亡兄 幸和を偲ぶ
5組 故 天谷幸和君 弟 天谷尚正
「亡兄の憶い出」と申しましても、年令が7才ほど差違がありますので、
悲しいことに時代のためと申しましょうか
皆様にお話できます様な楽しい憶い出はございませんでした。
私が小学1年になりました時、姉は5年生でよく面倒を見てくれ、その優しさが今も続いているような気がします。
亡兄とは、幼い頃の接触がありませんでした。
私が小学4年か5年生の時に、亡兄は一橋大学に入学し、
その頃から父母に代はり私にスパルタ式と思われます様な指導が始められたようでした。
その後、理工系の道を歩んだ私は、兵役に服することもなく、終戦となり、就職後、
長野県に疎開中の父母と東京での生活を始めました。
その後、昭和34年に現在の帯広に移転いたしました。
法然上人の浄土宗のお念仏を毎朝亡父亡兄の,仏前にとなえ、誠実と反省につとめております。
積雪の処理も出来ない体となり、植木の手入れが私の運動のすべてと申せましょうか。
十二月クラブの皆々様のご健康を心よりお祈り致します。
(亡兄60年忌を偲び)
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