一橋の学問を考える会
[橋問叢書 第四十号]

   山口茂教授における金融論の学風 一橋大学商学部教授 吉野 昌甫

   まえがき

 ただいま御紹介いただきました昭和二十三年学部卒業の吉野であります。
御紹介ありましたように、私は山口先生の直の門下生ではございません。
そういう意味で本日山口先生の金融論を皆さんにお話しするというのが適任である
かどうかということは大変迷ったわけです。

 ただ、考えてみますと、大学を卒業の学年で自分のゼミナールの恩師、鬼頭先生が亡くなられ、その後指導を受けました小泉先生がすぐ御病気になって、中山先生のゼミナールに入れていただきました。当時、小泉先生のゼミナールの教官でありました山口先生の国立のお宅で金融論研究会が行われておりました。その研究会への参加は必ずしも先生の門下生だけではございませんで、広く金融の研究を志す若手を集めて行なわれておりました。中山先生のゼミナールが経済理論中心ということもあって、金融論の勉強のため、山口先生の研究会への参加を許していただきました。
毎月日曜日には山口先生の非常に大事なお時間をいただきわれわれ一日先生のお宅で勉強をすることができました。逗子へ移られてからも、先生がお体をかなり悪くされるまで研究会を続けていただいたのです。

  その学恩は測りしれないものがあります。先生の学恩の一端に報いることができるかどうか大変心もとないのですが、先生のもとで勉強しました一人としまして、先生のお考えの一端を御紹介したいと思います。

 前置きが大変長くなりましたが、本論へ入ってまいりたいと思います。

   
   山口理論における歴史の重視

 初めに山口先生は、御存じのように本をたくさんお書きになっております。正直申しまして先生の御本はわかり易いものとは申せません。簡潔に、肉を削って骨にだけしてしまう。そして中間の説明を必ずしも十分に論理的に補って説明するという、そういう性格の記述ではありません。

 もう一つは、山口先生特有の表現法がありまして、確かに読んですんなり頭の中に入る学風ではないので、先生のお考えになっている学問の輪郭の説明を主体に進めてまいりたいと思うわけです。

 先生の学問を考えてみますときに、理論と歴史と政策、これを合体した学問であるということがよく言われます。
先生が晩年にお書きになった『恐慌史概論』を拝見しますと、その後半はほとんどが欧米中心の十八世紀から二〇世紀にかけての恐慌史とわが国の明治以来の恐慌史の概要が書かれておりますし、それから、フランスへ留学していたときの先生の研究は、むしろ経済の恐慌の歴史を十分勉強したということをおっしゃっていられるわけなんですが、そういう点から考えまして、イギリス、フランス中心の経済学の理論的研究と恐慌史の結び付きを追求されたという意味で、経済史に対する研究素養というものが非常に深い。その影響が先生の理論に非常に強くにじみ出ております。

 それともう一つ。私が大学に戻りましたとき、研究室が割り当てになり、小泉先生と同居させていただくということであったわけですが、その時、私の使っていました机は山口尭生がお使いになっていたものでして、机の上にカードがたくさんありまして、そのカードに非常に丹念に明治以来の日本の貨幣史、幣制史、に関する抜き書きがたくさんファイルされておりました。その後の研究会で、君たちは理論だけをやっていたってだめだ。日本の明治以来の金
融の歴史を考えずに理論を勉強しても足が地につかないじゃないかということを先生から言われたのですが、やはり若気の至りといいますか、私の場合先生のお教えは身に着かずに終りました。そのカードは ー きょうここへおいでになっている吉川さんの弟さんの吉川光治青山学院大学教授が山口門下でありまして、金融史の方を引き継いで勉強して立派な業績をあげていられます。話がややわきにそれましたが、先生の研究にあっては、ヨーロッパ及び日本の金融の歴史が背景にあって、その中でどうして恐慌が起きるかということを先生は、念頭に置きながら金融の理論をお考えになったと思うのです。それが第一の先生の学風の特徴と申せましょう。

   
   山口理論における経済秩序と政策

 第二に、先生の研究には経済理念といったものが強くあらわれているということが指摘できましょう。先生の金融論の基礎にはナチュラルオーダーといいますか、高橋先生のお書きになった文章の中では、「システムといったものを持った経済世界像」といったものを描出しようとしたのが山口先生の金融理論であるということを言われておりますが、そういう一つの理念でもって理論を一貫して眺めていこうという考え方が強く現われております。

 その考え方は、先生のキリスト教的な世界観を色濃く反映したものと言っていいのではないでしょうか。
先生の研究会へ伺っておりまして、研究会の前にいろいろ先生から話題が提供されることが多いわけでありますが、そのとき話題になるテーマとして、例えばフランスの有名なクリスチャンの方がこういう本を出した。それを最近読んだのだけれど、自分としては感銘を強く受けたというようなお話があって、君たちも少しはそういう系統のものを勉強したらどうかということを言われることがありました。

