如水について


社団法人 如水会のホームページ・トップページ上欄目次 < □如水会について > クリック  「1.沿革」 の項の終わりに<  詳細はこちらから  「本会および会館の沿革」  >をクリックすると、沿革に 渋沢青淵翁の祝辞 如水会と名付けた由縁が述べられています。
以下その解説です。https://www.josuikai.net/modules/introduction1/index.php?id=102
    

          <上記写真は「禮(らい)記」の該当頁の写真です。左より9行目、上より14字目に如水とあります。>

「如水」とは 禮記 からの引用です。

中国の古典、儒教の基本聖典に四書五経がある。日本でも明治以前の寺子屋などでは、読み・書き・算盤のうちの「読み」はこれら経典の素読が行われ,「読書百遍 意自ずから通ず」と言われていました。明治以降戦前までは、義務教育でも儒教は噛み砕かれて教えられ、中学校、高校では原典も上記写真のような漢文、白文で読まされました。
徳川三百年は世界で稀な平和な時代でしたし、戦前の日本は世界で稀な治安のよい国でした。
最近の様に犯罪が増え、また犯罪と扱われなくても、不良債権を作ると言うようなだらしのない社会ではなかったのです。
戦後 自由主義の履き違えで 自由が行き過ぎ 放埓となり 善悪の判断が出来なくなってしまいました。それにバブルと言うような時代があって 真面目に 働かなくても いい加減でたらめでも生きて行けるような風潮がみなぎりました。奢る平家は久しからずです。
「国富論」の根底には道徳哲学の教授であったアダムスミスの著「道徳情操論」のような倫理があったのです。
コロンブスのようなキャプテンが船員を海に投げ捨てて航海するでしょうか?リストラ?
一橋人たるものは現代風潮を見て今一度、倫理を考えて、これからの日本人の考え方が、是非とも昔のように、真面目になる様に、キャプテンとして舵を取らねばなるまいと思います。

(以上は若干脱線しました、元に戻します。)

四書とは論語、孟子、大学、中庸を言うのですが、大学と中庸はもと禮記の一編でした。(朱子が独立させた。)
五経とは易経、書経、詩経、禮記、春秋の五書 (唐の太宗時代)その昔は楽をくわえて六経だったと言う。

(青淵翁の引用)

禮記(ライキ)は49篇あり、表記第三十二に
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〇子曰、君子不以辞尽人。故天下有道。則行有枝葉。天下無道、則辞有枝葉。是故君子於有喪者之側、不能賻焉。則不問其所費。於有病者之側。不能饋焉、則不問其所欲、有客不能館、則不問其所舎。

故君子之接如水。小人之接如醴君子淡以成。小人甘以壊。小雅曰。盗言孔甘。乱是用餤。

故に君子の接(まじはり)(「交」と書いてあるものもある)は水の如く、小人の まじはり は あまざけ の如し。君子は淡(あは)くして以って成(な)り、小人は甘くして以って壊(やぶ)る。

<青淵翁の更なる 水に関する引用>

論語(孔子BC552〜479の言行録) 
巻第三  ----  雍也第六    (−−−幸福について・・・ 貝塚茂樹氏がつけた副題)
子曰、知者楽水、仁者楽山、知者動、仁者靜、知者楽、仁者壽、     (壽=いのちながし)

((青淵翁の引用にはないが同じ篇の3節前に次の如き字句がある。
子曰、知之者不如好之者、 ** 子ののたまわく、これを知る者はこれを好む者に如(し)かず。
好之者不如楽之者、     **  これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。 ))

(青淵翁引用)
子在川上曰。逝者如斯夫、不舎昼夜。 ** 洋々滾々として流れてやまぬ、何時までも常住不変。

((連想 
方丈記 鴨長明(1155〜1216)
ゆく河のながれはたえずして、しかもゝとの水にあらず。よどみにうかぶうたかたはかつきえかつむすびて、ひさしくとゞまる事なし。世中にある、人と栖と又かくのごとし。--------))
((連想
大平正芳元総理(1910〜80)(S11学卒)はよく :
 水深川靜 ** 水深くして川静か ** と揮毫されました。))

