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A君の日記


十二月五日(金)

 昨日一日苦心したが出來上らず、今朝になつてやつとの思ひで書き上げた「統制經濟論」の試驗 論文を提出しに學校へ行く。食堂で飯を食つてゐたらB君に會ふ。彼は「これから試驗論文をC書 しなければならないから」と、飯を食ひ終るやそゝくさと圖書館へ行つてしまつた。會ふ約束のC 君が來てゐないので、暫らく食堂内をブラつく。兵隊檢査の爲に短く刈つた頭がそここゝに發見さ れる。皆檢査の話で持ち切りだ。D君がゐたので「どうだつた?」と訊いたら、「完璧に甲種さ。 」と頭を撫でながら笑つた。「八割は甲か第一乙だね。」とD君の話。噂は嘘ではなかつたようだ 。やつと來たCと二人でゼミの謝恩會の會場をきめに、銀座へ行く。


十二月六日(土)

 卒業論文もあと三十枚ほどで仕上る豫定なので、早く厄介拂をしてしまはうと朝から机に向ふ。 出來榮えがあまりに甘ばしくないので我乍ら少々嫌氣がさしてゐるのだが、今となつてはどうにも ならぬ。勇を鼓して書續ける。午後Eが前から頼んでおいた書物を持つて來てくれた。有難い、こ れで試驗論文を一つ片付けることが出來る。その代り社會學の論文の種本になるような本を何か貸 してくれとEが云ふ。僕自信社會學の論文の材料を見つけるつもりで讀みかけてあつた本を十日に は必ず返してもらふ約束で貸してやつた。


十二月七日(日)

 午前中Eが貸してくれた本を讀みながら、論文の大體の腹案を立てた。午後○○區役所へレント ゲン檢査に行く。他の學生達の身體と見較べながら、自分の身體はどうしても第一乙だと思つた。 晩Fから電話がかかつて來た。第二乙だつた由。恐らくは丙か第三乙だらうと豫想してゐたのだが 。


十二月八日(月)

 日米開戰のニュースを檢査場で係員が教へてくれた。一瞬緊張感が背筋を走る。いよいよ來るべ きものが來たといふ感じだ。檢査場にも何かしら緊迫した空氣がたゞよふ。思へば歴史的な日に檢 査を受けたものだ。檢査の結果は第一乙、豫期した通りだつた。歸りに區役所のすぐそばのGの家 へ寄る。H君が來合せてゐてラヂオのニュースに熱心に耳を傾けてゐる所だつた。僕も早速その仲 間に入る。Gが世界地圖を持ち出して來て、夕刊の記事と照し合せながら、今更に戰爭の規模の大 きさと、皇軍の見事な立上りとを語り合ふ。即日發令された燈火管制の下、覆ひをかけた燈の下で 夕飯を御馳走になる。Gの弟の中學生が出て來て盛んに「愉快だな、愉快だな」とくりかへす。暗 い町を家に歸つて來て、檢査の結果を先づ父母に報告する。暗い燈の下で、今北支で戰つてゐる二 人の友達に手紙を書きながら、やがて皇軍の一員として歴史的聖戰に參加すべき自分の身の上を考 へて思はず意氣込んだ。この日のH君とG君は宣戰布告の御詔勅をラヂオで拜して其の畏さに涙を 流し、續く東條首相の放送でしみじみ國家の生きるか死ぬかの重大危機を思ひ、どんなことがあつ ても日本を勝たせなくてはならぬと決心したが、餘りの感激の爲に皆泣かざるを得なかつた。と、 こもごも語つたが、其の歴史的放送を聞けなかつた事をつくづく殘念に思つた。愈々明日から最後 の學期試驗だが祖國を思ひ、戰況を心配して、机に向つても落付かなくて弱つた。來春二月入營の 事、一月一杯丈の就職の事、想ひは走馬燈の如く頭の中を驅けめぐる。

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