一橋の学問を考える会
[橋問叢書 第四十二号] 経 済 哲 学 の 現 在 一橋大学経済学部長 塩野谷 祐一
                  ― 左右田・杉村以後 ―

 
 本日はお招きいただきまして大変光栄に存じます。この「一橋の学問を考える会」は、これまでは過去の一橋の学者やその学問を回顧するという形で行われてきたようです。最近になりますと、若い人たちが現代のことをしゃべってもいいという御依頼になっているようですが、やはり今日御出席のような聴衆の皆さんのことを考えるとそうはいかないわけで(笑)、現在を語るにしても、過去め栄光を背景にして現在の活動を意味あるように見せるという形をとらざるをえないと思うわけでございます。

 私は、こういう試みが小さな一橋という一つのムラ社会における単なる回顧談以上の意味を持つためには、二つの条件が必要であると思います。

 第一は、対象とされる過去の学者の業績が公平に見て学界をリードする地位にあったということです。第二は、それらの業績が今日依然として現代的意義を持っているということです。

 この二つの条件が同時に満たされるということはまれであります。学問は進歩し、後に来るものによって克服されていきますから、かつて一世を風靡し、人々の注目を集めた学問も古くなっていくのは当然のことです。

 そこでもう少し立ち入ってこの二つの条件を考えてみますと、第一の条件が満たされていても、現在忘れ去られ、いまさら学ぶ必要もないとみなされている過去の学者、学説は非常に多いのであります。

 こういう場合に、第二の条件として、過去の業績が今日の学問的状況の中でなお顧みられるべきであるかどうかは、歴史的な既定の事実ではなくて、今日学問をやっている人たち自身が現在の学問をどのように評価するかという問題であると思うわけです。現状に不満を持つことが過去への回帰となって現われるといえるでしょう。

 今日、私は左右田、杉村の経済哲学を取り上げようと思いますが、この二人が学界の主導的地位にあったことは疑いの余地のないことであります。つまり第一の条件は満たされています。しかし、今日の経済学界において二人の思
想的業績を知っている人は、直接の教え子を除けば皆無でありましょう。経済哲学そのものが長く忘れ去られていたのです。したがって彼らの業績が現代的意義を持っているかどうかを考える人すら少なくなっていると思います。私は左右田、杉村から直接に学問を学んだものではありませんし、またそれらの業績を深く専門的に研究しているものでもありません。しかし、私は自分の経済哲学的な関心からこれらの先学の貢献を振り返って見ますと、驚くべきほど新鮮な現代性を持っているという印象を抑えることができないのであります。今日は二人の先輩の業績を顧みることによって、現代の経済哲学の中心的な問題を語ってみたいと思います。

 この二人の哲学については、馬場啓之助先生がしばしば書いておられますし、またこの会合でもたびたびお話しをされておりますが、私の解釈、評価・理解は必ずしも馬場先生のものとは同じではありません。

 なお、最初に申し上げて御了解を得たいのでありますが、以下では左右田、杉村というように敬称を省略して呼ばせていただきます。私はお二人に直接お目にかかったことはございません。ただ書物の上だけの客観的な存在として受け取っているわけで、ちょうど夏目漱石とか福沢諭吉と同じように敬称なしに呼ぶのが自然のように思われるのです。皆さんにとっては不快感を覚えられるかもしれませんが、学問的対象として扱っているということでお許しをいただきたい。

   二つの視点

 最初に、私が左右田と杉村の哲学を取り上げるさいの二つの視点について申し上げておきたいと思います。

 左右田喜一郎が処女作『貨幣と価値』(Geld und Wert)を書いたのは、一九〇九年(明治四十二年)ドイツにおいてであります。そして一九二七年(昭和二年)に四六歳の若さで亡くなっております。したがって左右田が活躍したのは明治末期及び大正期であります。杉村は左右田よりも十四歳若いのでありますが、大正十年に東京高商専攻部を卒業し、昇格直後の東京商科大学の助手になり、一九四八年(昭和二十三年)にこれまた五三歳の若さで亡くなっております。したがって杉村は終戦時までの昭和前半期に学界で活躍したことになります。

 言いかえれば、二人がきびすを接して活躍した時期はちょうど二十世紀前半に当たります。この時期には思想界において一つの大きな運動があり、その上に二人が乗っていたということができます。この時期には、十九世紀から二十世紀初頭にかけて盛んとなった実証主義に対する批判と懐疑が支配的になりまして、特にドイツでは理想主義、あるいは観念論、あるいは理念論といったものが台頭しました。

 自然科学のみが学問であるという実証主義の風潮に対して、自然科学だけが学問ではないという考え方が起こり、自然科学に対する精神科学の思想がみなぎった時代であります。リッケルトの書物に『自然科学の概念構成の限界』(一八九六〜一九〇二年)と大著がありますけれども、自然科学だけでは人間の社会を把握することはできないのではないかという思想が高まったのであります。左右田、杉村の経済哲学はこういう時代的背景を持っていたことに注意する必要があると思います。杉村の死後、つまり第二次大戦後、世界的にみて経済学はドイツの学問ではなくて、
イギリスやアメリカの学問によって支配されることになります。もちろん、二十世紀の初頭から実証主義が全然消えてしまったのではありません。戦後再び実証主義が時代をリードするようになります。

 われわれが大学で学んだ頃の戦後の時期には、経済学は哲学から離れなければならない、すなわち脱哲学 (Ent−philosophierung) が一つのスローガンでありました。しかし、一九七〇年代に入って、いろいろな理由から経済学に対する懐疑や批判が高まって参りまして、経済学の根底にあるものをもう一度考え直す必要があるのではないか

