対抗宗教改革とイタリアの斜陽 ―17世紀ヨーロッパの美術

 

講師 恵泉女学園大学人文学部文化学科助教授

池上 英洋 

平成19年1月30日 於:如水会館

【無断転記転載を禁ず】

社団法人 如 水 会

責任編集

 




◆内容目次

はじめに

イタリア・バロック美術とは何か

対抗宗教改革と同義語

意味や物語を持つ絵画

サンピエトロの拡張

資金調達のための免罪符の発行

95か条の質問状

ルターの宗教改革

ルター思想の伝搬

宗教的対立の美術への反映

カルヴァンらの主張

数の合わない聖遺物

イコン=神を描くことの愚かしさ

プロテスタントによる聖像破壊

カトリックにおけるイメージの必要性

サッコ・ディ・ローマ

カトリックの回生を誓うイエスズ会

モットーは教皇の絶対権限

海外遠征に台頭するスペイン、ポルトガル

コロンブスからマゼランへ

フランシスコ・ザビエルの日本での布教活動

イエズス会の南米布教

南米・アフリカの奴隷貿易

トレント公会議

確認されたこと

イコンの扱い

倫理上のクレーム

ルネッサンスから激変するスタイル

古典的均整美から精神性の表現へ

古典主義を確立したラファエロ

創作者からコーディネーターへ

若い時期の真の傑作

17世紀美術研究のキーポイント「ラファエロ」

対抗宗教改革派の旗印

レーニ、カラッチ、カラヴァッジョ

カタコンベの発掘

「聖チェチリア」の遺体の発見

対抗宗教改革側の美術の典型例

レーニ、グエルチーノ、ランフランコ

聖人に叙せられたイエズス会創設者たち

ラファエロは古典と同義語

バロック美術が最初に求めたもの

バロック美術の約束事

典型的なカラヴァッジョの作品

身近に感じる

感情移入が生じる

カラヴァッジョの他の作品

強力なライバル、カラッチとの競作

レーニに対する盗作の非難

急速に受け入れられたカラヴァッジョの様式

バロック美術を一気に変えた画家

明暗の効果

大胆な新しい構図、徹底したリアリズム

静物画でも一級の画家

繊細なリアリズム技法も併せ持つ

カラヴァッジョのバニタス(虚無感)

リアリズムの非情さで描いた聖母マリア

諍いの絶えない37年の人生

結び

「無原罪のマリア」の信仰について

講師略歴


はじめに

 本日の講師を務める池上と申します。私の専門はイタリア美術史です。中世からルネッサンス、マニエリスム、バロックと、かなり広い期間を扱っておりまして、遠近法を中心に、社会史のなかに美術がどのように反映されているかを主に取り上げています。最近はレオナルドの仕事しか来ないものですから、レオナルド研究者のように思われていますけれども、基本的には全部を対象としております。

 本日は17世紀のバロック美術を紹介したいのですが、バロック美術を今シリーズでは10回の講演で、イタリアから始まって、オランダ、フランスと巡り、イギリスで終わる構成ですが、これは当然なのです。というのも、それまでは文化の中心だったイタリアが、バロックに入る頃から少しずつ地位を下げて行くのですね。それと入れ代わるようにフランスが台頭し、その後スペイン、ポルトガルに引き継がれ、やがてイギリスとオランダに移って行くという流れになっています。

 この流れは、経済的な影響を受けて、社会情勢や宗教の状況が変わっていった時期に一致しているのです。今回の話で、経済の発展と美術あるいは文化の展開は表裏一体なのだということを実感していただきたいのです。


イタリア・バロック美術とは何か

対抗宗教改革と同義語

 まず、バロック美術は、対抗宗教改革とほとんど同義語なのです。対抗宗教改革とは、反宗教改革という言い方もしますが、要するにカトリック側の宗教改革のことで、これとまったく同義語でバロック美術というものがあると考えられます。17世紀を少しさかのぼりますが、宗教改革と対抗宗教改革をご理解いただければ、何をもってバロックというのかをご理解いただけると思います。

意味や物語を持つ絵画

 これは版画の例ですが、当時の絵画はなにかしら意味を持っています。当時の人々はまだほとんど読み書きができませんでした。印刷技術もようやく普及し始めた時代で、言語のレベルでも、イタリア語もフランス語も今のかたちにはなっていません。一般庶民の読み書きが普通になったのはつい最近のことですから、われわれが当時のことを知るためには、絵画を読んでいく必要があるわけです。

 たとえば、このスライドはプロパガンダのために作られたビラです。こちらは三重冠をかぶっていますから、ローマ教皇です。立派な白馬に跨がっていて豪華な衣服を着ている。しかし「もともとは痩せたロバに乗っていて、貧しい姿をして、茨の冠をかぶっているはずじゃないですか」という攻撃なのです。当時は教皇庁に対する批判があったのです。 

サンピエトロの拡張

 ローマのサン・ピエトロ寺院は、以前は今のアクロポリスを小さくしたような、わりと真っ直ぐなバジリカ様式の建物だったのですね。しかし、ここは総本山ですから、1500年の聖年を機会に、それを新しくきれいにしたいということで、つくり始めるわけです。正面は再来週の講演に出てきますが、ベルニーニという人がやりました。先ず彼は、中心を大きくしたいと考えたようです。これ上から見るとこうなっています。

 こちらはベルニーニが制作したものです。もともとはブラマンテが手がけて、それをミケランジェロが引き継いで、ミケランジェロの意思とデッサンに基づいてつくられたのです。ですが、これが完成するのはミケランジェロが亡くなった後となります。ラファエロもこの監督官に就いています。

資金調達のための免罪符の発行

 ところで、この大工事には、お金が足りないのですね。当時の教皇庁はもうすでにかなりの借金を抱えています。南ドイツのフッガー家に借金がある。そしてこの建設費を出さなければならない。そういうことで発行されたのが免罪符です。贖宥状(しょくゆうじょう)と申します。贖宥状はこのような形をしています。基本的にはラテン語なのですが、各言語によって、さまざまなパターンがあります。

 この札を買うと、皆さんご存じのように、罪が許されると言われました。教皇庁の中でも、贖宥状を出すことについては、ずいぶん論議があったのです。初めてレオ10世がOKサインを出します。こちらはラファエロの絵です。レオ10世はラファエロのパトロンなのですね。レオ10世がなぜこう金遣いが荒いかというと、フィレンツェのメディチ家の出身なのですね。そして贖宥状を出します。その上がりのお金の半分をフッガー家の支払いに充てる。そして半分をこの建築費に充てることになります。

95か条の質問状

 そうすると、皆さんご存じのように、ずいぶんと批判を受けることになります。一応この流れはぜひ知っておいていただきたいのですが、まず1517年にルターがヴィッテンベルクで「95か条の質問状」を掲示して、「救済は神の意思のみによるものか、あるいは人間の自由意思もそこに何らかの介入ができるのか」という命題を突きつけます。

ルターの宗教改革

 ルターは、非常にペシミスティックな考えの持ち主です。人間がどう努力しても、それがその個人の救済につながるということはない。要するに、「それほど神の意思は手の届かないものである」と主張しました。宗教者の方がお聞きになると、「ずいぶんはしょっているな」とお思いになるかもしれませんが、簡単に申しますとそういうことになります。これに対して、教皇の方は、そうではなくて、「個人が日々の祈りを忘れず、生活を改める。そういうことは必ずその人にはね返ってくる」という考えになっています。

 よく知られているように、ルターは1520年に破門されます。当時民衆は所得の10分の1の教会税を自動的に教会に取られますから、それに対する不満がある。われわれは5%の消費税であれだけ大きく感じるわけですから、10%はずいぶん大きなものなのです。あとは、南ドイツが中心ですけれども、経済独立を図っている諸公がいて、これが教皇の支配から逃れようとする。こうした動きがちょうど結びついて、ドイツの農民蜂起となります。こちらはルター本人が指導しているわけではなく、ルターはこれに対してかなり冷たい言い方をしています。

ルター思想の伝搬

 このルターの考えが広まったのは、後には袂を分かちますが、エラスムスのような文章のうまい人が協力したからです。写本の時代であればこれほど大きな動きには結びつかなかったと思いますが、当時ようやく活版印刷が始まりました。活版印刷の時代となると、今まででは考えられないような部数が出るようになりました。このときドイツ語訳になったルターの聖書、そしてエラスムスの「愚神礼賛」といったものが、今でも累計すればヨーロッパのベストセラーの上位10位に必ず入るのです。

