一橋の学問を考える会
[橋問叢書 第四十六号]        現代財政論のフレームワーク    一橋大学経済学部教授 石 弘光


    はじめに

 御紹介いただきました石でございます。

 「一橋の学問を考える会」というのが随分前から発足したということは漏れ伺っていました。如水会報で拝見いたしますと御年配の方々つまりわれわれから見ますと長老先生のお話が中心のようでありまして、われわれ若僧の方にはなかなか回ってこないと思っていたところでございます。そういう意味できょうは、その先生たちに比べますと若い世代を代表して、学問論みたいなものをさせていただきたいと考えております。

 一橋の財政学の伝統については、私の恩師の木村元一先生、それから同じ恩師に当たりますが大川政三先生がこの会で一、二度お話しでございます。そして資料が回っていると思います。そこで、過去の話を経験浅い私から述べるのはもうやめにしまして、私自身が財政学を始めてからこの方どういうことが起こったか。あるいは今後どういうことになるであろうかということを中心にして過去三十年はどの財政論の学問の系譜を少しお話しさせていただきたいと思います。

 学部の学生から財政学を始めたといたしますと、ほぼ三十年近く財政学をやってきたわけで、一九五〇年代の後半から六〇年代、七〇年代、そして八〇年代のちょうど真ん中まで、約三十年ほどの時の流れに従った財政学の発展、そういうものがやはり私の一番支えになっていたわけでございます。その辺の特徴をお話しいたしますと、きょうの論題でございます「現代財政論のフレームワーク」と言ったような内容になるのではないかと思います。

    
    財政学研究者の三つのグループについて

 そこで一橋で財政学を担当しております順番から申しますと、私はちょうど四人目でございます。井藤半弥先生は私が学部の学生の頃学長であられまして、もう講義をお持ちでございませんでした。残念ながら私は直接に名講義を聞くチャンスを持ちませんでした。木村先生の門下でございますので私は井藤先生の孫弟子ということになると思います。大川政三先生とは兄弟弟子とこういう観点になると思います。そこで一橋の財政学の伝統というのは、まさに井藤、木村、両先生がおつくりになり、それを大川先生が発展させたわけでございます。

 そういう学風と比べますと、私がやってまいりました仕事はどうも大分違うという感じがいたします。井藤先生は財政学の方法論を確立され、日本に財政学というものをしかと基礎を築かれました。木村先生は、カメラリズムというような学問的基礎に立ってそれをさらに二層発展させ、特にドイツ流の財政社会学といったものを財政学の中に入れられた。

 それを受けて大川先生は、英米流の新しいところも入れられて財政と政治の接点を探るということに全力を挙げてこられたと思います。

 そういう御三方の、私の前の諸先輩と比べますと、私がやってきましたのは、一言で申しますとアメリカの影響を大分受けた。そういう財政学であり、かつ実証分析というものをテコにして財政現象を考えようということではなかったかと。そういう意味ではドイツの財政学とはかなり違ってまいりました。言うならば、近代経済学的な教育を受け、それを利用して財政現象というものを分析してみようということです。それから、コンピューターの発達もございましたから、それに即応した形で実際のデータを集めて財政現象というのをビビッドに描き出してみたい。そういう意味では身近にある日本財政というのが素材であったと、こういうことでございます。
実はこれは一九五〇年代後半以降からの財政学会の大きな動向ではないかと思いますので、この二点。つまり英米流の財政理論、それから、実証分析。この動向を振り返って御説明いたしますと、現在の財政学の現状、動向がおわかりいただけるかと思います。そこで以下これにつきまして逐次御説明を申し上げます。

 まず一言で申しますと、井藤先生、あるいは木村先生の御講義を聞いた方々がここにいっぱいいらっしゃると思いますが、あの重厚壮大なフレームワークに比べますと、現在の財政学はよく言えば理論的、悪く言えばこまかすぎるところをちょろちょろやっているという感じがいたします。財政学会というのがございまして、その中の研究者をあえてグループに分けると次の三つになり、その三つ目に私が属しているのではないかと思います。

 一つは、伝統的、あるいは正統的財政論と言われる方々でございまして、率直に申しまして御年配の方々がここの主流でございます。ということは若い層の関心が余りございませんので人数の上ではどんどん減っていくのはやむを得ないことかと思います。したがいましてカメラリズムなり、財政社会学なり、ワグナーなり等々のドイツ流の学問体系というのは、いま財政学界の中では小さくなっているという感じがいたします。

