七組   小寺 喜一郎


(一) 田 舎 者  

 僕はもともと田舎者である。東京をはじめて見たのは昭和十四年三月、即ち商大受験の為上京した時である。時に年令二十二年七ヶ月、それ迄は郷里北海道を一歩も出たことがない。

 田舎は広々としている。殊に北海道はそうである。冬ともなればスキーさえあれば遮ぎるものなく、何処へでも行ける。言わば荒野の子として育った。この育ちが今でも身についているらしい。目標と方角さえわかればすぐ歩いて目的地へ行こうと考える。
 
 商大受験の為はじめて東京へ出た昭和十四年三月のことである。春先の晴れ渡った暖かい日であった。雪国とは違って南国のまばゆいばかりの明るい日差しに内なる野性が目を醒した。僕は三鷹駅で電車を降りた。三鷹から国立迄歩いて行こうと考えたからである。途中は平坦な麦畑と桑畑である。何も遮ぎるものはない。歩いているうちには受験案内に出ていた有名な大学図書館の高い塔が見えるに違いないと考えた。それを目標に行けば日の暮れる迄には国立に辿りつけるだろうと思った。
 
 田舎者は気が長い。麦や桑の畑の中を雲雀の囀りを聞きながら重い北国の冬オーバーを肩に汗を拭き拭きテクテク歩いた。 新調の革靴は土ぼこりで白くなっていた。そして日が落ちる頃遂に目指す国立に辿りついた。振返って見るとなつかしい青春の日の想い出である。

 

(二)学 生 々 活
 
 学生々活を振返って思うことは僕は全く平凡な学生であったということである。振返って先づ思い出すことはいやな学期試験、睡眠、食欲のことである。誠に情ない話である。第二学年の時のことである。又いやな学年末試験がはじまった。プリン トを買い集めたりノートを借りたりして俄か勉強をはじめた。頭の中は早く試験が終ってくれればよい、そうしたら思いきり眠って見たい、そんなお粗末な考えで一杯であった。

 やがて試験は終った。僕はこの睡眠計画を直ちに実行した。僕は三日間ブッ通し寝て見た。食事は下宿の人が運んで呉れるので床の中で食べた。第四日目寝飽きたので散歩することを考えた。天気も良かったので下宿のある阿佐ヶ谷から井之頭公園迄甲州街道を歩いた。足には絶大な自信がある。

 ところが翌朝、寝床から起き上ろうとすると下腹部の筋肉が異状にツッ張る。三日間全然使わなかった下腹部の筋肉を急に使った為、疲労したのである。僕ははじめて普段働いていない様に見えるおなかの筋肉も目立たないが常に働いていることを発見した。
 
 何はともあれ、お粗末な学生々活であった。こんな記事は子供達に読ませたくない。