という機運が最近強く感じられるのであります。私の話における第一の視点はこういう思想の時代的変遷であります。

 講談社に『人類の知的遺産』というシリーズがございます。その大部分は人名がタイトルとなっており、プラトンとかカントとかケインズというふうに個々の思想家別に一冊ずつ出ております。そのシリーズの中の最後の方に東大の富永健一さんが『現代の社会科学者』という本を書いておりますが、その副題は「現代社会科学における実証主義と理念主義」となっております。これはいま申しましたような二十世紀初頭からの実証主義と理念主義の潮流のサイクルを書いたものです。私の第一の視点は、左右田、杉村の時代は、実証主義への批判としてまさに理念主義の大きな思想的高まりの中にあったこと、そして今日は、それから五十年ないし六十年後に再び実証主義への反省として理念主義的潮流が復活するような環境にあるということであります。
 次に、この話をする際の第二の視点として、もう少し特殊的、具体的な論点を申し上げたいのですが、左右田、杉村はカントあるいは新カント派の哲学から出発し、そのさい価値という概念、及び人格という概念の二つを中心としていたことを指摘したいのであります。カントによれば、認識論においては存在に先立ってアプリオリな価値というものがある。物事を事物に即して把握することなどはできないのであって、存在を知るためにはまずわれわれが先験的に価値を持たなければならない。価値を通じてのみ物事をつかむことができる。他方カントの倫理学においては、目的としての人格、すなわち単なる手段ならざる目的としての人格という概念が中心となっていました。一九七〇年代に入って、道徳哲学や政治哲学を中心として、社会科学に対して非常に大きな影響力を持った学説が出て参りました。それは功利主義を批判するロールズの正義の理論であります。ロールズはアメリカのハーバードの学者ですけれども、カントの倫理学を発展させたものと考えられます。今日の経済哲学の具体的な内容は、カント的な視点から再
構成され得るというふうに私は考えております。この第二の視点については、私自身が昨年東洋経済新報社から出した『価値理念の構造』という書物を挙げさせていただきたい。左右田、杉村の経済哲学がカントを中心としていたとしていたという意味で、私にとって非常に身近かなものに感じられるのであります。

   左右田の文化価値主義

さて、左右田の経済哲学に入りたいと思います。彼の仕事は一口で言えば文化価値という概念、あるいは文化価値主義によって経済哲学の確立を図ることであったと言えると思います。杉村は左右田をそのように評価しています。
社会におけるさまざまな価値の体系を考えてみると、左右田のやろうとしたことの意義がわかるのではないかと思います。左右田はリッケルトの弟子ですけれども、ドイツの西南学派と呼ばれる人々、ヴィンデルバンドとかリッケルトとかいう人々は、もちろん価値を扱ったけれども、その価値の扱い方において、非常に重要な基本的な価値とそうでないものとを分けて、前者の基本的な価値として、宗教的な価値、学問的価値、倫理的価値、芸術的値値、言いかえれば聖、真、善、美といった非常に抽象的な価値を挙げた。これらが非常に重要な理性的価値であるのに対して、様々なこの世的なものとして文化価値があるとみなされたのであります。つまり、前者の価値から派生してくるものとして、あるいはそういうものを実現しようとする様々な活動として文化が考えられ、価値実現の行為としての文化に対して文化価値という概念が考えられたのであります。

 左右田は、人間の活動や歴史は文化創造という価値生活であると見ており、これはいま述べた新カント派の考えでありますけれども、彼の場合に重要なことは、文化の様々な領域における個別の文化価値を並列したということであ
ります。

 先ほど述べたような学問、芸術、倫理のみならず、政治、法律、経済、技術などの文化領域にそれぞれ価値があり、それらは経済的価値とか政治的価値とか道徳的価値と呼ばれる。先ほどの西南学派の考え方は、これらの価値をグループ分けして、一方が高い基本的価値であり、他方の様々な具体的文化価値によって奉仕されるというふうに階層性を持って考えていたのであります。

 経済という領域について言えば、経済生活とか、あるいは経済価値というのは非常に程度の低いものであり、人間が生存のための衣・食・住を満たすために必要な活動であるという考え方は常識とすらなっています。経済活動は、人間がもっと崇高な活動をするための手段であり、やむを得ずこういうことをやっているんだという考え方は昔からあり、倫理や学問や芸術の方がもっと高尚であると考えられることが多いのです。

 しかし、恐らく皆さんも実際の経済活動を通じて御意見をお持ちでしょうけれども、左右田はこのような考え方は何ら根拠付けることができないと論じたのです。いろいろな価値があるけれども、それはみな並列的な関係におかれるにすぎない。経済や法律がより崇高なもののための手段であるというようなことは言えない。すべては同じ次元にある。左右田はそういうことを文化価値という概念のもとに主張したのであって、杉村はこれを「価値の転倒」と呼んだのであります。

 左右田は他のものと並列的な地位に置かれた価値としての経済的文化価値によって、経済哲学を基礎づけようとしたのです。これまでの常識では、経済と哲学は非常に異質なものだと考えられていたのです。哲学は高尚な知的な活動だが、経済は食べるための活動である。この異質な概念を接合しようとしたことがたいへん画期的なことであったのであります。つまり経済哲学は、いま述べた「価値の転倒」という試みを通じて、これまで別の世界にあった哲学と経済とを結び付けることに成功したのであります。

 ここで経済哲学がどういうものであるかを定義しておいた方が有益であろうと思います。杉村が昭和十九年に書いた小さな本に 『経済哲学通論』というものがあります。実は同じ名前の本が彼に二冊あるのですが、これは正確に言えば、『改訂経済哲学通論』です。この書物において彼は経済哲学の分野を三つに分けています。

 第一は経済形而上学、第二は経済論理学、第三は経済倫理学です。つまり根底に経済形而上学というものがあって、これは経済現象の内的な意味を理解する一つの世界観を意味しています。左右田の場合にこれに相応するものが文化価値主義であります。

