一橋の学問を考える会
[橋問叢書 第二十一号] 一橋大学における
                    ケンブリッジ経済学の伝統
  一橋大学経済学部教授 荒 憲治郎


    <は じ め に>

 御紹介いただきました荒でございます。

 私のきょうの講演は「一橋大学におけるケンブリッジ経済学の伝統」というテーマにいたしました。恐らく、より
正確には「戦前における」という、限定を必要とするかもしれません。そろそろ戦後の方に話題を持っていきたいというお話もございました。しかしきょうのは恐らく戦前を中心にした講演になるかと思います。

 そこでまず、きょうの主題でございます「ケンブリッジの経済学」というのは一体どういう経済学かということに
ついて簡単に触れておかなくてはなりません。一般に「ケンブリッジの経済学」という言葉を用いますときには、それはアダム・スミス、リカードなどのイギリスの伝統的な経済学者の跡を継承しましたケンブリッジ大学のマーシャルから始まってピグー、ロバートソン、最近ではノーベル経済学賞を受賞したジェームス・ミード教授、こういった人々によって支えられております狭い意味でのケンブリッジ学派の人々の経済学をさすのが普通ですが、ここでは、マーシャルの弟子でありながら最終的にはマーシャル及びピグーの経済学と鋭く対立いたしましたケインズ及びケインズの経済学を信奉しておりますケインズ学派の経済学者たち、具体的に申しますと、ケインズ自身、ケインズ経済学の展開に重要な役割を演じたリチャード・カーン、さらに女性の経済学者で日本でも名前の知られておりますジョアン・ロビンソン、現在でもケンブリッジ大学で第一線の活躍をしておりますニコラス・カルドア、そして先年亡くなったのでありますが、オックスフォード大学におりましたロイ・ハロッド教授、こういった一連の人々によって展開されました経済学の全体をひっくるめてみたいと思っております。


    <マーシャルの経済学とケインズの経済学>

恐らくここで、マーシャルを始祖といたします狭い意味でのケンブリッジ学派の経済学と、ただいま申しましたケィンズの経済学、この二つの経済学は1一体どういう関係になっているのかという問題が提起されるでありましょう。

 見方によっては一見したところこの二つの経済学は対立するように見えるけれども、本質においては異なるところはないという見解もあり得るかと思います。私自身は、やはり経済の見方についてかなり根本の違いがあるし、したがって「学派」と呼ぶに値する大きな違いを持っていると考えております。

 具体的に言いますと、たとえばケインズによって提起された問題でありますが、現在の実質賃金率のもとで働きたいと思っていながら、需要が不足しているために雇用のチャンスを持ち得ない労働者、普通にこれを非自発的失業と申しておりますが、この非自発的失業の問題にメスを入れたということ、これがケインズ経済学の非常に大きな貢献の論点であって、そういう問題を考えますと、やはりその背後にあります経済の見方について、ケインズとマーシャルとの間にはかなり根本的な経済学上の違いがあると思っております。その背後に存在する違いは何かと申しますと、結局のところそれは自由な経済を前提にするとき、マーシャル、ピグーの場合ですと、市場価格が本来的に持っております需給調節機能によって労働の完全雇用が保障されるというふうに見る見方、通常私たちはこれを、アダム・スミスの名前をとりまして「スミス主義」と呼んでおりますが、こういう立場をとる根本的な考え方と、これに対してケィンズは、失業を伴ったまま生産物市場はしばしば均衡に到達してしまう、資本主義経済は失業をおのずからの力によって除去し得るような、そういう調節力を必ずしも持っていないという主張、したがって、政府が積極的に民間経済に介入して、完全雇用の実現を図らなければならないという主張、そういう王張がケインズによってなされているのであります。

