韮沢嘉雄君が如水会より表彰される
                                     平成12年(2000) 8月号 第105号 

韮沢君は、さる5月29日、如水会舘で開かれた如水会評議員会・会員総会の直後、多年、如水会および一橋大学の発展に著しく貢献Lたの故を以て、如水会より表彰され、伊藤助成理事長から表彰状と記念品を贈られた。如水会が会員を表彰するのは、大正3年の創立以来初めてのことであり、韮沢君本人の名誉はもとより、十二月クラブとLても大変誇りとするところである。
 
 表彰事由の主なものは次の通りである。
 1.終戦直後、日本がまだ連合軍の占領下にあった昭和22年、文部省は、アメリカ教育使節団の勧告にもとづきとして、東京帝大など7帝大を除く東京商大、東京工大などの官立大学は都道府県に委譲することにきめた。当時、日経の外報部記者であった韮沢君は、当時GHQ(連合軍総司令部)と外務省を担当して、GHQ民政局のティルトン地方行政課長と親しかったので、非常に苦しい立場にあった上原専禄学長に同課長に直訴することをすすめた。 2人でティルトン課長に会い、「開学以来、民主主義、自由主義、自由貿易を信奉している一橋こそ新生日本の柱になるべき大学である。そのー橋を東京都立に格下げするのは絶対不可である。この案は撤回して頂きたい」と訴えた。ティルトン課長の示唆にもとづき、2人で有力新聞社を歴訪してこの案に反対の社説を書いてもらい、ついにこの案は廃案になった。もしこのとき韮沢君が動かなかったならば一橋大学は東京都立になり、こんにちの社会的地位と隆盛はなかったであろう。
 2.昭和40年、住居表示に関する法律により、「一ツ橋」の町名が「神保町二丁目」に変えられそうになった。当時、如水会常務理事であった韮沢君は、5月21日の理事会の席上、「如水会独自の猛反対運動を強力に展開すべさである」と主張、7月2日には、中島慶次理事長、増田四郎学長と東龍太郎東京都知事に直訴L、また世論に訴えて「一ツ橋」の町名を存続させることに成功した。
 3.韮沢君は、常務理事として、中島理事長の特命を受けて如水会の構造改革を精力的に推進した。特に旧知水会棺を改築すべきだと主張し、敷地1,005坪を坪当りわすか50万円で払下げを受けることに成功Lた。
 4.如水会舘の改築に当たり、改築本部は銀行からの借入れの返済が大変だからと14階までオフィスに貸すという案を出してきたが、韮沢君は、「会員のための一橋クラブがなくして何の改築ぞや」とこれに反対し、公聴会を開かせて「ー橋クラブ」を作らせた。
 5.韮沢君は、理事、常務理事、監事を通算16年、また会報編集委員を40年、組織強化委員を15年っとめ、如水会の発展に多大の貢献をした。
 6.韮沢君はさらに40年近く日本寮歌振興会の常任委員および一橋勢の総隊長として日本寮歌祭こおいて一橋の勢威を天下に示す上に大きく寄与Lた。
 
 今回の表彰をうけて韮沢君より次の言葉が寄せられた。
 「今回の表彰もひとえに十二月クラブの皆様のおかげでして、厚く御礼申し上げます」 なお、韮沢君は表彰されたのを機に、如水会に100万円を寄付され、このことは如水会の事務局良より十二月クラブ通信編集委員にお礼の連格がありまLたことを披露申し上げます。
      
 (如水会会報2001年新春号NO.849  P.150 如水会ネット通信 Vol.87参照)
 ライフタイムアドレスのシステム開発には、韮澤先輩(昭和16年卒)からお出しいただいた寄付金が全面的に充当される予定です。韮沢先輩の愛校心に深く感謝します。(編集担当)