 その世界観の上に立って二つの分野があると考えられますが、まず経済論理学は今日の言葉で言えば科学哲学です。
これは経済学を構成する論理を追求するものであって、現象の中に内在する意味によって統一された世界の認識体系としての論理を明らかにしようとするものです。

 三番目が経済倫理学であって、これは上述の経済に内在する意味によって規制された経済の倫理を追求するものです。経済制度との関連における道徳哲学と言ってもいいかもしれません。左右田の主要な仕事は、経済形而上学としての文化価値主義を基礎にして、経済論理学を扱ったように思われ、経済倫理学についての研究は少ないのであります。もちろん皆無ではありませんけども、彼の経済哲学の主たる業績は、今日で言う科学哲学の分野にあったように思われます。

   認識目的としての文化価値

 以上は前置きでありますが、実際に左右田の仕事の中から重要な問題を三つ取り上げることにいたします。いずれも文化価値にかかわるものであります。        

 まず第一は経済学の認識目的としての文化価値という問題であります。経済世界を発見し把握し叙述するためには一定の方法によらなければなりませんが、これは世界観に基づくと言ってよいのです。シュンベーターの言葉によれば、理論に先行してビジョンがなくてはならない。この場合のビジョンが世界観に相当するのであります。先ほど実証主義と理念主義という言葉を申し上げましたが、英米系の実証主義では経済世界をどういうふうに見るかというと、経済は法則によって秩序化されていると見る。実証主義では何らかの「法則的秩序」が妥当するような世界が考えられており、そこにどのような経済的メカニズムが働いているかを問うことが問題となるのです。それに対してドイツ流の理想主義ないし理念主義は、世界を「経済的文化価値」が妥当する世界であるというふうに考えます。つまり経済は理想への努力としての人間の意識的な精神活動である。この考え方によれば、自然科学が宇宙を眺めるように、そこに存在している物理的なメカニズムを明らかにするのではなくて、人間のつくり出した精神文化としての活動を価値の生活として見る。したがって経済世界について叙述されるものは「経済的メカニズム」よりは「経済的文化」である。

 左右田は、経済学の対象である経済生活ないし経済行為は経済的文化価値から出てくると見るのです。つまりカント的な認識論に立って、経験がわれわれに何かを教えてくれるのではなくて、われわれがあるアプリオリな概念を持って始めて現実を発見すると見る。そういう認識の先天的な形式があるというふうに考える。

 ある学問が成立するためには、学者の側に主導的な概念、先験的なリーディング・アイディアというものがなくてはならない。その主導概念は何かといえば、これが認識目的としての経済的文化価値なのです。これは一つの規範です。規範にかかわらしめて初めて経済生活というものが認識可能になってくる。こういうふうに見るわけであります。

 このように規範としての文化価値の側から現実を見ますから、経済学は自然科学ではなくて歴史的科学と考えられる。当時、リッケルトの有名な自然科学と文化科学との二分法という考え方が持ち出されましたけれども、左右田は必ずしもそのような機械的な分割には賛成しなかったようであります。つまり、認識目的に照らして素材をかなり普遍化してとらえることもできると考えていたわけです。

 なぜ左右田がこのような認識目的といった方法論的な話をするに至ったかを考えてみますと、実は左右田の出発点は貨幣の研究でありました。彼は、貨幣の分析をしながら、経済学はどういうふうに構成されているかということを考えた。彼はクナップの貨幣国定説を主として批判の対象としたわけですが、クナップによれば、貨幣の根拠は法律的な秩序であった。つまり国家の権力である。経済生活は貨幣の通用する領域でありますから、貨幣の根拠が法律的秩序であるとすれば、経済学の独立性とか自律性、すなわちオートノミーというものがない。一体経済学の認識目的は何か。法律秩序ではないはずだ。そこで左右田は、経済学の学問としての性質は何かということに考えを進めたように思われます。つまり彼は経済哲学の研究に向かったのです。シュンぺーターも実は同じような関心を持って、経済学を経済学たらしめる根底的なものは何かということを考えながら、処女作『理論経済学の本質と主要内容』 一九〇八年)という書物を書いたのであります。

 左右田の『貨幣と価値』に対して、福田徳三は、貨幣と価値と言いながら何ら価値論らしきもの、つまり限界効用
学説とか労働価値説といった中味のある価値論の議論がないではないかという批判をしました。それに対して、左右田は、そういうことが自分の関心ではなく、自分は経済学の根底にあるものを探そうとしているのであると答え、逆に主観価値のように欲望から出発するのは誤った経験主義であるという批判をしたのであります。このように左右田は貨幣の問題から出発して文化価値に至ったのですが、実はその関連があまりはっきりしておりません。後に杉村はその点を批判するのであります。             

   文化価値の根拠としての創造者価値

 左右田における第二の問題は、同じく文化価値にかかわりますが、文化価値の根拠としての創造者価値という概念です。物をつくり出すという創造者です。先ほどの問題が理論とビジョンとの関係であるとすれば、これは個人と社会との関係の問題であります。左右田は文化価値の基礎づけを天才的な創造者の活動に求めたのです。左右田は経済生活のみならず人間の活動を価値生活と見ます。その一般的な価値生活の中心観念として文化創造という概念を考えます。つまり、人間の活動や人間の歴史が意味を持ち価値を持つのは、そこに創造的なことが行われるからである。この文化創造は二つの目的を持っている。それは文化目的と人間目的の二つです。文化目的は先ほどから述べている文化価値に当たるものであり、人間目的に対して創造者価値というものが対応する。そして先はど述べた認識目的としての文化価値の根拠づげは、人間個人としての創造者の価値によっておこなわれる。実は文化価値と創造者価値は、言いかえると社会と個人の関係を表わしているのです。つまり人間が個人として創造的な活動をする場合、それは非常に重要な創造者価値を持つ。個人的人格の主張とか発揮という形で、最初にいろいろな分野で天才的な個人が活躍をする。この創造的成果はやがて社会全体の中で、つまり協同的な社会としての人間関係の中で実現されていく。個人において実現されたものが文化価値として社会を支配するようになる。両方の価値は永遠の極限においては合致するというふうに左右田は言うわけです。しかし、左右田は、この両者は必ずしも現実には合致しないで、平行線をたどるということを強調するのであります。

