7組 岡本不器男 |
すっかりご無沙汰しております。 子供は二男二女、上がまだ大学院で研究中なのでみんな家庭をもつにはもう暫くかかります。 昨年末会社を退き、長年の経験をもとに、リース・コンサルタソトを始めました。中村達夫君が常任理事でメーカー部委員長を務めている社団法人国際観光施設協会が、リース時代に備えて、この四月からリース・サービス機構を協会内に作り、協会活動を活発に進める事を始めましたので、同君の案世話でこの仕事のお手伝をしています。 この協会はホテル・旅館などの宿泊施設や観光開発に関係する設計事務所、施設、設備、用品の各種メーカーの他、観光に関係ある日観協、国観連、日観連、ビジネスホテル協会等の各種団体を擁しています。仕事が多方面に関係しますので諸賢のご高援をお願いします。 さて、還暦を過ぎてから、昔一緒に戦った人々は数がへり毎年九月お参りしていた靖国神社にもごぶさたしています。終戦の直前にソ連が清津に上陸する所をよう撃して、約一週間停戦もしらず山岳戦に移り最後を覚悟したところを助かりました。大隊長を始め多くの将兵が犠牲となりました。その中でも特に陸士出の士官候補生達は連隊長の命令に率先して死地に赴いた時の澄んだ眼もと、りりしい姿は忘れられません。 或る日赤とんぽが飛来して戦闘を中止せよというビラを拾った時は力がぬけました。即刻羅南師管区の歩兵七六連隊補充隊は武装解除され山をおりました。私は一人残って連隊の武器の引継に立会いましたが、商大で一年間茂木先生に習ったロシア語が役に立ったのです。 それから足かけ三年ソ連に抑留され、その間のことを帰国後すぐ十数名の共著で「ウラルを越えて」の書名で出版しました。出版の経緯、ベストセラーになったうらばなしは、中公文庫牧野武夫氏著「雲か山か」の三五五頁から二頁にわたってかいてあります。牧野氏は「西部戦線異常なし」を処女出版し、退潮落日の一歩を辿っていた中央公論社を旭日昇天の勢にもりあげた中央公論出版部の創始者であります。この三二〇頁の本は五二年に恒文社の池田社長の目にとまり同社から再版されております。 その他、三井物産で食肉の商売を担当した関係上鰹、業界から、米国プログレシブ・グローサー誌論の「食肉のマーチチャンダイジング」二二〇頁を全訳出版したことがあります。 最近老化防止のため、横文字の短編ものをよんでみたくなり、手始めにプーシキンのベルーキン物語をよんでいます。このところ、皆様方にすっかり筆不精しており深くお詫びすると共に近況をご一報申し上げます。 |
卒業25周年記念アルバムより |