フランドル(2)ルーベンスの惑星たち ― ヴァン・ダイク、ヨルダーンス、「画廊画」

 

講師 学習院大学文学部哲学科教授

高橋 裕子 

平成19年2月27日 於:如水会館

【無断転記転載を禁ず】

社団法人 如 水 会

責任編集

 




◆内容目次

はじめに

17世紀フランドル絵画の位置づけ

一極集中

伝統的ジャンル

カトリック教会と市民がパトロン

絵画も画家も輸出

画廊画

虚構の部屋に実在のコレクション

大多数がフランドルの絵画

視覚の寓意

ヤン・ブリューゲル(1568〜1625)

フランス・スネイデルス(1579〜1657)

動物画の専門家

ルーベンスの工房

ヴァン・ダイクは助手だった

分業制度

コピーづくりは助手の仕事

コピー制作に力を入れていたルーベンスの工房

構想はルーベンス、制作は他の画家の場合

アントニー・ヴァン・ダイク(1599〜1641)

ヴァン・ダイクとルーベンス

得意とした微妙な感情が伝わる場面

イタリア、イギリスで活躍

肖像画に物語画の工夫を生かす

チャールズ1世のイメージをつくる

得意とした子どもの肖像画

ヤーコプ・ヨルダーンス(1593〜1678)

ルーベンスの弟弟子

庶民的、現実的

得意とした風俗画

原点にルーベンスの物語画

『カンダウレス王の妃』

優雅な絵も描く

雅びなる宴

18世紀フランス、イギリスの美術への影響

講師略歴


はじめに

 ご紹介ありがとうございました。いま本のことをおっしゃっていただいたのでついでに申しますと、最後に挙げた『物語画』(エリカ・ラングミュア著、高橋訳、八坂書房)という本ですが、前回と今回お話する、物語を絵画化した作品を扱っています。小さい本ですが、わりとまとまった論述なので、神話を含む物語を西洋でいかに絵画化したかに関心をお持ちの方がありましたら、面白く読んでいただけると思います。

 本日のテーマの「ルーベンスの惑星たち」とは、ルーベンスの周囲をまわっていた画家たちという、ルーベンス中心主義的な考え方です。今日の話ではルーベンスのことにも触れますが、彼の時代である17世紀のフランドルの主な美術活動に関して幾つかのポイントに話を絞り、代表的画家たちを取り上げます。


17世紀フランドル絵画の位置づけ

 まず、同じ時代のフランス、オランダ、イタリア、スペインなど、他の地域と比較した場合にどんな特色があるのかをあらかじめお話しておくことにしましょう。要点をプリントに書き損なったので、スクリーンに映しまして、それを参照しながら説明します。

一極集中

 たいへん顕著な特色として、17世紀のフランドル美術は一極集中です。アントウェルペン(英語ではアントワープ)という商業都市、貿易都市に美術活動の中心があって、その中でもルーベンスという画家が圧倒的な影響力を持ったわけです。同じ時代のオランダと比べてみると対照的です。オランダはアムステルダムがアントウェルペンに対応する商業都市で、むしろこの時代にはアントウェルペンよりアムステルダムの方が有力になっていくわけです。だからといって、アムステルダムだけが美術の中心であったわけではないんですね。

 たとえば皆様ご存じのフェルメールという画家がいますが、彼が活動したのはデルフトというたいへん小さな町です。それからレンブラントは主にアムステルダムで活動したのですが、出身地はレイデン(日本ではライデンと表記することが多いですが)という古い大学町です。レンブラントはそこからアムステルダムに移ってしまったけれども、ライデンはライデンで一つの個性ある美術都市であり続けるわけです。ですから、いろんな町にそれぞれ独特な性格を持った流派が栄えます。

 それから、レンブラントはたいへん偉大な芸術家で、しばしば一世代年長のルーベンスと並び称せられるわけですが、レンブラントがいかに偉大であっても、17世紀のオランダ絵画全体に支配的な影響力を与えたかというと、そういうことではないんですね。彼の影響力は大きかったけれども、まったく違うタイプの絵画も栄えているわけですから、その辺がずいぶん違うわけです。

伝統的ジャンル

 その次に書いた「伝統的ジャンル」とは何かというと、15世紀に始まるルネサンス以来、宗教画つまりキリスト教絵画、古代神話に取材した神話画、肖像画、こういったものがヨーロッパ各地で栄えていたわけですが、それが依然として17世紀のフランドルでは大切であったということです。

 それに対して、「新興ジャンル」は何かというと、日常生活を描いた風俗画、命のない物――花とか動物の死骸とか、あるいはただのお皿――そういうものを描いた静物画です。風景画というのもあります。これらは17世紀に確立する比較的新しいジャンルですが、特にオランダで栄えるわけです。フランドルでもそれらはあります。しかし、「伝統的ジャンル」に比べると脇役であった。それから、この新しいジャンルは、オランダの場合、家庭用として小さなサイズが普通なのですが、フランドルでは風俗画あるいは静物画でもたいへん大規模な物が描かれたという違いがあります。

カトリック教会と市民がパトロン

 有力なパトロン、つまり美術を注文したり画家を保護したりする人はどういう層であったかというと、これも「伝統的」なんですが、カトリック教会です。教会あるいは修道院が宗教画を注文するわけです。それから、市民が重要なパトロンであったという意味では、だいたいオランダと共通しているんですが、オランダの市民団体が集団肖像画を注文したとすると、フランドルの市民団体は自分たちの礼拝堂に飾る宗教画を注文する。そういう違いがあるんです。

 要するに何が言いたいかというと、伝統的な重要なパトロンである君主あるいは宮廷は、フランドルではあまり美術に大きな力を持たなかった。「そもそも宮廷なんてあるのか」と思われるかもしれませんが、一応あるわけです。というのは、フランドルはこの時代スペインの属国なわけで、そのスペイン王の代理として治めている執政(総督といってもいいのですが)、その宮廷はブリュッセルにあるわけです。

 この前お話したように、ルーベンスはこの執政夫妻(アルブレヒト大公とイサベラ大公妃)にたいへん大切にされて、政治的なことなども相談を受けたりしているわけですが、美術の面で宮廷がルーベンスの重要なパトロンであったかというと、どうもそうではないんですね。ですから、市民が有力なパトロンであったという意味ではオランダに通じるところがあった。しかし、一方でカトリック教会も重要なパトロンであったという意味では、イタリアとかスペインのようなカトリック国と共通しています。「じゃあフランスはどうなんだ」ということになりますが、フランスはもちろんカトリックですから、教会が重要なパトロンだったと思います。しかし、フランスの場合には、やはり宮廷、王権がずいぶんパトロンとしては重要だと思います。そんな違いがあるといえばあるんですね。

絵画も画家も輸出

 それから17世紀のフランドルで今お話している美術が盛んであった時代はだいたい世紀前半です。17世紀後半になると、たぶん名前をいってもあまり知らない人が多くなるし、一般の美術愛好家だけではなくて専門家でもあまり知らない人たちの時代になってしまうわけです。ですから、17世紀の前半はルーベンスとか、きょうお話するヴァン・ダイクとかヨルダーンスとかの時代なんですが、後半はあまりパッとしない。だけれども、17世紀にはこの美術、特に絵画がフランドルの最大の輸出品の一つになるのです。小さな絵が多いです。

 この前もちょっと触れましたが、オランダがスペインに対して独立戦争を行っている。フランドルはスペインの支配下に留まった。そこでオランダとしては、フランドルを一種の敵とみなして経済封鎖をするわけです。アントウェルペンの港を塞いで、船を通さないわけではないけれど、高い関税を取るんですね。そうすると、高い関税を払っても引き合うものは高額商品、小さくて高い物です。今はダイヤモンドでアムステルダムが有名ですが、アントウェルペンも当時ダイヤモンドの取引で重要な町でした。そういう宝石とか絵画が商品だったということなのです。