 私は、後で一橋大学におけるケインズ経済学の導入の経緯について言及いたします。しかしながら、マーシャル及びピグーとケインズとの間には、経済が持っている需給調節機能に関して大きな相違があるのでありますけれども、それにもかかわらず次の点においては共通の地盤が存在しております。それは、望ましい経済全体の秩序が自由放任の経済体制のもとで実現し得るものかどうかという問題の設定がそれであります。ピグーの有名な本に『厚生経済学』という本があります。日本語の翻訳も出ておりますが、この著書は、まさにそのような問題意識のもとで書かれたものであります。また有名なケインズの『雇用の一般理論』という著書も、同様にそういった問題の意識で書かれておりまして、本来的にこのような問題設定の意識はマーシャルの経済学から生まれてきたものであると言ってよろしいのであります。


    <福田徳三先生とマーシャルの経済学>

 そこで、以下このマーシャルの経済学のことからお話ししてまいりますが、マーシャルがケンブリッジ大学における経済学の始祖であるのと同じように、一橋大学における近代経済学研究の始祖は福田徳三先生であります。福田先生は、昭和五年、五十六歳のときに亡くなられました。先生は明治二十九年、二十二歳のときに東京高等商業学校研究科を卒業されて直ちに母校の講師に就任いたしました。そして明治三十一年から三十四年までの三年間、ドイツのミュンヘン大学でルヨ・ブレンターノ教授のもとで経済学研究の指導を受けられました。帰国後、二十七歳のときでありますが、母校で経済学の講義を開講されましたが、明治三十七年に事情があって慶應大学に移りました。そして明治四十三年に再び母校に戻られて正教授となったのであります。ちょうど先生が三十六歳のときです。そして、そ
れからおよそ二十年間母校で経済学の研究を行ない数多くの優秀な経済学者を育成されました。福田先生の経済学は、これもよく言われることでございますが、一方ではドイツへ留学したときの恩師ブレンターノ教授の流れを汲むドイッの歴史学派に基礎をおきながら、他方ではマーシャル経済学を中心にしたイギリスの経済学を主柱にしていると言われております。そのイギリス経済の流れに沿った仕事は、明治四十年から四十二年にかけて三分冊の形で出版されました『経済学講義』というタイトルの著書の中で示されたのであります。それは、ちょうど福田先生が慶應大学に在職中の仕事でありました。この著書の序文の中で福田先生は、慶應義塾ではマーシャル教授の大著『経済原論』を用いて講義を行ったと述べておられます。恐らくこの福田先生の書物はわが国での最初のマーシャル経済学の体系的な研究書として位置づけられるかと思います。

 ここで私がマーシャルの『経済原論』と言っているときには、論じるまでもなくそれは一八九〇年に出版されました『プリンシプルズ・オブ・エコノミックス』という本のことでございます。したがって福田先生がこのマーシャルの『経済原論』の祖述的な研究を始められましたのは、このマーシャルの本が出版されてから一五年ほどたってからのことであります。当時の日本の状況について申しますと、主要な経済学の流れとしては、マルクスの経済学、ドイツの歴史学派、それからイギリスにおけるアダム・スミスからジョン・スチュアート・ミルに至るまでの古典学派が存在していました。その頃ヨーロッパではウィーンを中心にしたオーストリア学派という学派が存在しました。しかしこれはその当時には日本ではまだ紹介されておりませんでした。そして福田先生はいち早くこのケンブリッジ学派の流れを取り上げて、それを研究対象としたのであります。そしてそのケンブリッジ学派の経済学を先生自身の経済学に仕上げていくのであります。


