ノーベル賞受賞者小柴さんと塩川悠子さん
     
                 
(本稿は平成15年2月28日付日本経済新聞朝刊紙「私の履歴書」小柴昌俊氏からの抄録である。)
 ……うちでのんびりしている時など寝転がってモーツアルトの音楽を聴くのが楽しみだが、とくに気に入っているのが遠山慶子さの演奏だ。
お祝い事があると、遠山さんは友人のバイオリニストの塩川悠子さん(編注、故 6組 塩川精君 の長女)といっしょに私のためにモーツアルトを演奏してくれる。曲目もたいてい決まっていて、バイオリンとピアノのためのソナタのK303番と304番。私は短調の304番の方が好きだ。(中略)
                                 塩川精君「スペインから往時を偲んで」(30周年文集)
                                 塩川昌子さん「雑二題」(40周年文集)
                                 塩川昌子さん「夏水仙」(50周年文集)
                                          (クリックすると本文が読めます。)
ノーベル賞の授賞式で、ストックホルムに行った時も、(中略)そのストックホルムで塩川悠子さんに会った。
塩川さんの夫はハンガリー生まれの世界的ピアニスト、アンドラーシュ・シフ氏。
シフ氏は今回のノーベル文学賞を受けたイムレ・ケルテ一ス氏とは親友で夫婦で招待されたそうだ。
塩川さんは、「これから遠山さんのところであなたのために練習するのよ」と言って私より一足先に帰国した。
十二月下旬、二人は約束通り、私と妻の慶子を招いて遠山邸で演奏を聴かせてくれた。
心を洗はれるような至福の時だった。
一流の音楽家が自分のために演奏してくれる。こんなぜいたくはお金では買えないかけがえのないものだろう。文学や音楽は私が幼いころから心の中に抱き続けてきた夢だった。
 物理の道を歩み始めてからは、いっか実現してやろうと考える目標を常に二つ三つは「夢の卵」として抱いてきた。
今も成長を続ける神岡の実験も卵の一つがかえったものだ。
二十一世紀を生きる若い人たちにもそんな夢の卵を抱いて生きてほしいと思う。

(註)
 小柴さんがカミオカンデという地下数千メートルでの実験室での発見がノーベル賞受賞となったものである。「カミオカンデ」というのは、岐阜県吉城郡神岡町にあって、むかし神岡鉱業といった今の三井金属鉱業が亜鉛鉱石を掘っていた。その坑道跡での実験室である。神岡鉱業即ち三井金属鉱業の神岡鉱山で  2組 岡口満洲男君 が昭和25年頃、経理課長として勤務していたことを想い出す。                                岡口満洲男君「七五六」(50周年文集) (クリック
                                  岡口保子「人生は思いがけない事ばかり」(60周年通信特集) 
(十二月クラブ通信 水田正二君記)。