 商品として各地に売られた絵画は、それぞれの地で影響力を及ぼすことになるわけです。それから画家も輸出品でした。この前ちょっと申しましたが、ルーベンスはずいぶんあちこちの国外の宮廷で活動しました。有名な画家として、各国の宮廷が喜んで迎えたといえばそうですけれども、そしてルーベンスは、それを利用して政治的、外交的な活動もしたわけですが、別な言い方をすれば、出稼ぎに行ったわけです。つまり、オランダの独立戦争で経済的に苦しい状態になりつつあるフランドルでは、国外にパトロンを求めることがたいへん重要であった。

 きょうお話するヴァン・ダイクは、ご存じのようにイギリスで重要な画家、宮廷画家になるわけですね。それからヨルダーンスという画家、これも画風からいうとあまり宮廷的ではないんですが、ルーベンスとヴァン・ダイクが相次いで亡くなってしまった後は、イギリスとかスウェーデンとか、そういう国外の宮廷のために制作をしたりしています。そのような国外での活動が多かった、あるいは国外に作品が送り出されたことが、たぶん17世紀末から18世紀にフランドルの美術が非常に大きな影響を持って次の時代の美術をいわばつくり上げていく一つの源泉になったことを説明しているんじゃないかと思います。

 こういう絵があります(スライド3)。これは18世紀の後半に制作された作品です。フランドルの絵ではなくて、イギリスで活動したドイツ人のゾファニーという画家の作品で、『ウフィツィ美術館の特別展示室』と呼ばれています。ここにいるのはイギリス人たちです。つまり、イタリアのフィレンツェに滞在していたイギリス人たち、その肖像画です。ゾファニーがイギリス王室のために描いたものです。

 ここを見ていただきたいのですが(スライド4)、この前取り上げたルーベンスの『戦争の惨禍の寓意』が真ん中に飾ってあります。その他、「ああ、あれはあれだな」と思うものがあります。たとえば、前景のこれはティツィアーノの有名な『ウルビーノのヴィーナス』です。今でもこの部屋はありますが、こういうふうには飾られてはいません。また、このルーベンスの絵は、今は同じフィレンツェでもアルノ川を越えたピッティ美術館の方にあるので、ちょっと当時と違っています。


画廊画

 このタイプの画廊を描いた絵は17世紀初頭のアントウェルペンの発明です。『ウフィツィ美術館の特別展示室』は、1世紀余りを経て、別な地域でこのタイプの絵が制作されていることの例です。絵画展示室での美術愛好家の集いを描いたこうしたタイプの絵を、とりあえず「画廊画」と呼んでおきます。

 この画面の右上のところに、もう一つルーベンスの絵があります。こちらがそのオリジナルの絵です(スライド5の右)。右から二人目がユストゥス・リプシウスという先生です。残りが弟子たち。左端にいるのはこれを描いたルーベンス自身で、その隣が兄のフィリプス。ですから、この絵は、三人の哲学者あるいは古典学者と画家のルーベンスという組み合せですが、昔から『四人の哲学者』という題名で呼ばれています。1615年頃の絵ですが、これが描かれた時点ではもう先生のリプシウスとお兄さんのフィリプス・ルーベンスは世を去っていました。両端の2人が生きているというわけです。画面右上の彫刻は古代の哲学者セネカの肖像ですが、こういう絵が示しているように、ルーベンスという人はたいへん古典的な教養の豊かな人でした。この絵もなぜかフィレンツェのメディチ家のコレクションに入って、ここにこうして展示されているわけです。

虚構の部屋に実在のコレクション

 さて、今見た18世紀の作品、その伝統を生み出したのはアントウェルペンの画家たちですが、最もよく知られている代表的なこの画廊画の例をここに映しています(スライド6)。画廊画は、コレクションを描いた絵ですが、実在のコレクションの場合もあるし、架空のコレクションの場合もあるんですね。これは実在のコレクションです。つまりここで描かれている作品はほとんど現在でも存在していて、「どこそこにある」と言えるのです。

 これを持っていたのはコルネリス・ファン・デル・ヘーストというアントウェルペンの貿易商で、コレクターです。つまり、市民がパトロンであったことがこの例でおわかりいただけると思います。有力な市民がこうした優れたコレクションを持っていて、画家に注文したりもする。そういう状況を典型的に表しています。

 この絵を描いたヴィレム・ファン・ハーヒトという画家は、このコレクションの管理者を兼ねていました。同時に、こうした画廊画の創始者の一人と考えられています。いま「実在のコレクション」と言いましたが、実際にはこんなに巨大な広間は当時の家にはないので、部屋のあり方としては虚構でしょう。ただ、こんな風にぎっしり並べて掛けること自体は虚構ではないんですね。20世紀初頭ぐらいの美術館の内部を撮った写真などを見ると、こういう風にぎっしり掛けてあります。ですから、掛け方自体は虚構ではないけれども、こういう広大な部屋があるということはフィクションです。

大多数がフランドルの絵画

 あとで細部を見ますが、まず目立つのは絵画です。きょうはこの作品について特にお話するというわけではないので、一つ一つ詳しく申し上げるわけにはいかないのですが、だいたいこれは16世紀から17世紀初頭のものです。この画廊画が描かれたのは1628年なのですが、その時点までのフランドルの絵画が圧倒的多数です。ただ若干イタリア絵画もあるし、それからこの辺に並んでいるのは古代彫刻のコピーです。オリジナルではありません。たとえば、入り口の左側のこれはヴァチカン(ヴァティカーノ美術館)にある有名な『ベルヴェデーレのアポロ』のコピーですが、ヴァティカーノ美術館のアポロ像自体が古代ギリシアの彫刻のローマ時代のコピーですから、コピーのコピーということになります。そういう古代彫刻。それから絵画。陶磁器も、お茶をいれるためにここにあるんじゃなくて、これ自体がコレクションの対象なのだと思います。それからいろんな版画とかデッサンとか、コインとか、小さな彫刻。それからこの辺に天球儀があったり、天文学の観察に使うような機材があったり。

 要するに、こうしたコレクションは今の美術館と科学博物館を兼ねたようなものであるとお考えください。これもプリントに書いておきましたのであとでご覧いただきたいんですが、こういう蒐集室は、「クンスト・ウント・ヴンダーカマー」と呼ばれていました。クンストはドイツ語で芸術です。ウントはアンドで、ヴンダーというのは英語のワンダーですから驚異、驚き。だから、こういう蒐集室は「芸術と驚異の部屋」と呼ばれていたわけです。人間が作った芸術品だけではなくて、「自然が生み出した驚くべき物」もある。これはたぶん貝殻じゃないかと思うのですが、そういう物も蒐集の対象になる。そういう蒐集を描き出している絵があった。これはいわば一種の描かれたカタログでもあるということです。

 これは今の絵の左半分ですが(スライド7の左)、窓際にあるこの絵はルーベンスの作品で、『アマゾンの戦い』という神話画ですが、これが現在ミュンヘンのアルテ・ピナコテークにある原作です(右)。このルーベンスの絵をファン・デル・ヘーストが持っていたことがこの画廊画からわかるんですね。この絵にはカーテンが掛かるようになっているみたいです。だから、とても大事にされていたんじゃないかと思います。