 第二番目が、恐らくマルクス経済学の系譜を受けたマル経的な財政論だと思います。大学によってマルクス経済学が盛んな大学でマル経的財政学で御活躍になっておられます方もございます。しかし率直に申しましてマル経自体がいま―怒られるかもしれませんが ー ちょっと衰退ではないかと、われわれの側から見てそう思っております。近経かマル経かといったような対立が昔ございました。マスコミでも大分騒ぎましたが、この頃そういう話も出てこないというのからうかがえますように、経済学というとやはり英米流の俗に言う近経というのが主流ではないか。アメ
リカへ行って近経つまり、モダン・エコノミックスなんていう言葉は実はないのであります。これでよくわれわれは困りますが、経済学と言えばわれわれの言うモダン・エコノミックスのことです。マル経は、恐らく学説史なり思想史の中では重要な地位を占めると思いますが、理論とか政策の面においては、やはり発言がだんだんマイナーになってきた。そういう意味では財政学においても、マル経財政学者の方々の数はまだいられますけれども、やはり伝統的、正統的な財政論と同じように中心的ではない。第三番目において述べます近経的実証派、理論派に比べますと大分少なくなってくると思います。

 第三番目が、最近の若い人の主流でございます。近代経済学のマクロであるとか、ミクロであるとか、あるいは厚生経済学であるとか、そういう分析用具を使いまして財政現象を理論的に説明したい。と同時にそれを実証のベースに当てはめて検討したい。そういう勢力が次第にふえておりまして、恐らくこれが遠からず主流になると思います。

 この理由は幾つかあると思います。私どもが受けた教育というのは英米流の近径から始まっておりますので、外国に学問に行くときにはやはりアメリカになり、イギリスになる。ドイツ語、フランス語はどうも苦手の連中が多いものですから、どうしても英語になるというようなこともあったんでしょう。次第次第にアメリカの影響を受けて、そういう学問体系として日本の財政学界も成長してきたということでございます。ただ、アメリカの影響が余りにも強過ぎると私は思っております。ヨーロッパの学界に出ますと、やっぱりヨーロッパのいいところの学風はまだいっぱい残っております。その吸収度が日本では少し足りないというふうな感じはいつも持っております。


    財政学の経済学化とその生成過程

 さて、そういたしますと近経的なものを使って財政学を研究しようというとき、一口で申しますと財政学の理論化ということが生じます。あるいはこれは財政学の経済学化ということでございます。恐らく一橋の講座もそうでございましたが、財政学というのは経済学部の中に講座があったわけですが、一般の経済理論、あるいは経済学とはちょっと趣を異にした形で別に独自の学問分野を誇っていたと思います。つまり原論であるとか、政策であるとかいう、その同列に財政学のエーリアというのがあって、そこで井藤先生、あるいは木村先生の財政学の講義が行われていたわけです。が、財政学の経済学化という現象が起きますと、果たしてそういうふうに別掲して財政学の固有の領域を維持できるかというのが実は問題になってまいります。きょうの結論もそこに持っていかざるを得ないのですが、そういう意味では一般の経済学の中に財政学がだんだん吸収されてきたと言わざるを得ない。そういう現象がございます。

 と申しますのも、財政学の起源、オリジンからずっと見ますと、そういうところに必然的にいかなければいけないという流れがあったからだと思います。よく言われておりますが財政学には二つの源がございまして、一つがカメラリズム、官房学でございます。これは言うなればドイツの領主国家から出てきて、国家をいかに管理するかという国家論と結び付いた財政学でございます。これは日本の、恐らく伝統的な財政学のバックボーンであったはずです。

 もう一つは、古典派の経済学。自由市場というものを背景にして政府というのがいかにあるべきか。その根底に恐らく安価な政府、あるいは夜警国家と言われるようなアダム・スミスの財政論があると思います。そういう二つの系
譜が戦前ずっと主流を占め、恐らく戦後の初めまでこれでずっときたと思います。ですから財政学界は、古典派財政論とカメラリズムというものを研究される方で、戦前なり戦後の初めの方は主流を占めたと思います。そこに大きな波紋を投げかけましたのが一九五九年に出ました、マスグレイブの『財政理論』という本でございます。訳本が三巻にまとめられ出ておりますが、これが投じました影響というのは恐らく財政学界におけるケインズの革命に匹敵するようなものが当時あったのではないか。つまり専門家の間でありますが、そういう感じがいたしております。

