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一橋經濟學の六年間


 昭和十一年四月、豫科に入つた我々が讀むと讀まぬとにかかはらず、ある特別な感情をもつて教 へられた本の名は、おそらく杉村廣藏氏の「經濟哲學の基本問題」(昭和十年岩波書店)であらう 。この書に端を發した事件、それは一橋學園の新しいジェネレーションの成長の息吹だともいへる のだが、此事件の終了近いころ我々は入學したのだ。したがつて、「左右田哲學」の名がまづ強く 我々の耳に響いたのも當然であつた。

 白票事件の結果、學園を去つて上海商工會議所理事に轉じた杉村氏は、昭和十三年に至つて「經 濟哲學通論」「經濟學方法史」(以上理想社)「經濟論理の構造」(岩波書店)と三つの労作を出 版し、第三のものによつて經博の學位を得たが、これらの書物を通じて明らかにされた主張は、杉 村氏獨特のメンガ−解釈から生れたもので、經濟學における主體性獲得といふ點であつた。これは まさに「政治經濟學」の傾向に相應するものであり、その側からも批判が行われるが、それについ てのべる前に一言しなければならないのは、杉村氏と同じく左右田博士の高弟であり、昭和十三年 二月、惜まれつつ逝いた本多謙三氏の遺稿が、「哲學と經濟」(理想社)としてあらはれたことで ある。

 他方理論經濟學内部における「主體性」への志向は、杉本榮一氏の「理論經濟學の基本問題」 (昭和十四年日本評論社)として表現された。本書をめぐつて、中山杉本兩教授の間に一橋新聞紙 上で論争が行はれた(昭和十四年九月十日及び十月十日號)が、更に「客観情況分析の論理を改訂 することによつて、主體の論理の確立を目ざす」とする杉本教授に對しては、まづ高岡高商の大熊 信行氏が批判者として登場する。大熊教授は、同時にまた杉村博士の經濟哲學的「主體性概念」へ の批判者でもあつて、「經濟本質論」(昭和十二年同文館)「政治經濟學の問題」(昭和十六年日 本評論社)はかかる批判と共に、積極的な面として「配分原理」を主張する。この原理によつて純 粹經濟學と政治經濟學の統一が企てられるのであるが、かくの如き試みに對しては中山伊知郎、高 島善哉兩教授がいはば兩側から批判を行ふ。この批判を支へる積極的主張が中山博士の場合には戦 争經濟學の提唱(昭和十六年秋 改造及び公論における大熊氏との論争)となり高島教授において は「經濟社會學の根本問題」(昭和十六年日本評論社)となつたものに他ならない。高島教授はこ の労作において杉村、杉本、大熊三氏における主體性概念を批判し、純粹經濟學政治經濟學に對立 しこれを克服するものとして經濟社會學の構想を展開する。また板垣與一助教授も、中山博士門下 でありながら、大熊博士を支持し、次に支持者から批判者へと移行しつつ獨自の政治經濟學を主張 する。そして高島教授に對しても辯證法と段階説として自己を區別し、宮田博士の「貨幣の生活理 論」(昭和十六年日本評論社)にあらはれた政治經濟學に對しても批判的である。

 大熊博士の配分原理に對するもう一人の批判者としては、山田雄三氏が一橋新聞(昭和十三年一 月一日)において「著書が計畫經濟における配分決定の問題を無視してゐないことは看取できるけ れども、然しそれらが如何にして決定されるかといふ風には問題が提出されてをらぬ」と述べた。 一橋新聞の同じ號にはまた、高島教授が赤松要氏の「産業統制論」(昭和十二年千倉書房)に對し て、綜合辯證法は果して辯證法なりやとの批判をむけてゐる。山田教授は上のやうな批判の積極化 として一橋論叢に計畫經濟に關する論文を發表し、その後「ミュルダールの實践經濟學」(論叢四 ノ四)「分配論」(昭和十五年 評論社新經濟學全集)「厚生經濟學の基礎前提」(論叢七ノ四) と、「主體性」への途を「實践經濟學」として辿つてゐると見て好いであらう。赤松教授も昭和十 四年猪谷博士の後任として名古屋高商から母校にかへり、商業政策、經濟政策を擔當したが、綜合 辯證法を基調とする一種の政治經濟學は「本質的動向」の概念の不明瞭さが災ひしてか理論的に確 立されるに至らない。

 中山教授は學位論文「發展過程の均衡分析」(昭和十四年岩波書店)の他に「均衡理論と資本理 論」(昭和十三年岩波書店)を發表し、東畑博士と共に新經濟學全集編輯者として活躍し、自らも 「經濟學一般理論」を執筆したが、最近「戦争經濟の理論」(昭和十六年日本評論社)を公にして 政治經濟學の側からの批判に答へた。その他、山口教授の「流通經濟の貨幣的機構」(昭和十五年 巖松堂)及び高橋教授の「貨幣的經濟理論の新展開」(昭和十六年甲文堂)も、一橋經濟學スタッ フの内、所謂「金融ブロック」のアルバイトとして忘れてはならないし、井藤博士の「財政學基本 原理」(新經濟學全集)その他の著書及び金子教授のカムバックも記憶されてよい。そして高島山 田兩教授を中心とする經濟學名著選集は「マーシアル經濟學選集」(昭和十五年日本評論社)を手 初めとしてその成果を世に問はんとしてゐる。

 また廣い意味での一橋經濟學について見れば笠信太郎氏(大正十四年卒東朝論説委員)の「日本 經濟の再編成」(昭和十四年中央公論社)をあげなければならない。そして同氏の論敵たる山本勝 市氏(國民精神文化研究所)の學位論文「計畫經濟の根本問題」(昭和十四年理想社)が、本學位 論文だつたといふのも一つの皮肉であらう。山本氏と同時に岸本誠二郎氏(法政大學)も「價格の 理論」(昭和十五年日本評論社)によつて經博となつた。本學出身者では猪谷、杉村、中山、山口 、宮田、大熊の諸氏が學位を得た。

 經濟學以外に於ては山内得立氏のミトス、パトス、ロゴス、エトス(etc.)に就いての現象 學的展開や三浦元學長の文明史には、諸兄らの文化を追求する心に多大の感銘と指針を與へられた 事と思ふし、それと同じく村松恒一郎氏、上原專祿氏の經濟史も想起されてよい。そのとき我々の 心の中にすでに諸氏の思想が入り込んでゐることをはつきりと知るのである。制度法學の米谷隆三 氏や、經濟政策就中労働政策、中小工業に獨自の研究を進めていられる山中篤太郎氏も近い將來に よき成果を世に送られる事を期待してこの稿の筆を擱かう。(紙面の都合上他の諸先生に論及出来 なかつた事を遺憾に思ふ)

 

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