宗教的対立の美術への反映

 それが美術のレベルにおいてどういうふうに反映されているか、ということよく示している絵があります。この2枚は、同じ聖書の別の場所の挿絵で、版が違いますが、南ドイツと北イタリアで出版されたものです。こちらはそれとほぼ同時か少し後れて北方で出版されたものです。こちらはアダムの脇腹からイブを取り出している場面です。こちらの絵には神がいますが、ここにはいません。ここにはヤファーエとヘブライ語で書いてあるだけなのですね。

 これがプロテスタントとカトリックの大きな違いです。面白いですね。ここら辺はまったく同じなのです。版が違うと必ず新しく版を起こしているはずですから、ここにないこのウサギなんていうのは、ちゃんと作り直しているわけですね。

カルヴァンらの主張

数の合わない聖遺物

 ここで、どうしてこういったカルヴァンたちの考えが、そのような聖像に結びつくのかを紹介します。たとえば、この聖遺物というのがあります。聖人とか使徒、からだの一部分といった各地の卒塔婆のようなものが教会に少しずつあるわけです。そこに礼拝堂が建って、そこの聖人を拝むようなかたちになります。それがたくさんいろいろな所にあるわけです。ですからカルヴァンが言うわけです。「ヨーロッパ中に散らばっている聖人のからだを集めると、とても4つじゃ足りない。各々の聖人のからだが4つぐらいないと計算が合わない。ヨーロッパ中の聖遺物をくまなく尋ねてみれば、どれほどのがらくたが出てくるかわかる」カルヴァンはこういう言葉を残しています。

イコン=神を描くことの愚かしさ

 それが実際に聖像破壊に結びつきます。モーセの「十戒」の一つに、「私の姿を像に描いたり、彫ったりして拝んではならない。それは私ではない」という言葉があります。カルヴァンの「キリスト教綱要」は「目に見えるかたちのもとに神を思い描くという愚かしさに誰もが取りつかれた。木や石、金や銀など、いつかは朽ちずにいないもので、人々が神の像をこしらえるようになってしまった。神は立法(十戒)の中でご自身のみが神であることを告げられた。そしてこのように言われたのだ。『あなたは自分のためにいかなる物も、形も、彫像も作ってはならない』と」言っています。これがプロテスタントのいわゆる聖像、イコンに対する考え方です。これが基本姿勢です。

プロテスタントによる聖像破壊

 これはスイスの地方の当時の記録ですが、それまで普通に拝んでいた教会の中に入って、こういった彫像をすべて出して焼いてしまう。このときにかなりの美術品が失われてしまったのは、美術史家のわれわれにとっては非常に残念なことです。現在もヨーロッパの北と南を旅すると、スペインやイタリアの教会などは非常に豪華です。絵も彫像もたくさんある。しかし、北に行けば行くほどそういう物がなくなっている。これはプロテスタントとカトリックの聖像に対する考え方の違いですね。

 結局プロテスタントは、聖書原理主義といってもいいでしょう。聖書に書いてあることをなるべく忠実に実行しようと。そのあいだに介在するものは必要ないと考えることになります。聖書に書いてあること、「十戒」に書いてあることを忠実に実行するということは、即ち聖像を取り去るというかたちになります。

カトリックにおけるイメージの必要性

 しかし、カトリックの場合、人々が聖書を読めるようになった時代からはいいのですけれども、それまでの長い時間は、いつでも他人に聖書を渡して、「じゃ読んでください」というわけにはいきません。なにしろほとんどの人は読めないわけですから。ですから、イメージの力を使っていた。そういう構造をご理解いただければと思います。

サッコ・ディ・ローマ

 ルターの「質問状」が1517年ですが、それからわずか10年後に「サッコ・ディ・ローマ」、ローマの略奪という大事件があります。皇帝軍がローマを破壊してしまうのですが、彼らにとって、こういった聖像は憎き物なのですね。これは神の摂理にもとる行為だ、反する行為だということで、壊して回るわけです。このときの状況がよく書き残されています。

 「ローマに大勢の歩兵や騎兵が突然やって来た。彼らは教会に押し入り、祭室や祭壇、その他教会内の物、窓やステンドグラスともどもみな粉々に打ち砕き破壊してしまった。彼らはそれに満足せず、教会内に大量にあったイコンや礼拝用の祭具、そして12冊ほどの写本を外に持ち出し、教会の前に用意した火の中にこれらをすべて投げ入れて燃やした。略奪者たちはこの暴挙にもなお満足せず、教会に隣接した修道院にも押し入り、そこにある箱、ベッド、戸棚、テーブル、椅子、その他の家具類をすべて選び出して同じ火で燃やした」 

 こういう事細かな記録がけっこう残っています。そのぐらい「サッコ・ディ・ローマ」は激しいものだったのですね。悲観的な見方の計算では、このときにそれまで残っていたローマの美術品の約5分の4が失われたという説があります。裏を返せば、5分の1でもいまだにローマはすごいわけですから、「サッコ・ディ・ローマ」の前の状態を想像してみたくもなります。

カトリックの回生を誓うイエスズ会

 ここで、イグナティウス・デ・ロヨラを取り上げないといけません。私は中学、高校と広島学院という広島の私立学校を出ています。これはイエズス会の学校で、他にも幾つかあります。上智大学がそうですし、ここら辺ですと栄光学園がイエズス会です。イエズス会というのは、最初は7人位で始まったのですが、大きく力を伸ばしたのは教育によってなのですね。彼らは教育で多くの修道士を輩出します。これをご覧いただくと、宗教改革と対抗宗教改革が時期的にちょっとずれるようなイメージを持っていますから、ルターとロヨラはずいぶん年齢に差があるんだろうと一般には思われているのですが、ほぼ同時代人と考えていいのですね。17年に先ほどのルターの事件がありました。そして34年にはこの最初の7人が誓願を果しています。

モットーは教皇の絶対権限

 何をモットーとしていたか。たとえば清貧を説くとかいうことは普通の修道会のようにあるのですが、大きな特徴は、現在の教皇、このときはパウロ3世ですが、この教皇をはじめ、これから先も教皇の言うことは絶対であり、上意下達で、最下層まですべて逆らうことはできないという考え方なのです。言葉は悪いかもしれませんが、非常に軍隊的といった機構的な特徴を持っています。

 あとは布教活動です。有名なザビエルがこの最初の7人の中の1人だというのが驚きです。それが日本まで来たのですね。そのぐらい勢いがあったわけです。彼らは「どこに行きたい」と希望を出してはいけないのだそうです。これもすべて教皇、そして院長の言う通り。これに対して希望を出すことさえいけないのだそうです。もちろん拒否することは適いません。そういった信条を持っているのです。

海外遠征に台頭するスペイン、ポルトガル

コロンブスからマゼランへ

 トレント公会議が後のバロックの画像を決定しますから、これはまた後ほど見て参ります。さまざまなプロパガンダの絵があります。当時は教会の混乱の時期ですから、教会のアレゴリーでもあるので、プロテスタント側の批判に対抗するために、四角い箱に乗った者だけが救われるというプロパガンダの神ができるわけです。面白いのは、ジェノバのイタリア人であるトスカネリという、コロンブスの海外遠征を理論的に後押しした人たちが作っていた当時の地図です。

 もちろん地中海が中心ですね。東の方はよくわかっています。アフリカもよく知られていますが、当然アメリカ大陸はない。こちらの地図にはアメリカ大陸が描かれています。わずか50年位で世界的な地上の発見があるわけです。これはものすごい勢いです。たとえばレオナルドの一生を追っていくと、レオナルドの1年前、1歳上に同じイタリア人のコロンブスがいたのです。クリストフォロ・コロンボです。そして67歳で亡くなった1519年に、たった67年の生涯ですが、その同じ年にマゼランが世界周航の旅に出ているのですね。ですから、コロンブスの一生は、ちょうど大航海時代のスタートであり、終わりであるわけです。そのぐらいの短い時間で世界を一周してしまうというかたちになります。