 さらに部分をお見せします(スライド8の左)。コレクションの所有者が示しているのは、クエンティン・マセイスという16世紀初頭のアントウェルペンの画家の聖母子像で、これがファン・デル・ヘーストのたいへん自慢にする蒐集品であったらしい。説明を受けているのが大公夫妻です。つまり、執政夫妻が見に来てくれた。そして大公の隣にいるのが夫妻の宮廷画家のルーベンスです。それから、これ(ファン・デル・ヘーストのすぐ後ろ)があとで出てくるヴァン・ダイクです。他にもたくさん肖像があるんですが、ファン・デル・ヘーストの肖像はこの絵(右)を元に描かれていることがわかります。

 これはヴァン・ダイクが描いたファン・デル・ヘーストの肖像です(スライド9)。このコレクターはこの頃50代だと思います。たいへんに見事な作品で、ほんとうに生けるがごときイメージですが、こういう目の辺りの皺とか潤んだ感じとか、なにか生きているような感じですね。そういう写実性と、この襞の描き方、たいへんに見事ですが、同時にこれは絵の具の跡、タッチが残っているんですが、それはそれで魅力的です。つまり、絵の具の跡というのは本来ほんとうの襞ではないわけですが、絵に描いてみると、よくマチエールといいますが、絵の具の質感が見事な効果を出している。写実的でもあり、絵の具の塗り方としても魅力的である。こういう絵を描いたのがヴァン・ダイクが20才の頃です。ヴァン・ダイクという人はほんとうにそういう意味で天才、神童であったわけです。

視覚の寓意

 今の画廊画のような作品は、いったいなんであんな物を思いついたんだろうと思いますけれども、突然17世紀初頭にあのタイプの絵が出てきます。ほぼ同じ頃、あるいはちょっと前に「視覚の寓意」というテーマの作品があります。これは寓意画ですが、人間の五感、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚、それら全部を絵で表そうという試みで、ここに取り上げる『視覚の寓意』(スライド10)では、まさに見る対象が所狭しと並べられています。それはだいたい美術品であったりするわけですが、古代彫刻からさまざまな絵画、工芸品、望遠鏡その他、見るための道具もいろいろあるみたいですね。

 『視覚の寓意』で、こういう風景の部分やいろいろな静物の部分を描いているのはヤン・ブリューゲルという画家です。人物はルーベンスだと思います。共同制作が行われているわけですが、この2人による『五感の寓意』は、1枚ずつ別な作品で、5点セットで作られているはずです。これはたいへん空想的な室内ですけれども、このような寓意画から、より現実的な画廊画が枝分かれしてきたとも考えられます。

 これは今の作品の部分ですが、ここにあるこの作品がオリジナルです(スライド11の右)。周りの花の静物の部分がヤン・ブリューゲル、真ん中の聖母子がルーベンスという共同制作の作品です。こうした共同制作、つまり人物画の専門家と静物画の専門家が共同制作をすることは、この時代のアントウェルペンではけっこうよく行われておりました。それぞれ力を出し合って、より良い物を作りだすという感じだと思います。

 さて、ここから画廊画を離れて、個々の芸術家のお話に入っていきます。きょう取り上げる主な画家たちの簡単な説明はレジュメに書いておきましたので、あとでご確認ください。


ヤン・ブリューゲル(1568〜1625)

 今ここに映っている花の静物画は(スライド12)、先ほど花を描いたヤン・ブリューゲルの単独の作品です。右側は、ヤン・ブリューゲルとその奥さんと子どもたちを友人であるルーベンスが描いた肖像画です。

 ヤン・ブリューゲルという人は有名なピーテル・ブリューゲルの次男です。ピーテル・ブリューゲルは16世紀のフランドルを代表する画家で、農民の生活、農民風俗画を描いたり、農家の仕事を描いたり、あるいは寓意的な作品を描いたりといった絵で有名です。そのブリューゲルの息子たちが二人いるんですが、二人とも画家になります。長男のピーテル1世の方はもっぱらお父さんの真似をします。次男はまったく別な分野で活動するんですが、それがこの静物画であり、風景画です。

 風景画といっても、お父さんとはだいぶ違う、村の一角を描いたような、もっと親密な感じの風景画です。そういうものを描いた。これは花の静物画ですが、先ほど見た画廊の絵にコンセプトとしては近いところがあるんです。どういうことかというと、これらの花は一つ一つ見るとたいへんリアルに描かれていることがわかりますが、同じ時期に咲く花ではないんです。今は温室があるので咲く時期をずらしたりできます。17世紀の頃も温室は皆無ではないけれど、しかし今みたいに高度な設備はありませんから、花はだいたい季節ごとに咲きます。とすると、チューリップとヒアシンスとアイリスと、カーネーション、中にはバラもありますが、これらが全部いっぺんに咲くことはあり得ないわけです。

 1個1個はリアルです。先ほど言ったように、画廊画も一つ一つの絵はちゃんと元のものが確認できるぐらいにリアルに描いてあっても、取り合せ方、まとめ方はあんなに大きな部屋にまとめてあって、それ自体はリアルではないと申しましたが、これもそうで、1個1個はリアルだけれども、それをまとめたのは画家の想像力なんですね。どんな季節でも枯れることがない花束ということで、こういうものがこの時期にたいへん愛好されることになります。


フランス・スネイデルス(1579〜1657)

 ルーベンスが共同制作を行ったもう1人有名な人がいるんですが、それはスネイデルスという画家です(スライド13)。右側はこのスネイデルスの肖像で、描いたのはヴァン・ダイクです。左の作品はルーベンスとスネイデルスの共同制作で、古代ギリシア神話のプロメテウスを表しています。プロメテウスは人類のために神々から火を盗んで、その罰としてコーカサス山に縛られました。毎日鷲だか禿鷹だかが来て、その肝臓を食べちゃう。ところが、翌日になると肝臓がちゃんとまた出来ていて、また鷲が来て食べちゃう。つまり、尽きることのない責め苦にあうわけです。

動物画の専門家

 ルーベンスが、あるコレクターに出した「自分の手持ちの絵にこういうのがあるんですが、買いませんか」という手紙があるんですが、このルーベンスが描いたプロメテウスの絵について「鷲はスネイデルスが描きました」と特筆しているんですね。つまり、そういう専門家が協力してくれたことが、この絵に付加価値を与えたということになります。ルーベンス自身も動物を描くのがうまいんです。ほとんど何でも描いていると思います。でも、この場合は、動物画の専門家であるスネイデルスにわざわざ協力してもらっています。スネイデルスという人は静物画も描きますが、こういう生きた動物、死んだ動物の絵にもたいへんに長けていた人です。

 これはスネイデルス自身の作品ですが(スライド14)、静物画といっても大画面ですし、生きてる動物もいるし、人間もいるわけですね。『食料品貯蔵室の召使』という題で今呼ばれていますが、これも「五感の寓意」であるということです。どこに五感があるのかというと、この召使は葡萄を食べようとしてるわけですから「味覚」ですね。それからこれは生きている鶏ですが、くちばしでちょっと突っ付きあっている。これが「触覚」です。そして、おそらくこの兎とか鹿の耳が「聴覚」、それから犬が「嗅覚」、そして猫はたいへん目がいいということで「視覚」。そういうふうに五感がここに全部含まれているということなんだと思います。

 スネイデルスが得意としたのは生きた動物、死んだ動物つまり狩りの獲物ですね。それから野菜とか果物。ここにロブスターもあります。普通、静物画家はあまり人間は描かない。人間を描くのは好きではないとか、人間を描くのは上手ではないとかいうケースが多いんですが、スネイデルスは人物画家と協力もしたし、自分も立派な人物が描けるという人です。ただ、そのぶん静物画というにはあまりにも巨大な作品になっている(この場合、135×201p)。この辺はオランダの静物画とはずいぶん違うんですね。

