5組 中村冨士男 |
波涛を読み返してみたら最後に『そろそろ趣味のゴルフ・麻雀の脱出を計るべく六十の手習いを何にしようか真剣に考え始めた今日此の頃である』と書いていた。 退職が決ってさてどうしたものか、色々それなりの本も買って読み又人の話を聞いて見たが、退職したからといって急に人生に対する考え方が変る筈もなく、所詮は自分の人生、今迄の自分らしさを貫ぬいて、"生き甲斐とは何ぞや"といった事など余り深刻に気負って考えず、極く平凡に自然体で生活しようと心に決めたのである。ゴルフは六年程前に右手の神経障害、更に翌年の肋骨骨折と続いた為(現在は完治)それ以来止めたまま、マージャンは二ヶ月に一度程度の十二月クラブ麻雀会が主体で、めっきり回数は減った。それでも特に暇を持て余すでもなく、それなりに生活を楽しんで居るから不思議である。完全夜型人間の退職後のライフスタイルとはどんなものになるのか?自己記録の整理も兼ねてあれこれ思いつくまま断片的につづってみる事とする。 「睡眠」 昔から完全夜型人間で、会社勤めをして居る頃から就寝は早くても二時過ぎ、朝は遅刻せぬ程度には起きねばならず、慢性的睡眠不足症とでもいう毎日であった。退職後は思い切って、睡眠時間を充分とる事こそ健康の基本とばかり、必要な時以外は朝寝坊を楽しんで居る。この遅い時間の就寝を起点とする生活リズムは恐らくこれからも続くと考えられるし又、今更このリズムを変える意志もない。 「散歩」 健康保持の為、特に年をとってからは歩く事が大切である事は常識であるが、私は特に一日何歩歩かねばという事を義務づけて居らぬ。自然にまかせて一歩でも多く歩くように努めて居る。というのも余程の悪天候でなければ一日最低一回は往復三十分程度の買物に行く事にして居り、気がむけば、すぐ裏の高幡不動尊の散歩コースを遠廻りしてゆく様にして居る。又慢性副鼻腔炎の治療の為週一、二度は医院に歩いて行き、四階の病室へは五二段の階段を昇降、一〇四段は必ず足を使う事にして居る。その他にも銀行、郵便局、市役所等々以外に雑用はあるもので、この様な用件は一手に引き受けて歩く事に努めて居る。要は歩く事を目的に歩くのでなく、用件を利用して出来る丈歩くように心掛けるというやり方である。 「テレビ、新聞」 これが夜型人間の真骨頂であろうか、世の中の動きに遅れないように、原則としてテレビニュースは、NHKの「ニュース21」、テレビ朝日の「ニュースステーション」、TBSの「筑紫哲也ニュース23」を毎日見る事にして居る。そして新聞は、朝日、日経の二紙の、主として社説、解説、政治、経済の特集記事、投書欄を重点的に時間の許す限り熟読する事により、出来る丈客観的な判断が下せるよう心掛けて居る。又懐しの名画、NHK特集などはビデオで録画して置き、後でじっくり見る事にして居るが、なかなか追い付かず常時二十巻位貯って居る状態で結構忙しいものである。 「机上旅行」 二度、旅行を楽しむ方法とでもいうか、国内外を問わず兎に角興味を持った所への旅行プランを作って貯えて置くのである。時刻表、旅行パンフレット、ガイドブックを手当り次第集めて机上プランを作って居る中に、段々と夢がひろがって楽しいものである。時刻表の営業案内をよく見ると「特別切符」というものが意外に多く便利なものであるのは驚きである。「フルムーン」にするか周遊券にするか、空と陸の組み合せにするか、宿泊はホテルか旅館か公共の宿か等いくつかの案を作るのである。パック旅行と一味違う自分なりの体力に合った余裕のあるプランに練り上げてゆくのであるが、結構時間のかかるものである。そして時期を見てこのプランを実行に移してゆく事で二度目の楽しさを味うのである。 「新し物好き」 これが趣味と云えるかどうかを別にして、昔から新し物好きの癖がある。テレビ、新聞、雑誌、広告等で、文房具、日用雑貨、食品、菓子、薬、煙草、カメラ等々の新製品の宜伝を見ると直ぐ飛びつくのである。小物は取敢えずアチコチ探し出して先ず買って見るのが多い。大物はあれこれ資料を集め又実物を見て検討をして購入の機会に備える。よくデパートでアイディア商品の即売会があるが、最近では殆ど買ってみようというものはない程である。良く云えば好奇心旺盛といえるかもしれないが、要は野次馬根性のオッチョコチョイなのであろう。買ったものでも買ったまま置いてあるものがあり、なかには買って収った場所さえ忘れるような失敗もあるが面白い。そして最近やっと反省するようになったが、アイディアの良いものが必ずしも実用的と限らず、又男の目で見た便利さと実際使う女の便利さとが違う事が多い事も事実である。 数々の失敗にもめげず、デパート等の宜伝販売を見ると吸いこまれるように足を運んでしまうのは未だに続いて居る。 若い頃の結核による二年の入院生活を除いては、特に頑健という程ではないが息災に過ごして居り、妻も又原爆に遭いながら未だにそれらしい兆候も一切出ていない事は全く幸運というしかない。ありがたい事である。 |