 要は、基本的に航海術に長けているイタリア人であるコロンブスもトスカネリも、共に世界に打って出て、そしてアメリカ大陸の発見をはじめ、世界を大きく広げるのですが、最終的にこれで何が起きたかと言うと、経済の重心が移動したのですね。イスラムが地中海を自由に通行するのを止めてしまうかわりに、大西洋に経済区の重心が移ってしまう。そうすると、イタリア人たちが良かれと思って始めた世界の大航海時代が、結果的にはイタリアを苦しめるのですね。皮肉なものです。

 たとえば高くなった例として有名な胡椒ですが、高くなったことはよく知られていますけれども、実際にどのぐらいの価格差があったのか、どのぐらいの利益率があったのか。だいたい3倍近くになりました。このぐらいの利益率になってしまう。普通の貿易からすると考えられませんね。特にナツメグなんていうのはすごいですね。40倍位の値段になるわけですから、当然彼らもそれだけの投資をする価値があるわけです。こうした展開に、イエズス会の布教活動がちょうどシンクロするのです。

フランシスコ・ザビエルの日本での布教活動

 これがスペインとボルトガルの世界に対する領土的な野心、さらにそれを上回る商人たちの経済的な野心、それに彼らの布教の思いにつながるのですね。ザビエルはイエズス会の最初の7人の1人です。ちょっと脱線になるかもしれませんが、面白い資料があるので、ご紹介しておきましょう。彼が日本に来て、日本のことを紹介しているのです。

 「日本のことをあなたたちに報告したい。まず第一に私たちが今までの接触によって知ることのできた限りにおいて、この国民は私が遭遇した国民の中では一番傑出している。日本人より優れているものはないと考えられる。日本人は相対的に良い素質を有し、悪意がない。彼らはしかし名誉心は特別に強烈だ。彼らにとっては名誉がすべてである。

 日本人はたいてい貧乏だ。しかし、武士たると平民たるとを問わず、貧乏を恥だと思っているものは1人もいない。日本人の生活には節度がある。ただ、飲むことにおいて幾らか過ぐる国民である。彼らは米から取った酒を飲む。賭博は大いなる不名誉と考えているから一切しない。日本人は妻を1人しか持っていない。窃盗は極めて稀である。死刑をもって処されるからである。獣類の形をした偶像などは祭られていない(これは特記しています。彼らが海外の未開民族、要するにキリスト教化されていない民族を見るときに、たいてい獣類の形をした神を拝んでいるのです。これはかなりアニミズム的なところありますね。ところが、日本はそうではないのです。日本の宗教は、要するにもっとスピリチュアルなものですから、そういった形をとってない)。そして大部分の日本人は昔の人を尊敬している(孔子のことだったり仏陀のことだったり、祖先のことだったりするわけですね)。こういった特徴を持っている」

 しかし、彼らが世界に出ると、その世界観も変わってくるのです。こちらはすべて日本の絵です。日本の昔の世界観はこれに尽きるのです。これは天竺図と申します。天竺が当然仏教の端の地であるからして、世界の中心なのです。西洋の昔の地図は必ずエルサレムが中心にあったのと同じです。そして団扇形をしているのです。それが17世紀になると、世界が広がったのは、もちろん西洋からの知識ですが、絵の描き方を見ると、風景や都市の描き方、こちらは長崎の湾ですが、これはもう西洋的な遠近法なのです。

イエズス会の南米布教

 日本は、今も昔も新しいものが入ってくると、それを加工するのは非常に得意なのです。ですから、この西洋の遠近法も非常に正確に保っています。これは再来週ポッツォのところでより興味深いところを見ていきましょう。

 こちらは南米のイエズス会の昔の教会、現在は廃墟になっています。これが1610年の南米の地図です。かなり正確なものができています。南極がここまでほとんどつながっていて、海峡しかないのは、流氷がずっとあったのでしょう。これを大陸だと思っているわけです。この頃のイエズス会とスペインとポルトガルの間で、南米の取り扱いについて激しいやりとりがあるわけですが、その中で、スペインとポルトガルは布教のために助けになりますから、イエスズ会は、彼らの船に乗せてもらって一緒に行ってそこで布教することとしていました。

 しかし、スペインとポルトガルが現地でやっていることは、イエスズ会を含めて、真理に合わないところがあるわけです。布教もかなり自由が束縛された状況でしか行えませんでした。『MISSION』というローランド・ジョフィの映画が、わりと正確にわかりやすく教えてくれるので、これをご紹介しておきましょう。ジェレミー・アイアンズとロバート・デ・ニーロです。エンニオ・モリコーネが音楽を付けていて、非常に感動的な映画です。

南米・アフリカの奴隷貿易

 この頃の南米やアフリカとの貿易の中には、現代から見ると非常に残酷な、ダークな部分があるわけです。1619年ですから、ちょうど17世紀、今回のフォーラムは17世紀の美術を話せということですが、その理解を深めるのに当時の社会状況を知ることが役に立つとご了解ください。

 あまりにも悲しい話なのでさっといきますが、1619年に最初のスレーブ・トレード、奴隷貿易があります。アフリカからアメリカへ渡った20人の奴隷貿易があります。これはそのあとの話で、奴隷貿易がたけなわになった頃です。1隻でだいたい5百人以上の黒人奴隷を乗せています。彼らは手かせと足かせをされ、なるべく空間を効率よく使うために、非常に狭いところに押し込められています。だいたい70日間位かかるアフリカからアメリカまでの航海中に、平均25%、少なくても13%位の奴隷が死ぬということです。

 こうした船は、当然トイレなどはありませんから、垂れ流しをさせるわけです。そして身動きがとれない。だいたい30センチの物差しが自分のスペースです。ですから、この船が近づいてくると、近くに寄るまでもなく、それとわかるのだそうです。臭いので。どんなに洗っても、だいたい4航海位でその船はだめになるそうです。このような劣悪な環境の中で貿易が始まった。こういうところも17世紀の社会状況として一応ご理解ください。

トレント公会議

 そしてトレント公会議が行われます。1545年に始まって1563年に終わる。このあいだ25回断続的に行われます。これは何をするものか。結局プロテスタントとカトリックの教義をすり合わせるということです。どちらに非があって、どこをどう正して、ということを議論する。昔から公会議というのはあったのです。今回もうまく収束させるはずでした。これがうまくいかなくて、それ以降も2つの世界は分裂したままなのですが、結局は、当初旗色が悪いと思われていたカトリック側が勝ってしまうのです。ここでは、イエズス会を中心にかなり理論武装をしたのです。すべての論争を論破して行かなければなりません。

確認されたこと

 そして以下のことが確認されます。まず(1)信者は自己の救済のために努力すべきこと。これは先ほどお話ししたように、ルターの考えは非常に悲観的で、「人間がいくら努力しても、神の意思の決定の前には何の効力もない」というものでした。これを、「そうではないのだ。自分の救済のために努力しなさい」と反論します。そしてこれも大事なところですが、(2)司祭のみが七つの秘蹟を執行できること。聖書原理主義といっていいプロテスタントは、その「聖書と天の世界の間に人間の介在は必要ない」と主張します。要するに1人1人が天に結びつくのだと言うことです。カトリックでは、そうじゃなくて、やはりそこには間違わないように「ガイド役が必要だ」と見ているわけです。これは結果的に教皇の役割の重要性を確認することになりました。

 そしてこちらは正餐ミサですが、(3)正餐ではパンとワインは血と肉に化体するのだと言う化体説を採用すること。そして(4)教会の記述を整理してカトリック側の内部で改革をすること。コントロール・リフォールマとイタリア語で訳されるのですが、英語では、カウンター・リフォーム、あるいはカウンター・リフォーメーションと言い、日本語では「カトリック改革」というのがおそらく一番合っているでしょう。「対抗宗教改革」でもいいでしょう。「反宗教改革」と言うと、宗教改革自体を否定すると取られがちなので、誤解を招きます。対宗教改革に対して、「それに対抗するためにカトリック側も自分を改革するのだ」これが対抗宗教改革の本意ないし特質です。