 彼が創造者価値という概念を持ってきたのは恐らくカントの人格概念を受け継いだからであると思われます。目的としての人格という考え方によれば、人間は互いに他のだれの人格によっても置きかえることのできない、それ自身としての固有の意義と重要性を持つ。それはなぜか。人間は創造的な活躍をする可能性を秘めたものだからです。

 ところが左右田は、文化価値と創造者価値、あるいは個人と社会との間に起こる不一致を強調して、その不一致を非常に悲観的に措いているのであります。つまり天才は必ずしも社会に受け入れられるとは限らない。天才は悲惨な運命に泣き、孤独の悲哀に耐えなければならない。これはどういう分野においても見られ、学問、芸術、倫理、宗教、教育、政治、経済、技術などの分野において、改良、革命、革新を行おうとする人々は、つねに既存の社会を支配している文化価値に反逆するものである。そこに創造性が出てくるわけですけれども、天才は世に受け入れられないというのです。

 ところが、先ほど申しましたシュンペーターの企業者の革新概念を考えますと、まさに世に受け入れられないことこそが、企業者が利潤をもうけるチャンスになるわけです。つまり人々が当たりまえの慣行的活動をやっているのに対して、企業者がだれもやらないような技術や生産物を導入することによって新しい経済の軌道をつくり出していく。
これがシュンペーターの言う経済発展であります。シュンベーターはこれをいろいろな分野において考えており、どんな分野においても発展はそのような指導者の革新によって行われていくということを強調したのであります。差し
当たってここでは二人の類似点と相違点を強調しておくことは非常に興味深いと思います。

   極限概念としての文化価値

 左右田の第三の問題として、極限概念としての文化価値という非常に奇妙な言葉を使った問題を取り上げてみようと思います。

 これは、内容的に言えば、ザインとゾルレン、すなわち存在と当為との間の関係であります。先はど申しましたよぅに、経済生活は経済学の対象であるけれども、それは初めから存在しているのではなくて、観察者が規範的な文化価値という形式を適用して、そこから現実を浮かび上がらせることによって初めて認識可能となるものである。ここに存在と当為、事実と価値、ザインとゾルレンとの関係が問題として出てくるのであります。人々が現実にあることを行っている場合、そこからこうすべきであるという規範は出てこないわけです。
isからought は出てこない。ザインからゾルレンは出てこない。もし事実から価値を導くような試みがあるとすれば、それは哲学の分野では自然主義的な誤謬として批判されるのであります。このように事実と規範とは別のものである。両者の関係としては、むしろ逆に、存在を可能にするものが形式としての当為であると言うことができるわけです。これは認識的にも、また実践的にもいえることであります。

 以上は一面の事実ですけれども、他面においてゾルレンはそれ自身としては無内容のものであるということができます。規範に具体的な内容を支えるものは逆に経験的な存在である。当為は存在から離れでは内容空虚なものである。

 このように見ると、存在と当為とはどちらも互いに他に依存するという相互依存関係が成り立つわけですし、あるいは両者の間に不即不離の関係が出てくるわけであります。もし存在と当為とを分離して、両者が全く無関係であるというふうに割り切ってしまえば、いま述べようとしている極限概念というような工夫は出てこないのであります。存在がある方向に向かって存在している場合、それは存在ですから究極的な目的に近づくことはできない。存在から当為に移るためには、究極的な飛躍が必要である。しかしザインを無限に追求すると、極限としてゾルレンに至ると言うわけです。つまり存在から当為へは無限の系列を通じて初めて到達できる。無限を通じて到達できるということは、決して到達できないということです。いいかえれば、経験的内容を次第にふやしていって、初めてその極限とし先験的な形式に内容を与えることができる。しかし、それは無限において初めて与えられるわけであって、現実には両者は一致するわけではない。

 ザインをいくら積み重ねても、究極的にはザインからゾルレンへの飛躍が必要なのであります。そうかといって、初めからザインが無制約的に存在するのではなく、むしろゾルレンがあって、ゾルレンの方へ近づいて来るようにザインを呼び寄せている。こういう不即不離の関係をとらえようとしたのが左右田の極限概念であるように思うのです。この立場は、一方において、ゾルレンだけ与えて、形而上学的に無内容なことを言うことに反対している。さらに他方において、この立場は、経験主義的に存在を重視して、ここから望ましいゾルレンが出てくるということにも反対している。つまり、形而上学的でも経験主義的でもなく、ザインとゾルレンとの間の不即不離の関係をとらえようとしたところに、極限概念という奇妙な概念が出てくる理由があるように思います。

 しかし、この考え方は単なる比喩に基づいているにすぎないのであります。比喩として次のような例が挙げられています。円の中に辺の等しい多角形を置く。三角形から始めて、その辺の数を四辺、五辺、六辺というふうにふやしていき、これを無限に近づけると円になる。また無限等比級数の系列を考えて、その収斂値を計算する。このような

例によって極限概念が説明されているにすぎない。これは哲学的考察に欠けるのではないかと思います。つまり比喩によって問題を解決したかのように考えているように思われます。