 と申しますのは、この書物のねらいは過去の財政学の研究というのは余りにも歴史的、制度的に偏している。これはやはり科学としてやや後れているのではないかという問題提起があったわけです。当時外国貿易論、あるいは国際経済学。そこでは制度的、歴史的からきたにもかかわらずすでにかなり理論化が進んでいた。その理論化の水準まで財政学を上げたいというのが一九五九年に出ましたマスグレイブの書物でございます。

 要するに理論化というのが財政学の分析においても非常に重要なんだという問題提起をされたわけであります。私はちょうどそのとき学部の学生で木村ゼミに入ったばかりの頃でございます。一九五九年の暮れでありましたか、一九六〇年の初めでしたか、日本にその書物が入ってきました。これは非常に厚い本でございまして、いま思いますと五百何十ページある大著でございます。何を思ったか木村先生は私にそれを読めということでございまして、訳本も当然ございませんし、解説書もない頃、それを毎週一章ずつ読んでは報告する。その頃、大学院の学生時代にもかかってそれをやっていたわけでございます。そういう訓練を受けた書物が私の学問の根っこにある。そういう経済学的に財政現象を理解しなければいけないと、そういう教育を木村先生がしてくれたわけでございまして、そういう形でおのずから私の前におられました三人の先生方とは違った方法論違ったやり方で財政学を勉強したということになったわけでございます。その後の経過は、やはりマスグレイブが示唆していましたような経過になってまいりました。

 財政学というのはやはり経済学の一応用分野という格好に次第になってきたという感じがいたします。

 と申しますのはどういうことかと申しますと、恐らくドイツ流の財政学であったときにはパブリック・ファイナン
ス(Public Finance)という言葉が―いまでもございますが―財政の意味でありました。つまりパブリックは公
げでありファイナンスというのは資金を調達するという意味でありますから、。公けに資金を調達するという租税論を中心にした学問体系が恐らく伝統的な財政学の問題であり、そこに固有の領域を誇る財政学という学問体系があったのであります。したがいまして経済学者という呼び名と同様に財政学者というカテゴリーがあり、これを誇らしく思い、私は財政学者だと、こう思ったわけであります。

 私が初めてアメリカに行ったとき、一九七一年でしたが、アメリカには財政学者という言葉がすでにございませんでした。それと同じようにいま日本において財政学者と言われるような言葉遣いで説明できるカテゴリーの人がどのくらいいるかというのは、御年配の人を除きますと大分少なくなってきた。あるいはだんだんいなくなってきたという感じがいたします。これはひとえに財政学というのは経済学の中の一つだからあえて財政学者ということはないので、経済学者と言えばいいだろうということに尽きるわけでございます。そういう意味ではこれはいい悪いは抜きにいたしまして、財政学が広い意味の経済学の中に吸収されてきたのだろうかと思います。つまり固有の学問領域というものが独自に誇れなくなる何物かが出てきたということでございます。これは恐らく経済社会の変化だろうと思います。そこでドイツ流のパブリック・ファイナンスという伝統的な財政学の領域が次第に英米流のパブリック・セクターの経済学というふうに変わっていったと思います。つまりパブリック・セクター・エコノミックスとか、単にパブリック・エコノミックスというアメリカの影響を受けたものに変った。パブリック・セクターが戦前に比べれば圧倒的に大きくなり、量的にも質的にも大きくなり、単にファイナンスのことだけやっていたのでは政府の経済活動は
わからないという時代の要請がその背後に当然あったわけでございます。恐らくそれはケインズの影響が多いと思います。