    <マーシャル経済学の特色>

 ではその場合、他の学派の経済学と比べてマーシャルの経済学はどういうところに特色が存在するのでしょうか。この問題についてはもちろんいろいろな意見があり得ると思うのですが、私は、それは経済の力学的な見方を排して生物学的な見方を提示したということのうちに見ることができると考えております。経済現象を力学的な手法で分析しようとする立場、これは現代の多くの数理経済学において見られる一般的な風潮であります。
 たとえば、フランスの数理経済学者レオン・ワルラスの流れを汲む一般均衡論がそれです。これに対してマーシャルは、森の中の一本一本の木は新しく生まれ、かつ枯れてしまうけれども、森全体は不断に存続し続け、ときには成長するのと同じように、個々の企業は成長し、ときには死滅するにもかかわらず、その企業の属します産業の全体は絶えず存続し続けているという事実に着目するわけです。そしてマーシャルはそのような生物学的な観察の方法を具体化する手法として、産業全体の姿を代表的企業、リプレゼンタティブ・ファームと呼んでおりますが、この代表的企業によってとらえ、代表的企業の活動を分析することによって産業全体、ひいては経済全体の有機的成長の法則性を明らかにしようとしたのであります。マーシャルのこのような生物学的分析の手法に対して、福田先生がどれほどの関心を示されたかについては必ずしも明らかではありません。恐らくこの問題をより鮮明に強調しましたのは、福田先生の門下生でありました杉本栄一先生かと思います。今度岩波文庫にも収められました 『近代経済学の解明』という上下二冊の著書の中で杉本先生は、マーシャルの有機的成長の分析手法の特徴を強調しそれに対して近代経済学の中で最重要の評価を与えているのであります。そしてこのようなマーシャル経済学を重視するという伝統はやがて福田先生の同じく門下生でありました大塚金之助先生によってマーシャルの『経済学原理』 の翻訳という形で具体化
していくわけであります。

 大塚先生のマーシャルの翻訳が一体どういう経緯を経て出版されるようになったかについては明らかではありませんが、昭和三年に改造社から出版されたのでありますから、それは福田先生が御存命中のことです。ただ大塚先生は数理経済学研究のためにヨーロッパに渡られたのでありますが、やがて数理経済学の研究を断念されマルクス経済学の方に移っていかれました。そしてこの数理経済学の研究は中山伊知郎先生にバトン・タッチされました。

 福田先生自身について申しますと、先生は折に触れて数理経済学の重要性を大いに強調されました。もっとも数理経済学は福田先生の得意の学問領域ではなかったのでありますけれども、しかしわが国の数理経済学が今日のような発展を見るに至りましたのは全く福田先生の奨励によるところが大きいと言って過言ではありません。

 ここでマーシャル経済学と数理経済学の関係について一言申し上げておかなくてはなりません。マーシャルは一八六五年にケンブリッジ大学の数学科を卒業したこともあり、マーシャルと同時代の経済学者の中では最も優れた数理的解析力を持った学者であったのであります。しかしマーシャルはその『経済学原理の本文の中には数学の叙述を全く排しております。そして数学はすべて脚注に回しているのであります。恐らくこれは、経済学を教養ある人々にとってだれでもが理解することのできる実践の科学たらしめようとする配慮に基づいたのかもしれません。そのような配慮は、同じく経済原論の書物でありながら、フランスのレオン・ワルラスの本などとは著しく異なったものであります。

     
     <ワルラスの一般均衡論のこと>


 一橋大学ではフランスのレオンワルラスの立場から経済分析を進めましたのは中山伊知郎先生です。そして久武雅夫先生が同じくワルラスの研究に加わりました。ワルラスの主要な著書は、一八七七年に出版されました『純粋経済学要論』という本ですが、この本は岩波書店から、久武先生の翻訳で、間もなく卓上本の形で出版されることになっております。中山先生は、経済主体の相互依存の関係を強調するワルラスの一般均衡論を先生の純粋経済学の出発点に採用しました。これは経済理論の純粋性という観点からしますと極めて自然なものなのであります。しかし一たび経済現象の理解のための純化作業が完了してしまった段階では、もはやこのワルラスの一般均衡論の枠内にとどまる必要はなくなりました。そして先生は、ワルラスによる静態論の純化作業を終えたあとでシュンペーターの経済学をとりあげ、より豊かな経済動態論の道に歩を進められたのであります。