 しかし、この極限概念の思考が言おうとしていることは何かというと、価値と事実との関係をとらえるに当って、結局、形而上学的に抽象的な形式だけでいいというのでもないし、また経験的な内容だけでいいというのでもない。経
験主義的に言えば、超越的なゾルレンは不必要であり、人々の行動を見ていれば結局は何かに収斂する。これが目的論という哲学の立場である。他方で、義務論の立場は、ゾルレンの規定さえ与えられれば、人々の行動がそちらへ寄ってくるとみる。左右田は、どちらでもないということを強調しようとしたのではないかと思います。

 左右田は四十六歳という若さで天折したこともあって、彼の経済哲学の主要内容はほとんど文化価値主義に尽きている。しかし、それだけに非常にまとまりのいい学説ではないかと思われます。


   杉村の経済性原理

 次に、杉村について二つの問題群を取り上げたいと思います。

 彼は昭和十年の白票事件の際の学位請求論文において、経済性原理というものを強調いたしました。これは事件後『経済哲学の基本問題』という書物に収められました。彼の場合、経済性原理は経済形而上学を与えるものでありました。彼は先ほど説明した経済哲学の第一分野である経済形而上学、あるいは経済を見る世界観として、経済性原理を指摘したのであります。その内容は限界効用原理の解釈であって、この原理は、人間の経済生活における実践の根底にある合理的精神をあらわしている。こういうふうに見るわけで、経済原則は自然現象の規則性とは違う。人間が合理的な行動をすることによって出てくる原則である。

 学説史的に言えば、イギリスの古典派が実証主義的な世界観に立って外面的な経済秩序の認識を得ようとしていたのに対して、オーストリア派のメンガーは内面的な実践のアプローチをしたということから、杉村はメンガーを著しく高く評価するのであります。もちろん普通には主観価値学説としてのオーストリー学派をたんに心理主義的に解釈することが多いのですけれども、彼はそうではなくて、人間の個々の主観を超えるようなプロセスを考える。それが貨幣の意義であり、貨幣を通じて主観的な価値評価が客観化されるとみる。こうして杉村は、経済全体を支配する客観的な原則として、経済性原理を位置づけております。彼のこの原理は、今日では、そんなに新奇なことではなくて当然のことと考えられるにいたっております。つまり経済は希少性によって支配されており、人間が所有するいろいろな欲望に対してそれを実現するための資源は限られている。希少性のもとで資源を有効に配分することが効率性であり、これが経済の基本的な原理であるというのが、今日の近代経済学の教科書にも書かれている認識であります。

 杉村は、限界効用原理を人々の財の価値付けの内面的原理として理解するが、同時に、それを基礎にしながら、経済生活は外面的には貨幣という姿をとってあらわれてくることに注目する。つまり内面的法則として財の価値付けの原則がありますけれども、その評価を外面的にあらわすのが貨幣であると見るわけです。つまり経済の評価関係の外面的、客観的な表徴として貨幣をとらえるわけです。こうして、先ほど杉村が左右田を批判した問題点について、自らそういう答えをするわけであります。

 つまり杉村の場合には、文化価値主義に当たる形而上学は経済性原理であり、外面的に貨幣という尺度によって規定される生活の分野が経済生活であるというふうにして、内面と外面とを結び付けようとしたのであります。貨幣はしばしば交換の媒介であるなどと言われますけれども、それは副次的な意味にすぎないのであって、貨幣は内面的な
価値付けの外的表現であるというふうに考えます。これが経済形而上学に関する杉村の議論であります。


   杉村の社会理想主義

                                   
 杉村における第二の大きな問題群は社会倫理であります。左右田の文化価値主義に対して、杉村は自らの立場を社会理想主義と呼びます。ソーシャルなアイディアリズムです。そういう立場をとることによって、杉村は左右田の立場を批判するわけですが、左右田がリッケルトなどの西南学派の立場をとっていたのに対して、同じく新カント派の中に入りますけれども、マールブルグ学派のナトルプにしたがって、こういう名前を掲げたのであります。

 杉村によれば、文化価値主義は社会的な制約を考えないで文化理想を考えているにすぎない。また文化価値主義はカント的な人格を重視するけれども、それがどういう社会的な文脈や機構の中で実現されるのかというプロセスを考えていない。したがって杉村はカント的な人格概念を実現するような社会機構を考えようとしたと考えられるのであります。これが彼の社会倫理学、あるいは先ほどの言葉で言えば第三の分野としての経済倫理学を主導する考え方であります。つまり協同体としての社会の倫理はどういうものであるかということを考えようとしたのであります。これが彼の本当の博士論文のテーマであります。それは昭和十三年の『経済倫理の構造』という書物ですが、そこでの課題は、経済性原理という形而上学的あるいは世界観的な認識を基礎にして方法論や認識論を展開するのではなくて、社会における倫理的規範、あるいは制度の持っている倫理的な意味を問うということでした。これは左右田が認識論ないし論理学の方に重点を置いたのと違っております。

 こうして、杉村は従来人格主義が経済や制度機構から切り離され、抽象的普遍的に考えられていたことを批判し、これを社会的場の中に持ってこようとした。これは、考えてみれば、左右田がいろいろな価値を平面的に並列して考えたことの一つの帰結であると思います。つまり倫理的な価値を具体的、社会的なものから切り離して、高いところで議論するのをやめて、これを社会と同じ平面に持ってくることによって、倫理的な人格が社会的文脈や機構の中でどういうふうに実現されるかが問われることになったのです。杉村の言葉で言えば、「場の倫理」というものです。
人格は社会的な場の中で規定されている。だから人格を抽象的に論ずるだけでは意味がないのである。彼はむしろ経済の合理性あるいは経済性こそまさに経済倫理そのものであるとまで言い切るわけであります。私はこれは言い過ぎであると思いますが、杉村は、先はどのような経済の意味としての経済性原理は同時に近代における経済倫理であると見るのであります。

