六組 大野 晴里
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卒業と兵隊、戦後とGHQ、そしてGNPと三十年が流れた。親にも妻にも子には勿論云い切れぬ事などを簡単に云い合える友、どんな冗談も真剣な話も瞬間に通じ合える友、その集団が斯くも立派な十二月クラブを造り上げていること、月並だがこんな嬉しい事はない。 四十周年、五十周年、そして六十周年ともなれば、十二月クラブもその存在価値を事実上此の世から消して仕舞うことであろう。その存在価値を失うかも知れぬ六十周年の記念行事に向って驀進するとすれば、今はその半ばに達した事になる。 吾々の年代は、その育つ環境に於て、強く影響を与えられ、又心の支えともなり、そして今後とも吾々の心をとらえて離さぬものとして、そこに漢文があったと思う。就んずく論語が最も身近であった様に思われる。 十二月クラブ今後の三十年への節として、所謂耳順への十年間の計画を吾々は心してたてて行わなければならない。まして今後の十年間が過去三十年に匹敵するテンポを持つものと信ずるが故に。 老眼鏡のカを借りて書き綴るであろう知命十年は、総ゆる面に於て、人生と仕事に対し能力の最大限を燃え立たせることが出来る年令であり、又円熟した社界人の集団として十二月クラブのカを本当に世間に向って披瀝出来る絶頂点であろうことを思うと「齢」耳順に達した時は、あら方子供への務めも済んでいるであろう愚妻ども、ともども十二月クラブの世界一周記念旅行をしようではないか。 童心に、学生時代に心から成り切って、 「いざ雄飛せん五大洲」 |