如水会メーリング・リストより
原田和幸(S29卒)です。
何時も過去へ遡って読む癖をお許し下さい。
今回は、今年7月の「(ぶな)の木は伐られた」を読みました。
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小説「樅の樹は残った」にかけて、悲しい話を写真入りで語っておられます。
樹木に対する尊敬の念と親しみ方については、
日本人は昔から世界で最も優れた感覚を持った民族だったと思います。
そのことは、神社や寺を森の中に建造し、
森と共に信仰心を育ててきた歴史を知るだけで十分に分かります。
しかし最近は、損得、便利さのために無惨にも樹木を粗末に扱い、
伐採、整理する行為は身近にしばしば見られます。
山崎さんが、ぶなの木が切り刻まれていく姿を日時をかけて写真に撮られた気持ちは、
数枚の連続写真に良く現れています。本当に悲しく、私達の心のすさみを感じます。
この季節、東京市内では街路樹の枝伐りが盛んに行われています。
理由は、狭い道路に張り出した枝葉が電線や交通信号の邪魔になるからだそうですが、
また落葉削減対策もあるようです。
毎年枝葉を伐られる街路樹が路上の盆栽として楽しめるならよいですが、
実体は街路樹は奇形を呈しています。
パリの伸び伸びしたプラタナスの大木と、東京のかじかんだ拳のような、
いじけたプラタナスを比べて、どちらが美しいか歴然としています。
街路樹は人工物の都市に少しでも自然を取り込もうとしたものですが、
このような形でしか街路樹を植栽できないなら、むしろ樹木は植えない方が良いでしょう。
勿論、場所によっては伸び伸びとした欅並木、銀杏並木もあります。
ですから人間が少し不便だからと言って、安易に街路樹を切り刻むのも考え直したらよいと思います。
今年施行された都市景観法に樹木のことが如何に扱われているか存じませんが、
山崎さんのぶなの木伐採連続写真は、都市景観を考える時、大いなる警鐘になると思います。
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2005・11・02
山崎
ありし日の橅の木
下は2005・11・02の写真
[家は木々にやさしくない]