 私は、杉村よりも左右田の方がずっとレベルの高い仕事をしたというふうに思っておりますが、テーマとしては杉村の方がずっと経済学に近い興味ある分野を扱ったというふうに思います。私の杉村評価は次のようなものです。私はいま彼の取り上げた二つの問題に触れましたけれども、第一の世界観の問題と、第二の社会倫理との関係が十分に整合的でないように思うわけです。

 第一の問題についての杉村の見方は、経済の意味を希少性あるいはそれを基礎にした効率ないし合理性という概念に求めるものであって、彼自身の言葉でいえば、経済性原理という経済観であります。ところが彼が第二の問題として、実際に近代における資本主義の倫理を問い、あるいは資本主義の後に来る制度の倫理を問うた場合には、平等とか人権といったような社会主義的な観念が社会倫理の内容として考えられているのです。効率性が資本主義のある局面における経済倫理であることは彼が強調するとおりですけれども、彼自身においても次第に社会主義が自分の思考の範疇として出てきて、それを社会倫理の一つとして考えるようになっているのです。それは今日の福祉経済につな
がる考え方でありますけれども、実はこの社会倫理は、彼がとらえた経済性原理という世界観ではけっして取り扱うことができないものであります。つまり経済の効率性からは、平等とか福祉という考え方は出てこないのです。彼は心情的には社会主義とか福祉経済の問題を社会倫理として考えたのでありますけれども、その問題を基礎づけるに足る哲学的あるいは世界観的な基礎を欠いていたように思います。

   左右田とシュンペーター

 以上では左右田、杉村の取り上げた問題を簡単に取り扱いました。皆さんがご存知の二人の学説に比べれば、大変わずかなことしか申し上げませんでした。とくに杉村については簡略にすぎたかもしれません。
さて、現代の問題を述べる前に、シュンペーターを引き合いに出したいと思います。以上で左右田を論じた際にシュンベータ迄若干触れましたが、シュンペーターは現代の経済学の尺度を超える大きな存在であって、むしろ現代の経済学に対する批判的存在とすら考えることができるように思います。

 そこで改めてシュンペーターに照らして左右田を考えてみたいと思います。左右田はシュンペーターより二年早く生れています一八八三年はマルクスが死に、ケインズとシュンペーターが生れた年でありますが、それより二年前に左右田が生まれたのです。ですから左右田とシュンペーターはほぼ同時代人であり、どちらもドイツの学界で育ったのであります。シュンペーターは一九〇八年の処女作理論経済学の本質と主要内容」において、左右田の『貨幣と価値』と同じような問題意識を持って、経済学をどういうふうに建設すべきかとをたずねて非常に大きな方法論の書物を書いたのです。左右田がこのシュンベーターの本を読んだかどうかははっきりしませんけれども、シュンペー夕ーの方は左右田の『貨幣と価値』を読んでいるのであります。シュンベーターは若いころ、ウィーン大学の経済学雑誌『ツァイトシュリフト・フユア・フォルクスヴィルトシャフト』に数年にわたって、一度に近刊書を十冊ぐらいずつ書評していました。一九一一年の雑誌には左右田の『貨幣と価値』の書評がのっています。ただしほかの学者の書いた本についての書評に比べて、左右田の本についての書評はずっと短かく、二十行たらずで、雑誌の一ページの半分ぐらいしかありません。これは何故かといえば、ほかの書物はすでに名前の確立した偉い学者の書物ばかりであって、左右田はまったく無名の学者であったに違いありません。これは左右田のチュービンゲン大学における博士論文です。無名の学者の書いたものであってみれば、大家の書物と比べて書評が短かくなるのは当然でしょう。シュンペーターの文章を全文御紹介いたしましょう。

 「このような学位論文はめったに現われるものではない。ここには非常に優れた思想的活動が含まれている。著者は一歩一歩の中に、若干一面的ではあるけれども、根本的な哲学的、経済学的認識を示しているばかりでなく、きわめて称讃に値する程度の正しい洞察と理論的才能を示している。この書物は長く読むに値するものとして残るであろう。
最近ドイツにおいて書かれている貨幣理論に関する研究の中にはつまらないものが多いが、本書はその部類のものではない。この書物は主として貨幣現象の本質という問題にかかわっており、恐らく必要以上に哲学的な言葉を使っているけれども、心理主義的価値理論に基づいて貨幣価値という事実に関しておしなべて正当な叙述を与えている。著者はクナップの国定学説に対する批判者であり、その論駁はうまくいっている。ただし彼の積極的な叙述には、彼の用いている概念の影響を受けて、若干マイナス面がある。経済的事実とは関係がなく、実際に使用できない社会的価値という概念を用いていること、および社会学的な序論が思弁的な視野を与えていることがそれである。」

 シュンペーターは思弁的な哲学が嫌いであり、そのために本格的な理論経済学を哲学に走りがちなドイツの学界に21

確立することに苦労したのであるが、そういう傾向が上述の書評の中にもよく出ていると思います。明らかにシュンペーターは実証主義・反哲学主義の立場にあり、左右田の理念主義とは対照的であります。しかし、理念主義と実証主義とは逢う方向に向っているというよりも、同じ方向に向いながらも、物事に接近するさいのレベルの相違であると思うのです。そういう相違は先ほどの富永さんの書物によくまとめられていると思います。左右田とシュンペーターとの間には哲学的なアプローチと実証的なアプローチとの相違はあるけれども、問題のつかみ方が非常に似ているという点を申し上げたいのであります。

