややこしくしている。それが今の現実なのかなと思います。 

法体系をイスラーム化することの問題点

 憲法の制定について、今の移行政府にとって、もう一つ大きな問題があります。今の移行政府の主流はイスラーム主義勢力によって占められていますが、彼らは憲法をはじめとした法律体系をイスラーム的にしようと考えている人々なのです。その枠組みは着々と具体化されており、この10月の半ばに制定された新しい憲法でも、イスラームを国教とすることが盛り込まれています。それに加えて「すべての法律はイスラームに反してはいけない」という条項も盛り込まれています。

 これはどういうことを意味するか。これまでのイラクの法律は、必ずしもすべての法体系がイスラームに基づいて形成されていたわけではありません。むしろイラクは、フセイン政権のときもそれ以前も、アラブ諸国の中では比較的世俗化が進んだ国です。むしろフセイン政権などはホメイニを嫌って、宗教がかった政策を徹底的に排除した経験を持つ政権なのです。ですから、たとえば女性の社会的な地位を見ても、イラクは、アラブ諸国の中でも最も早く、今から50年近く前の1959年に女性を閣僚に登用したという、たいへん先進的な女性政策をとってきた国なのです。

 イラン・イラク戦争の中で、男性が徴兵で戦場に取られていき、国内の労働力が不足したとき、出稼ぎ外国人労働者を雇えば賃金支払いに外貨が流出して困る。それで、女性がどんどん職場に進出してくるという時期がありました。80年代の後半などは、特に銀行などに行くと、日本でも多少そういう光景は見られますが、奥の方におそらく課長だか部長だか、男性が1人座っていて、窓口はもちろんのこと、ずっと奥の方まで全部女性で、時には奥の方で赤ん坊をあやしながら女性が一所懸命書類に判をついている。そういう中で、一番奥の課長だか部長だか一人だけ男で、居心地悪そうに、ぽつねんと座っているという光景も何度も見かけました。

 そのように、イラクでは戦時下ということもあり、かつ世俗的な政策ということもあり、女性の職場進出は非常に進んでいたのです。そのような環境ですから、婚姻だとか相続だとか、あるいは男女の社会的な地位などを定める民法は、イラクでは完全に世俗法に基づいて定められていました。民法では相続権であるとか婚姻においても、男女の差別を設けないことが基本になっていたのです。ところが、今回の憲法で、「すべての法律はイスラームに反してはいけない」ということになると、この民法がおそらく問題になってくるでしょう。

 イスラームの場合は、コーランとハディースという預言者マホメットの言行録など、初期のイスラームの啓典を、憲法のように基本にして、その上に法律体系を作り上げていったのです。そのイスラーム法の中には、これもたいへん難しい問題なのですが、たとえば、7世紀の話ですから仕方がないんですが、「女性は能力も資格も、いろんな意味で男性の半分しかない」とか「女性は感情的だから判断は女性には任せられない」というようなことが書いてあるのですね。

 でも、近代的あるいは合理的なイスラームの法学者などは、なんとかそれをうまく現代社会に当てはめようとして、「女性が感情的だから能力が劣るなどと書いてあるけれども、感情的でない女性の場合は一人前の男性と同等の権利を持っていていいんだ」とか(笑)。そこはやはり法律ですから、解釈でいかようにでもなるのですが、いろいろな制約があることは確かなのです。たとえば、女性の相続は男性の半分しかない。これもまた、いろいろ面白い解釈があって、「でも、扶養義務とか、すべての家庭の支出義務は男性の方にあるから、出費が多い分だけ男性の取り分が多いのは仕方がないんだ」なんていう話もあります。しかし、宗派によっても違うわけですね。

 極端な宗派では、相続する際に女性は相続できない。男性の家系が相続する。昨今の皇室典範の問題ではありませんが、年上からいくのかとか、子どもが女だったら弟にいくのか、娘にいくのかみたいな話は宗派によっていろいろ違います。イラクの新しい憲法案では、そうした点でイスラーム法に逆らってはいけないことになっていますから、宗派によっては娘がまったく相続できないことになります。これまた面白い話で、「こういうことになったら、あなたどうするの?」と聞いたら、「うちの宗派は娘に相続させられないけど、うちは娘しかいないからしょうがない。改宗するわ」なんていうようなうちもありました。そのように、特に女性の問題、あるいは家庭内のさまざまな近代化が進んだ部分が、新たな憲法の下で逆行してしまう。