 大学を卒業しましてから中山先生の背広ゼミ、大学を卒業した先生門下生の研究会で中山先生が言われたことで、「最近、ケネス・ボォールディングの全集が出たよ。あれは大変面白い。だから、君達も読んでみたらどうか」ということが想出されます。ボォールディングはクェーカー教徒で、経済倫理という問題を正面に据えて、それで経済学を考えていこうという学風であったので、山口先生と類縁の考え方を持つ学者であるというように私は思っていました。理論家中の理論家といわれる中山先生から、ボォールディングの本を読んだらということを言われた点で私は強い印象を受けたわけです。

 山口先生の場合は、幼少のころからクリスチャンの学校に学ばれ、大学在学中もキリスト教の神父さんのお宅へ寄宿していられたということです。その影響が理論の上に強く出ている。こういう、非常に幅の広い奥行きの深い学問というのは、最近の技術的な面の進んだ学問の系統にとって、貴重な拠りどころを与えるものという感じがいたします。その意味で山口先生の場合は、経済学の背景にキリスト教的な秩序観を内在させていると思います。

 それと裏腹の関係になると思いますけれども、先生の研究はケネー、アダム・スミス、リカード、J・B・セー、
そして最近のケインズという方にだんだん降りてこられたわけですが、基本になっている考えは、フランス及びイギリスの古典派経済学の考え方が強い支柱になっています。

 先生の御本を読んでおりますと、人間生活には精神面と物質面の二つのプラクティカルな側面がある。そういう生活の二つの側面の中で、精神的な側面といったものは自然秩序をあらわしている。それから日常的な物質生活の側面、これは経済学に密着した側面、つまり日常の具体的な秩序というものをあらわしている。この二つの秩序関係といったものの間にギャップが生まれる可能性がある。

 その中でフランスの古典派経済学にあっては、ロングランの時間の推移を通じて、社会の秩序の背景にあるキリスト教的な秩序観、ナチュラルオーダーの存在と働きが強くかっちりした枠を組んでいる。だから日常の具体的な秩序の作用、要するに人間の自由な物質生活に対する欲求の追求を野放しにしておいても、おのずと固い自然秩序の中に収まっていって、この両者間のギャップは消滅する。そこでこのギャップを埋める配慮がフランスの古典派経済学の中では薄弱である。これはキリスト教的な社会秩序観がフランスの経済学の中に強く反映されているからであると、山口先生は推論されている。そして先生自身もそういう考え方がかなり強いように思うわけです。

 それに対してイギリスの古典派経済学の場合はナチュラルオーダーがインビジフルハンド、見えざる手という形に言いかえられています。

 これはナチュラルオーダーが社会秩序の表面からやや後退して、そして具体的な秩序を追い求める日常の物質生活面でのレッセフェール、自由放任の活発な追求といった個人の生活面の方が社会的な自然秩序をある程度動かしながら作用している。しかし、長い目で見てみるとやはり背景に隠れているナチュラルオーダーが見えざる手として働いて、具体的な秩序の働きは、おのずと社会の秩序の枠の中に収まるような傾向がある。これがイギリスの古典派経済学である。自然秩序をあらわしているというのが、経済学の用語で具体例をあげて言えば、例えば価格を考えるとき、ナチュラルプライス、自然価格をあげることができます。これは経済の基本にあるような動き、つまり趨勢的、ロングランの動きで決まってくるようなものである。それに対して具体的な秩序としては日常のマーケットの動きといったもので決まってくるマーケットプライスがあげられます。短期的にはマーケットプライスがナチュラルプライスからはずれて動くけれど、結局マーケットプライスはナチュラルプライスに引き寄せられて、最後にはそこへ落ち着く傾向がある。そこにインビジブルハンドの存在が認められるわけです。この関係から言うと、フランスの経済学に比べれば、やや問題意識といいますか、ナチュラルオーダーと具体的な日常のレッセフェールの追求との間のギャップが
生まれてきて、政策理論の入り込む余地というのが次第にふえてきたと言っていいのではないでしょうか。

 それに対してイギリスの古典派経済学の中でも、時代が下っできて一九二〇年代後半から三〇年代にかけての不況の中でのイギリスの経済学を背負って立っているケインズの経済学になってくると、インビジブルハンドに対する信頼感がなくなってきた。インビジブルハンドが十分に働くような余地というのがレッセフェールの追求に任しておいて成り立つのかどうかというと、これは難しい。だから、やはりインビジブルハンドに代わる政策といったものを考ぇてくるわけです。そして日常のレッセフェールと、それから、ナチュラルオーダーとの間を埋める政策理論の重要性が指摘されて、その政策理論を組立てようとしたのがケインズの経済学である。そしてその傾向をさらに強くしたというのがアメリカのポスト・ケインジャンの経済学であろう。このように山口先生は言われていて、自分の考えといぅのは、ナチュラルオーダーに当たるような発展的均衡条件を、物及び貨幣の側面で見つけようというのが自分の金融論の特徴であるとされています。