 そこで、シュンペーターのレベルに置きかえてみると、左右田の言ったことは次のようなことではないかと思うのです。第一に、様々な文化価値を同じ平面に置いて、その間にランク付けをしないという「価値の転倒」は、シュンペーターの場合には、経済のみならず、政治、芸術、文化などのさまざまな社会領域が相互依存の関係としてとらえられていることに相当する。その全体の発展を彼は社会的文化発展と呼ぶのです。社会が異なった領域に分かれているのは思惟的な加工にはかならなず、学者があるアプリオリな理念を持って、それを現実に当てはめて初めて領域の区別が出てくる。左右田の認識目的としての文化価値というものに対応するシュンベーターの考え方は、理論をつくるにはまずビジョンなり、イデオロギーが要るという考え方であります。それぞれの分野がなぜ一つの学問対象として成立するかといえば、その領域に自律性をもった秩序が成立するように、研究者の側にあるアプリオリな形式が用意されているからである。

 各領域において自律性を可能にする内容は何かというと、先はどの左右田の場合には、それは剣道者価値という概念であった。彼は文化創造を各文化領域の中心的な概念として規定し、さらにそれを創造者価値によって根拠づけようとしたが、シュンペーターはそれと同じように、各領域はそれぞれ革新を実行する指導者によって担われ、それが行われないときには一つの均衡的秩序によって特徴づけられているとみる。指導者は既存の秩序を破壊して新しいものをつくり出す。それは学問においても経済においても同じである。シュンペーターによれば、均衡的な秩序と創造的な発展とが各分野の静態と動態とを規定している。左右田の場合における極限概念というのも、シュンペーターにそくして言えば、均衡的な秩序があった場合、革新的な創造者が出て来てそれを破壊し、新しいものをつくり出し、それがやがて経済全体に普及すれば一つの新しい秩序ができ上がるという関係を示しているのです。その秩序ができ上がるまでは、異端者の方は既存の秩序に照らして非合理的な存在と考えられるのであります。前にも申したとおり、左右田はこのギャップを悲劇的なものとして描きすぎた嫌いがあります。逆にいえば、シュンペーターは成功的な革新のみを強調したことになります。


   左右田と現代科学哲学

以上では同時代人としてのシュンベーターと左右田との関連を申し上げたわけですが、左右田に欠けているものもまた明らかであります。左右田が死んだころ、ヨーロッパでは大きな実証主義の革新運動が起こりました。一九二〇年代、オーストリアのウィーンを中心として、ウィーン学団と呼ばれる哲学者の集団が現われ、論理実証主義の運動が確立したのであります。これは十九世紀的な実証主義に対して、明確な方法論的、哲学的基礎を与えたもので、今日的な科学哲学の分野がこれによって確立されたのです。科学哲学の分野では論理実証主義以後目覚ましい発展が行われました。論理実証主義は検証可能性の基準によって、知識の正当化を図るわけでありますが、これは言い過ぎであって、理論というものは実証によって正当化できるものではない。

 そこで戦後、論理実証主義に続いてポッパーの反証主義が唱えられるようになります。ポッパーの科学哲学は、実証主義の極端な立場を修正して、科学は検証によって理論を正当化するのではなく、反証によってのみ知識を棄却しうるだけであって、反証に耐えたものが正しいわけではない、という。

 その後クーンという学者が一つの立場を提起しました。今日パラダイムという言葉が流行していますが、その言葉をはやらせた人であります。彼は『科学革命の構造』という書物の中で、科学者集団によって共通に持たれる理論的枠粗み、仮定、技術などをパラダイムと呼び、パラダイムのシフトによって学問の歴史が形成されていくと考えるのです。さらにクーンとポッパーとの両方をつなげたものとしてラカトスの方法論があり、また方法論というようなものはもう世の中にはないのだというファイヤアーベントのアナーキー主義の科学哲学などが展開されています。これらは、先ほどの言葉で言えば、経済論理学とか認識論ですが、左右田、杉村には明らかにこの系譜の要素が欠除しています。先ほど左右田は認識論に重点を置いていたと申しましたけれども、それはリッケルト的な観念論に終わっていて、理論の実証とか正当化という問題を全然扱わなかったのであります。

 しかし、いま述べたような論理実証以後の科学哲学の発展は、実は実証主義だけでは不十分であって、世界観的な要素あるいは価値生活としての知的活動という視点がどうしても必要だということを明らかにしているのです。つまり、ドイツ理念主義の要素が論理実証主義の批判という形で入ってきているわけであります。もちろん、ドイツ理念論だけではだめですけれども、論理実証主義を土台にしながらその極端さを修正する形で理念主義が取り入れられてくる。左右田や杉村には経験主義的科学哲学の基礎が抜けていますけれども、それをわれわれが持っているとすれば、もう一度その中に左右田、杉村の世界観的な主張を取り入れる余地と必要がでてきているわけであります。


   現代の社会倫理の課題

 最後に杉村の現代的意義について述べると、彼の主要な関心事は社会倫理、経済倫理でありましたから、現代の社会倫理の問題は何かということをここで考えることになります。実は経済学が対象とする経済世界については、杉村が考えていたようなものが長く支配していたわけです。つまり、経済は効率性の原理が支配する世界である。効率というのは何に対しての効率かというと、それは人々の持っている目的や欲求に照らして初めて考えられるのです。人々の目的や欲求を実現するのに必要な手段である資源は限られていますから、欲求の充足に対して資源をできるだけ効率的に配分することが経済の基本的な要請である。これは杉村の言うとおりであります。しかし経済学が答えるものが効率だけであるならば、それは非常に二面的であります。
 
 希少性から出発した場合、実はもう一つの問題が経済の世界に存在するのです。資源が希少だから効率的に資源を配分しなければならないと同時に、資源が希少だからそれからつくられたものをどういうふうに人々の間に公正に分配するかという問題が出てくるのです。生産的効率と分配的正義とは、実は同じ稀少性原理あるいは経済性原理の二面である。ところが経済学は正義の問題を価値判断として排除してきたのであります。