 私、マスグレイブの財政理論を研究してきたわけですが、その前に学部の卒業論文というのは、やはりケインズ流のフィスカルポリシーでした。言うならば財政によって景気をどう安定させるかといった学問に実は興味を引かれて勉強を始め、そしてそのマクロの理論を使った財政に、さらにミクロであるとか厚生経済学とかいうものを入れた、いわゆる財政理論というのに次第に関心が移っていったわけでございます。ケインズの影響というのが、恐らくマスグレイブが出る前からすでに財政を、パブリック・セクターとしてとらえ、一国経済の中に押し込めようというか、一国経済の中でパブリック・セクターを議論しようというそういう動きがあったわけであります。つまりパブリック・セクターがあるからにはプライベート・セクターがあり、そこの相互連関ということが重要な関心になるわけであります。実はこの学問的な体質というのが最近の財政学の研究者の数をふやし、あるいはゼミテンの数が驚異的にもふえたということに尽きるかと思います。つまり俗な言葉で申しますと財政学が少し若者に魅力のある学問になったわけです。こういうことを言うと古い先輩に怒られるかもしれませんが、これは事実でございまして、私が木村ゼミに志願したときにはゼミテンたった五人しかおりませんでした。あのとき井藤先生はいらっしゃらなくて、まだ大川先生がいらっしゃらなかった頃ですから財政学のゼミ、というのは一個しかなかったです。それで学生が最初四人来て、あと一人で五人。そのぐらいのウェー卜しかなかった。これはひとえに、木村先生がここでお話しになったシリーズを拝見したときに、税金のイメージがあったと御自分でおっしゃっていますが、事実そういうイメージが財政学にはあったし、それからカメラリズムとか、古典派財政論とか言っているけど何かよくわからなかった。何かドイツ語を読まされそうだという話もありましたし、やはりそのとき一番財政が人気がなかったといいますか、学生の関心を引かなかったのは財政赤字がなかったということだと思います。均衡財政だったわけです。均衡予算というのは財政が、要するにじっとしていればいいという話でありまして、そうマスコミの種にもなりませんでした。ケインズ流に財政赤字をいっぱい出して景気刺激をせいなんていう話も当然起きてきませんでしたし、そういう意味でやはり当時の学生気質から言っても、世の中で少し騒がれている学問の方がいいというようなことがあったんだと思います。そういう意味で当時正統的財政論を主流にいたしました財政学に対しては学生の人気がなかったというのもやむを得ないと思います。

 話は飛びますが、いまは恐らく財政学というのは一番人気のある学問ではないかと思います。これは門前市をなすと言うとちょっとオーバーですが、いま財政学の講座が三つあります。私なんか十何人もとても指導しきれんということで十人にしておりますが、少なくとも経済学部の学生が二百五十人いれば、潜在的に百人以上は財政学を志望するんじゃないでしょうか。ゼミナールで全部収容できるということならば。そのくらい財政学に関心が集まってきた。それだけやる領域がいろいろある。

 例えば社会保障のこと、公共投資のこともやらなきゃいけない。最近はそれこそ外国との関係で税制を議論しなきゃいけない等非常に広がって、それが現代の経済社会に対して密着に関係ある。絶えずそれが新聞紙上、その他マスコミを賑わしているということでございまして、いまの俗に言うファッショナブルな学生には極めて魅力のある学問になったようであります。

 そういうわけで私が受けた頃の財政学というのは、因果関係で財政現象をとらえて、それを数式で関数形にあらわすなんていう発想がまだない頃ですから、学問の体系としては、はっきり言ってそう洗錬されてなく、文章で書かれたものの論文が圧倒的に主流を占めた。恐らく、数式が出てくる、あるいは図が出てくる、表が出てくるといったた
ぐいの分析というのはそれほど多くなかったわけで学問のフレーム自体が随分違っていたと、このように思います。
それで私はそういう意味で全く違った方向から学問に入ったわけであります。いわゆるケインズ的な財政政策という形のものから入ったわけで、言うなればマクロ理論でございます。木村先生のイメージというのはそういったところとかけ離れたところに学があったわけでありますから、おまえは木村門下の鬼っ子であるということを随分学界でも言われておりました。そういう意味では直接学問の内容に従っての御指導というのは、うけてきませんでした。しかし当然のことですが、学問のあり方なり、学問に向う姿勢というのは、これは厳しく仕込まれたのであります。そういう意味で師と同じことをやらなかったのが非常によかったのではないかと今にして思っているわけです。なかなか乗り越えられませんから違ったところで勝負するのがいいと思いまして、私のゼミテンにも、みんな、おれのやっていることをやらない方がいいと指導しているわけです。一種の分業の方が学問は発達いたしますから、違った角度からまた違ったコメントをもらうのが学問の進歩につながるわけです。そういうわけで私のやっていることを即やるという大学院の学生もおりませんで、その辺はおのずから私の意が通じているようでございます。