 ですから山口先生の金融論にあっては、放っておいては表面に余り認識されえないインビジブルハンドとかナチュラルオーダーといったものを理論の面で追究して、日本の経済ないしは歴史に即したような、そういった自然秩序といったものは一体どういうものであるかということを考えていこうという姿勢が強いといえましょう。

 それと同時に、先生は、古典学派の素養を基盤にもち、しかも生来の生活環境などから受けた影響もあってキリスト教的な世界観に対する強い信念お持ちであったわけですが、学問の側面ではケインズ経済学やその金融論の影響が著しく強い時代に研究を進められる際に古典学派の素養という基礎的立場とケインズ経済学からの影響とを如何に調和させるかに大変苦心されたと想像されます。

 そういう点で先生の理論の中には、一つには規範として均衡的な長期の基準を何か金融論の中に見つけてゆきたい
という理論的姿勢と同時に、その規範からずれるような問題に対して、政策的にどう対応したらいいかという問題についても考えようという政策的な姿勢がうかがえるといってよろしいのではないでしょうか。その意味では、やはり古典派経済学とケインズ経済学の橋渡しをされる立場に山口先生の金融論はあると考えております。

 以上が山口先生の理論の基底にある考え方であろうと思うわけですが、それでは山口先生の金融論の骨組みといったものをどう考えるかといったことに触れることにいたします。

   
   山口理論の基礎的枠組み
     ― 産業的流通図型 ―

 先生の研究は奥行きが深くむずかしくて、簡単に説明するというのは私の力に余るのでして、そこら辺はかなり漏れがあると思いますが、御勘弁いただいて、大づかみの枠組みを述べて行くことにします。

 先生の金融論は「貨幣の循環図型」を中心に展開されています。この循環図型は生産者が旧生産物―旧生産物とは資本設備と原材料でして、それに生産要素を付加、投入して、生産を行う。そしてその生産の結果生産物が産出される。その生産物のある部分は古い生産物の中から減価償却し更新すべき部分と、原材料の消耗した部分を埋める、つまりそういう旧生産物の価値減粍分の補てん部分であり、残りの部分は新しい貨幣所得です。

 貨幣所得の方は生産要素の費用からなっているのです。山口先生の場合はこの生産要素費用の中に正常利潤、つまり企業者が生産の現在状態を変えようとしないような、要するに生産をふやしも減らしもしないような、そういう利潤をあらかじめ想定して、それを含めている。旧生産物の補てん部分を貨幣資本というように先生は呼んでおります
が、それと正常利潤を含んだ要素費用の受け取り分である貨幣所得、この二つが生産の結果生まれてくる。

 そして、この貨幣資本と貨幣所得から構成される生産物は設備資本の補てん部分、及び原材料の補てん部分、生産要素の消費、及び新投資に充てられる。このように生産物はすべて消費的な使用か生産的な使用として市場から姿を消していく。これが財貨・サービスの生産及び流通、そして使用の流れを形成するわけです。それに対してもうー方で金の流れというのが当然なければいけない。この金の流れは二つの部分から構成されています。

 この二つの部分というのは、一つは「生産物流通金融」と呼ばれ、平たく言えば商業金融であり、それともう一つは「新投資金融」という形の貯蓄を生産財の投入につなげていく仲介的な金融を果たす部分。この二つの部分から成り立っているとされています。
    
 では金(カネ)の流れはどういうように流れてくるのかというと、生産者が自分のつくった生産物を商人に売るわけですが、その商人は生産物を購入するときに、生産物を裏付けとした手形を発行して、その手形を商業銀行ないしは中央銀行に割り引いてもらう。その割り引きの結果、企業者及び生産に参加したものに貨幣が供給される。その意味では貨幣は物の裏付けのある、ないしは生産に参加した者の生産物に対する請求権という形で把握される。そうすると貨幣は商業手形の割り引きによって、生産に対して参加した者に貨幣所得と貨幣資本として供給される。そうすると、その中から一部は減価償却の部分として資本設備滅粍の補てん部分の購入に充てられる、設備減粍の補てん部分は商人のところへ流れていく。もう一部は原材料商人に材料の使用した代金の支払いという形で流れていって、その原材料商人が原材料の仕入れを行うために生産物を購入するということで商人のところへ流れていく。そして、あと一般の貨幣所得として流れてきた部分は消費をするか貯蓄をするかである。そして消費をした郡分はどうなるかというと、この部分は当然生産物の中から消費財を購入するという形で商人のところに貨幣は流れていく。そして、あと貯蓄された部分はどうなるかというと、この部分は直接金融で証券市場から有価証券を買ってもいいのですが、先生の場合はわかりやすい図式という意味で投資銀行、つまり興長銀を考え、そこから金融債を買うという形で貯蓄資金は預託される。そうすると投資銀行はその資金を新投資財の資金を必要とする企業者に貸し付ける。その資金でもって企業者が生産財を購入するという形で新しい投資の増大が起きる。その新投資財の購入によって残りの財貨は企業者の生産拡大のための原材料の在庫部分の増大や資本設備の増大という形で企業者の手元へ流れるかわりに、貨幣は商人のところへ還流する。商人に流れていったお金というのは、手形の満期になると商業銀行へ還流して、そして市場から姿を消してしまうというように、生産物がつくられると、その生産物がつくられたと同時に生産物流通金融という形の商業金融が生じて、そして生産物が販売、流通、そして消費、投資という流れをたどる中で、貨幣は逆に、貨幣の供給、流通、還流、そして銀行に対する返済という形で市場から姿を消してしまう。