イコンの扱い

 そうすると画像、イコンはどのように扱われるか。一つの象徴的な事件があるのです。こちらはヴェロネーゼの絵です。ルーブルに行くと「カナの婚礼」という巨大絵画がちょうど「モナ・リザ」と同じ部屋に向かい合わせで展示されています。その画家がベネチアに残した作品なのですが、これも大きなものです。横が12メーター位あります。これは元々「最後の晩餐」だったのです。真ん中にイエスがいて、よく数えると12人いるのです。この絵が異端審問の嫌疑を受けます。注意を受ける程度ではなく、裁判にかけられたのです。12人の訳のわからぬ者を描いて、「非常に異教的である。多神教的である」と言われるのです。ヴェロネーゼはいろいろ説明して、「最後の晩餐」という言葉は使えないので、画題を変更して「レヴィ家の饗宴」になります。そしてようやく許しを得るのです。

 これからも少しずつ見ていきますが、このように17世紀の絵画は、いくつもの制約の下で描かれていたのです。いや制約と言ってはいけないかも知れません。別の言い方をすれば、基本的に目指す方向があるのですね。こちらはミケランジェロです。「最後の審判」です。1541年に完成して64年にミケランジェロは亡くなります。当時ダニエル・ラ・ボルテルラーという、非常に優れた画家がいましたが、今では彼は褌(ふんどし)画家と呼ばれているのです。「ブラゲットーネ」とはブラーゲ、褌をこの上に描かされた画家なのですね。ですから、衣服を描くのがうまいので選ばれたのですが、可哀相に一線級の画家だったのですが、われわれには褌画家と呼ばれています。

倫理上のクレーム

 このときにビラジルダ・チェゼーナという理論家が、「恥知らずな裸体の群れは不良画家、売春塾にこそふさわしい」という激しい攻撃をするわけです。それで、描かれたすぐあとから、この絵は「これは非常によくない。倫理的によくない」ということで、さんざん攻撃を受けて、教皇庁がとった妥協案がこの「ブラゲットーネ」だったわけです。一部を残して現在は取り除かれています。昔はちゃんとこれが隠されていました。

 ちなみにこのボルテルラーは、褌しか皆さんご存じないようですが、一線級の画家なので作品も残っております。たとえばこちらはキリスト降架、「十字架降架」の場面ですが、こちらの部分を拡大しました。これはパッと見て非常にマニエリスティックな、軽い鮮やかな色彩ですね。ちょっとポントルモに似ています。ご覧いただくと、たしかに選ばれるだけのことはあるのです。非常に布が上手なのです。彼もそれをよく知っていますから、襞のある布をふんだんに描くのですね。こういうことをやっていましたから、褌に選ばれたのでしょうね。

ルネッサンスから激変するスタイル

 ルネッサンスからマニエリスムを経てバロックになるわけですが、基本的に誰がこの動きの中心だったかと言えば、それはミケランジェロなのです。ミケランジェロ、たとえば最初の、若くして作った「ダビデ像」、非常に正確です。静脈の表現も、本当に素晴らしいものです。彼は「ピエタ」を3点作っております。第1作がほとんどデビュー作なのですが、均整のとれた解剖学的にも正しい、非常に古典的な作り方をしています。第2作では、もうすでに人体に解剖学的な正確さを求めなくなってきているのがよくおわかりだと思います。第3作目が「ロンダニーニ」で、ミケランジェロが死の直前まで手を入れていた、私も大好きなこの作品です。

古典的均整美から精神性の表現へ

 ここにあるのは精神性の表現だけで、母と子の哀しみであり、前作のまったく哀しみを感じていない眠るようなマリアとは関連性はないのです。こちらはちゃんと母は年を取っています。人体の解剖学的な正確さは重要視していないのです。彼は89歳まで長生きしましたが、この途中で様式が変わっていくのです。ミケランジェロの偉大なところは、1人で2つの様式を作ってしまったことです。

 たとえば天井画です。こちらは非常に古典的な、正確な人体描写を追求していますが、それに比べて「最後の審判」においては、もうすでにそういった古典的な解剖学的な正確さには頓着しない。こういった激しい変化があるのですね。ミケランジェロは、約30年位の間を置いてまた描き始めましたが、その30年のあいだにずいぶん変わっているのです。そのあいだには、たとえば1506年にラオコンがローマのネロ帝の宮殿の跡で見つかります。こういった事件を契機に少しずつミケランジェロは変わっていくのです。

 ちなみに、これはミケランジェロが描く前のシスティナの状態です。ペルジーノとか、ボッティチェリとか、そういった主だった画家たちがまず描いていたところです。これも外側です。当時の貴重な記録です。こちらは現在の姿です。天井が少しだけ増えているのがおわかりですか。昔はもっと城のように素朴で無骨だったのでしょうね。

古典主義を確立したラファエロ

 ラファエロはこの古典主義と言われるものを確立する人なのですが、ミケランジェロに非常に影響を受けるのです。この絵画「キリストの埋葬」の一部分に、どこかで見たことあるなという形があるのです。彼はミケランジェロとレオナルドが大好きですから、その作品をちょっと見ては最新の流行を自分に取り込んで、さらに高いレベルにしていくという、ちょっと化け物のような若者なのです。

 この絵の中のこの女性は、ミケランジェロのこの絵画からとっているのですね。ちょうど身体をよじる動き、こういった描き方、これ「聖家族」といいますが、このマリアとイエスがいるこの場面に対して丸い画面で、わけのわからない裸体像が並んでいる。これはもうすでにかなり異教的なのですね。今までの伝統的な描き方から、ずいぶんと外れています。ミケランジェロの、この頃までにもう既に落ち着いた、秩序正しい、真正面のシンメトリックな空間というルネッサンスの枠組みから明らかに逸脱している、こういったよじる動きを取り入れた表現を見ると、彼の中ではそこら辺がもう変わっているのがよくおわかりだと思います。

創作者からコーディネーターへ

 ラファエロもずいぶん変わっていくのです。ラファエロは37歳で亡くなりましたが、そのあいだに膨大な数の作品を残しています。しかし残念ながら晩年、晩年といっても37歳ですけれども、晩年の頃は、百人位の弟子を抱えて、創作者と言うよりはむしろコーディネーターとしての能力を発揮していたのです。大きな仕事、現在で言うと億単位のお金が動くプロジェクトを受注して、下絵を自分が描いて、その後はだいたい弟子にやらせるのです。ジュリオ・ロマーノを始めとして、非常に優秀な弟子がたくさんいましたから、その弟子たちに任せたのでしょう。そして自分はあとをコントロールするだけでした。

若い時期の真の傑作

 彼の作品の中では、やはり若い時期の、教皇庁に呼ばれて「署名の間」の他3つ4つの部屋を任されて描いたものが、本人の実力が最大限に発揮された場所なのです。最初の部屋がこの有名な「アテネの学堂」です。すべての線を引いていくと、ちょうどこの真ん中にくるのです。非常に美しい、シンメトリックな秩序正しいルネッサンス空間ですね。これはルネッサンスの頂点のような作品です。

 このようにルネッサンス空間の頂点に当たるような作品を制作したすぐ後で、ミケランジェロが隣で斬新な実験をしているのを少し覗き見して、それを取り込んでゆく。最後の部屋は「ボルゴの火災」ですけれども、この人間、筋肉隆々として、解剖学的なところは非常に引き延ばされて、感情が激しく出ていますね。落ち着いた静かな空間はもうここにはありません。これは「最後の審判」からそのまま抜き出してきたような使い方ですね。時代の様式は、同じ時代に創作活動をする何人もが少しずつ相互に影響し合って作られていくものだというのがよくわかる例だと思います。

17世紀美術研究のキーポイント「ラファエロ」

対抗宗教改革派の旗印

 17世紀美術を見ていくために、ラファエロはキーポイントになります。というのは、ラファエロの作品が対抗宗教改革の一つの旗印になるのですね。その代表的な1例がこの作品です。これはボローネのピナコテーカにあって、ボローネにあるラファエロの唯一の真筆と言われて、宝物になっているのです。これは「聖チェチリア」とも申します。英語でいうとセシルですね。聖人は奇跡を行ったか、殉教者であるかのどちらかで、彼女は殉教者の方です。彼女は楽器を弾くのですが、乙女であって、処女であって、普通の人には聴こえない天上の音楽が聴こえると言うわけです。その天使の調べに耳を傾けているのですね。