 私個人の問題に戻りますが、決定的に財政学の勉強で影響を受けましたのは、ちょうど一橋のスタッフになってから四、五年目にアメリカへ行く機会がございました。二年ほどミシガン大学に滞在したことです。学生で行かなかったものですから研究室で本を読んでいたのが多かったのでありますが、そのときのアドヴァイザーがガードナー・アックリーという方で、確かジョンソンの頃大統領経済諮問委員会の委員長をしていました。極めてポリシーについての見る眼、つまり純粋な財政理論ではなくて、マクロ政策を使った景気調整機能等、いろんな形のマクロの政策の中で財政がどういう役割りを果たすかをみる眼を養うことができました。当時ケインジアン対マネタリストという論争が華々しく行われた時期でございまして、その中にいて、言うなればこのアメリカの恩師からそういう経済の実態を
見て政策を打ち出す眼をいろんな形で指導を受けたというのが、私の学問にとって非常に有益でした。


    マクロ財政論からミクロ財政論へ

 さて、そういうわけで恐らくマクロの理論を主流にいたしました財政論というのが一九七〇年代の末までは主流であったと思います。あくまでケインジアンというような話で言うことは、財政によって景気を刺激しよう。あるいは景気の行き過ぎを引き締めようといった形の一国経済と密着した形の財政政策論が当時流行していたわけでございます。

 ところがいまはどうか。財政の経済理論化という視点から申しますと、いまは大分様変わりになってきたと思います。先ほど、近経に比べてマル経がどうも衰退気味だと申しましたが、近経の中でもミクロ経済学に比べてマクロ経済学というのは大分最近、特に財政の面におきましては衰退気味でございます。

 と申しますのは、マクロというのは、結局個々の市場を細かく分析するわけではございませんで大ざっぱな話でございます。大ざっぱな話というのはあるところまでやりますとこれ以上やっても、マクロの意図がなくなるわけですから、何か壁にぶち当ったと申しますか、そういうことが起っています。いま新しい学問分野として合理的期待形成ということも言われておりますが、そういうことを生かし、マクロではまだまだ純理論的には面白い問題があると思います。いま申しました合理的期待形成というのはそもそも財政政策が無効だという話でありますから、そこを突っ込んでいくと自縄自縛であります。そういうことでこの辺、いま学問的にはマクロ財政政策は一寸下火のようでございます。

 ところがそれに比べまして一九八〇年代に入りましてからミクロ経済学をベースにいたしましたミクロ財政論といぅのがいまや極めて人気を集めております。特に若い研究者の関心はマクロよりミクロであります。これはひとえに公共財の分析であるとか、あるいはこれが出てきました背景には、恐らく高度成長の後の公害であるとか、あるいは環境問題であるとかがあります。こういう政府セクターでの様々な現象、あるいは市場の失敗と申しますか、それが実は現代的な問題と結び付いたということがございます。つまり市場経済だけではできない領域で資本主義経済がいろいろ問題を持ってきたということです。公害にしても環境整備にしてもそういうことでございまして、価格付けができないけれども市場の外で起こっている経済現象が様々な形で社会問題として吹き出てきた。そういうものに対して財政学がどう役に立つか。それを契機にして公共経済学というものが出てきたわけでございます。その辺の時代の要請もあって、個々の経済自体の構造を分析しようという意味で、租税の方もマクロで見るよりはミクロの個々の租税の個々の経済効果といったようなものがミクロ財政論です。これがいまや主流になってきたということでございます。そうするとミクロの分析の一大特徴はかなり数理的なモデルをつくって数理的な検討に耐え得るということでございますから、やはりアメリカ流の学問体系から教育を受けた人が若年の研究者に多いわけでして、そういう意味で数理的なモデルの財政理論というのがこのごろ非常に華やかでございます。そういう意味で学問もだんだん世代交代が激しくなりまして、昔、自然科学は非常にに若手でいい研究業績を挙げるというようなことが言われ、社会科学は五十を超えなきゃだめだろうというような話をしていたわけですが、いまは全くそれはうそでありまして、五十近くになるともうだめです。一線からのリタイヤ-でありまして、学会に行っても大体座長をやるかコメンターをやるかで、直接の報告者にはなかなかお呼びがかからないというのも、最近どこの学会でもそうでございます。

