3組  小宮山武徳

 

 先日NHKで、「収容所の長い日々」というドキュメンタリーが放映された。戦前に日系人のアーサー・石郷と結婚して、エステル・イシゴとなった白人女性が水彩画で綴った、強制収容所の有様を下敷にした記録映画で感銘深かった。数年前の、藤島泰輔の小説をテレビ映画化した日系移民物語と比べれば、物語的展開も少く迫力に乏しかったものの、長年に亘る一世二世の方々との付き合の間に聞かされて来た、日系人の苦闘の歴史を更めて思い起こさせられた。日系人であると云う只夫れ丈けの理由で、米国市民である二世達をも含めた西海岸の住民を根こそぎ奥地のコンセントレーション・キャップに収容したと云う非人道的行為に対して、長年の日系人の運動の結果米国政府は正式に陳謝し、一人頭二、三万ドルの賠償金を支払うことになった。勿論そんなもので彼等の精神的苦痛、物質的損失が償われるものではない。

 現在のサンフランシスコの中華街は、戦前日系人が住んでいたところだったが、収容所行きが決まって何も彼も二束三文で処分して立退かざるを得なかったのだそうである。奥地で農業に従事していた日系人もアメリカ市民である自分達の子供の名義で農地を保有していたにかかわらず、結局涙と汗の結晶である土地を手放さざるを得なくなったと云う。現在のフレズノの中心街等はかつて日系人の農地であったところを、アルメニア人などが只同然で買取ったところだと云う。このような事例は枚挙に遑がない位で加州在勤中数限りなく見聞きしたものである。これらは取引としては正常な売買手続きとなっていたかも知れないが、粒々辛苦の末やっと克ち得た資産を手放さざるを得なかった人達にとっては、何とも口惜しい限りであったに違いない。ドキュメンタリーの中で、置き去りにせざるを得なかった家財道具の代金として、終戦後イシゴ夫妻が政府に対して千ドル何がしの賠償を請求したのに対して、百ドル一寸の査定を受けてアーサーが口惜し涙に暮れたと云う件りはジンと来るものがあった。また同時に、加州時代に知り合った一世達の深い皺の刻まれたあの顔、この顔が思い出されたことであった。しかし私がお付き合い頂いた方々は、一九五〇年からの二年間の留学生時代も、更に東銀在勤中の六七年からの八年間でも、日系人社会の所謂成功者達であったことは間違いない。これらの方々は戦中戦後の苦難を乗り越えた余裕をもって過去を振り返ることのできる人達であったが、その蔭にどれ丈け多くの人達が恨みを遺したまま消え去ったか知れない。

 確か、昔「エデンの東」か何かの中で、第一次大戦の最中にドイツ系市民が種々の嫌がらせに遭うシーンがあったような記憶があるが、今度の中東紛争に際してもアラブ系の人達に対して、劇しい迫害が加えられたと云う。アメリカの市民大衆は過去の過ちから教訓を得ようとしないのであろうか。そもそも、種々な人種的、文化的、宗教的背景を持つ各国からの移民およびその子孫から成立つアメリカ社会は国民意識の統一を計るため常日頃から、これを一つにまとめるための努力を怠らない。一旦緩急の際にこれが極端に走ることも分らないではない。ナイーブな、所謂善良な市民程思い込みが激しくなることもあるだろう。勿論これらの動きは市民レベルのことであって、権力の介入はなかった。その点日系人の強制収容所送りとは本質的に異る。そこに人種的偏見が介入しなかったであろうか。最も初歩的な人種的偏見とは、一見それと分る皮膚の色、顔立ち、背の高さ等を優劣の基準、ひいては社会的地位のきめ手とするナイーブな観方である。それが近世の世界史の裏打ちを受けることによってやや尤もらしくなってくる。大戦時の日系人に対する措置にその影響がなかったとは云えない。そのほか偏見の重要な要素として宗教の問題がある。ユダヤ人に対する差別は西欧社会に根深い。ヒンズー教徒とイスラム教徒の対立も常に紛争の種子である。

 ところでドキュメンタリーの中でも一つ私の注意を惹いた箇所があった。それは戦前の加州では非白人と白人の結婚が認められなかったのでイシゴ夫妻は婚姻の手続のため、わざわざメキシコ迄行ったと云う件りである。私が一九六〇年代の初め四年半に亘って在勤した南アフリカには悪名高いアパルトヘイト制度がある。ここ一両年の間に南阿の社会制度は大幅に改善され、今では白人と非白人との結婚は合法化された由であるが、つい最近迄は同国では異種族間の婚姻はおろか、同棲は勿論一時の付き合いですら許されないと云う状況であった。何しろ全人口の一五%足らずの白人が四分の三の黒人、カラード(白黒混血)アジア系合計約一〇%の社会を支配して行こうと云うのであるから、一寸でも締付けを緩める訳には行かない。彼等の言い分では指をとられれば手を、手をとられたら腕を、腕をとられれば身体全体をとられるのだからと、一歩でも譲ることに大変な脅威を感じていたことは確かである。しかし時勢の趣くところ、デクラーク現大統領は極右勢力の反対を抑えつつ徐々に改革を進めている。しかし黒人勢力の要求する一人一票制が実現する見通しはない。南阿の人種問題は白人地域と非白人地域とに国を二分しない限り根本的解決は期待できない。

 翻って我国には幸にして今のところこのような根深い人種問題はない。日本の社会が人種的に異る外国人と同じ市民として偏見なく受入れられるかについて私はかなり懐疑的である。人種的に略同根に近い韓国人、朝鮮人に対する偏見、果ては部落出身者に対する差別等を見れば、日本人社会の異分子に対する抱擁力が如何にも貧しいことを痛感せざるを得ない。況んや外貌などによって一見外国人と明らかな人達を自分達の社会の一員として迎え入れる用意は出来ていないと言わざるを得ない。グレゴリー・クラークも云うように、常に異文化との接触にさらされて来た欧亜大陸の諸国と比べると日本の社会は外国人、外国文化に対して遥かに閉鎖的で、依然として昔ながらの「むら」社会の意識にとらわれている。しかし経済的にも文化的にも世界は急激に変動している。孤立を守っていてはならないし、また守っては居られない。日本社会の現実を踏まえながら、解放政策をどう云う風に進めるべきか。差当っての喫緊の問題として外国人労働者の受入れの問題がある。これを経済上の要請による外国人労働力としてのみ把えることは極めて危険である。将来外国系労働者として日本社会に迎え入れる仕組みを探りつつ、この問題にアプローチしなければならない。中東各国のクルド人問題、ソ連、東欧圏諸国の民族問題等から見ても中途半端な対応の仕方では事は済まない。勿論これらの地域ではそもそも民族固有の社会というものが先ずあって、それを人為的な国家の枠の中に囲み込んだ結果の困難さであって、我国が今後外国人労働者をどう云う形で受入れるかと云う問題とは本質的な違いがあることは明らかである。我々には先ず解決すべき民族問題と云う現実がある訳ではない。賢明な対処の仕方によって困難を避けることができる筈である。