 今日の大きな社会的問題は、いずれも効率と正義との関係をめぐって展開されているといっても過言ではないのでです。社会主義の思想も実はこういうものであったわけです。経済的な合理性に対する人間的観点からの反発は、多かれ少かれこうした正義の観点に根ざすものであります。効率が効用という概念を基礎にしているのに対して、正義は権利という概念を基礎にすべきであると思われます。そしてまさにこの権利の基礎として左右田や杉村によって重
視されたカントの道徳的人格という概念が生きてくるのであります。先はど申しましたロールズの正義の原理は、カントの道徳的人格を社会的文脈においてどのように実現すべきかを論じたものであります。彼の原理は功利主義原理の非人間的な帰結を批判し、それに代えて新しい正義論を展開したのであります。杉村は社会倫理を扱う際に功利主義を論じております。彼は功利主義を社会功利主義という言葉で呼んでいます。しばしば功利主義は誤って個人的な利得の追求というふうに解されるので、彼は社会という名前をつけているのですが、功利主義はもともと社会全体のことを言っているわけであり、自分だけの利益の追求は利己主義と呼ばれるのです。功利主義は利己主義とは明らかに違い、社会における個々人の効用の集計を最大にしようというものであります。個人が自分の利益を追求するという原理はけっして功利主義ではありません。杉村のいう社会功利主義は本当の功利主義を示すものにほかならないのですが、実は功利主義は非人格的な、非人間的な要素を含んでいるものであります。

 功利主義は、どういう社会制度をとるべきか、あるいはどういう政策や行動をとるべきかを判定するに当たって、社会全体の効用の集計値が大きくなるようにしようというものです。これはたいへん民主的であるように思われますが、しかしある一人の人の利益を全く抹殺しても、全体の利益が大きくなればいいと考えるのが功利主義であります。
カント的な人格主義から出発するならば、一人といえども全体のために人格を否定することは認められない。功利主義は個々人を一人ー人計算に入れていて、民主的であり、個人主義的であるように見えますけれども、功利主義においては個人というのは満足の容器にすぎないのです。ある行為とか制度をとった場合に、それによって人々が自分の容器の中にどれだけの満足を得るかが問題となるが、その満足は大きな社会的プールの中へ投げ込まれてしまう。
全体の集計を出すときには、だれの満足かわからなくなってしまう。そうなると、全体の満足さえ大きくなれば、個人がどんな犠牲を蒙ろうと、それは望ましいことであると判断されるのです。こういう意味での効率主義の欠陥を克
服するものが人格主義から出発した正義の理論であります。功利主義は効率主義にほかならないわけで、全体の集計値を大きくするということは、GNPを大きくすることと同じ効率主義であります。

 効率主義あるいは功利主義の基礎にあるのは、個々人が単なる満足の追求者であるというホモ・エコノミカス(経済人)の想定です。それと異なるモデルがカントの道徳的人格であります。

 経済学は二十世紀に入り、特に第二次大戦後非常に実証主義的な傾向を強めて参りました。つまり哲学から離れ、規範を論ずることを避け、できるだけ実証的に事実を尊重するというアプローチをとってきたわけであります。もちろんこれは正しいわけで、現実の経済を見ずに哲学を論じても経済学にはなりません。また前近代の経済学のように、何をすべきかという政策的なプログラムばかり考えていて、経済体系の法則性を知らずには学問にはなりません。ですから、脱哲学および脱規範は正しいのであります。しかし、経済学は依然として実践の問題に答えなければならない。また意識していない場合が多いのですけれども、経済学は現実を把握する際に何らかの哲学的な観念を持っていなければならない。だから経済学は規範や哲学から逃れることはできないのであります。それにもかかわらず経済学者は哲学や規範を軽視しがちです。それから逃れることができないにもかかわらずそれを軽視しますから、非常に誤った考え方を規範に対して持ったり、片寄った哲学基礎を持つわけであります。杉村が描いたような経済性原理によって貫徹された世界は、一面にすぎないのであって、他面において、正義の支配すべき経済像が忘れ去られてきたのであります。合理性とか効率性は目的・手段の関係として技術的に扱えますので、経済学はその関係に重点を置いてきたのであります。しかし、経済性つまり希少性の反面は、′でき上がったパイをいかに分配するかという問題です。
社会制度のもたらすさまざまな便益や負担をどういうふうに分配するか。たとえば、大学にはどういう人たちが入れるのか。普通には成績のいい人が入るけれども、成績のいい人は何も入る必要がないという考え方も可能です。成
績の悪い人こそ教育されるべきであるという考え方もありうる。いろいろな社会的なパフォーマンスやベネフィットをどういうふうに人々の間に分配していくかという取決めは正義の問題であって、けっして効率の問題ではない。そぅいう問題が忘れ去られるようになった基礎的理由を改めて考えることが、今日の経済学の重要な仕事ではないかと思うのであります。時代がたてば先人の業績は古くなっていきますけれども、経済学の方がうまく時代に対応していなければ、先人の業績は現代性を帯びて立ち現れてくるように思われるのであります。

 御清聴ありがとうございました。
                                       ― 了 ―
                                      (昭和六十年五月三十一日収録)


塩野谷祐一
   昭和二十八年名古屋大学経済学部卒業。
          昭和三十三年一橋大学大学院経済学研究科修了。
          一橋大学経済学部助手、専任講師、助教授を経て、現在教授。
主要著書   『福祉経済の理論』(日本経済新聞社)
           『現代の物価』(日本経済新聞社)
          『価値理念の構造―1効用対権利』 (東洋経済新報社)
訳   書

          シュンペーター『経済発展の理論』 (岩波書店)
         ケインズ『雇用・利子および貨幣の一般理論』(東洋経済新報社)