 特に理論経済学会なんか行きますと四十代前半ぐらいで、それを超えますと全くリタイヤーという感じなきにしもあらずでございます。財政学はそういう意味ではまだ年を取った学問でありますが、ミクロ財政論の連中がどんどん出てきますと、全く経済理論学会と同じような系譜になってくると思います。

 そこでいまこの人たちが関心を持っているのは最適課税論(Optimal taxation) ということであります。つまりオプティマルというのは非常にむずかしい概念なんですが、一体租税の公平なり、あるいは配分状況がオプティマルという視点から見てどういうのがあるべきであるかという議論をかなり抽象的なレベルでする。私あたりから見ますと、余りにも重箱の隅を突っつく的なところの議論も出てきたし、人工的過ぎるし、現実との遊離が余りに進み過ぎているのではないかという感じがいたしますが、しかし理論家というのはとことんまでやってみて、行くところまで行ってもう一回振り返るという作業も必要だと思います。事実もうそういうところまで行っているのかもしれませんが、今後どうなるかちょっと興味のあるところであります。

 そういう関係でありまして、さっきヨーロッパの方を見習うべきだということを申しましたが、日本の学界という
のは大学院時代にアメリカに渡って博士号を取ってくるというのが、経済学の分野で圧倒的に多い。そういう人たちが日本に帰ってきて主要な大学に入って日本の学界をリードしていますから、どうしてもアメリカ的な影響を受けやすい。ヨーロッパの学会に出ますとアメリカの評判が非常に悪いです。あんなゴテゴテした数式だけ使って何がわかるか。やっぱりポリティカルエコノミーが経済学の原点なんだから、もうちょっと現実に近い線で議論しないと政策提言もなかなか出てこない。したがってアメリカの学者が報告するセッションには余り人が集まらないというのがヨーロッパの学会の特徴でございます。これは理解できないということが一つあると思いますが、それなりに自分たちのスタンスがしっかりしているというふうにも言えようかと思います。

 そういう意味で私は個人的に若い人にも言っているのでありますが、経済学というのはやはりヨーロッパに出てき
た学問ですから、そのよいところをもう少し入れるべきではないかという感じがいたします。

 そこできょうお話し申し上げます第一点の財政学の経済理論化という点のまとめをいたしますと、現代財政学の体系というのは恐らく次の二つなり三つの核があると思います。

 大きく申しますとミクロ的側面、それからマクロ的側面であります。ミクロ的側面というのはさらに分けますと、ノーマティブ。つまり規範的な学問体系であるか、それともポジティブ、言うなれば実証主義的なことであるか。実証の意味はちょっと違いますが、言うなればデーターを使ったりなんていうことではなくて、実際に起こった経済現象をいかに説明するかというようなポジティブの意味で使っております。つまり経済効果みたいなことです。それに比べて規範的という意味はどうあるべきかという姿を探すという意味でございます。そういうときに厚生経済学を使ったり、価格論を使ったりという既存の学問分野を通して財政現象というのを整理したいというのが、恐らくミクロ財政論の一番の問題意識になっているんだろうと思います。

 したがって税制であるとか、公共支出であるとか、社会保障。こういうものは社会的に見て本当にオプティマルなレベルがどこにあるかなんていうことが、規範的な分析のねらいでございます。ポジティブな理論というのはそうではなくて、租税というのは一体転嫁がどうであるとか、あるいは公共支出というものが支出されるとどういう効果が出てくるか。つまりインフレになるのか、あるいはデフレの阻止に役立つのか等々の議論でございます。

 それに比べてマクロの財政理論というのは、実は私の見るところ財政学の問題領域からは次第に遠ざかりつつある。つまり別の学問領域に吸収されかかっているのではないかと思います。別な学問分野と申しますのは安定政策という学問分野。つまり財政政策、金融政策、あるいは公債政策、あるいは公債管理政策、全部入れますが、マクロ経済政策という学問分野が出てきました。これが安定政策という言葉でときどき語られておりますが、そういう中にどうも
ケインズ流の財政政策は含まれてきております。