 こういう独立した専門家との協力関係は、いま考えるとちょっと不思議な気がするかもしれません。つまり、いま絵画は個人の創造物であると一般に思われていますから、他の人が手を出すのは妙な感じがするかもしれないけれども、少なくとも当時は、こうした専門家同士の協力は、いい絵を生み出すための一つの方策であると考えられていたわけです。


ルーベンスの工房

 さて、ルーベンスに関して、あるいはその周囲に与えた影響力に関してお話していると、どうしても彼の工房に触れざるを得ない感じになります。ルーベンスはたいへんに作品数が多いし、個々の作品が大規模であったりして、到底一人では描けない。彼は宮廷画家という資格を得ていたので、ある町で開業するときの画家の義務である画家組合への登録をしなくて済んだのです。税金も払わなくてよかったそうです。

ヴァン・ダイクは助手だった

 つまり、ある時期、彼に何人弟子がいたかというようなことは記録からはわかりません。画家組合、つまりギルドの記録からはわからないんです。たまたまある契約書の中で筆頭助手としてヴァン・ダイクの名前が挙がっているので、1610年代の末にヴァン・ダイクがルーベンスの助手であったことは記録で裏付けられているといえます。しかし、他に関してはわからない。そのために、ルーベンスが工場みたいにたくさん人を雇って大規模に制作していたと考える人もいるんですが、それはちょっとどうかなと思います。

 いま映っているのは16世紀後半、つまりルーベンスよりちょっと前のアトリエの様子ですが(スライド15)、こういうふうに工房では何人もの人が親方と共に働く、あるいは学ぶことが当たり前であったわけです。要するにルーベンスの作品にいろんな段階で人の手が入っていることは間違いないと思います。

 これはストラダヌスというラテン語系の名前で知られている、もともとはフランドル出身でイタリアで活動した画家がデザインした銅版画です。版を彫ったのは別の人です。真ん中にいるこの工房の主宰者、つまり親方は、龍退治、「聖ゲオルギウスの龍退治」という宗教画を描いている。それから一番弟子というか、もう一人前になっている親方の右腕のような人は左端で肖像画を描いています。後ろに描きかけの聖母像があったり、この辺(棚の上)も肖像画です。部屋の右端では下働きの人が絵の具を作っている。

分業制度

 これは顔料を砕いてるんです。今みたいなチューブ入りの絵の具はありません。多くは鉱物性の絵の具の元を砕いて、それを油と混ぜたりするわけで、それはそれで専門の職人がいるわけです。画面手前の若い人たちは絵の勉強をしている。たぶんこの子はこの彫刻をデッサンして勉強中。こうやって十代のはじめぐらいに弟子入りをして、そこで下働きをしながら学んでいく。一定の修業を積むと一人前ということで画家組合に加入する。そういうプロセスをとっていたわけです。

 これらの人たちは、たとえばこうした大画面の背景をちょっと塗らせてもらうとか、あるいはこの肖像画を描いている人のようにうまくなれば、この親方のところに注文が来たのだけれど、その代理として作品を制作する(署名がなされるとすれば、親方の名前ですが)。そんなふうにしていたわけです。ですからこのような分業は多かれ少なかれルーベンスの時代には当たり前でした。

 しかし、一方で、ルーベンスの作品が、本人はスケッチしか描かなくて、拡大した完成作は全部弟子が描いたという説はちょっと極端です。工房の助手の大きな仕事としては、コピー作りがあったのだろうと考えられます。

 いま映っているのはこの前見た『パリスの審判』(スライド16の左)。ルーベンスの30年代、つまりわりと晩年の作品ですが、右はコピーで、ドレスデンにあるこのコピーは、ここでは同じ大きさで映していますが、実際はだいぶ小さいものです。よく見ると、うまい下手は別として、ちょっとモチーフが違っているところがあって、たとえばコピーでは原作よりキューピッドの数が多いのです。それからパリスの脚のポーズが違う。ところが、ロンドンにある原作をX線写真や赤外線写真で見ると、この二人の女神のあいだと画面の左端とに、キューピッドがもう一人ずついました。それからパリスの足も、もともとはちょっと上げていたということがわかるんですね。

コピーづくりは助手の仕事

 とすると、ドレスデンの作品は非常に早い段階で作られたコピーであって、おそらくまず最初に描かれたときに工房の誰かがコピーを作って、その後でルーベンス自身が「どうもこれはちょっとまずかったかな」というので足のポーズとか、キューピッドとかを、変えたり取ったりしたと考えられます。

 このようなコピーがたくさん作られて広く流通した。工房の助手の仕事は、たとえば背景のあまり重要じゃないところを部分的に塗ったとかいうことに加えて、このようなコピー制作にあったのだろうと考えられます。このコピーとか工房とかいうことで、われわれの身近に問題になっている作品があるんです。

 これは上野の西洋美術館にある『ソドムを去るロトとその家族』という作品です(スライド17)。旧約聖書に基づいた作品。1970年代にドイツのあるコレクターから西洋美術館が買ったときにはルーベンスの作品として買ったわけです。しかし、その後ベルギーの学者が「これはルーベンスに基づくヨルダーンスの絵である」と言いだして、そのときに新聞などで「西洋美術館は偽物を買った」と騒がれたことがあるんです。でもこれはべつに偽物ではない。作者がヨルダーンスという固有名詞で呼ばれる画家であるか、固有名詞がなくなってしまったかは別として、ルーベンスの工房で作られたコピーの一つであろうということになるわけです。

 これが西洋美術館の作品です(スライド18の左)。よく知られているコピーが2点あって、これに関する限り、ルーベンスの貢献度が非常に高いオリジナルはなくなっちゃったみたいです。あるいは、もしあるとすれば、アメリカのフロリダ州リングリング美術館にあるこの作品(右上)がいちばん出来がいいと言われています。こちら(右下)はマイアミのバス美術館所蔵。どちらもフロリダ州にこの2点があるのは不思議なんですが、どちらも個人の美術館です。

コピー制作に力を入れていたルーベンスの工房

 どれも幅2メートル近い、けっこう大きな絵です。1点ずつバラバラにして、「どれがどれだか当ててみろ」と言われるとちょっと困るんですけども、「どこが違うかな」を一生懸命見たんですが、西洋美術館の作品は、わりと目立つようにここ(画面左下隅)に草が生えています。あと、この右端の人物の後ろにどれぐらい空間があるか。このスカートで隠れている足の描き方がどうか。色もちょっと違います。よく見ると区別すべき点はあるんですが、たいへんよく似ている。こういう相当な大作で、よく似た作品が作られているということは、当然需要があったからですが、ルーベンスの工房の人たちは、こうしたたいへんに見事なコピー制作にかなり力を入れていたんじゃないかと考えられるわけです。

 この絵が描かれた時期はだいたい1610年代の後半と考えられています。ヨルダーンスの画風に近いものがあるということなんですが、よくわかりません。わかりませんが、先ほど言ったように記録がないので、ヨルダーンスがルーベンスの工房にいたという文字の資料はないんです。しかし、画風の点からいって、ヨルダーンスもルーベンスの助手だった時期があったのだろうかと考える。そうすると、ヴァン・ダイク、ヨルダーンスという、ルーベンスに次ぐ17世紀フランドルの人物画家たち2人ともルーベンスの助手だったということになるので、まさにルーベンスの惑星であったことがいっそう強く主張できるわけですね。

 「ルーベンスの作品は小さな油彩のスケッチだけで、完成作は工房の助手がそれを単に拡大したんでしょう」という見方をする人もいるかもしれないのですが、それは違うんですね。というのは、下絵を拡大してもぜったい完成作にはならないんです。これはオイル・スケッチです(スライド19の右下)。ルーベンスの作品に関しては、小さな板に非常に簡略な筆遣いで構想を描き留めた下絵がたくさんあります。一方、左上の絵は完成作で、1630年代にスペイン王の狩猟館を飾るために描かれたシリーズの一つ、『天の川の起源』という神話画です。女神ユノー(英語読みはジュノー)がヘラクレスに乳をふくませようとしたところ、ヘラクレスは赤ちゃんでも怪力だったので、すごく力が強かった。で、ミルクがこぼれて、それが天の川――英語ではミルキーウェーと言います――になったという話です。