 ちょっと上を向いたこの表情、この恍惚のエクスタシー。この法悦の顔。ラファエロのこの作品が対抗宗教改革の一つの旗印になります。その解釈の根拠をご紹介します。オルガンの管が2本ほど落ちているのがおわかりですか。このオルガンは壊れているのです。彼の助手がやっているこの下にある楽器も、すべて壊れているのですね。ということは、地上の音楽には完全なものは一つもないということを言っているわけです。完全なものは、すべて天国にあるものだということなのです。そういった図像的な説明です。

 こちらはラファエロの作品です。こちらはもちろん16世紀のものです。こちらはちょうど象徴的なことに、17世紀が明けた1600年、この年にこのコピーが作られます。こちらはサン・ルイジ・デイ・フランチェシの、こちらはカラヴァッジョの作品で有名な教会ですから、あとでふんだんに出てきますが、この教会にコピーがあるのです。これをした人がグイド・レーニと申します。これはボローニャからこのとき若くしてデビューして、そのあとカラッチ、そしてカラヴァッジョ、そしてレーニという、この3人がだいたい当時のイタリアの画壇を取り合うかたちになるのですね。

レーニ、カラッチ、カラヴァッジョ

 まずはカラッチ、カラヴァッジョ、この2人が中心となります。そのあとグイド・レーニが中心となるのですね。ほぼ同時代人なのですけど。まだ若いですから、ラファエロの作品と比べるとずいぶん下手くそですよね。どうですか、この顔とか。ラファエロに挑戦するのはなかなか勇気のいることでして、グイド・レーニも、大家も同じ域まではなかなかいけないのだなというのがよくわかります。

カタコンベの発掘

 こういったものが1600年になぜ描かれたか。これには訳があります。まずトレント公会議が終わります。そしてミラノ司教の親戚のボロメオ枢機卿という人の指導があるわけです。彼が理論的な支柱だったのですね。そして1578年に何が発見されるか。カタコンベが発見されます。要するに、キリスト教がまだ認可されない頃、彼らにとっては千年以上前の話ですが、そのときにキリスト教徒がローマの地下に住んでいた、その遺跡が発掘されるわけです。地下の迷路が発見される。そしてカタコンベの調査報告書が幾つも出ましたが、それを何人かの文人が引き継いで行ったのでした。

「聖チェチリア」の遺体の発見

 そして地下にそういった昔の物がそのまま埋まっていることに気がついた人たちがさらに発掘した物が、聖チェチリアの遺体なのです。ところで「聖チェチリア」を描いた作品で最も有名だったのは、ラファエロのものでした。ですから、カタコンベが発見されて、その流れの中で聖チェチリアの遺体が発見されたので、これを記念になにか絵が欲しいとなったときに、この聖人を描いた絵がラファエロだったので、コピーが必要だったという流れです。カタコンベは現在ミステリー・ツアーみたいなかたちでローマで見られます。これは非常に面白く、お薦めです。

 地下で生まれて、地下で一生を終わるような時代もあったわけです。教皇のお墓も地下にあったりするのです。最初の何人かの教皇のお墓は地下にあります。これは聖チェチリアの遺体を忠実に復元したもの、想像の彫像です。これが今お墓の上に載っています。首のところに線があるのがおわかりですか。これは斬首されているからなのです。首を落とされているからここに線があって、布を巻かれています。頭だけ布に包まれて別のところにあったからなのです。こういうかたちで表現されているわけです。

 これも1600年です。カタコンベにはキリスト教の絵画の最も初期の例があります。これを初期キリスト教美術と申しますが、この美術が方々にあるのです。ここにあるもの、これがオランテ、オランスという「祈る人」。これが発見されるのです。こちらは小さいですが「ノアの方舟」です。こちらは手を上げて、天とコンタクトしている。これがオランスの「祈る人」の図像です。対抗宗教改革の、なにかしら聖なる画像を描くときに、彼らにとって重要なオランス、そして先ほどのラファエロの天を見上げる法悦の上の表情、これを併せたものが主流になっていきます。

対抗宗教改革側の美術の典型例

 レーニが早速1601年に描いたものがあります。聖チェチリアの遺体が出ましたから、その上にその教会があって、そこに「聖チェチリアの殉教」という絵を描きます。ものの見事に「オランスの形」をしていますね。そして「上を見上げているこの顔」をそのままラファエロから持ってきたのがおわかりですか。この2つです。これをぜひご理解ください。こちらはぜひ覚えていただきたいのです。

 オランス。これはカタコンベから取ってきたもの。そして天を見上げている。これはラファエロから取ってきたもの。この2つの要素が対抗宗教改革の一つの典型例なのです。山のようにありますから繰り返しませんが、これは先ほどの絵です。そしてチェーザレ・リーパのイコノロギア。これは当時の図像学事典みたいなものです。この中では、17世紀の最初ですが、いわゆる「祈り」の図象はちゃんとオランスの形をしていて、天を見上げているのです。こういったものが、いわゆる信仰のシンボルとなって、図像として採用されているのがよくわかります。

レーニ、グエルチーノ、ランフランコ

 こちらは福音を受ける魂なのですが、こういった図像もすべて基本線が守られているのがおわかりだと思います。すべて上を見ていますね。レーニ、ドメニキーノ、こちらは「聖チェチリア」です。楽器を持っていますが、必ず弦が1本切れているのです。先ほどの理由と一緒です。どうですか。レーニもだいぶうまくなって、引き継いでいくボロメオ派の弟子たちがいるのです。グエルチーノ、ランフランコとか、固有名詞はどうでもいいですが、こういった人たちに引き継がれていくのです。

 こちらはネリーです。オランス、そして上を見上げる恍惚の表情、バロックの対抗宗教改革の一つの典型です。イタリアを旅されるとこういった図像が、教会があれば必ず1つありますから、現地でご覧になったときに、これがバロックのカタコンベとラファエロの成れの果てかと、見ていただくと面白いかと思います。

聖人に叙せられたイエズス会創設者たち

 そしてレーニが少しずつ中心人物になっていくのです。オラトリオ会のチューザレ・バロニオ、これはいいです。有力な画家は結局お抱え画家で、必ずパトロンがいます。この当時はやはりまだ教皇派一派や、そういったものを輩出する大きな家なわけです。そして1622年、17世紀の最初の第4半期にこの対抗宗教改革の功労者たちが列聖を受けます。先ほどのロヨラ、イエズス会の創立者、そしてザビエルです。ネーリ、オラトリオ会の創始者。そして先ほどのカルロ・ボロメオです。これは対抗宗教改革を勝利に導いた功労者ということで、死後僅かにして聖人になるのです。これは非常に異例のことなのです。だいたい聖人になるための列聖の審査というのは百年位かかりますから、それをはしょって数十年でやってしまう。この4人がいかに対抗宗教改革側にとって、カトリック教会側にとって重要だったかがよくわかります。

ラファエロは古典と同義語

 ラファエロはその後300年間、いわゆる古典、クラシックというときに、それはまさにラファエロのことを指していたと考えてよいほどの評価を受けていたことをご記憶ください。ラファエロは今でこそ可愛い天使の画家というぐらいで愛されていますが、実はその前に2〜300年にわたって、ヨーロッパの画壇でいわゆる古典というときには、ラファエロと同義語だったのです。これぜひご理解ください。仕組みは先ほどの対抗宗教改革の最初のエピソードに尽きます。

 時は19世紀にはいります。アングルがイタリアの長い修行時代を終えてフランスに凱旋してくるのです。最初に発表した作品がこれです。巨大な作品ですが、上の方をご覧ください。カーテンで仕切ってある形、3人配置して三角形になっているところ、こういったものはすべてラファエロの作品から取ってきているのがよくおわかりですね。そのぐらいラファエロはイコール・クラシックなのです。

 なんでドラクロアがここにあるのかとお思いでしょうが、アングルが凱旋したときに、サロン側もなかなか憎い演出をするのです。最も大事なホールで、この作品を2大スターのもう1人、ドラクロアの作品と向かい合わせに展示するのです。まったくのロマン主義と新古典主義のリーダーの2人を、同じところで向かい合わせにするという憎い演出をするのです。

 こちらは引き続きアングルですが、ナポレオン時代のこの絵を拡大するとこうなります。この形は何かと申しますと、ラファエロの「椅子の聖母」なのです。この有名な絵がここに刺繍として入っているのです。このように微細にわたり見ていくと、いかにラファエロが重要だったかがよくわかるのです。彼ら古典主義にとって、クラシックが即ちラファエロだったことがよくわかります。

