5組  和田 一雄

 

 愛する孫達よ、祖父は今、九年後の二十一世紀の君達に向けて此のメッセージを綴って居る。世間の賢明なる人達は子供や孫に、平穏に且つ世間並み以上の豊かな生活をプレゼントしようと、種々の工夫と努力をして相当の財産を残してゆかれるであろうと思うが、この祖父は生来、物にこだわる事が厭な性格で、君達にもこのメッセージが何より喜んで貰える贈物であると思い込んで居る事を許して欲しい。

 物が欲しければ自分で働いて手に入れなさい。私はお前に借金しか残さないよ、と云うのが私の父の生前の口癖であった。つまり君達の曽祖父の言である。物は残し度くないが、君達に世界一の素晴らしい祖国日本を残して上げたいものと、気持丈は人一倍強く抱いて努力して来たつもりである。

 だが私が七十五才の今日、直視し生きて居る日本の現状は、君達にも自慢して贈れる二十一世紀の日本になって呉れるかどうか全く自信が無い。

 君達に感謝される姿の日本でなくて、世界中の国々から、日本人は嫌いだ、日本人はズルイ、口先丈でごまかして決して本心を正直に云わない、と云った非難だらけの孤立した日本の姿である事が心配されてならない。

 始末に悪いのはズルくて利口な日本は、経済的には大国であり金持臭のプンプンたる行動を、世界中で遠慮なく見せびらかす事である。

 斯うして君達が大人の仲間入りをする二十一世紀には世界中から、ノーモアジヤパニーズで孤立させられて居るのではないかと心配されるのだ。

 其の防止対策としては、世界中から敬愛され、信頼される国民性に転換しなくてはならない難問である。二千年以上も狭くて資源も乏しい島国で、泣く子と地頭には勝てぬと村八分の恐怖に堪えつつ小作農耕で生きて来た為に、所謂貧乏人根性が日本人全体の代表的国民性を性格付けて居る。

 此の貧乏人根性が日本の政治にも、外交にも、行政にも、企業の経済活動にも、更には何より国家的に重要である教育面に迄、凡ゆる処に片鱗を覗かせる。
 此の貧乏人根性の矯正こそが国際経済社会の一員となる為の前提条件であると考える。

 但し此の矯正事業は一朝一夕に出来るものではなく、恐らく君達の時代にも引き続き一生懸命、取り組んでゆかなくてはならない長期計画であると信ずる。

 此の貧乏人根性は国の政治面でも、国民一人一人の行状面でも、種々千変万化の症状を見せつける。
 例えぱ政治面で見れば、権利を徹底的に行使して自己の金儲けに終始する悪徳政治屋の跳梁を許すことである。外交面で云えば一番大切な誠心誠意の基本を忘れ、外交辞令と云う不快な言葉通りの掛け引きを事として旨く片付けるのが外交官の仕事と心得て仕舞う。教育面で見れば、過去の忌まわしい歴史を徹底的に反省追究する代りに、如何に其の過去を糊塗してヴェールの彼方に葬るかに腐心した教科書を採用して仕舞う。個人面では世渡り上手と云う厭な言葉がサラリーマンの模範的処世術として幅を利かし、会社で出世の近道は只管上司の気に入る事と割切った者が勝利者となる。会社経営の理念も社会道義に反する事なきやもあったものではない。斯くして利益追求万能の大会社が海外進出して、其の国の国民の幸福も福祉も考えぬ経済活動に終始すれば、ノーモアジャパニーズの声が現地に起こるのは当然と言わざるを得ない。

 日本の国政も国民の行動も、これからの最大の難問は此の貧乏人根性を如何に退治して、国際経済社会の愛され信頼される一員たり得るかに取り組まなくてはならないことである。祖父の私にも有効な対策が考えられぬままに、孫の君達に之を引き継がせる事は誠にやり切れぬ申し訳無さを感じるが、どうかこの命題に人生を賭けて欲しいと願って止まない。健闘を祈るや切なりである。