 このように物と金とが逆方向の流れをたどりながら生産物が生産されると、その生産物の請求権という形で貨幣が市場に流れ込んでくる。それを生産物流通金融と言うわけですが、それが生産的な使用ないしは消費的な使用に使われる過程の中で商人の手元へ還流していくことによって銀行に姿を消していく。そしてもう一段階別に、新投資のために貯蓄から新投資へと仲介する新投資金融がある。だから産業的な金融の循環は二つの部分から形成される。一つは商業的な生産物流通金融であり、もう一つは新投資金融である。

 これが先生の金融論の基礎にある考えで、これをさらにフォローしていきますと、経済が発展的に均衡的に拡大していくための成長金融のあり方としては、生産物流通金融と、それから新投資金融と、この二つの部分に金が円滑に流通していればこれでもって物価が安定した均衡的な経済成長というのが達成できるという先生の理論の展開が可能となります。

 
  山口理論の諸特徴

 次に、先生の理論の特徴に触れて行きたいと思います。
       
 第一は、物(モノ)と金(カネ)とが逆の方向に流れて、生産物の供給、それから販売、流通、そして市場買いに対する使用といったことで姿を消していくのと、逆方向から、生産に参与した経済主体から貨幣が商人の方へ逆に流れてくる。そして貨幣の流れは、要するに貨幣の供給、そして流通、そして還流、そして返済、消滅。こういう形で物が上流から流れてくると、貨幣の方は下流から流れて、そして同時に両方が市場から姿を消していくんだというのが一つの特徴であります。

 それとの関連で、これは高橋泰蔵先生が言われているのですが、山口先生は、貨幣とか通貨という用語をもちろん使っておりますが、物(モノ)と金(カネ)という表現を各所に使われている。最近は物と金という使い方は当たりまえになってますが、アカデミックな学者の本の中で、物と金の流れという言い方をしたのは山口先生が初めではないだろうかと指摘されてます。

 山口先生は大学の専門部の主事をされていて、専門部の教官として商業通論を講義され、その関連もあるかと推測するのですが、量近は一般に使われているTアカウント、T字型のバランスシートを、その論文、著書の各所で使用されている。われわれもよく教室で説明に使いますし、欧米の学者も金融論や経済学の説明の中で使っています。
しかし、Tアカウントを使い出したのはつい最近じゃないでしょうか。山口先生の循環論の図型にT型のバランスシ
ー卜が早い時期に大変うまく使われているということは、ある意味で先生の理論が考え抜いて自分のものにした理論であるということを、これもまた高橋泰蔵先生が申されてます。確かにそのとおりで、非常にこなれた、自分のものにした金融理論であるということが言えるのではないでしょうか。
 
 特徴の第二点というのは、貨幣経済が市民社会中心の自由経済機構で行われているという認識が先生の理論の中核にある。これは古典派経済学の考え方の基礎にある考えだと思います。山口先生は、経済と金融は、貨幣経済が現実の経済に他ならぬという意味では不可分なんだ。これは一体をなしている。その意味で貨幣というのはあくまで市民社会の信頼関係に基づいた形で出てきた貨幣でないといけないという考え方をもっています。

 要するに貨幣というのは実物貨幣ではなくて信用貨幣なんだ。その信用貨幣の基盤は、生産に参加した一般の市民の信頼関係に基いた信用貨幣であるというのが先生のお考えで、それに基づいた理論というのが先生の産業的な金融循環図型の考え方の基礎にあるといえるでしょう。