 したがいましてアメリカへ行きますと・パブリック・ファイナンスという講義にはもうこのマクロ財政政策の議論
は登場してまいりません。最近のモダンパブリック・ファイナンスというようなテキストブックにも、このマクロの
領域は全部落っこちているケースが多いわけであります。

 と申しますのは、マクロの経済学を使いました財政理論というのは、ほかのマクロ経済政策の金融政策、財政政策、公債政策等と一体化して別の分野の方で活動していると、こういう感じがいたしております。したがいまして、これから少なくとも現時点における財政の主流はこのミクロ財政論ということでございまして、財政が市場経済、あるいは市場の外に対してどういう影響を与えるかという点が非常に緻密な理論的なフレムワークで議論されているわけであります。

 これがいま私が申しました一九五〇年代以降の財政の一つの大きな流れだろうと思います。


    現代財政論に於ける実証研究

 さて、もう一つの流れは、実証分析。言うなれば統計、データを使いましていかにエンピリカル、経験的に実際の現象が動いているかということでございます。恐らく昔の財政学者であれば、租税負担が重いとか軽いとか、あるいは累進税率がこうだ、ああだとかいうことは口ではおっしゃっていたんだろうと思います。その重要性も十分お認めになったと思いますが、それを日本の所得階層でどうだとか、あるいは日本とアメリカを比べてどうだとか、租税負担というのが一体どの階層に何パーセントぐらいの割合でかかっているかという実際の実証研究まではおやりになら
なかったはずであります。この種の関心が出てきたのは私の世代から以降だと思いますし、ある程度計算機なりコンピューターなりに対してアレルギーがない世代でないと、こういうことはなかなかしにくいということであります。

 そこで御承知のように、実証研究というのは一橋大学のお家芸であったわけであります。特に一橋の経済研究所は日本の実証分析の草分けから今日まで高いレベルの研究を続けているわけでございます。

 御存じのように経済学というのは最初ドイツを中心とした大陸、それからアメリカからの輸入学問になりました。したがいまして昔は横縦時代と言われましたように、大体横のものを(外国語)ちょっと縦(日本語)にすると本になったり、講義の中身になったりする。いまは横縦では通用いたしません。われわれの仕事も英語にしてまた送り出さなきゃいけませんから、横縦横になっては、これは業績になりません。そういうこともあって、いかに外国の理論なり外国で言われていることが日本に通用するかしないかという視点。そこで実証研究というのは重要なわけです。
特に日本経済というのが世界で注目を浴びていますから、日本経済論というのは実は輸出財になってきたわけです。

 話がちょっと飛びますが、昔、日本の学者が海外で勝負できる分野というのは二つあったんです。一つが数理経済学者であります。これは語学のハンディもあったんでしょう、数理経済学というのは黒板に書いていますと大体共通の用語ですからそれで済むということもあったと思います。それにしても優秀な数理学者が外国でどんどん活躍して、いまでも活躍しております。

 もう一つは、最近は日本経済論という分野で日本経済がどう歩んでどこに問題があるかというあたりが、これまた海外で注目を浴びているわけです。その草分け的な時代から実証研究で様々な業績を挙げているのが恐らく一橋大学。特に経済学部もそうでございますが、経済研究所の方の諸先生方の仕事であったと思います。まだ完成しておりませんが、いま一番注目されているのは明治以降の国民所得統計の推計であります。これは「長期経済統計」のプロジエクトといわれ、二十何年続いてまだ完結しないのであります。始まった頃私が大学院の学生でございまして、そのプロジェクトに入れていただいたんです。そこで一種の実証研究のトレーニングを受けて、つまりデータというのはどう扱うか。ないデータはどこから探してくるか。出てきたデータをどういうふうに整理、加工、それを実証の分析に載せるかということをそのときいろいろ修業を積んだのがその後の私の仕事に非常に役立ったということでございます。そのとき大川一司先生とか篠原三代平先生という方々に御薫陶を受けたわけでございまして、直接の学問的影響というのはこの両先生から受けたものは非常に大きいと私は思っております。