 そのあとラファエロ前派もありました。ラファエロ前派はラファエロの前に戻ろうという意識だったわけです。裏を返せば、それほどラファエロの支配力が大きかったわけです。こういったものをグラン・マニエラといいますが、要するに大画面で、いわゆる神話主題、宗教主題をドカンと大きく描く。こういったものを多くこなしていく人たち、これがバロックの一つの特徴ではあるのですが、あまり面白くありません。

バロック美術が最初に求めたもの

 カラヴァッジョとカラッチ。カラッチは一家でしたので、1人だけ挙げる場合は、だいたいアンニバーレを指すのです。アンニバーレ・カラッチという人、ほとんど日本では無名なのですが、カラヴァッジョと双璧だったのですね。いいライバルだったのです。このいとこに当たりますが、ルドビコ・カラッチの作品を見ると、一つの対抗宗教改革、いわゆるバロック美術が最初に求めたものが何であったかがよくわかるのです。この作品を見ると、こちらには聖ドメニコとフランチェスカがいます。人気のある2つの大きな修道会を作った人たち。そしてここには聖母子がいる。そして向こうに2つ塔が見えますね。ボローニャを旅行された方はご存じだと思いますが、2つの斜塔があります。ということは、ここはボローニャで、天国じゃないのです。要するにボローニャの普通の市民に対して、この絵が描かれているのです。

バロック美術の約束事

 ボローニャと同じ地平に聖母子がいる。これは自分たちからそんなに遠い存在として描くのじゃないのですね。バロックは、非常に身近な存在に感情移入しやすいような形で描くのです。聖ドメニコがこちらを向いていますね。これは一つの特徴なのです。バロックの絵画でこういったふうに見る者に対して、見る者が感情移入しやすいようにするために必ずこのインフォーマーと申しますが、仲介をする人がいるのです。仲介をする人がいて、必ずこちら側を見ているのですね。その人がこの絵画の空間に誘うという様式をとるのです。

 こういった対抗宗教改革、17世紀のバロック美術が目指したものをわかりやすく整理するとこのようになります。まずは17世紀のイタリアが中心となった場合です。

 よりわかりやすく、そしてより正統的で、要するに、宗教上好ましくないものは描かない。そして、より感情移入しやすいようにする。

典型的なカラヴァッジョの作品

 感情移入させるためのキーワードがあります。バロック美術を語る場合に、キーポイントになる用語があります。それはビジョノです。ビィズヨーネと申します。これが原始です。こちらこの言葉、カラヴァッジョが典型なので今からお見せしますが、その前に、彼ら自身もこういったイコンがどのような形でならなければいけないかをちゃんと書いているのです。1563年に「聖像に関する教令」が出ます。要するに、絵はこう描かなきゃだめだというものなのです。「聖像の内に神性または神の力があるかの如く描くべからず」。要するに、「聖像そのものが信仰の対象ではないのですよ」ということです。これはプロテスタントの攻撃の説明にもなっているわけです。

 そして「聖像への尊敬はそれによって現された原型に向けられるべし」と書いてあるわけです。要するに、「ここにあるのはあくまでも仲介に過ぎない。その奥に、向こうに原型があるわけだから、オリジナルがあるわけだから、それを拝むのだ。そのために必要なのだ」と書いてあるわけですね。どのような物を描いてはいけないか。迷信や猥褻や破廉恥な図像は禁じられ、「司教の許可を得ずしていかなる場合にも、教会に新たな画像を陳列すべからず」と。

 要するに、「なにか新しいものを描きたい。なにか一つ着想した。それを描くときに必ず許可を求めろ」という言い方なのですね。非常に制約的に解釈される危険性があります。新しいものを許可なく、教官のお墨付きなく描いてはいけないという非常に厳しい言葉です。「キリスト教の画家の仕事は雄弁家に似ていて、大衆を説得し、絵画により宗教心を喚起することにあるのだ」。これはパレオッティという精神的な支柱となった人の言葉です。教義を新たに追加していく人なのです。

 とにかく、「絵画というのは、もともと文字の読めない者のための聖書であり、そしてイメージそのものを祈るのではなく、像を通して本質を礼拝しよう」と。これは先ほどとまったく同じ言葉ですね。これは、もともと昔から、フェニキアの法会議の頃から採用されていたことなのです。それを再確認するという言い方をしているわけですね。そビジョンを最もわかりやすく我々に教えてくれる画家がカラヴァッジョなのです。特にこの絵画です。「ロレートの聖母」。これはどういう事件だったか。カーサ・サンタというのは、ナザレにあったイエスたちが生まれた場所です。この家。1291年にサラセン人が支配したときに、それから逃れるために天使がダルマーチアを経由してイタリアに持って来たという伝説があるのです。

身近に感じる

 これはもちろんイタリア側が作ったことです。イタリアの民衆が作った伝説なのです。15世紀にイタリアが作った伝説で、16世紀ぐらいからだいたい人気を博して一応市民権を得るのです。そしてロレートに家があって、それを記念してヨーロッパ中にロレートの家の分家のようなものがたくさん出来るのですね。このときに聖母が現れて、顕現を見る。奇跡を見たという農民がたくさん出るわけです。これは、その中の一つ、バリオネが残したこの当時の記録です。「汗と埃にまみれた粗末な衣服を着て、泥だらけの裸足の足の裏を見せて巡礼する聖母の姿に農民たちは興奮した」と書いてあるのですね。実際にこの聖母子が自分たちと同じように泥だらけで、しかもみすぼらしい格好をしていたということに彼は感激するのです。

感情移入が生じる

 要するに、聖母子はそれほど遠いものではないわけです。それが自分たちと同じ塀に降りてきてくれる。この絵はそれを記念して描いているわけですが、17世紀の最初にカラヴァッジョが描いています。農民たちが足の裏をのっけていますね。聖母子が普通の家の前にいるわけです。そして彼らに直接拝んでいる。これはこの奇跡に立ち会った農民たちが描いているのですが、この絵を実際に見たその他大勢の大衆は、自分たちの姿をここに投影するわけです。自分たちもこれに参加しているわけです。この人たちは特別な人じゃありません。枢機卿でも法王でもありません。こういった何の特徴もない、普通の貧しい農民たちを描く。それが聖母子と出会って、このような近い距離でコンタクトしている。これは彼らにとっての感激なのです。即ちこれこそがこの感情移入を助けるやり方なのです。これこそビジョノです。これは17世紀のバロック美術が目指した一つの理想であり、ビジョノです。ビジョーネをわかりやすく説明した絵だとお考えください。

カラヴァッジョの他の作品

 これだけ語れば、基本的にカラヴァッジョはもう済んだと思っていいのですけれども、なかなか面白い人物ですから、他のものも一応ざっと見ておきましょう。彼の作品はだいたいローマに残っています。このサン・ルイージ・デイ・フランチェージというのは、イタリア語読みです。フランスのルイです。これはローマにあるフランス人のための教会なのです。ラボーナ広場のすぐそばにあります。この礼拝堂にカルヴァッジョが3枚あるのです。真ん中にこの絵があります。聖マタイは4つの福音書を書いたうちの1人です。そのマタイが福音書を書いている場面です。いま飾られているのはこちらです。

 こちらは何かといいますと、まずこちらを納めたら、教会はノーといって描き直しを命じたのです。そして新たに描いて納めて受け入れられたのがこちらなのです。なぜいけなかったかと言えば、裸足であった。要するに、肉体が剥き出しである。この天使がちょっと近すぎるということなのでしょうね。囁いているような、ちょっとエロチックを雰囲気があります。これはカラヴァッジョの描く天使の特徴ではあるのですが、と余りにも親密すぎるということなのでしょうね。教会もなかなか細かいことにノーを出すわけですね。こちらはベルリンにあったのですが、残念ながら第2次大戦で焼かれてしまいました。白黒の写真しか残っていません。

強力なライバル、カラッチとの競作

 ポポロ広場にあるローマの教会に有名な礼拝堂があって、真ん中に来週お見せするカラッチがいて、左側と右側のこれがカラヴァッジョなのです。このカラヴァッジョとアンニバーレ・カラッチが当時の2大ヒーローです。この2人を同じところで競作させる。こういうことをイタリアのパトロンはよくやるのですね。有名な2人を向かい合わせにしたり、同じところで競わせたりするのです。ここの2つの作品を大写しして見てみましょう。

