2003・10・07
ケネーの経済表とポンパドール夫人
                          5組 山崎 坦
今年(2003年)、12月クラブでは6人の学友を失なった。その内の5組(亦楽会)クラスメートは3名である。
追悼の意を込めて「合同慰霊祭」の項の後に、逝かれた学友名と彼らがが遺した文章名にリンクを張って掲載した。

彼らの文章を改めて読み直して、それぞれに感銘を受けた。
ここには7月7日に逝かれた5組 横山健之助君の寄稿”卒業40周年記念文集”「波濤」「回想つれづれ」から、想を広げてみたい。横山君はこの文章で、恩師の思い出を綴っているが、最後に5頁にわたってフランス語の先生。
プルニエ先生のことをを懐かしく回想している。

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フランソワ・ケネー(1694−1774)「経済表」(1758) 外科医、侍医、医学博士
ポンパドール夫人(1721−1764)政権干渉(1745−)ルイ15世の寵妃

モーリス・カンタン・ド・ラ・トゥール(1704−1788)パステル肖像画家

アダム・スミス(1723−1790)「国富論」(1776)
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ポンパドール侯爵夫人の肖像画は大勢の画家が描いているが、
中でもすばらしいのが、左上のモーリス・カンタン・ド・ラトゥールが描いたもので、このパステル肖像画家はフランス紙幣50フランの肖像(下)になっていた。
より新しい50フラン肖像はサンテジュグベリであったが、今はユーロである。
この絵はルーブル美術館の18世紀フランス絵画の部で、数ある名画を大部屋で鑑賞してゆくと、この絵のための特設個室に行き当たる。
1.750×1.280Mサイズの大きなもので、ベラスケスを思わせるような、衣擦れの音がするのではないかと思われるクラシック名画である。
美貌の夫人の背景には彼女が庇護した学者達による百科事典が置かれ、手に持っているのは楽譜、ほかにスケッチブックがみえ、彼女の資質を語っている。
ルイ15世はこの愛妃のためにベルサイユ宮にオペラ劇場を作ったといわれる。
士官学校や陶器工場も彼女の作ったものといわれるが、セイブル陶器のばら色はポンパドール・ローゼとよばれ、青色はロア・ブルーといわれる。

モーリス・カンタン・ド・ラ・トゥールはゴンクールに、同氏の作品は18世紀の人物博物館であると評価された。ゴンクール賞は芥川賞のような仏文学賞である。

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時代背景

時はフランス絶対君主制ブルボン王朝の18世紀、この世紀末はフランス革命。アメリカの独立にゆきつくのだが、
イギリスでは産業革命が進行、フランスは啓蒙時代といわれ、モンテスキュー、ボルテール、ルソー等が輩出した。
「自由・平等・博愛」の現代思想えの準備段階のような時代であった。
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横山君は
「ケネーはふくよかなポンパドール夫人の胸に聴診器をあてがったときにインスピレイションを感じ、血液が隈なく人体をめぐりめぐって心臓に戻ってくる血液の循環現象から、かの経済表を着想した、とまことしやかにーーーーー」
と書いている。

血液の循環現象はこのころよりも百年も前に見つけられていたようだが、経済をこのように見たのはケネーが初めてで、我々が学生時代、経済学の講義を聴いたとき、経済学の始祖として、ケネーそしてアダムスミスと紹介された。
それにつけても横山君の空想は文学的ですばらしいと思う。

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なおアダムスミスはベルサイユにケネーを尋ねているが、ポンパドール夫人には会っているだろうか?

ポンパドール夫人の臨終にケネーは間に合わず、死因にも問題があったようだ。

この時代の世の中は余程ぶっそうだったようだ。権力者には常に生命の危険が迫っていた。
従って面白い講談の様な話が沢山ある。
ベルサイユ宮殿を造った、「朕は国家なり」太陽王と言われるルイ14世には双子の兄弟があったとする「鉄仮面」と言う「取替えばや物語」がある。
ポンパドール妃の王様ルイ15世はルイ14世の曾孫でしかも第二子であり、その前の順位の王位継承者は皆怪しげな死に方をしており、ルイ15世は乳母の機転により救われた。

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