 これに対して、マーシャルの経済学の重要性を強調しました杉本先生は、経済構造の異質性と経済過程における時間要素の重要性を強調し、マーシャルの経済学はまさにそのような課題に応え得るものであるという立場から、福田先生よりももっと積極的にマーシャルの経済学を評価しようとしたのであります。杉本先生によりますと、資本主義経済は均衡の状態としてよりは、むしろ不均衡の過程として叙述されるべきである、そしてマーシャルの経済学はそういう問題に対する分析の手がかりを与えるというのであります。そしてこのマーシャルの経済学とワルラスの経済学の経済分析上の有効性に関して杉本先生は、中山先生と論争することになったのであります。

 しかしながら中山先生の場合には、先生が昭和七年に出版された『純粋経済学』という書物においてはともかく、昭和十四年に発表された学位論文『発展過程の均衡分析』という書物においては、すでにワルラスの均衡論を超え、ケインズの経済学をも包摂し得るような仕方で経済動態の問題を展開されておりましたので、この中山・杉本論争は決着のつかないままその幕を閉じてしまったのであります。

    
      <ピグーの厚生経済学>

 さて、後で見ますように、イギリスの経済学は実践的経験主義の伝統の上に立っていると言われております。ケンブリッジ学派の場合もまさにそのとおりであります。そして、一九二〇年のピグーの 『厚生経済学』という書物は、このイギリスの経済学の伝統の上に立ち、マーシャル経済学を基礎にしながら個人の経済活動と望ましい社会の状態との関係を論じた経済政策論の著書にほかなりません。このピグーの 『厚生経済学』に対して、福田先生は、先ほど挙げました著書の中で、現在の経済学の最高峰を代表するものと絶賛し、ピグーの将来につきましては、実に刮目して期待すべきものなりと論じているのであります。そしてこのマーシャル、ピグー流の厚生経済学は、やがて福田先生の 『厚生経済研究』というタイトルの大きな本の中で批判的に取り上げられることになるわけです。もちろん私はここで福田先生の 『厚生経済学』 の内容に立ち入ることはできないのでありますが、最近講談社から『厚生経済』というタイトルの福田先生の文庫本が出版され利用可能となっております。

 ピグー自身について申しますと、この書物でピグーは社会的な純限界生産物と私的な純限界生産物の乖離の問題、あるいは厚生経済学の三つの命題、すなわち他の事情に等しければ、第一番目には、所得水準が増大すればするほど、第二番目には、所得分配が平等になれば平等になるほど、そして第三番目には、所得水準の変化が少なければ少ないほど、経済全体のエコノミック・ウェルフェアは増大するという主張を検討しています。これらの主張は現在においても依然として論争的となっている基本的な問題であって、特に厚生経済学という領域の中では最も中心的な研究課題となっているものであります。そしてこの書物は昭和十一年に中山先生が『厚生経済学』という本でその内容を紹介し、また戦後でありますが、山田雄三先生が『ピグーの厚生経済学』というタイトルの本を書かれてピグーの所説を批判的に紹介しておりますが、こういった一連の著作は忘大学での近代経済学研究において非常に重要な役割りを演じてきたのであります。

 さらにピグーの厚生経済学及び、次に述べますケインズの経済学との関連で、一橋大学では国民所得の理論を中心にしたマクロ的経済分析の手法が以前から重視されてきたことに注目しなくてはなりません。ピグーの厚生経済学は、国民分配分という概念を中心とした経済分析なのでありますが、この国民分配分というのは実質国民所得を分配の側面から見たものであります。山田雄三先生が昭和二十五年に出版されました『国民所得の計画理論』とか、あるいは昭和二十八年に出版されました高橋泰蔵先生の『国民所得の基本問題』という著書は、国民所得の概念を中心にした書物であって一橋大学の学問研究の流れに沿ったものであるといって差支えありません。