 それに対して先生は終始、経済と財政は、自由経済機構に対する、公的介入という言葉は使っておりませんが、公的介入ないしは干渉という点で本来適切に結合するものではない、財政はどうしても政治に非常に左右されやすい面があるので、財政を通じて貨幣が経済の中に入り込んでくると、こういう貨幣は細切れ国債的な信用貨幣、つまり国債を貨幣の形に細切れにしてばらまいたような貨幣だから、これは物の裏付けという点では基盤の弱い貨幣である。この貨幣を市民社会的な信用貨幣の中に混ぜ込むというのは大変むずかしい危険な問題があるということで、細切れ的な国債信用貨幣を排除するという考え方を強く主張しています。これが第二点です。要するに、財政に対する不信感が非常に先生のお考えの中では強いし、自由主義的な経済機構の作用に対する信頼度が他面で基調として貫かれているといってよろしいかと思います。

 そして第三の特徴点というのは、貨幣は生産参加による生産物に対する請求権である、だから物の担保を裏付けとした貨幣というのが大事である。しかし、この場合に物の担保を裏付けとした貨幣ということを考えるタイムレンジなんですが、これは余り短期的ではなく、技術進歩とか生産性の向上、を含んだ長期的な経済の発展とパラレルに成長貨幣を供給できるような貨幣体制が必要であるという点です。その意味で先生は、管理通貨制度をその理論の基盤にし、もう一方では銀行相互の信用の円滑な運営を考え、銀行主義的な金融理論を背景にもっていたと言ってよろしいかと思うわけです。

 第四番目の特徴としましては、銀行制度ないしは金融制度といったものを考えるときには、産業金融的な循環が生産物流通金融と新投資金融とに分かれ、生産物流通金融を担当するのは商業銀行である。もちろんその際は手形を再割引きする中央銀行もその背景にあるわけです。それに対して新投資金融の方の担当は投資銀行である。その意味で、金融制度ないしは銀行制度といったものは分業主義的な、ないしは長短分離型の専業的な金融制度、が想定されていたといえましょう。

 五番目には、これもさっき簡単に触れましたが、発展的な均衡表式で長期的な物と金の均衡的な発展の条件、したがって価格水準の安定条件が考えられるおりまして、これは緻密な発展的な均衡条件の表式を計算されています。山口先生は、マルクスの再生産表式と同じような、発展的な均衡条件の表式を研究、工夫されていますが。そこの中では生産財と消費財と公共部門が使用する国需財との問の産業構造の構成比、貨幣所得と貨幣資本との間の関係、所得と貯蓄との関係、こういった関係についてはある程度安定的な条件があって、その安定的な条件が、先生がお考えになっているような発展的な均衡条件に合っていれば、この場合には経済は長期的な安定的な均衡状態を金の面からも物の面からも達成できる仕組みになっている。このような先生の表式は経済の発展的な均衡条件のための総合理論的
な定式化といえます。

 六番目は、ケインズ理論との関係ということになると思いますけれども、経済機構の不均衡が起きたときに、ケインズはこの不均衡に対して、復元力というのが必ずしも民間の市場機構に任していたのではあると考えられないとしています。

 例えば、貨幣所得があって消費が減退し貯蓄が増大するときに、ケインズの場合は貯蓄の増大はこれがすべて投資に回っていくわけではなくて、アイドル、バランセス、つまり貨幣のままで金融債を買いに行かないで、保蔵された貨幣がある。貨幣をアイドルのままで生産機構からはずしてしまうような保有形態が経済循環の中であるとすると、その場合にはどうしても貯蓄は投資につながらずに不況が発生する。貯蓄の増大はケインズに言わせると、必ずしも利子率の下落にはならないし、また利子率が下落してもそれが経済の環境いかんによっては投資の増大につながらない。

 それに対して山口先生の場合は、短期的にはそういう問題が起きるかもしれないが、長期で考えてみる限りでは決して貯蓄の過剰といったことは起きないという考えがある。その意味では市場の自由な機構に対する信頼感があるのです。この場合、消費財に対する需要が減退すると消費財の価格は下落する。そして貯蓄が増大するとその貯蓄の増大は債券投資に向かう傾向が強く金融債の価格が上昇し、そしてその利子率は下落する。その利率下落は長い間には投資にきいてきて、新投資の増大をもたらして生産財価格の上昇が起きる。経済の中で消費財から生産財に対する生産要素及び資源の移転といったものが行われて、経済は価格変化ないしは貯蓄の増大に対応するような順応を果たす。
そういう考え方をお持ちであるわけです。その意味ではケインズの理論を不況の経済学、ないしは貯蓄過剰の経済学と呼ぶとすれば、山口先生の理論は貯蓄不足の経済学で、ですから貯蓄は起きればその貯蓄に対する使い道は多い。
経済発展期にある日本の経済環境をバックに持ちながらお考えになった理論というように思うわけです。別の言葉で
言えばケインズは失業問題を非常に重視したわけですが、先生の場合は新投資の完全利用、フルキャパシティで経済運営して行くことが、これが発展的な均衡表式の条件であるとされたのです。
貨幣を供給するときに、その出発点となる手形割引の基準になる生産物価格はどのようにして決めるのかということが起きてくる。例えば企業者がコストをかなり割高にふっかけて、商人にそれを売り渡す。商人は物の裏付けがあるんだから手形を銀行に持ち込めば、物の裏付けのある商業手形という意味で、物と金との均衡関係は守られているということになる。しかしそういった貨幣供給は一応均衡条件を達成しているように見えても、背景にコストインフレーションが起きないという保障はないと思うのです。