構想はルーベンス、制作は他の画家の場合

 その『天の川の起源』という絵なんですが、これがスケッチだとすると、これを拡大しても、この絵にはならないわけです。人物のポーズが違い、構図自体も違います。1630年代にルーベンスはかなり体調が悪い時期もあって、これは非常にたくさんの作品からなるシリーズだったので、「構想はルーベンスに任せるけれども、制作はアントウェルペンの独立した一人前の画家たちが分担していい」という契約を結んでいるんです。しかし、この場合は、ルーベンス自身が本絵まで制作しているので、こういう大きな違いがある。

 ところが、同じシリーズでも、完成作にそれぞれ分担した画家のサインが残っているものがあります(スライド20)。左上は完成作、右下がルーベンスのスケッチですが、ほとんど構図が変わっていないことがわかると思います。完成作はヨルダーンスが担当したことがわかっています。つまり、第三者がスケッチを元に制作するとすれば、スケッチも相当きちっと描いておかなければいけないし、完成作の方はその元のスケッチからなるべく違わないようにする。当人がちょっと下手で間違っちゃったところはあるにしても、あるいは当人の癖が出るということはあるにしても、構図に関しては非常に忠実にスケッチを拡大しています。この場合は、そういう制作をしてもいいという契約をしているわけです。そうじゃなくて、一般的な場合には、最後の最後までルーベンス自身が自分の構想が最もよく大画面に反映できるようにと工夫しているだろうと思います。

 そういう工房のあり方は、たとえば建築家とかデザイナーの事務所の活動とか、漫画家の活動を考えていただけばいいわけですが、実際の制作に何人の手が関わったにしても、漫画であればアシスタントの人がたくさんいて、ある人は車だけ描いてるとか、ある人はバックだけ塗りつぶしてるとかいうことがあるにしても、その漫画は何とか先生の名前で、その人の個性を表したものとして流通するわけですね。それに近いことがこの時期の工房活動にはあったとご了解いただきたいと思います。 

 いま映っている2作品(スライド21)はその工房で、助手が親方のバージョンを描いたというケースです。左はルーベンスの作品。同じ主題で、右側がルーベンスのもとで助手を務めていた若きヴァン・ダイクが制作した作品です。これは『皇帝テオドシウスのミラノ大聖堂入堂を拒む聖アンブロシウス』という聖人伝のエピソードなんですが、世俗の権力者と宗教界の権力者の対立とお考えください。構図はほぼ同じですが、人物の表し方、特にこの皇帝の描き方はずいぶん違いますね。

 ルーベンスの方はたいへん彫刻的で力強い、どっしりとした感じです。それに対して、ヴァン・ダイクの方は、神経質なぐらいタッチが目立ちます。人物のポーズとかタイプにしても、あまりどっしりしていなくて、ワナワナと揺れ動いている感じです。それがこの画家、つまりヴァン・ダイクの特色と言ってもいいんじゃないかと思われます。


アントニー・ヴァン・ダイク(1599〜1641)

 ヴァン・ダイクに関して、フロマンタン(19世紀フランスの画家、作家)がたいへん的確なことを言っていますので引用します。これがヴァン・ダイクの自画像です(スライド22の右)。たいへんハンサムであった。自画像は自分で描いているので、当てにならないといえば当てにならないですけど、たいへんに美しいですね。左上はさっきのファン・デル・ヘーストの肖像です。驚くべきことに、左下のこの『老人の肖像』には文字が書き込んであって、ヴァン・ダイクの署名と制作年が書いてありますが、1613年、14歳のときの作品です。そこから、彼が天才、神童だったことがわかると思うんですが、こういう人であった。そのヴァン・ダイクに関してフロマンタンが述べています。

 「魅力的な男で、頑健な血筋をひくものの、本人は華奢な姿をしている(これは比喩的に言ってるわけです。頑健な血筋というのは、つまりルーベンスの弟子であることをさします)。優れた家柄の二代目にはありがちなことだ。気質はもうあまり雄々しくなく、むしろ繊細と言った方がよい。(中略)ある比類ない天分により、他のすべてが赦されてしかるべき存在なのだ。(中略)その比類ない天分とは、優美にほかならない。結論を言おう。ヴァン・ダイクは皇太子、それも王座が空くやいなや自分も死んでしまい、いかなる意味でも決して支配者にはなれぬ運命の皇太子だったのである」(ウジェーヌ・フロマンタン著、高橋訳、『オランダ・ベルギー絵画紀行』、岩波文庫、上巻、188〜189頁)

ヴァン・ダイクとルーベンス

 これはヴァン・ダイクとルーベンスの関係について言っているわけですが、一代目のルーベンスはたいへんに頑健な力強い人なわけです。これは二代目である。一代目が亡くなったら自分が跡継ぎになって画壇を支配しようと思っていたかもしれないんですが、ルーベンスが1640年に亡くなり、ヴァン・ダイクはその翌年の41年に、たぶん結核で亡くなってしまう。42歳で世を去ってしまいます。そういう立場の人であったということですね。

 こうして比べてみると(スライド23)、両者の個性の差というか、画風の差がよくわかると思います。主題は同じで、前回見た右側のルーベンスの『キリスト昇架』を意識して模倣している。しかし、こうして見ると、左のヴァン・ダイクの人体の描き方とか色の塗り方とか、たいへん繊細な、デリケートな感じがするんですが、十字架がすごく軽いですよね。なんか簡単にひょいと持ち上がっちゃう感じです。それに対して、ルーベンスの絵では、キリストが十字架につけられている、それをみんなで寄ってたかって押したり引いたりして持ち上げようとしているんだけど、その力が今ちょうど釣り合っているというか、なかなか上がらない。それぐらい大きな存在なのだということがこの人物のポーズ、あるいはこの組み立て方、画面の組み立て方に表れていると思うんですね。それから人物の筋肉質、筋骨隆々たる姿にも。

 それに対して、こちらは、かかしみたいに、ちょっと押したらフッと上がってしまったという感じ。ぜんぜん緊張感が弱いと思います。言い換えれば、こうしたたいへんにドラマティックで力がみなぎっているような画面はルーベンスが得意としたところだけれども、ヴァン・ダイクの得意なものではなかったということだと思います。それぐらい大きな違いがあるんですね。

得意とした微妙な感情が伝わる場面

 ヴァン・ダイクが得意だったのは、あまり動きがなくて、表情とか微妙な身振りとかで、たいへんに細やかな感情が伝わるような場面、そしてあまりいい意味ではないので、言っていいかどうかわかりませんが、ちょっと感傷的、センチメンタルであるという見方もあり得ます。それは、言い換えれば非常に繊細であることになります。これは『キリスト哀悼』の場面です(スライド24)。そうした繊細さは人物の非常にほっそりとした姿、あるいは上品な顔だちだけではなくて、たいへんに軽やかな絵の具の塗り方などからも伝わってくると思います。

 これも宗教画ですが(スライド25)、この『福者ヘルマン・ヨゼフの幻視』という絵は、聖母に対する信仰のたいへん篤い修道士の前に聖母マリアと天使が現れたという伝説を絵画化しています。このたいへん美しい優美な人々の非常にかそけき触れ合い。ルーベンスが人をつかむとすれば、昔ある美術史家(ルネ・ユイグ)が言ったことですけど、「ルーベンスは常にがっちりつかむんだ。ヴァン・ダイクは軽く手を触れるだけだ」と。そういう違いがこうした絵からもうかがえるんじゃないかと思います。