(青淵翁引用)
孟子(孟子BC372〜289の言行録)
巻第十一  告子章句 上
   ---   ---   ------  --------------
 二 ----   ----   -----   ------    -------     ---------    --------------
----、今夫水搏而躍之、可使過額(ひたい)、激而行之、可使在山、是豈水之性哉、其勢則然也、------

 (以下 小林勝人訳) (下記のうち途中**------** の部分が上の文の部分)
告子がいった。「人間の本性はぐるぐる渦巻いて流れる水のようなものだ。
〔渦巻いている水は流れる方向が決まっていないから〕これを東に切って落とせば東に
流れていくし、西に切って落とせば西に流れていく。

人間の本性もこれと同じで、始めから善悪の区別があるわけではない。
人為でいかようにもなるものだ。それはちょうど水には東に流れるか西に
流れるかの区別がないのと同じである。」

 孟子はいわれた。「確かに水には東に流れるか西に流れるかの区別がないのは
本当であるが、しかし高い方に流れるか低い方に流れるかの区別までもないこと
があろうか。(よもやそんな事はあるまい)。

人間の本性ががんらい善であるということは、ちょうど水がほんらい低い方へ流れるのと
同じようなものだ。だからこそ、人間の本性には誰しも不善なものはなく、
水には低い方に流れていかないものはないのだ。

** だが、今もし、その水でも手で拍って跳ねとばせば、〔水しぷきは〕人の額(ひたい)よりも高く

上げることができるし、また、流れをせき止めてはげしく逆流させれば、山の絶頂(いただき)
までも押し上げることができよう。

だがしかし、それがどうして水の本性であろうか。外から加えられた勢力がそうさせるまでのことだ。
人間が時に不善をなしうるのも、決してその本性ではなくて、これと同じく〔利害とか財物などの〕
外からの勢力に激発されるから、そうなるのである。 ** 」

(青淵翁引用)
范文正公   岳陽楼記

春和景明  波瀾不驚  上下天光  一碧万頃   ** 洋々として春先の長閑なる有様。

(青淵翁の演説より)
斯様の水の動静変化を叙し来たらば、何ぞただに淡如水と言うに止まるものではない。
如水とは左様に水が平和にして又変動有る物と言う心持であります。
諸君の御事業が変動あるものとしますれば、激して山に昇り、搏って額(ひたい)を越すということは
本性でないから成るべく、平静たらしめたい、即ち、春和景明常に平準を保維して
激浪風涛の水たらしめぬように、御心掛なさる事を希望しまして、私の演説を終わります。(拍手喝采)

以上は「渋沢栄一(青淵)翁が80歳の時大正8年(1919年)9月29日
如水会館 開館式に述べられた祝辞」につき
解説致しました。

1919年と言えば、第一次世界大戦終戦の頃、12月クラブメンバー誕生の頃であります。(現在83/4歳)
                                                 (2002・09・15 山崎記)

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カナダの張漢卿君が補足説明を送ってくれました。以下に追記します。

Mon, 16 Sep 2002    Dear Yamatan,
「如水」の解説、興味深く拝読、
先人の名言を引用して、諄々と平易に注釈 し得たのは、学の深きが故なり。

「子在川上曰」の出源は、子罕第九。

范文正公は范仲淹の諡、北宋の初期、(1010年頃)進士の殿試に合格し て重用され、西夏鎮守で武功を建て、詩文に優れた典型的な儒将。 「士は當に、天下の憂いに先んじて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむべし」の名言は、今日の族議員に対する棒頭一喝。

「君子之交淡若水」は荘子山木編にも繰り替えされているから、学派を超越 した処世訓とも見られる。
老子にも、「天下水より柔弱なるはなし、しかれども堅強なる者を攻めて、(水に)先んじうるは無し」という言葉がある。

水に対する執着は、東洋思想に共通のものかも知れない。

貴我ともに如水会館開館の年に生まれた。 あの頃、大戦後の景気で札バラ に火を付けて居た成り金たちにとって、澁澤翁の説く人生観は、かなり煙ったいもの だったのでは無かろうか。

いま窓外を見ると、毛並みの良いraccoon (あらいぐま)が一匹、裏庭をゆっ くり歩いている。 明日当たりは、近所の苗園から刺の多いバラの木を幾株か買って来て、その出入りを防ごうかと、愚策を練っています。
                                                          Ed