 こちらは「最後の改信」です。今まさに踏みつけられようとするときに改信してキリスト教徒になるわけですが、その劇的な場面です。これほど大胆な構図をわれわれは見慣れていますから驚きもしませんが、当時の宗教画で、主人公が馬ではないかというぐらい画面のほとんどを馬が占めているのは、あまりにも斬新なのです。この斬新さ。人体が踏みつけられているのですけれども、こちらに頭を向けて非常に上手な短縮法で描いてあるのです。変わった構図で描いてある。

レーニに対する盗作の非難

 これはカラヴァッジョの構図に対するカラッチの挑戦心です。新しさをよく出しています。こちらもそうです。ペテロは逆さまに磔になったことになっていますから、それを描くわけですね。カラヴァッジョは非常に気性の激しい男です。こちらを描いて、もうひとりスターが出てきますが、グイド・レーニがいます。こちらがまずペテロのこの絵を描いて、レーニがこういった絵を描くと、カラヴァッジョは、これは盗作だというわけです。激しい男です。当時の記録によれば、盗作だとして怒り狂ったカラヴァッジョを恐れて、以後レーニは画家を避けた。カラヴァッジョに近づいて怒らせてしまうと刺されたりしますから、これは賢明なのです。

 レーニはちょっと距離を置くわけです。そのぐらいカラヴァッジョは、自分の構図の新しさに自信を持っていたのはおわかりですよね。これが盗作になるのじゃ、とわれわれは思いますが、彼にとってはそれぐらい自分の構図は斬新だというわけです。われわれにとっては違うように見えても、この発想自体はカラヴァッジョの新しさを証明するものなのでしょうね。ポロフェルネスの首をユリッドが斬り落とす場面です。彼の1つの特徴です。瞬間を切り取るドラマチックな描き方ですね。血が噴き出しています。今まさに声が聞こえてきそうですね。

急速に受け入れられたカラヴァッジョの様式

バロック美術を一気に変えた画家

 カラヴァッジョのこの様式は急速に受入れられます。彼の性格は受入れられませんでしたけれども、彼の様式はヨーロッパを席巻します。そしてバロックの美術を一気に変えてしまうのですね。

 そのときにたくさん人が出るのですが、ほぼ似たような構図を数多くの画家が真似ていくのです。1人が有名なアルテミジア・ジェンティレスキという女流画家です。映画にもなっていますが、彼女はジェンダーの美術史でよく出てきます。というのも、彼女は父親をレイプ裁判で訴えるような、男性の性に対する嫌悪感と憎悪のようなものがあるのですね。ですから、カラヴァッジョの構図に基本的に則っていますが、先ほどのカラヴァッジョが、いやがりながら恐る恐る首を斬っていたのに比べると、こちらは自信を持って自分から進んで首を斬り落としにかかっているのがよくおわかりだと思います。

明暗の効果

 カラヴァッジョのもう1つ特徴は光です彼は自然光をスポットライトのように使うのですね。これは「光は神の愛である」という基本的な信仰心に基づいているのですが、それ以上に、画題の扱いにおける絵画的な効果と明暗の効果を、キアドスクルと申しますが、それを彼は追求しているのです。こちらはイエスが呼ぶわけですから、イエスの意思をこちらから差す光で示しています。これが神のご意思であることがわかるわけです。こちらはオリアテ、巨人の首を斬り落としているダビデですね。天上から明暗の激しい強い光がスポットライトのように当たって、画面に強い明暗を作りだしています。

 そうなると1つ問題が生じることがあります。主人公の顔が暗くなる場合が多いのです。これ暗いですね。主人公の顔が暗いのは、絵画としてなかなか珍しく、普通は大きな欠点とされます。ですから、それ以降のカラヴァッジェスキーという画家は、いろいろ工夫をするのです。まずフォント・フォルストです。有名なオランダのカラヴァッジェスキーですけれども、彼は蝋燭を使いはじめるのです。蝋燭を持ってくるとスポットライトになります。これはランプですが、画家が明るくしたい顔のそばに蝋燭をもってくればいいわけです。そうすると、そこの場所だけ明るくなる。そういうことで点光源を使いはじめるのです。

 ただ、蝋燭をそのまま手をかざさずに持っていると、そこばかり明るいですよね。そうすると、蝋燭の方に目がいってしまう。となるといけませんから、手を火にかざして、主題の方へのみ光線を当てる方法です。どこかでご覧になったことがあるでしょう。こちらがラトゥールで、今言った工夫をしています。もしこれがカラヴァッジョだったら、このヨセフの顔はきっと真っ暗だったでしょう。これをラトゥールはどうしたか。点光源をもってくることによって大事な2人の顔を明るくするという工夫があるわけです。

 この「受胎告知」の構図では、今度は左右に光源があります。たとえばルネッサンスの頃は、これはフラ・アンジェリコですが、窓をを開けるとほんとうにそこにこういった空間があって、そこでそのまま行われているように感じるわけです。マニエリスムのもと、左右の均衡構成が少しずつ崩れていくわけです。

大胆な新しい構図、徹底したリアリズム

 バロックの頃になるとどうですか。マリアが可愛らしいですよね。そして室内ですが、雲が描かれています。いま急に現れたところを強調するのですね。これも一つのビジョンのやり方です。こちらも基本的にそうですね。どこかで見たオランスがあります。そしてこれがカラヴァッジョです。こちらは彼の特徴がよくわかりますね。まず構図が非常に大胆である。天使は上から降りてくるのだから、上にいるのだということですね。上から降りて、今そこにまさに降りたところなのです。そして斜めの構図になっている。斜めの構図の対角線上に2人を配置するというのは、それまでの「受胎告知」では考えられないやり方です。そしてスポットライトが当たっている。そのお陰で、ガブリエルの顔は見えなくしてあります。そしてこの天使、この羽がなかったら、これは普通のそこら辺のお兄ちゃんですよね。このぐらいリアリズムが徹底しているわけです。写実主義は徹底すると神秘的なものもあまり神秘的に見えなくなります。それがまた彼の特徴になるわけです。

静物画でも一級の画家

 彼も少しずつ変化しています。同じような画題で、はじめは豪華な食事を描いています。そのうち少しずつ宗教を自分なりに解釈して、「そうだ。貧しい食事じゃないとだめだ」ということで、貧しい食事に変えたりします。こちらは手相読みです。ラトゥールのジプシーですね。こちらは2年前に日本に来ました。とにかくカラヴァッジョは非常に多大な影響を及ぼすのです。こちらはなまめかしく、同性愛とよく言われます。性的嗜好まで云々する気は毛頭ありませんが、たしかにちょっとなまめかしいですね。これはバッカスということになっていますが、そこら辺の男の子でしょう。ただ、この作品をそう言う点からではなく、静物画として鑑賞しても、彼は一級の画家だったことがよくおわかりですよね。

繊細なリアリズム技法も併せ持つ

 よくご覧いただくと、手に持つと少しずつ揺れますよね。それを受けて水面、波紋があるのがおわかりですか。これは尋常ならざる繊細なリアリズムです。「カラヴァッジョは激しい。大胆だ」と、そこばかりに目がいきますが、非常に繊細な写実主義に基づいているのだということをぜひご理解いただきたいと思います。

 こちらはなまめかしさ故に、非常によく出てくる作品です。こちらは俗世界のアモールです。俗世界の愛。こちらはライバル、バリオネの作品です。こちらは聖なるアモールが俗なるアモールを打ち負かしているシーンです。こちらはどうですか。カラヴァッジョのあのアモールです。この画家は自分が描いた聖なるアモールが、カラヴァッジョの俗なるアモールを打ち破っているという挑戦的な絵を描くわけです。おもしろいですね。

カラヴァッジョのバニタス(虚無感)

 なぜかと申しますと、バリオネはカラヴァッジョがあまりにも自分のことをいろいろなところで悪く言うので、名誉毀損の裁判を起こしているのです。カラヴァッジョの一生は裁判だらけです。