イタリア、イギリスで活躍

 ヴァン・ダイクはルーベンスのもとで3年位助手を務めて、その後イタリアに行きます。イタリアで7年位過ごして、そこで制作をするんです。またアントウェルペンに戻って来ますが、まだルーベンスがそこで活躍しているので、結局アントウェルペンよりも他に自分の力が発揮できる土地を求めて、そして行ったのがイギリス宮廷なわけです。イギリス宮廷での10年に満たない活動の後、若くして亡くなります。

 ヴァン・ダイクという人はルーベンスのいるアントウェルペンでは、そもそも腕の振るいようがないということもあったでしょうが、もともと彼はドラマティックな表現に関してはルーベンスに適わない。そこで、彼が得意としたのは肖像画の分野になります。ただ、その肖像画に劇的な表現を加味し、モデルの高貴さとか、威厳とかが引き立つような演出を施した。そういう肖像画を開発して、それで大当たりをするわけです。

肖像画に物語画の工夫を生かす

 物語画の画家としてはやや弱いところがあったんですが、肖像画に物語画の工夫を生かすことで独自の境地を開き得たということです。肖像画の需要は常にあるんですが、今みたいに写真はないですから、需要は大きいのだけれども、絵の格としては物語画、つまり宗教画や神話画よりも下に位置づけられていました。ですから、ルーベンスは自分の家族とか友人とかをさっき見たような半身像で描くことはあっても、全身像のたとえば君主、貴族の肖像は、ごく初期を除いては制作していません。つまり、それは自分がやるにはちょっと格が下の仕事だと考えていた節があります。しかし、ヴァン・ダイクはその分野で第一人者になった。

 いま映っているのは彼がイタリア時代に制作した絵ですが(スライド26)、この辺で画風が確立します。これは肖像画ですが、エレーナ・グリマルディというイタリアの貴婦人を描いています。お小姓の黒人の少年はあくまでも彼女を引き立てる脇役です。こうして傘を差しかけられて、そのことによってこの人の高貴さが引き立つ。いま宮殿から出てきて、われわれの前を通って下りて行くのでしょう。こうした立派な建物とか、庭園という設定、そしてお付きがいる。それから、かなり背を高く表していると思うんですが、上の方からわれわれをちょっと見下すような表情とかポーズ、そういう演出によって、この人物がいかに高貴であるかを誰にでもわかるように表現する。人物の描き方や色彩のバランスなどもとても洗練されているんですが、肖像画としての新味はそうした演出にあったと言えます。

 いま映っているのは(スライド27)、左はルーベンスが描いた自分の息子たちの肖像、右はヴァン・ダイクがイギリスに行ってから描いたイギリスの貴族の兄弟の肖像です。二人組み合わせて肖像画にしたものを英語でダブル・ポートレートといいます。いま見たヴァン・ダイクの貴婦人の肖像は人物が二人いるけど、あれはダブル・ポートレートではありません。描かれているのは一人で、もう一人はあくまでもその引立役。あれが人物ではなくて、たとえば犬であってもいいわけです。

 これは二人がそれぞれ等価の対等なモデルとして、兄弟であることで組み合わされているわけです。宮殿のような建築背景を前にした全身像で、肖像画というのはだいたい等身大で描くので、全身だと一般に大きな絵になります。ルーベンスは自分の家族であればこういう全身像で宮廷の肖像画風に立派な建物を背景に置いたりして描くんですが、職業的にはほとんど描いてない。しかしヴァン・ダイクはそちらを専門にしたというわけです。

 こちらは(スライド28)左がヴァン・ダイク、右がルーベンスで、右のルーベンスの作品は自分の奥さんと子どもを描いているんですが、ここでの子どもはダブル・ポートレートというよりも、エレーヌ・フールマンを描くのが目的で、子どもはその引立役というか、お小姓役みたいな感じです。色が黒と赤で、色の関係からいっても、ここに何か欲しいというときにこの子どもを入れた感じですね。

 これも宮廷肖像画の形式です。立派な建物で、さっきのヴァン・ダイクの絵に似ていますけれども、下の方に馬車が待っていたりする。でも、これは自分と関係のない貴婦人の肖像ではなくて、自分の妻の肖像なわけです。それに対して、左のヴァン・ダイクの絵は、イギリス宮廷の王妃の肖像です。もともとフランスの王女でアンリエット・マリーというんですが、イギリス風に言えばヘンリエッタ・マライアでしょうか。チャールズ1世の妃です。しかし、傍らにいるのは子どもではなくて、当時の宮廷に仕えていた小人なんですね。名前もわかっていて、ジェフリー・ハドソンという人です。いちおう肖像ですが、引立役でもあり、配色的な効果を画面に付け加える存在とも言えるでしょう。

チャールズ1世のイメージをつくる

 この王妃様、チャールズ1世もそうですが、当時の記録を見ると、どちらもあまり外観に恵まれていた人たちではなかったそうです。しかし、ヴァン・ダイクはたいへん美しい貴婦人あるいはたいへん高貴な騎士としてこの夫妻を描き出したんですね。これがご主人のチャールズ1世です(スライド29)。チャールズ1世は芸術愛好家で、立派な美術コレクションを持っていたし、美術家を手厚く保護したという意味では、美術史のうえではたいへん貢献度が高いんですが、当時のイギリスではたいへんな専制君主であったし、貴重な国家のお金をコレクションに注ぎ込んだということで評判がよくなかったんです。

 イギリスはヘンリー8世以来、つまり16世紀の前半以来、プロテスタント国になっているのですが、チャールズ1世は奥さんをカトリック国であるフランスの王室から迎えて、カトリックにたいへん親近感を持っていた。そういうこともあって、革命が起こるわけです。ピューリタン革命が起こって、チャールズ1世は1649年に断頭台に送られてしまいます。

 今われわれはそうした後のことを知っていてこの絵を見るので、どことなく哀愁が漂っているような感じがしてしまう。ですが、当時そうしたことが意識されていたとは思いません。はっきりしているのは、ヴァン・ダイクがチャールズ1世の後世のイメージをつくり出したということ。決して身体的には恵まれていなかったと言われるこの王様が、紳士の鑑であるような洗練された美しい人であるというイメージをつくり出したわけですね。

 この絵は自分の義理のお母さんであるフランスの王様のお母さん、マリー・ド・メディシスに贈ったとされていますが、「狩場のチャールズ1世」というあだ名が付いている絵です。王様らしくない格好、驚くほど軽装です。王様の絵といえば立派なマントを着て王冠をかぶっている、あるいは玉座に就いているイメージを思い出しますけれども、ヴァン・ダイクはそういう直接的な表現ではなく、演出によってこの人物が特別な人であることを表そうとしたのだと思います。

 面積的にいえば、この人は画面の中で左半分しか占めていないです。でも、それはこの人の存在感を薄めるどころか逆に大きく見せている。たいへん軽装であり、王様であるという外見的なしるしは何も身に付けていないように見えます。画面右側のこれは馬の世話をする人、その後ろはたぶん小姓、そして馬、それらがすべて王様よりも小さく描かれて、影の中に沈んで、この人に仕えている従属的な存在であることを表現しています。一方、この人物は空を背景にくっきりと浮かび上がっている。そして高いところから下を見下ろすような位置にいます。この樹木の枝が先ほどの貴婦人の上に差しかけられていた赤い傘のように、やはりこの人を引き立てているわけです。こちらに肘を張って上から見下ろすような視線でこちらを見ている。うかつに近寄れない、遠くから見ていなければならない存在だということを、ヴァン・ダイクはこの設定、演出によって見る者に伝えようとしている。そういうやり方でこの人は特別な存在なのだということを表現しようとしたと思います。

