5組 和田 一雄 |
一橋を卒業して早四十年の歳月を学友は皆、それぞれに自分の道を歩んで、今茲に、四十周年記念文集を出そうと云う事になった。 だがそうした席上、よく話題になる可愛い孫の話や、昔の思出話丈に終始して満足して居る友人の顔を眺めて居ると何か空しい。 我々は今や、確かに肉体的には若かった頃に比較して種々と衰えを感ずる事許りである。だがお互い判断力や経験では若い人達に決して負けてはいない、まだまだやれる仕事はそんな意味ではいくらでもあると考えて良い。否、もっと積極的に我々でなくては出来ない種類の仕事がまだまだ沢山にあるのではなかろうか。大分前のことだが、テレビで人間国宝の竹細工の大家が九十歳以上のお年で寒中の山に十年後(竹材は十年以上寒中に切って寝かし乾燥させぬと使えぬと云う)に使用する竹材を切り出しに出掛けられるのを見た事がある。その時受けた強い感銘と教訓は今以て私の心に焼き付いて居る。 一体この老大家の仕事に賭けたすさまじい迄の情熱は何処から出て来るものか、安田靱彦や小野竹喬の晩年の作品に見られる若々しく輝かしい美しさには年を超越した作家の感覚を強く印象づけられる。 私はこんな話を酒の肴に友と盃を交わせれたらどんなに嬉しいかと、いつも飢えて居る思いである。若い頃からゴマかしと要領の良いことにナジメなかった私には自分の人生も決して要領の良いものではなかったと自認して居る。だが後悔もして居ないし馬鹿は死ななきゃ直らないとも爽やかに考えて居る。 永い間、決して忘れる事なく私に課せられた21世紀対策委員会のテーマであるが、住む世界の違って仕舞った昔の友人達に一体私は何を働きかける事が出来るのか、只、健康で21世紀迄生き永らえる事丈がこの対策委の仕事であるなら賢明なるドクターを委員長に依嘱すれば良いのではなかろうか。 斯う云った意味で四十周年を機に若さを取り戻す為にも気の合った同志で、これから積極的に此の課題に取り組んで見たいと決意した次第である。数多きを望まない。極く少い同志でテストを開始し、核が出来たら大方の御賛同も得ると云った考え方で良いと考える。 |
卒業25周年記念アルバムより |