 静物画としての素晴らしいところを見てください。彼の静物画の一つの特徴ですが、必ず「バニタス」という主題をこの中に入れています。バニタスといいますと「バニティー」です。要するに、はかなさ、虚しさ、虚栄です。「命あるもの必ず終わりはきますよ」ということです。ペシミスティックな忠告なわけです。ですから、必ず植物、果物は元気のいいものと枯れているものが対になって出てくるのです。これが彼の一つの特徴です。こちらは有名な、ほぼ静物画、植物とか果物を静物画としてこのあとオランダを中心に一大ブームになりますからオランダのところで出てくると思いますが、ほぼ最初の作品がこれなのです。この中も、よくご覧いただければ、虫が食っていたり枯れていたりするのです。要する、生ける生と死にゆく生を必ず両方、同じ軸の中に登場させる。こういう精神的な意味、深い図像解釈にもなっているわけです。

 有名な自画像です。これはアテネの楯です。ゴルゴンの楯になっているわけですね。そこに自分の顔を描く。これを真筆でご覧になった方はおわかりですが、ちゃんと楯の形をしていて、ちょっと曲面なのです。ですから、これを正確に写真に撮ることはできないのです。ナルシスムですね。このカラヴァッジョのこの作品、これも教会から「ノー」が出るのです。

リアリズムの非情さで描いた聖母マリア

 やはり聖母マリアの死の場面で、これよくご覧いただくと、聖母が亡くなっています。それまでの聖母の死はこう描くのです。おわかりですか。聖母は醜くあってはいけないのです。落ち着いて自分の運命を受け入れて、静かに美しく亡くなっていくのです。カラヴァッジョの作品はそれと正反対の意味付けです。この聖母はもう死斑、死点が出ています。寝かせて、おなかに詰め物をさせるのです。要するに、ガスが溜まっていくわけですから、おなかが大きくないといけないわけです。足にも非常に醜い斑点が出るわけです。これは、いくら死の場面であろうが不敬罪であるということで、これは「ノー」、だめ出しをされるわけです。そのぐらい彼の新しいものの見方は時代を先取りしていたのです。

諍いの絶えない37年の人生

 後にはこの描き方が受け入れられますが、当時にあっては非常に危険な行為だったことも一つの事実でした。彼は友人の画家を棒で殴って一時拘留されます。友人たちと共に兵士に剣を振るいます。弟子たちと共に投獄されます。居酒屋でボーイを殴って、街頭でいさかいをします。一時拘留されて、人を殴って、自分の家主の家に投石するのです。こんな人に家を貸したくないものです。賭け事のもつれで4対4の争いになって1人殺害。これで逃げ回ることになるわけです。マルタ島のヨハネの騎士団で騎士となるのです。しかし、彼がお尋ね者だということがわかって投獄され、脱獄するのです。最後に、このローマの港町で亡くなります。彼を愛した教皇がけっこういますから、そのときに教皇の特赦状、赦免状が届くはずだったのですけれども、それが間に合わなかったという話になっています。彼の37歳の生涯を見ると、これだけ激しい男だったということで、あまり近づきたくないなという感じですね。 

 カラヴァッジョのマルタ島で残した作品ですが、この頃の作品に洗礼者ヨハネの斬首があります。この首から流れる血に「カラヴァッジョ」というサインがあるのです。これはあまり知られてないことですから、このサインはぜひ見ていただければと思います。天上からのスポットライトも晩年はずいぶん柔らかくなっているのがおわかりですよね。


結び

「無原罪のマリア」の信仰について

 17世紀に一つだけご紹介したいことがあります。「無原罪の御宿り」が非常に理解しにくいことになっていますが、これは19世紀に正式採用されるのです。これはマリアが処女のままイエスを生んだということじゃないのです。それは「処女懐胎」なのです。そのマリア自体も、もともと原罪を逃れていたという考え方なのですね。

 これが対抗宗教改革の時期にずいぶん人気を呼ぶわけです。ですから17世紀のバロックにとって非常に重要なトピックなのです。ヨアキムと妻アンナ、要するにマリアのお母さんとお父さんの物語があるのです。ただこれは聖書には一切書いてありません。どこにあったかというと、プロト・エヴァンゲリオンと申しますが、ほぼ2世紀ぐらいの非常に古いものなのです。他の福音書が書かれた時期とだいたい同じ時期なのです。このときの「ヤコブ原福音書」というのがあります。これも日本語訳になっています。面白いです。この中に出てくるのです。信仰の正統性は確認されますが、あまりにも極端な例です。要するに「神の意思によってこの世に生を受けたのがイエスだけじゃなくて、マリアもだ」というのですね。

 教会の中でも非常に疑問をぶつけられるわけですね。ですから正式に認可されるのは19世紀まで待たないといけないのです。17世紀には、異端審問所付美術監督官などという恐ろしい職業名があるのです。この人が描いていいと言うことは描いていいのです。この本は、何を描いたらよいか、何を描いたら異端とされるかがよくわかる本です。非常に面白いです。太陽を着て足元に月を踏んで、その頭上には12聖人の冠をいただく。ヨハネの黙示録に則していればいいということになっています。こちらがそうです。こちらも17世紀のイタリアの作品ですが、これを見ると、マリアはもともと聖書の中ではあまり重要視されてないのです。処女性に関してもそうです。夫ヨセフは妻を迎え入れ、男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった。これはマタイ伝ですね。イエスの母親はマリアと言い、兄弟はヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか、というのですね。これもマタイ伝に出てきます。

 ということは、イエスを生んだあとには、普通に夫婦関係があったとかいうことが聖書の中に書かれているわけですね。もちろん解釈にはいろいろありますが、それをもってスキャンダラスなことを言うわけではありません。ただ当時それほど重んじられなかった処女性が対抗宗教改革の時期にずいぶん重要視されていくのがわかります。

 最後に一つだけ、ここに三日月があります。月の上に乗っているというのは先ほどもありましたね。なぜかというと、これはもともとギリシャ神話のディアーナです。処女の女神として最も重要なものですから、処女性と結びつく最もよく似たキャラクターなのですね。この人が月の女神なのですね。なぜかというとアポロンの兄弟だから。

 ディアーナは双子なのです。アポロンは太陽の神ですから、その双子であるディアーナは三日月を持っているのです。処女ですから自分の裸体は見られるのがいやなわけですね。それを狩りの途中で偶然覗いてしまった太陽を鹿に変えてしまうのです。そうすると狩りの仲間で一緒に来た人が撃ち殺してしまうのです。裸を見ただけでそのぐらい怒るような人なのです。このディアーナ、三日月を持っています。これも17世紀の美術です。この頃このディアーナ、要するにギリシャ、ローマ神話の中のアルテミスですが、この女神が月を、女神であるから処女性をもとに、こちらの17世紀の主要な画題の1つの「御宿り」の中で三日月の上に乗っているという構図になっています。

 次回はカラッチ、そしてポッツォ、そしてベルニーニも扱います。イタリアからフランス、スペイン、ポルトガル、そしてイギリス、オランダに少しずつ主導権が渡っていく、この斜陽の時期にさらに光を当ててご説明させていただきます。きょうはどうも長いあいだありがとうございました。

 推薦文献というと、カラヴァッジョに関してはこれが最もいいのじゃないでしょうか。最近出た『西欧絵画の巨匠』という画集で、小学館が出版不況を乗り越えて10年ぶりぐらいに出したものです。この中の宮下先生の「カラヴァッジョ」、これが最新の図版と最新の学説をもとに作られた画集です。

 ついでに自分の宣伝も致しますと、この分のレオナルドの巻が私でございます。ついでにもう1つ宣伝させてください。3月に「受胎告知」が参ります。おいでいただけると嬉しいです。これの日本側の監修をさせていただいております。よろしくお願い致します。 

 もう1つ宮下先生の珍しい本です。「イタリア・バロック」。イタリア・バロックだけの本というのは非常に珍しいです。これは山川出版社です。歴史の教科書をつくる会社ですが、そこから出ております。


講師略歴

池上 英洋(いけがみ ひでひろ)

恵泉女学園大学助教授
1967年広島生まれ。
東京芸術大学、同大学院修了。助手勤務ののち、イタリアや香港で約9年間研究活動。
2004年帰国。2005年度より現職。
専門は西洋美術史。特に、中世からバロック期にかけてのイタリアにおける、社会と芸術の関係。

主著
『Due Volti dell’Anamorfosi』ボローニャ大学出版局
『ダ・ヴィンチの遺言』河出書房新社
『レオナルド・ダ・ヴィンチ 西洋絵画の巨匠』小学館など。