5組  和田 一雄

 

 一橋を卒業して早四十年の歳月を学友は皆、それぞれに自分の道を歩んで、今茲に、四十周年記念文集を出そうと云う事になった。
 この生き残りの友人同志がこれからの残された人生を如何に生きるかそれが貴重な短いものである丈に、お互いもっともっと真剣且つ積極的に取組まなくてはいけない大切な課題ではなかろうか。
 単に昔を偲んで酒を汲み交し合う丈では、若い人達に老人の懐古趣味と、冷やかされても仕方がない。何かに残された生命を賭ける勇気と情熱をお互いに持ちたいものである。機会あれば集まって酒を呑み、気持丈は昔の青春時代に戻って若やいだ気持になる事は、確かに嬉しく結構なことではある。

 だがそうした席上、よく話題になる可愛い孫の話や、昔の思出話丈に終始して満足して居る友人の顔を眺めて居ると何か空しい。
 そして痛ましい気持さえして来るのは堪え切れぬ思いである。御当人達に其の場でこんな事を云ったら、下らん事を云うなとか、そんな事を云う奴は、この会に出て来んで宜しいとか云われるに決まって居る。
 正直に云って、最近になって特に、変に悟り切った言動を、親しかった友人達に見せられると、何か割り切れぬ淋しさに胸が痛い。そんな生き方も勿論一つの生き方であるし、老人として立派な態度であるかも知れない。だが悟り切れぬ私にとっては、住む世界が既に違って仕舞った思いである。そんな友人との交際からは何の感動も心温まる思いも出て来ない。真の友とは一体何であるのか、どろどろの人生を一緒に生き悩んで居る共感がお互に通って居なくてはいけないのではないか、と云った思いによくとらわれる此の頃である。

 我々は今や、確かに肉体的には若かった頃に比較して種々と衰えを感ずる事許りである。だがお互い判断力や経験では若い人達に決して負けてはいない、まだまだやれる仕事はそんな意味ではいくらでもあると考えて良い。否、もっと積極的に我々でなくては出来ない種類の仕事がまだまだ沢山にあるのではなかろうか。大分前のことだが、テレビで人間国宝の竹細工の大家が九十歳以上のお年で寒中の山に十年後(竹材は十年以上寒中に切って寝かし乾燥させぬと使えぬと云う)に使用する竹材を切り出しに出掛けられるのを見た事がある。その時受けた強い感銘と教訓は今以て私の心に焼き付いて居る。

 一体この老大家の仕事に賭けたすさまじい迄の情熱は何処から出て来るものか、安田靱彦や小野竹喬の晩年の作品に見られる若々しく輝かしい美しさには年を超越した作家の感覚を強く印象づけられる。
 我々丈が空しく悟り切って良いものかと云った反発がムクムクと頭を持ち上げるのは私自身の愚かさの証明であるのか。

 私はこんな話を酒の肴に友と盃を交わせれたらどんなに嬉しいかと、いつも飢えて居る思いである。若い頃からゴマかしと要領の良いことにナジメなかった私には自分の人生も決して要領の良いものではなかったと自認して居る。だが後悔もして居ないし馬鹿は死ななきゃ直らないとも爽やかに考えて居る。

 永い間、決して忘れる事なく私に課せられた21世紀対策委員会のテーマであるが、住む世界の違って仕舞った昔の友人達に一体私は何を働きかける事が出来るのか、只、健康で21世紀迄生き永らえる事丈がこの対策委の仕事であるなら賢明なるドクターを委員長に依嘱すれば良いのではなかろうか。
 私の愚見では、21世紀迄の肉体的長命が目的ではなく21世紀迄も追い続ける意義のある仕事のクリエートを、そして21世紀に華が咲く立派な仕事を追う事にこそ十二月クラブ21世紀対策委の目的があるのではなかろうか。

 斯う云った意味で四十周年を機に若さを取り戻す為にも気の合った同志で、これから積極的に此の課題に取り組んで見たいと決意した次第である。数多きを望まない。極く少い同志でテストを開始し、核が出来たら大方の御賛同も得ると云った考え方で良いと考える。
 此の駄文に対する反響が出る事を期待しつつ終る。

 



卒業25周年記念アルバムより