7組  伊奈 重熙

 

 卒業して五十年、早いものだ。別にどうと云う感慨も無いが、一応人生の先が見えてきたのか、少し落着いた気持になった様だ。
 今日迄、サラリーマン暮しだから、その習性として何か先に良い事がある様な気がして、毎日を過して来たが、結果的には別に良い事も無く、五十年経たと云うところだ。戦争も昔になった。今日こうしていられるのも、死んだ仲間の御蔭だ。何とか仲間に顔向けの出来る様な事をしないと申訳ない。何時迄生きるか分らないが、やるべき事はやっておきたいと思っている。

 終戦と同時に三菱重工は首になり、郷里の新潟に来て、新潟市に本店のある第四銀行に入社した。我れ乍ら似つかわしくないと思ったが、止むを得ない。入社以来管理部門が長く、四十四年に長岡支店長に出て、次いで東京、大阪に行き、五十五年に専務で退任した。
 同時に、新潟経済社会リサーチセンター理事長になり、十年を経た。これは面白かった。このリサーチは銀行の創立故、県内の地場の経済・産業の調査研究が中心だが、更にすすんで県経済の構造変化とその将来像作りに全力投入した。県内全域を歩いた。主たる産業は米(こめ)故、近代化への遅れが目立つ。当面、米の輸入自由化は誠に難題、只私の結論は、このままゆけば、米に依って栄えた新潟県は、米に依って亡ぶという事だ。亡びたくなければ、それだけの気概を持たねばならない。

 偖、四百年の昔から米作り専門の新潟県は、十二世紀の親鸞の流罪以来、諦めと未来願望が中心の浄土真宗が大勢力を持って今日に到っている。
 一方万葉時代から京都朝廷へのとられっぱなしの貢物、更に加えて丈余の雪とくれば、人々の心は、上からの圧迫感で、自然自閉症的性格になるのも、仕方のない事かもしれない。農村社会の常として、自分の田畑以外の処で何が起っても気にならず、世界の大勢は、他人事のように思っている。
 老人の自殺者も又多い。これにはびっくりするが、自殺と云っても別に生活に困ってやるのではない。仲間もいなくなったし、自分の仕事も無くなったから、そろそろぶら下ろうかとなるから、別に人生を悲観したのでもないらしい。

 昔から千町歩地主が五人もいた地主王国故、小作争議も多かった。やはり虐げられた農民の、地主に対する心の噴出である。
 北陸の石川県の風土と比較してみるとよく分る。加賀百万石の歴史と伝統は町人文化を生み、西田哲学の現れたのも理由なしとしない。
 一方新潟県は、二・二六事件の佐渡の北一輝の国家改造法案、或いは坂口安吾の堕落論の如く、極端に走りやすい。古い処では、「義の為に戦った」上杉謙信、又良寛の如く馬鹿か利口か分らぬ男、両者のように今日の日本人の尺度では計れぬ位の大人物も出たが、今日その可能性は少い様だ。田中角栄などは例外中の例外、恐らく今後当分出ないだろう。米以外の生産資源の少なきは兎も角として、心の貧しさが見えかくれする。これは直さねばならない。
 一方雪の多きは、思索に適している。井上円了、諸橋徹次等、枚挙に遑なし。この雪国の人々の暮し方、考え方は、表日本の所謂気のきいた思惑の持主とは全く異る。表日本は、水なし、米なし、空気も悪い。然し乍ら明治以来百年余、重工業中心の二十世紀の日本を担って来たのはまぎれもない。
 東京-大阪-九州の所謂第一国土軸は、概ね温かく、私はこれを日本の温帯文化圏といいたい。
 然し乍ら、二十一世紀は、関東から新潟を含めた東北一帯が日本を背負うだろう。私はこれを寒帯文化圏といいたいが、二十一世紀はこの地方がその底力を発揮せねばなるまい。
 鉄や石炭は使えばなくなる。使って目減りしないのは、第一次産業を土台とした森林文化を中心としたものだろう。
 私は寒帯文化圏の中に、対岸諸国、即ち北朝鮮、韓国、中国東北地区、ソ連の極東地区、カナダ、北米西海岸etc.を含めて、経済文化の発展を考えねばなるまいと思っている。この地方は当分、経済的には儲けにはならず、持ち出しが多いはずだ。儲けにこだわっては日本の将来はない。
 今日地方の時代になって、裏日本が漸く目覚めて、自己の確立を考える時が来た。新潟は裏日本の中核都市として、年々その地位を固めつつある。空港と港をフルに活用して、特に表日本とのインフラが完成している故、やる気を起せば、江戸時代の新潟の再現も夢ではない。
 二月に、ウラジオストック市と新潟市は、姉妹都市提携、黒竜江省とは十年前より県との関係が深く、新潟ーハバロフスクーハルピン間の三角航路も平成二年より開始している。近く、モンゴルヘの直行便も出来よう。又、新潟港より釜山、清津、ナホトカ間にもコンテナがゆく。特に環日本海の中核として、その地位を昂めつつある。
 内陸面でも、郡山までの高速道路も着工した。誠に恵まれたインフラであるが、残念乍らこれを生かす術に欠ける恨みがある。最近、県も市も活性化を目指し、本気になって来たので展開は期待出来るが。

 二十一世紀は、一個所定住の時代は終り、多住社会になろう。東京と地方に住居を持ち、どちらを主にするかは、その人の条件で決まる。リタイアーしたら東京に住んでも良いし、その逆でも構わない。特に新潟を含めた東北は、その為の適地とも云えよう。

 二十一世紀の日本が、世界の中でその生存権を主張するとしたら、この寒帯文化圏なしには、出来ないだろう。今まで遅れていた新潟や裏日本が、本来の力を発揮すべき時は近付いて来た。二十世紀のサラリーマン社会を作って来た温帯文化圏だけでは、日本は成り立たず、須く寒帯文化圏と統合せねばならんと思っている。