最後に

 治安政策の面では、イランで訓練を受けた元ゲリラのような人たちがイラクの治安を担い、憲法、法律体系においても、それまでせっかく近代的、世俗的な国づくりをしていたのが、いきなりイスラーム法が舞い戻ってくるという現状を考えると、アメリカは一体イラク戦争によって何を達したのでしょうか。フセイン政権を倒したことはみんな喜んだけれども、その代わりにイランのような政権をつくってしまった。そのイランでは、この6月からアフマディネジャドという、たいへん保守的な大統領が選出されています。

 どうやら、中東では、民主化すればするほど、イスラーム勢力が力を持つようです。イラクの移行政府も、選挙をやったからこそ、こういう政府になったわけですね。イランの大統領も、大統領選挙でちゃんと選ばれて出てきた超保守的な大統領なのです。ですから、フセイン政権の独裁がいかんとか、イランの核兵器開発がいかんというレベルの話ではない。中東には、民主化すればするほど、大衆に声を上げさせれば上げさせるほど、イスラーム勢力が力を持ってしまうという厳然とした事実がある。それが政治的に出てきてしまうことに真っ向から向き合っていかなければならないと思うのです。

 それに対して、「悪の枢軸だ」といって武力で叩いているだけでは収まらないわけです。そうやって出てきたイスラーム主義勢力を、何とかしてうまく国際社会の一員として共存させ、穏健化を期待するしかないのではないでしょうか。若干長くなりましたが、そのような結論で私の話を終わりにしたいと思います。ご清聴ありがとうございました。(拍手)


質疑応答

質 問

2点ほどお伺いしたい。第1は、チャラビーという人物をどう評価するか。第2点は、イラクのどういう人たちが制度としての民主制を望んだのか。

   
講 師

チャラビーという人は、戦争前からずいぶん話題になっていました。最初はヨルダンやイギリスに亡命し、その後アメリカに亡命していました。40年程ずっと亡命していたイラク人なのですが、アメリカのネオコンの人たちに早くからつながって、「フセイン政権を早く倒してくれ」と言って、ブッシュ政権を動かして戦争にまで引っ張っていったのはチャラビーだとよく言われております。この人は、もともと40年程前の王政時代の頃の大きな家系の末裔と言われていますが、基本的には一介のビジネスマンだった人です。それがネオコンとの関係の中で、戦前から少しずつ反政府、反フセイン勢力のあいだで名をあげてきたわけですが、特別に組織を持っているわけでもない。民衆の支持があるわけでもない。ただ世渡りだけはたいへんうまい人物であり、そうやってネオコンにくっついてきたかと思うと、国防総省となじみになり、戦後は国防総省に見限られたと思ったら、今度はイランに飛んで、イランと太いパイプを持つ一方、宗教勢力と近しくなり、まるでイスラーム勢力のように振る舞っている。一言でいうと、風見鶏で世渡りのうまい人物です。必ず金脈はキープしている人なので、お金の力でいろんなところとパイプを持って、うまく世渡りをしている人だと思います。

その程度の人物ですから、戦後すぐ消えてしまうんではないかと、私どもはずっと思っていたんですけれども、なかなか消えない。政治屋というのはこういう人物なのだという典型的な例だと思います。この程度しかお話することはありません。

次の質問ですが、制度的に民主化を求めたのは、一番典型的にはシーア派の人たちです。つまりシーア派およびクルド人たちです。フセイン政権時代に能力主義で中央に登用されず、教育にも経済的にも遅れをとり、十分な権利を与えられなかったと思っている人たちにとって、数に物をいわせて自分たちの代表を選ぶという制度は長年願ってきたチャンスでしたから。そういう声を強く発したのは、もっぱら南部のシーア派の人たちだと考えています。

   
質 問

アルカーイダといっても確固たる拠点があるわけでなく、はっきりした人脈や組織があるわけじゃない。情報がボーダーレスに流れる中で、毎日人が虐待されるのを見て、止むに止まれぬ気持ちになって立ち上がった人々だというお話がありました。さらに、貧富の格差があるということでもなく、文明の衝突でもないと伺って、ますます、なぜテロに走るのか、その飛躍が分からない(笑)。ネットで誘い合って自殺する場合は、あくまでも同調した結果であって、公共施設に突入して自爆するのとは違うと思うんですね。止むに止まれぬというのは、人間として、あるいは民族の一員として、素直な気持ちだと思うのですが、それがなんでテロになっちゃうのか。お話を聞いて、ますます分からなくなってしまったので、もう少し教えて頂きたい。