   銀行信頼基盤への山口理論の視点

 先生の理論のバックにある考え方は″セオリー・オブ・トゥルー・ビルス”(theory of true  bills) 「真正手形理論」と金融論の中では呼ばれている銀行主義学派の理論の展開であると私は思います。

 これは話がやや脇道へそれますけれども、山口先生の考え方には、銀行主義的な管理通貨を円滑に行うというときに銀行の自己責任、営利原則といったものが、担保評価といったものを通じて商業手形の評価に十分に及んでくるという有担保原則といいましょうか、ないしは銀行のメインバンクとしての的確な評価といった基盤があって、これが自由主義社会の信用秩序の維持を支えているという認識があるように思います。それが一種の金融社会の信用秩序の基礎構造をつくっている関係を十分に達成できるような社会であれば、この場合には決してコストインフレを招くような不適切な商業手形の発行は行われない。また不良債権化するような手形の発行も当然できないはずだというお考
えがあるのではないか。最近の円の国際化関係でユーロ円問題について有担保原則から無担保主義に対する転換といったことが話題になっておりますが、市民社会の信用貨幣といったものの基盤である信頼関係といったものを考えるときに先生の理論における物の裏付けのある貨幣発行という考え方はなかなか示唆に富んだ奥行きをもっていると思います。

   
   山口理論とマネタリスト理論の関係

 それから、これは先生の理論と最近の理論との対比になりますが、先ほど、アメリカの経済学はその場その場で問題を切る政策的視点に立っていると申しました。つまり長期の問題への対応というよりは、むしろできるだけ短期の政策的な有効活用を追求し、それを迅速に積み重ねて行くという考え方が強くて、できるだけ経済成長率を高めるような財政政策を多用するというのが一九七〇年代のアメリカの経済学、ポスト・ケインジアンの考え方の基礎にあったものであると思うのです。しかし、その行き詰まり、言いかえてみると政策、政策を積み重ねていった結果は経済における財政、公共活動の重視によって民間の活力、市民社会の信頼関係の基盤をなしているような物価の安定といったものを壊してしまって、それがインフレーションにつながり、民間の市場機構においてインビジブルハンドが働かないような経済をつくってしまったというのが一九八〇年代に入ってのアメリカ経済学の反省点ではないか。その反省点をバックにしながらマネタリストが出てきたわけです。このマネタリストの考え方は、長期の「自然失業率」という概念を考えに入れて、この自然失業率に対しては財政は無力である。政府は無力なんだ。これを無理に財政面から公的に押し下げようというようなことがあると、その場合にはインフレーションが起きるだけで自然失業率は一向に減らない。
一時的には減るように見えてもかえってインフレが残るだけである。しまいにはインフレが残って逆に自然失業率を高めてしまう。そして民間経済の復原力がなくなってしまうというのがマネタリストの考え方です。この理論が財政政策に対する非常な不信感、それから金融政策のできるだけ長期的な視点での中立主義、こういったものを強く打ち出しているのは、短期的な日常の政策目標の追求の行き話まりが古典派的な傾向に対する復活を呼んでいると解釈できます。しかもそこで重視されているのは貨幣数量である。貨幣の供給を自然失業率ないしは自然成長率と合うような形で当局は実施し、そこに当局の政策的な判断の恣意性を入れないようにというのがマネタリストの考えですが、これはある意味では山口先生の金融理論の基調に適合すると言ってもいいのではないでしょうか。

   金本位制への視点

 先程、管理通貨について触れ、先生は、管理通貨制度を合理的な制度として位置づけていると述べましたが、それとの関係で問題になりますのは、金本位制を先生はどう考えていられるかということです。特に古典派経済学の背景には金本位制を妥当とする考え方があるわけですが、これに対してどうお考えになっているかということを次に述べたいと思います。

 先生に言わせると、金による売買はそれが行われてしまうとそれで済んでしまい、単独の取引の積重ねである。売り手は商品を渡して金を受け取り、買い手は金を渡して商品を受け取れば、それは単独の取引として完了してしまう。
貨幣数量の増減は金の供給の増減によるものであって財貨供給とは独立である。両者の間は無関係で、その点で経済が発展的に成長していくときに、それと独立な貨幣の供給方式というものは、先生の場合好ましいとは考えられない
というのが金本位制に対する先生の批判点といえるのでしょう。