     <ケインズの経済学の一橋大学への導入>

 さて、以上でマーシャル及びピグーの経済学について述べましたが、次に同じくケンブリッジ大学の経済学者でありますケインズの経済学について述べなくてはなりません。以上見てきましたように、マーシャルもピグーもともに福田先生の研究対象となった経済学者でありますけれども、いわゆるケインズ革命と呼ばれるケインズの著書、これは一九三六年に出版されました有名な『雇用の一般理論』という書物でございますが、この『雇用の一般理論』が出版されましたのは、福田先生が亡くなられてから六年後の昭和十一年でありますから、そのようなケインズの経済学は福田先生の研究対象とはり得なかったわけであります。もし福田先生が当時御存命であったならば、果たしてこのケインズの一般理論に対してどういう評価をとられたか、これは非常に興味ある問題なのでありますが、残念なことには御存命ではありませんでした。しかしケインズの経済学の一橋大学への導入は、このケンブリッジ学派の経済
学の一橋大学への導入のことを考えますと、極めて自然な流れであったと言ってよろしいのであります。

 恐らく日本の経済学者の中で、文通という形ではありますが、ケインズと最もひんぽんに交流を持った人は鬼頭仁三郎先生であったのであります。鬼頭先生は高垣寅次郎先生の門下生であります。昭和二年に東京商大研究科を終了され、迂回の道をたどられて昭和十年に東京商大付属の商学専門部教授に就任されました。鬼頭先生とケインズとの文通は一九三〇年に出版されたケインズの『貨幣論』の翻訳から始まるのであります。このケインズの『貨幣論』の翻訳書は結局五分冊の形で同文館から出版されたのですが、この鬼頭先生翻訳の『貨幣論』が、最近新しい装いのもとで長澤先生によって新しく翻訳され東洋経済新報社から出版されております。したがってこれは、いわば一橋大学の共有財産というような形で今後とも生命を維持し続けるのではないかと考えられます。ところで鬼頭先生とケインズの往復書簡でございますが、これは鬼頭先生の昭和三十二年に増補版の形で出版された『ケインズ研究』というタィトルの著書の中にすべて収録されております。全部で二十三の往復書簡が収められております。一九三四年六月二十二日付のケインズから鬼頭先生あての手紙でケインズは・貨幣の純粋理論についての新しい本を書きつつあるということを伝えております一九三四年でありますから、その二年後にケインズの一般理論が出版されるわけです、一九三六年に出版された『雇用の一般理論』を完成と同時にケインズは鬼頭先生に贈呈をしております。外国人は普通、自分の書いた本を友人にさえもなかなか贈呈するということはしないのでありますけれども、ケインズが鬼頭先生に自分の新しい書物を贈呈したということは極めて異例のことのように思われます。鬼頭先生はケインズから贈呈された書物について直ちに論文を書きました。これは大学の研究年報に発表されたものでありますが、「消費の性向と投資の誘因」という題名の論文です。鬼頭先生はこれを早速ケインズに送っております。ただこれは日本語のままで送られたので、ケインズの返書には、残念なことには私は日本語が読めない、読めたらよかったと思うという文意のことが書かれてあります。しかし、私は、いずれにしても鬼頭先生の論文は、恐らく、ケインズのこの新しい経済学に対する、日本だけではなくて、世界の中で最も早い反応を示した論文ではないかと判断しております。

 御承知のことと思いますが、ケインズの『一般理論』の翻訳は、昭和十六年に名古屋大学の塩野谷九十九先生によって行われました。塩野谷九十九先生も鬼頭先生と同じく高垣先生の門下生であります。その意味からいたしますと、ケインズの『一般理論』の翻訳もまた、一橋グループの仕事であると言って差支えありません。そして、最近ケインズの『一般理論』の翻訳が塩野谷先生の御子息の本学の塩野谷祐一教授によって改訳され、間もなくこの秋ぐらいかと思いますが、東洋経済新報社から出版されることになっております。