   
講 師

おそらくその点が、これから解明していかなければならないことだと思います。ここまで分かるのにも、けっこう大変だったのです。テロ行為への飛躍の過程は、これから調べていかなければならない領域です。テロ未遂で終わった人たちにインタビューをした記事などを見ても、なんでそこまで到ったのかと聞くと、「世の中が間違っているから」ということでしかないんですね。

先程しっかりしたネットワークがあるわけじゃないと言いましたが、そういった人々をリクルートして、武器を与えて、訓練をさせて、指令を与えるというコアがあることは確かだと思うのですね。

   
質 問

お金も出ているのですか。

   
講 師

どこかに確固とした資金源があるということではなく、止むに止まれぬ思いで義勇兵に身を投じる人たちが多いのと同様に、止むに止まれぬ思いで寄付をする人たちがたくさんいるのです。「チェチェンの若者を助けよう」などという寄付のネットがあると、「自分はなんでこんなところで、のうのうといい生活を送っているんだろう」と思って、自分のお小遣いを寄付する人たちがいて、それが結局回り回ってテロ組織に流れていくこともあるのですね。

こうした資金の流れが、なかなか解明できない。末端部分とずいぶんかけ離れていて、寄付をする人たちは、それが自爆テロに使われていることはまったく意識してないというケースもたいへん多いと思うのです。しかし、コアの部分は、きちんと解明していかなければいけない。

一方でコアの部分を犯罪組織として取り締まることを一所懸命やると同時に、他方で心理的に犯罪組織に引っ張られて乗っかってしまうような止むに止まれぬ思いを抱く若者を、その気持ちから救い上げるような教育なり心理相談という両面でやっていかないと、たぶん解決できないだろうという気がします。これからの研究に期待するとしか言えません。

   
質 問

先生の話を聞けば聞くほど、基本的な疑問が浮かんでくるのですが、アメリカはフセインをノックアウトして、行政組織も国軍も全部解体したわけですね。そうすると、アメリカはその後、何をどうしようとしていたのか。ほんとうに何もなかったのか。それとも、一定のプログラムはあったけれども、それがいろんな要因で実現しなかったのか。たとえば日本の敗戦時に進駐したマッカーサーは、軍人としても優秀でしたが、行政官としても非常に優秀でした。国軍の解体とか内務省の解体、財閥解体とやりましたけれども、基本的に戦前の統治組織は、天皇制も含めて、全部継承したわけですね。韓国の場合は公共のインフラは全部残して、アメリカに亡命していた李承晩を連れてきてシャッポに据えた。そういう例が過去に幾つもあったのですが、アメリカは何を考えていたんですか。

   
講 師

まさにおっしゃる通りで、日本の研究者もアメリカあるいはイギリスの研究者も、アメリカと一緒にイラク戦争に加わった人たちのほとんども、アメリカが戦争をやると決めたのだから、「後のことも考えているんだろ」うと思って参加したところ、やがて、何も考えていなかったことを知って青ざめたというのが本当のところだと思います。

アメリカはいろいろ準備していなかったわけではありません。特に国務省などが、チャラビーなども含めて、いろいろなところをまとめて、戦後のさまざまな注意点を教えていた。「イラク軍を簡単に解体してしまうと厄介なことになる」とか、バース党という当時の「与党を扱うときには注意しよう」とか、戦後実際に問題になったようなことについて注意書きが残されていました。

分厚い報告書が何冊もあったのですけど、そういう対応策がなぜ活かされなかったのか。それは、なんと言っても、戦争から戦後復興にかけて、一番重要な時期に国務省ではなくて国防総省が全部決めてしまったから。ある筋に言わせれば、戦争があまりにも簡単に行ってしまったので、切り換えるタイミングを逃してしまった。イラク兵を殺しに入ってきた兵隊に、「戦後の復興の中心を担え」「住民と仲良くやれ」と言っても無理な話でしょう。おそらく、ペンタゴンが勝ちの勢いに任せて復興まで手を付けてしまったので、初期に予定していたさまざまな注意事項を全部ネグってしまった。その結果、注意事項すべてがマイナスに出てしまって、落ちなくてもいい罠に全部落ちてしまったのが戦後のアメリカの最大のミスだったと言われています。

