七組 兼子 春三
|
||
最近、青年の価値観に大きい変化がみられることは衆目の一致しているところである。今時、少年の憧れの的が大臣、大将といえば一笑に付されてしまう。しかし、大企業経営者が現代社会の花形であることは、何人も是認するところであろう。 ところで、この大企業の経営者は、どのような学校を出て、どんな経路をたどって、現在の地位についたか。これについて青沼慶大教授の調べたものが朝日に載っていた。これは十年前の小生のスクラップからなので、現在に通用せず意味がないかも知れないが、一応紹介することにする。 すなわち、経営規模の大きいものから順に、製造業二五〇社と、その他二二五社の上位四人の役員千五百人の出身校と経歴をみたものである。その結果大企業の経営者の九〇%は専門学校以上の学歴をもち、そして出身校が東大、京大、一橋大、慶大、東工大に集中していることである。大企業経営者の平均年令は六十才を少しこえており、彼等の多くは、昭和初頭の学校を出ている。 当時の卒業者数は、二万三千であった。ところが六つの大学の卒業者数は全体の四分の一にすぎないのに、それから三分の二にも及ぶ大企業経営者が輩出している。この輩出力の大小について学校格差をはっきりさせたのが、別表一である。平均輩出率の三倍以上になっているのは、一橋大と東大である。相関図からいえば、一橋大がトップである。一橋大は正に少数エリート養成校であった。 つぎに彼等の経歴は、親譲りか、自主創業か、横すベりか、社員からの昇進かの調査では、別表二の様になっていた。いうまでもなく、卒業−入社−昇進−転社−役員のサラリーマン優等生のコースが一番多い。 十年経った現在、今やわれわれの世代になりつゝある。 同じような統計をとったら同じ結果が得られるであろうか。多分一橋大の少数エリートであることは変りないであろう。 少数エリートであることが学閥を形成しているというわけではない。寧ろ逆であって、企業内において少数で出世することは難しい。実力主義でなければならない。少数エリートは、企業や財界の支配構造を形成し得ない。財界の支配構造からいえば、多数でなければならない。その意味では東大、慶、早にも席を譲っているのではなかろうか。同じことは学会にもいえることである。 能力と支配構造のアン・バランスは、少数エリートにとっての悲哀である。最近の一橋大出身者に見るスキャンダルは、この間の消息を物語っているように思われる。 世の中には、少数エリートでやれないことがある。 一橋大という少数卒業生の中から、多数の産業の将師ないしは、専門経営者を輩出したというのは、一橋大の伝統が然らしめたことは間違いないが、その資質が何であるかを問わねばならない。 |