得意とした子どもの肖像画

 ヴァン・ダイクはチャールズ1世の宮廷で、自らも騎士の位を得て活躍します。宮廷画家の仕事はもっぱら王室、あるいはそこに仕える人々の肖像画を描くことなのですが、その中には王様の子どもたちを描くことも入っていた。ヴァン・ダイクのたいへん繊細な筆遣いは、子どもを描くのにも向いていました。とても可愛らしい子どもたちの肖像画が残っています。

 チャールズ1世は他にも子どもがいたのですが、これは上の3人です(スライド30)。だいたい1635年頃の絵だと思いますが、左は長男です。後のチャールズ2世。真ん中は、後にオランダの総督オラニエ公と結婚するメアリー。右が後のジェイムズ2世です。たいへん可愛らしい子どもたち。ここにいる大きな犬は、実際にこうしたペットを飼っていたのかもしれないけれども、この子どもたちを見上げる視線によって、やはり先ほどのお小姓と同じく、高貴な子どもたちに仕える存在として彼らの高貴さを目立たせているのだと思われます。


ヤーコプ・ヨルダーンス(1593〜1678)

 中産階級の子どもたちの肖像が描かれるようになったのは17世紀からといっていいと思います。いま映っているのは(スライド31)、ヴァン・ダイクと並ぶアントウェルペンのもう1人の大画家で、やはりルーベンスの助手だったと言われているヨルダーンスの家族図です。右が当人で、左が奥さんと娘。中央のこの人は奥さんの妹さんなのか、よくわかりません。謎の存在です。葡萄を持っている姿などからいって、もしかしたら現実の人間ではなくて、寓意的な存在かもしれない。でも、それにしてはずいぶん現実的です。お母さんに寄り添っている子どものニッコリした表情がたいへんに印象深い作品です。

ルーベンスの弟弟子

 ルーベンスには3人先生がいました。ヨルダーンスはルーベンスの2番目の先生だったアダム・ファン・ノールトの弟子、つまりルーベンスの弟弟子です。そのアダム・ファン・ノールトの娘と結婚しました。この母親がその娘さんです。ヴァン・ダイクがイタリアに行ったりイギリスに行ったりするわけですから、ずっとアントウェルペンにいたヨルダーンスは、ルーベンス以外ではアントウェルペンで最も引く手あまたの画家だったということになると思います。

庶民的、現実的

 左側(スライド32)はヨルダーンスが描いた『十字架上のキリスト』の絵です。右側はルーベンスの『キリスト降架』。主題は同じではありませんが、比較は可能です。で、たとえばこのヨハネの姿を比べてみると、聖書の中の人物といっても、あまり高貴な感じはしない。庶民的な感じがする。それから、十字架のもとで嘆いている女性たちは、美しいというよりは、ごく普通の人たちのような感じがする。キリストの肉体もあまり彫刻的ではなくて、リアルといえばリアルなのかもしれませんけれども。さっきのヴァン・ダイクほど繊細、優美でもなく、ルーベンスの彫刻的な力強さとも違う。最も現実的かもしれない。そのあたりにヨルダーンスのヨルダーンスらしさがあるわけです。

 ヨルダーンスはこうしたカトリックの宗教画をずいぶん教会のために描いているんですけれども、当人はプロテスタントであったことが知られています。ヨルダーンスが最も力を発揮したのは、今のような画風から見ても庶民的な感じの作品だと思いますが、その分野ではいろいろと新しいテーマを開拓したりしています。これは(スライド35)「サテュロスと農夫」というイソップの寓話とされる話を描いています。サテュロスは古代神話の森の神様です。そのサテュロスが人間の農民と出会った。農民は、寒いときに温めるために手に息を吹きかける。お粥が熱いと冷ますためにまた息を吹きかける。サテュロスが「人間とは変なものだ」と言ったという話がここで描かれています。

 サテュロスは古代神話の存在ですから裸ですが、ここにいる農民の一家はヨルダーンスの時代の農民の一家のように見えます。つまり現実的な設定に移し変えた古代の物語、しかも、ちょっとユーモラスな感じの表現です。ヨルダーンスはユーモラスな風俗画を得意としましたが、それを古代神話の話にも適用しています。

得意とした風俗画

 これが(スライド34)彼が得意とした風俗画です。風俗画は日常生活の絵ですけれども、決してスナップ写真的に日常の任意の場面を描いたものではありません。オランダなどにしてもそうですが、特にヨルダーンスの場合、フランドルの諺とか、フランドルの年中行事とか、そういうものを題材にしています。これは『老いが歌えば若きは笛吹く』、つまり子どもは大人の真似をするという意味の諺で、ここ(画面上端中央)に文字が書いてあります。老人が歌っています。若い人たちは笛を吹いています。それだけの絵ですが、それを家族の団欒として表していて、静物画的な要素もあります。これは宗教画などと同じように人物が等身大に近いぐらいの大きな絵とお考えください。

 これは、1638年、ルーベンスの晩年に当たる時期にヨルダーンスが作り出したタイプの絵です。たくさんバージョンがあります。このときヨルダーンスは独立の画家として制作していますが、発想源がこの絵(スライド35の右下)だったというんですね。これはルーベンスの作品です。同じ宴会場面でも、ちょっとここに変なものがある。洗礼者ヨハネの斬られた首が載っています。つまりこの皿を持つ女性はサロメです。ヘロデ王と聖書の聖ヨハネの殉教というか、サロメの話ですね。それをみんな笑っていたりして、なんか変です。本来たいへんに恐ろしい場面なんですが、ちょっと不思議な絵画化の仕方をしているのです。

原点にルーベンスの物語画

 この右から二人目の女性(サロメの母ヘロデヤ)に目をとめると、ヨルダーンスの絵(左上)の中央に母親として再登場しています。帽子も含めてよく似ています。つまりヨルダーンスがこういう家族図を発想した原点にルーベンス晩年の物語画があったというわけです。

 対作品というわけではないけれども、今の諺の絵としばしば並べられるのが、『豆祭りの王様』ととりあえず呼んでおきますが、民間行事を取り上げた作品です(スライド36)。これは1月5日か6日に行われる、もともと宗教的な性格のお祭りです。家族や友人が集まって、ケーキの中に豆を1個入れて焼いて、切りわけて、豆が当たった人が「王様」になる。その王様の健康を祝して乾杯する。中央のこれが王様です。しかし、宴会場面であるにしては、それにふさわしくない要素(嘔吐する人物や母親にお尻の始末をされている赤ん坊)がいろいろあるんです。こういうちょっと猥雑なバイタリティーに溢れる表現がヨルダーンスの得意とするところでした。これも大画面です。

 これは(スライド37)左側がヨルダーンス、右はルーベンスです。よくルーベンスの裸婦はたいへん太っていると申します。今だとメタボリック症候群ということになるかもしれないですが、当時の感覚からいうと、豊かな肉体は評価すべきものであったのかもしれません。ルーベンスがすごく太った女性を描いたということで、だから「ルーベンスはちょっとどうも……」という人もけっこういるかもしれません。しかし、ヨルダーンスと比べると、ルーベンスの女性でも多少細いという感じがあります。