   国際金融論への展開上の問題点

 先生は、管理通貨制度の基礎的あり方と市民社会的な信用貨幣との関係が重要であるということを強調されている。その背景にある考え方は、管理通貨制度にあっては売買代金の支払いは銀行貨幣による振りかえ決済により、その決済にとっては振りかえ制度としての銀行組織との関係、要するにその基盤にある信頼関係を維持安定さしていく円滑な運用が大変重要であるということである。その意味で賢明な管理通貨の運営ということが必要になってくるわけです。

 ただ、この考え方との関連で、先生が御苦心されている困難な問題点があります。先生は、『国際金融』という御本を出してますけれども、あくまでその基盤は一国経済中心の産業的金融循環図型、つまり一国経済の市民社会的な信頼関係に基づいた信用貨幣の世界といっていい。これを国際経済社会における信用貨幣に拡大していくということになった場合に、果たしてその図型はどうなるのかというのがその難問であるわけです。必ずしも国際経済全体の信頼関係が成り立っているわけではありませんし、それからその上に基づいた国際的な中央銀行、その中央銀行から一元的に発行される国際的な信用貨幣、例えば、SDRというようなものも十分発行されているわけではない。そういう点で国際経済社会に先生の市民社会的な信用貨幣の考え方を展開し、適用するのはなかなかむずかしい問題であり、制約が非常に多いのです。その点で先生の金融循環図型の国際金融への展開が完成されなかったのは残念なことです。
開放経済に対して先生が検討を進められたのはリカードの考え方であるというように私は思うのです。

19

 リカードの経済学の中で国際経済に関連する部分の中、一つは比較生産費説です。これはあくまでバーター、物々交換の経済を前提にし、貿易収支は国際経済的に均衡する。要するに貿易面で売りと買いの均衡関係が必ず成り立つようなバーターの社会がリカードの国際経済理論の一つであろうかと思うんです。これは貨幣のない国際経済論です。

 ところが国際経済関連部分のうち、もう一つは、リカードが『ハイ・プライス・オブ・ブリオン』 (『金地金価格の高騰』) の中で分析している国際金本位制の考え方です。そのリカードの分析からしますと、あくまで国際通貨というのは実物的な貨幣でないと国際的な信頼関係をつなぎとめることはできない。その意味でリカードの考え方を国際経済学に適用していく場合には、あくまで物と金とが国際経済を考えた場合にバランスをとる基準というのは一体何かというと、これは通貨主義になってしまう。要するに二国の貿易収支が赤字になるということは、その国の生産物が不足して貨幣が過剰であるということの証拠である。だから貿易赤字の経済は過剰な貨幣を海外へ放出して、そのかわりに生産物を買ってくるんだ。という意味で貿易赤字経済は金準備を失うことによって貨幣と生産物とのバランスをとる。逆に貿易黒字の経済の方は貨幣に対して生産物が過剰であるから、不足している貨幣を手に入れるために生産物を輸出して、出超にして、その出超によって金準備を手に入れることによ.ってバランスをとる。だから国際経済で考えられている物と貨幣とのバランスのとれた経済達成の構想は、これは貨幣数量説をバックにしたそういった金準備の変動を国内貨幣の発行の基準にする通貨主義の考え方になってくる。

 この点をどういうように山口先生が自分の金融論につなげてくるかについて、先生はこの点を執拗に追究されていて、リカードの理論では比較生産費説と国際金本位制の考え方があって、バーターを基礎とした実物分析と金融論中心の貨幣分析との間にギャップがあるということを指摘し、強く批判しています。それでは自分の金融論を国際経済に適用していくときにどういう基準でもってそれを貫いていくかという点では、先生の理論はリカード批判を中核と
とし、それの展開にはいたっていないように思います。


   フロー分析中心の山口理論

 最後に申し添えておきたい点は、山口先生の理論は、いままでお話しした点でおわかりのように、循環といったことが基準になっております。成長を考える場合も、あくまで循環を基礎にしながら問題を考える。要するに循環といぅのはフローであります。資金や生産物の経済の生産段階での流れは非常によくとらえられているわけですが、その背景に蓄積された資本ストックやウェルスとの関係についての分析、ストック理論としての山口金融論はどうなるのかというと、これはやはり先生の学問が展開された時期がフロー中心で、まだストックはフローの経済に強い影響を与えていなかったという制約もありまして、ストック理論としての金融論といったものに対する展開は、問題点の指摘中心と申せましょう。

 先生御自身がその点について生産物にあらざる土地の売買、企業の生産設備の証券化した株式の売買、社債の売買、耐久消費財の再販売等々、年生産物の流通のための市民社会的信用貨幣の供給だけでは、貨幣供給の不足を招来する。これを補てんする意味で産業的金融循環のための市民社会的信用貨幣以外の信用貨幣の供給がなければいけないという点には触れております。しかしその表式化に関して先生は自分の産業的金融中心のフロー的循環図型にストックの循環図型を加えるというところまではいっておりません。