もう一つの要素は、湾岸戦争のときにチャラビーなどの政治屋たちがアメリカにずっと吹き込んできたのが「イラク国民の多くはアメリカがフセインを倒してくれることを願っている」という感想だったことです。亡命イラク人が、これを懇々とブッシュ政権に伝えてきた影響があると思うのです。たしかに湾岸戦争でフセイン政権の崩壊を期待したイラク人は多かったでしょう。戦後、十何年間何もしてくれなかったアメリカが、またやって来て、フセイン政権を倒してくれた。しかし、湾岸戦争当時と同じように「アメリカさん、来てくれてありがとう」と言うかというと、これがまったく違ったのです。アメリカとしては、十数年前の湾岸戦争のときと同じように歓迎されると思って入ったら、ぜんぜん歓迎されなかったので、戸惑っているところもあると思います。

   
質 問

アメリカはおそらくイラクの泥沼から足を抜いていくと思いますが、そのあと、どういうことが起きるか。イランはどうするのか。アメリカはどうするのか。あるいは中国、ロシアの関心はどうか。大変なことが起こりそうな感じもしますが。

   
講 師

きょうお話したような状況のままで米軍を主とする多国籍軍が完全に関与を止めることになると、かつてのゲリラ部隊の民兵勢力が好き勝手にやってしまうという話になりますから、おそらくアメリカも「それはまずい」と考えていると思うのですね。アメリカも5月以降少しずつ減らしていくと言っています。その間に、12月15日の次の選挙があって、正式政権ができますが、そのときには、今ほどに主要閣僚全部がイスラーム勢力に牛耳られるという状況から少し変わるのではないかと期待しています。

イラクの国民のあいだにも「ちょっとイスラーム勢力が勝ち過ぎだ。これはいかんぞ」というムードが生まれ、少し揺り戻して、もうちょっとニュートラルな人が内務大臣なり国防大臣なりになって、少し受け渡し先を確立してから手を引いていくことを考えているのだと思いますけれども、果たしてそれが順調に行くかどうかはまったく分かりません。表面的にはそういうかたちで進めたとしても、多国籍軍がいなくなったら、結局は地元の勢力が力に任せて行動するというようなことが起こりそうな気がします。

その中では、やはりよく言われているように、内戦というオプションも今となっては否定することができない状態になっています。とりわけ先程言ったように、油田の取り分というような話になりますと、プライドの問題ではなく、お金の話になりますから、そうした性質の危険性は今後高まっていくだろうという気がします。

   
質 問

日本はいまサマーワに自衛隊を送っていますが、いったいどうしたらいいんでしょうか。

   
講 師

みなさんこれに一番関心がおありかと思います。一言だけ言うと、これまでお話したように、アメリカにしてもイギリスにしても、来年ぐらいからは徐々に手を引いていきたい。イギリスなどは明確に「春にはやめたい」と表明しています。南部では相当手を引いていますので、多国籍軍は引きぎみになっております。それに加えてイラク政府も、自分の勢力をいかに軍隊や治安警察の中に押し込むかを考えているので、多国籍軍がうっとうしくなってくると「さっさと帰って頂きたい。あとはイラク人でやりますよ」という方向になってくるでしょう。

そこで厄介なのは、イラク側も多国籍軍側も、治安維持の名目ではもう引いていこうという方向ができているのですが、自衛隊は治安維持ではなく、人道支援ということで行っているわけです。人道支援なり、開発復興ということで言えば「まだまだやってくれにゃ困る」という(笑)。むしろ「これからは治安維持じゃなくて復興支援だ」とイラク側は言っているのですから、下手をすると全部の多国籍軍が帰っても、「自衛隊だけはまだまだやってよ(笑)」と言われる可能性も出てこないとは言えない気がします。(拍手)

 


講師略歴

酒井 啓子(サカイ ケイコ)

生年月日:1959年2月10日

東京外国語大学大学院教授
専門分野:イラク、中東、現代政治

略歴
1982年 東京大学教養学部教養学科(国際関係論分科)卒業、アジア経済研究所入所(動向分析部)
1986年〜1989年 在イラク日本国大使館専門調査員
1989年 アジア経済研究所総合研究部(中東総合研究プロジェクト・チーム兼務)
1995年〜1997年 アジア経済研究所在カイロ海外調査員(カイロ・アメリカン大学)
1997年 同総合研究部(中東総合研究プロジェクト・チーム兼務)
2001年 同地域研究第2部副主任研究員
2003年 同地域研究センター参事
2005年 現職