『カンダウレス王の妃』

 これは右側がルーベンスの『三美神』で、晩年の作品ですが、左のヨルダーンスの絵の主題は『カンダウレス王の妃』です。古代ギリシアの歴史家ヘロドトスが書いているのですが、カンダウレスという王様が自分の美しい妃が自慢で、いかに美しいかを人に吹聴したくてたまらない。顔だけなら誰でもわかるんですが、肉体がたいへんに美しい。で、ギゲスという自分の馬丁に「たいへんに美しいので、自分の目で見て確かめてくれないか」と言ったんだそうです、たいへん愚かしい話ですが。それでギゲスと妃の寝室の隅に隠れていて、妃が服を脱いで床に入るところをギゲスに見せて、「どうだ。美しいだろう」と王様が言っている。これがギゲスです。

 ところが、ヘロドトスによりますと、カンダウレスの妃はそのことに気が付いて、自分が侮辱されたと考え、非常に腹を立てた。それでギゲスを呼んで、「カンダウレス王を殺して自分の夫になるか、あるいはお前が殺されるか、どちらかを選べ」というわけです。ギゲスは、カンダウレスを殺して自分が夫に収まり、王になる。カンダウレス王の愚かしさを戒めるという教訓があるのだと思います。

 ある意味でたいへん恐ろしい話ですが、ヨルダーンスはこれを艶笑譚というんでしょうか、ちょっとエロティックでおもしろおかしい話として描いています。画面右端に覗いている2人がいますが、この角度からでは見えないわけで、要するにこの絵を見るわれわれがギゲスの立場になって覗いている。そういう絵です。たいへん豊かな肉体と、あっけらかんとした表情、エロティックであるとか、それを見るわれわれが、後ろめたい感じがするというより、笑わずにはいられないという感じの絵です。

 この豊かな肉付きの女性の原型としては当然ルーベンスがあることはたしかです。しかし、われわれがそれを認識するかどうかはともかく、ルーベンスにとって裸体は高貴なもの、美しいものであったのに対して、ヨルダーンスにとっては、人体の高貴さというよりは、もっとエロティックな、肉の持つ現実感の方がたぶん重要だったんじゃないかと思います。

優雅な絵も描く

 しかし、ヨルダーンスにしても意外な面があって、たいへん優雅な絵も描いてるんです。これがそうです(スライド38の左上)。ヨルダーンスは、しばしばタピストリー(綴れ織壁掛け)のデザインなどもしております。ルーベンスもしています。これは、そうした壁掛けのデザインではないかと言われている小さな水彩画です。優雅に着飾ったカップルが船に乗ってどこかに出かけていこうとする。たいへんに洗練された社交の図です。こういう主題はルーベンスも晩年に描いていて、これは『愛の園』(スライド39)と呼ばれる作品ですが、キューピッドなどが飛んでいる庭園で、人物たちは当世風な姿をしていますけれども、理想化された『愛の園』であるように見えます。

雅びなる宴

 こういう上品な男女の集いを描いた理想郷の絵がこの時期にフランドルで登場してきます。そして、次の18世紀にフランスの美術に影響を与えます。フランスを中心とした18世紀の前半の様式をロココ様式、ロココ美術といいます。そのロココ絵画の典型的なタイプとして、「雅びなる宴」と呼ばれる、上品な男女の集いを描いた絵があります。わりに現実的なものから、ちょっと夢幻的な、夢のようなものまで、いろいろあります。

 これは(スライド40の下)そうした「雅びなる宴」タイプの絵の創始者であるアントワーヌ・ヴァトーの代表作。昔は『シテール島への船出』と言われていましたが、現在では『シテール島の巡礼』というタイトルでも呼ばれています。愛の島に集った恋人たち。着ているものは当世風の服装ですが、全体としては夢のような世界です。


18世紀フランス、イギリスの美術への影響

 こういう18世紀フランスの「雅びなる宴」の源流として、フランドルのルーベンスの『愛の園』のような絵が注目されているのはもちろんですが、ヨルダーンスもおそらくこの流れに貢献したのではないかと考えられます。18世紀フランスの美術は、このロココ美術の場合、たいへん軽妙な筆遣いとか、美しい色彩性などの特色があるわけですけれども、そういった流れを準備したのも17世紀のフランドルの美術、あるいはオランダの美術であると考えられます。

 ヴァトーに関して言えば、彼はフランスを代表する画家の1人ですが、生まれはフランドルです。パリに来てから、ルーベンスがパリに残した「マリー・ド・メディシスの生涯」の連作などを研究して、自分のヒントにしています。

 フランスだけではなくて、イギリスにもヴァン・ダイクが行ったということで、イギリスの18世紀の絵画もフランドルと関係があるわけです(スライド41)。左は先ほど見た絵、ヴァン・ダイクが描いたイギリス王妃の肖像ですが、右は18世紀後半に当時のイギリスの代表的な肖像画家の1人ゲインズバラが制作した貴婦人の肖像です。人物もわりにほっそりとしたプロポーションで、実際にほっそりとしていなくてもたぶんほっそりと描くんですが、そうした洗練された雰囲気とか、布地のたいへん美しい描写、色彩の鮮やかさ、それからタッチによって布地の質感とか輝きを出す巧みな方法、高貴な表情、ちょっと距離感のある、上品な表情の描写、自然を背景にして絵に爽やかさを吹き込むようなやり方とか、いろいろな意味で18世紀に栄えるイギリスの肖像画は17世紀のヴァン・ダイクの肖像画のスタイルを土台にしています。

 このようにして17世紀、ルーベンスの影響下にそれぞれ独自の個性を持った画家たちが活躍したわけですが、18世紀以降は他の国にいろんな種を蒔いたという位置づけになると思います。これは(スライド42)最初に見た2点ですが、右が18世紀後半にドイツの画家がイギリス王室のためにイタリアで描いた作品で、左はこのタイプの源流になったアントウェルペンで制作された画廊画です。

 17世紀のフランドルには、16世紀のブリューゲルの流れをくむ農民風俗画も一つのタイプとして存在します。ルーベンス自身も農民風俗画的なものを描いていないわけではないんですけれども、今回のお話の中では省略しました。そのことをお断り申し上げて、きょうのお話はこれで終わりにしたいと思います。

 あと、プリントの本の紹介にちょっと付け加えます。この時代全体を扱った本はあまりないのですが、きょう取り上げた絵がかなり多く載っているのは、前に講談社から出たこの『豊かなるフランドル』です。画集シリーズ(「名画への旅」)の1冊ですが、17世紀のフランドルのルーベンス、ヴァン・ダイク、ヨルダーンス、ファン・ハーヒトを扱っているので、もし図書館などにあれば、興味のおありの方には楽しんでいただけるのではないかと思います。ご清聴ありがとうございました。

 


講師略歴

高橋裕子(たかはし ひろこ)

1949年、東京に生まれる。
1972年、上智大学文学部史学科卒業(西洋史専攻)。
1976年 東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了(西洋美術史専攻)
1981年 同博士課程退学。以後、獨協大学、武蔵野美術大学その他で非常勤講師を務める。
1994〜98年 千葉工業大学工業デザイン学科教授。
1998〜現在 学習院大学文学部哲学科教授。
 
専門はルネサンスから19世紀までの絵画史。地域的にはネーデルラント(オランダ+ベルギー)とイギリスが守備範囲だが、さらに、これらの地域とイタリアの美術における相互の影響関係も研究対象としている。

主な著書は、美術と文学における女性の髪の毛の象徴的意味を論じた『世紀末の赤毛連盟』(岩波書店、1996年)、中世から20世紀までのイギリスの美術の知られざる魅力を絵画を中心に紹介した『イギリス美術』(岩波新書、1998年、同年のサントリー学芸賞受賞)、主な訳書に、ウジェーヌ・フロマンタン著『オランダ・ベルギー絵画紀行−−昔日の巨匠たち』(岩波文庫、1992年)、クリスティン・ローゼ・ベルキン著『リュベンス』(岩波書店、2003年)、エリカ・ラングミュア著『物語画』(八坂書房、2005)などがある。