 
     <ケインズ経済学の特色>

 では、この新しいケインズの経済学は一橋大学においてどのような形で受けとられてきたのでありましょうか。この問題について最近本学の美濃口武雄教授が青木正紀君という若手の研究者と共同で「一橋大学におけるケインズ経済学の伝播とその波紋」というタイトルの論文を『一橋論叢』から発表しております。この論文はケインズ経済学の貨幣分析的な側面を重視するという観点から一橋大学の近代経済学を担う人々によっていかにそれが評価されてきたかということを論じたものであります。そして鬼頭先生、中山伊知郎先生、山口茂先生そして高橋泰蔵先生といった諸先生方のケインズ経済学との関連及びその位置づけを行っているのであります。

 私自身は、先ほどちょっと申し上げましたように、ケインズ経済学の本質は、政府の積極的な安定化政策がもし存在しないとすれば、資本主義経済は労働の完全雇用とか、物価の安定を保障することはできないという主張、あるいはそのような状態の成立には非常に長い時間がかかるという主張、こういう主張をケインズの名付けます「有効需要
の原理」を基礎にしながら論証したところに存在すると考えております。そしてケインズはそのことを論証するために、経済活動における意思決定の際に人々が逢着いたします不確実性、アンサーティンティという要因を強調したのであります。

 ケインズが特に強調いたしますアンサーティンティにつきましては二つのものがあります。一つは、有価証券の価格に関するアンサーティンティ、有価証券の価格が将来上がるか下がるかわからないということ、そういうことにかかわる不確実性、これが一つであり、もう一つの不確実性は、投資活動の基礎となる収益性にかかわる不確実性、企業がある投資活動を行ったときに、その投資活動の結果として幾ばくの収益を挙げ得るかということに関して必ずしもはっきりした計算をなし得ないという、こういう不確実性、この二つのものを特に強調したわけです。

 私は、事実の問題として重要なのは、この第二番目の投資に関する収益性が不確実なること、これがケインズ経済学にとって基本的に重要なものであると判断しております。しかしこれは私の判断でありまして、私はこのような判断が最も正しいケインズ経済学の解釈であるという主張を行なおうとは思っておりません。そしてまたケインズ経済学を一橋大学の諸先生方が自分の経済学の体系に包摂しようとする場合においても、いろんなアプローチ、いろんな包摂の仕方があると考えております。たとえば、鬼頭先生は昭和十七年に『貨幣と利子の動態』という著書を出版されました。この中での鬼頭先生の力点は、経済活動における予想要因との関係で貨幣経済の本質を把握しようとしていること、そしてそこにこそケインズ経済学の最も本質的な特色があるのだというそういう考え方、これを著書の中で示されました。また中山先生も、同じくケインズ経済学を摂取されるわけでございますが、昭和十四年の『発展過程の均衡分析』におきましては、静態的領域、スタティックな領域と動態的な局面、ダイナミックな局面、これを結びつける分析の手法として、ケインズの投資乗数の理論を先生の経済体系の中に積極的に取り入れるという試みを行ったのであります。また高橋泰蔵先生は、昭和十六年に『貨幣的経済理論の新展開』という本を発表されております。
この著書の中で高橋先生は、ケインズを、貨幣経済における動因論を分析したものとして位置づけます。そして貨幣がベールであるという見方、これは普通に貨幣ベール観と申しておりますが、貨幣ベール観に立脚した伝統的な実物経済の分析に対するケインズ経済学の特色を強調したのであります。

    
      <国民所得分析の展開>

 ここでケインズ経済学との関連で、あるいはまた次のように言えるかもしれません。それは国民所得の分析を中心にしたマクロ的な経済学の展開という問題、これは先ほどもちょっと触れましたが、明らかにケインズ経済学の系統に立つものであります。そしてそういう方向への関心が戦後において一橋大学の一つの大きな流れを形成しております。戦後いち早くこの方向への研究に先鞭をつけられましたのは山田雄三先生であります。山田雄三先生が昭和二十六年に発表されました『国民所待推計資料』という本がありますが、これは明治九年から昭和二十三年に至るわが国の国民所得のデータを推計した極めて先駆的な仕事です。それは引き続き経済研究所の大川一司先生らが共同で発表した昭和四十九年の 『国民所得』という大きな本に結実しています。そしてこれらは恐らくケインズ経済学に触発された研究の一環であり、今後ともその生命を持続できる責重な業績であるといって差支えありません。