 これら山口理論の展開未完部分はあくまで、先生の学恩をこうむったわれわれ世代が、先生の理論をどういう形で受け継ぎ、どういう形で展開していくかという問題ではないかと思うわけです。

あと論じたい点、残ってはおりますが、大体時間になりましたのでこれで終わらせていただきます。



   [質 疑  応  答]
      (山口先生に関するエピソードを出席会員より発言あり)

― (昭和八年卒) 最初に触れられました山口先生が明治以降の日本の通貨史、貨幣史について非常に資料を集めておられたという点について私なりの見方を申し上げたいわけでございます。

 山口先生は、日本経済史の幸田成友教授と大変お親しくしておられました。私は幸田ゼミナールで、私の職業は銀行員でございますから両先生の御関係については関心が深いわけでございます。両先生が接触をもたれた経緯の一つとして、山口先生の御説明ですと、東大の牧野先生が講師として来ておられて、三浦先生と、幸田先生と、よく三人で鼎談をしておられた。それが非常に参考になった。そんなところから深く入っていかれたようで、先生が一九二七年に留学から帰られて最初に始められた講義の中にはそれが表面に非常に出てくるんだ。君はその講義を聞いたかとおっしゃるんですけれども、私はそのとき予科の一年生ですから聞くはずもなかったわけです。そんなことを山口先生は言っておられました。

 そのいまの三浦先生と牧野先生と幸田先生と鼎談の件でございますが、この第六回(橋問叢書第六号ご参照) に高橋先生がそのことに触れられたときには、高橋先生は幸田先生ではなくて上田先生とおっしゃった。山口先生のお話は幸田先生である。どちらが正しいかは、もちろんずっと若い格好の私が知るはずはございませんけれども、参考として二つのことを申し上げておきたい。この鼎談が行なわれなくなったのは一九二七年である。高橋先生が卒業されたのは一九二九年である。それから『上田貞次郎日記』にそれらしい記述が全然出てこない。そんなことを申し上げたらいささか御参考になるかと思います。

 山口先生は非常に日本経済史、特に、当然のことですが金融史に非常に興味を持っておられたようです。講義の基盤にはもちろんそれがあったわけでしょうけれども、表面に出てきたものとしては、一九二七年の恐慌論の講義ということをおっしゃっておられます。

 専門部で商業通論の講義をされたということでございました。もちろん私は専門部のことは存じませんけれども、やはり山口先生が一九二七年に帰国されまして、最初に予科の一年で商業通論の講義をされましたとき、こちらの方は予科でしたから私も聞いた一人ですが、学生の間で必ずしも評判はよくなかったようで、山口先生もそれを認められて、あの講義はうまくいかないで学生を引きつけることができなかったということは度々随筆みたいに書かれまして、話してもおられたようでございます。

 幸田先生の山口観ですが、山口さんという方は大変人格もしっかりしておられるし、よく勉強もされ、頭もよくて、将来の一橋を背負って立たれる方であると、そういうことでございました。

― 昭和十二年卒(山口ゼミ) 先生のいまのお話を聞いて、最初皆さんがどなたも、山口先生の話はわかりにくかった。先生自らもそのようおっしゃってました。山口理論についてきょうはうまくお話しいただいたので、私などは多少前から訓練を受けておりましたので、改めて勉強したような次第でございます。

 山口先生というのは神奈川県の大和の御出身で、いわゆる地主の息子でございます。ですからあの人には非常に郷土と土というものがあると思うんです。ですからケネーの「経済表」に非常に影響されていらっしゃるのはそういう関係だと思うし、また余談ですが、そういう関係が増田先生の地域主義の歴史観にもどこか似ている。やっぱりそこ
に増田先生とは非常に通じておられるものを自分でも感じておられたし、絶えず言っておられる。そういうことでケネーの 「経済表」から古典派の経済といって、さっきも触れられた物と金の流れの逆の流れというので散々聞かされていた。ですから、やはり通貨の供給というのは物の流れに最も適合する自然の形態があるので、それに合うようにやるのになまじっかの、管理通貨には違いないけれども、その基本はそういう自然の一つの物の調和に、ナチュラルオーダーという言葉をおっしゃいましたが、そういうものにあるのを、下手に国債を発行だの債券オペだの、頭で考えた形でやったら必ず失敗するぞというようなことを強調されてました。

 それから、私が卒業した十二年ごろから数量景気時代が非常に起きております。そのときには山口先生がもう数量景気という言葉を私に言われた。ドイツ語で(mengen  konjunktur) という言葉から出て数量景気というのを聞きまして、私は卒業論文の序文のところでいまの数量景気論をちようど書いたというのを思い出しました。
                                           (昭和六〇年二月一四日収録)