 さて、以上で私はマーシャル、ピグー、ケインズの経済学が一橋大学においてどのように取り入れられてきたかを見てまいりました。戦後、ケインズの直接的な系譜に立っておりますロイ・ハロッドはケインズ経済学の立場から「経済成長論」を発表いたしましたが、この経済成長論がいち早く一橋大学に導入され、経済成長の問題に関して理論的にも実証的にもわが国の学会の中で先駆的な役割りを演じることができましたのも、戦前からの一橋大学におけるケ
ンブリッジの経済学研究の長い伝統を背景に持っていたからであると考えることができるでありましょう。


     <福祉増大のための実践の学問>

 ところで、私は最初に、マーシャル及びピグーの経済学とケインズの経済学との間には非常に大きなギャップが存在すると申しました。労働の雇用問題について申しますと、先はど指摘いたしましたように、一方は、資本主義経済は内在的に完全雇用をもたらす力を持っているというのに対して、他方は持っていない、したがって、政府の積極的な経済への介入を必要とするという考え方でありますので、かなり大きな違いが存在しているわけです。しかしこのように言ったからといって、ケインズが全くイギリスの経済学の伝統から離れており、ケンブリッジの経済学の伝統の外に立っているということにはならないのであります。

 なぜかと申しますと、このことは中山先生が指摘されていることでありますが、ケインズの完全雇用の概念をピグーのエコノミック・ウェルフェアの概念に置きかえてみれば、両者の目的とするところはそれほど違っていないと言えるからであります。すなわちケインズは、自動的な投資と貯蓄のメカニズムでは完全雇用は保障されないということから、貨幣政策及び財政政策の必要性を主張したのでありますが、ピグーは経済厚生の極大を求めて、国民所得の増大、安定性及び所得分配の平等を主張いたしました。一見したところこの二つの主張は極めて異なるように見えるけれども、しかし資本主義経済のメカニズムをそのままにしておいたのでは福祉の極大を求めることはできないという主張においては一致しているのであります。あるいは次のように言えるかもしれません。現在の資本主義経済の批判という立場からいたしますと、むしろピグーの方が深く、完全雇用の達成に同じような力点を置いたケインズの方がむしろ浅いのではないかという、そういう意見もあり得ると思います。実はこのことも中山先生の指摘されている点であります。

 なぜかと申しますと、完全雇用を実現するように総需要管理政策を運営したといたしましても、依然として所得分配の不平等という問題が残ってしまう。そして資本主義経済は価格機構によってはこの所得分配の不平等を解決することはできない。そういう意味においてより深い問題を取り上げているのだという見解であります。しかしその評価はともあれ、これらの問題の設定におきまして、その背後にあります価値の意識というのは何であるかということでありますが、これについて、たとえば杉本栄一先生は、先ほど挙げました『近代経済学の解明』の中で次のように申しているのであります。すなわち、マーシャル以来ケンブリッジ学派の経済学は労働者階級の将来という問題を経済学の中心課題に置いたということ、これであります。

 また鬼頭先生は、同じく先ほど言及いたしました『ケインズ経済学』という書物の中でケインズが擁護せんとしたのほ、常に労働者の福祉であったと論じております。所得分配の平等性を主張し、労働の完全雇用の実現を主張するという立場からいたしますと、これは十分に理解できることであります。そして経済学をこのように国民の福祉の増大を図るための実践の学問と見なすという考え方、これはまさにケンブリッジの経済学を支配しております理念であり、ピグーとケインズとの間には一見したところ超えがたい表面上の対立が存在するにもかかわらず、共通の意識としてケンブリッジ経済学の人々が持っていた視点であったと言って差し支えありません。そしてそれはまた、人間を中心とした福田先生の厚生経済学の基本的な視点でもあったと言って差し支えないのであります。

     <イギリス・ドイツ・フランスの経済学>

 さて、ケンブリッジの経済学によって代表されるこのような経済学のアプローチは、一般的に言いますと、これは
イギリスの経済学のアプローチでもあったと言ってよろしいのであります。そして、このようなイギリスの経済学に対して、これをフランスとドイツの経済学と比べて、山口茂先生は次のように論じておられます。先生が発表されました『経済循環と金融市場』というタイトルの本がございますが、その中で次のように申しております。ドイツでは経済政策学が経済学原理に対して独立の存在を主張し得るようであるが、英、仏では経済政策学なる独立の学問分野の影が薄いようであって、経済学原理と対立する意味で経済政策学なる名の付いた書物を見出すことが困難である。
またイギリスの経済学が経験的、具体的、時論的であるのに対し、フランス経済学が原理的、一元的、普遍的な感じが強い。これに対してドイツの経済学はその間をいっているように見える。こういうふうにヨーロッパにおける三つの国々の学問の違いを叙述しておられます。私は、山口先生の経済学のこのような性格の規定づげは十分な妥当性を持っていると考えます。

 たとえば英、仏についてその最も代表的な経済原論の古典を挙げよと言えば、先はど挙げましたマーシャルの『経済学原理』とレオン・ワルラスの『純粋経済学要論』、この二冊かと思いますが、この二冊を比べて見ればイギリスとフランスの経済学の違いは極めて明瞭なのであります。なぜそういう違いが生じているのかという問題を山口先生は提起されておりますが、これについて先生は各国の経済学者が抱く実践性の違いがその基本である、ではそのような実践性の違いはどこからきたのかということについて、それが風土の違いによるのか、人種の違いによるのかは判然としないというふうにオープンクエッションに残しております。


     <冷やかな頭脳と温かい心情>

 私は、現在の一橋大学の近代経済学者のグループが等しくケンブリッジ経済学の影響を受けているとか、あるいはケンブリッジ経済学の伝統のもとにあるというふうには必ずしも思っておりません。私自身について申しますと、私は一方ではフランス流の普遍的な、あるいは原理的なるものに心を引かれながらも、全体として言いますと、イギリス流の経験的な、あるいは政策論的な経済分析に傾いております。恐らくわが国の場合、この普遍的なるものと経験的なるものとの重要性の認識の違いは、あるいは研究者の年齢の違いによるのかもしれません。すなわち若いうちは一般的原理的なるものに集中する、それに心を引かれる、しかし年齢を重ねるにしたがい、経験的なるもの、あるいは時論的なるものに移行していくというのがそれであります。ある意味においてこれは研究者としては自然な成長過程なのであります。

 ケンブリッジ大学の教授就任講演というのがあります。この講演会でマーシャルは「経済学の現状」という講演を行っております。その中での非常に有名な言葉に、「冷やかな頭脳と温かい心情」、クール・ヘッド・アンド・ウォーム・ハートという言葉があります。すなわち冷静な判断力の頭脳と人々を愛する温かい心を持って自己の周囲の社会的苦悩と闘うということ、これが経済学者の心得べき態度であると申したのであります。それから、ケンブリッジの経済学が実践の学問であるということに関連して、鬼頭先生は『ケインズ研究』の中で、「理論が肉体を持つこと」これこそケインズ卿が何よりもまずわれわれに教えることではなかろうかと申しております。すなわち、ケインズの経済学は抽象的な論理の体系ではなく、一つの方程式の中にも歴史が存在しているというのであります。このように経済学を国家を経営し国民を救済するための学問であるとする考え方、そのためにたえず現実の経済を凝視するということ、これこそが恐らくケンブリッジ大学の経済学から修得することのできる教訓でありモラルであると思います。
そして私はこのような教訓、あるいはモラルは守っていく価値があるし、あるいは守っていかなければならないものであると思っております。

 以上、ケンブリッジ大学の経済学に関しまして、一橋大学で一体これはどのような形で導入され評価されてきたかということについてお話し申し上げました
                                        (昭和五十八年五月十九日収録)