 そこで経済学の実証分析というのは日本経済論の分野で行われておりまして、労働市場であるとか、あるいは輸出市場であるとか等、一般の経済現象の方に実証分析の手が伸びたわけであります。日本財政の方の実証分析というのは極めて後れておりまして、そこにいろんな形で介入できたというのは非常にタイミングよかったと私自身思っております。つまり単に抽象的な概念規定だけしておりましても財政現象の理解というものは十分でない。そこを、例えば戦後の日本の経済の実態に合わせて、例えば租税負担が一体どのくらい高まったのか、あるいは公平に負担させているのか、あるいは最近でありますと財政赤字がいっぱい出てきますので、財政赤字というのが本当に過去の景気の支えに役立ったのか等いろいろ問題があるわけでございます。そういうものを実際のデータを付き合わせて仕事をしようという、その行き方というのが恐らく一つより大きな分野であったわけでございます。

 最近は大学より、どっちかといいますと日銀であるとか、経済企画庁であるとか、あるいは野村総研、三菱総研等の民間のシンクタンクあたりで大型コンピューターを入れてかなり労働集約的に実証分析をやっております。そういう意味では大学が少し後れ気味でございます。つまり大学のシステムというのは小回りがきかないので、予算の面でも人手の面でも、あるいはソフト、ハード含めていろんな設備が自由に使えないということがあります。最近は実証
分析もかなり後れをとるようになってきているような気がいたしまして残念に思いますが、これも時の流れかと思います。

 そういうわけで実証分析というのが、いま日本だけのことを申しましたが、外国の方も非常に盛んでございまして、結局のところ理論的な仮説を立てて、それをいかにその国、その国の経済データを使ってその仮説を検証するか、という形の分析が実証研究の一番重要なところでございまして、これは各国で非常に行われております。したがって抽象的な理論モデルだけで、特に財政現象みたいな応用面では終わらない。そこから引き出すいろんなことは実際のデータに即応してやろうということになってきているわけであります。実はこれが政策論と極めてよく結び付くわけでございます。英語で申しますと Po1icyーoriented な議論になるわけでございまして、例えば租税負担が重いんだとか軽いんだとか、不公平というのも、口で言っているだけではだめでありまして、いつの時代こうであっていまこうなったから、いまこうしろよという形の数字というものを付き合わせて議論するということが非常に説得的になるわけでございます。そんなことで実証研究の成果というのが現代財政論のもう一本の大きな柱になっているというふうに私は考えております。したがいまして計量経済学の知識はある程度不可欠でございます。

 先ほど、理論が行き過ぎてどうも現実から少し遊離しているんじゃないかというようなことを申しました。実は実証分析の領域でも同じことが言えると、私は最近考えております。それはひとえに大型コンピューターの発達でございます。と同時にプログラムが極めて複雑なものでできるようになりましたし、それから安価にできるようになった。そこで昔みたいに仮説を立ててそれを実証するためにデータを集めていろいろはじいたということはもうやめにして、まず最初に、何かわけがわからないけどとりあえずデータをぶち込んでみて出てきた結果から解釈しようという逆のことをやっております。つまりコンピューターに使われているわけです。そういう面が非常に出てきたというところがどうも実証研究の行き過ぎではないかという感じがいたしております。昔はタイガー計算機という手回しの計算機があって、その後いろいろモンローだとか、フリードマンだとかいう電動のこれまた手でたたく計算機がありました。仮説の検証と言っても一番確率の高い、最も説明の付きそうなモデルから、われわれは時間をかけかけやっていったわけです。いまはそういうことを二分、三分であっという間にできるわけです。何もそういった経済的センスを必要としないで自分の実証研究ができるという時代になった。これは少しコンピューターの行き過ぎた結果ではないかという感じがいたします。

 と同時に、一人の研究者の手で及ばないような大きなモデルを組み、言うなれば共同作業というのが一般の特徴でございます。と申しますのは、企画庁なり、日銀なり、官庁エコノミストと言われる人たちの業績が高まり、そういったチームによる生産性が高まったということでございます。それから出る生産性には大学の一個人の研究者ではとても太刀打ちできない。大学は講座制があったり、建物の制約があったり等々、とても二人ぐらいのチームは組めても二十人、三十人のチームを組んでそういったことはできないということでございまして、その辺の体制を変えませんとますます差を開けられるのではないかという心配をいたしております。

 したがいまして、本当に実証研究をやってその辺の学問分野をしたいという人は、大学にとどまるより、いま申しました役所なり、民間の研究所で自由にその辺ができるという方に行くという傾向がなきにしもあらずでございます。それはそれでいいかと思いますが、ちょっとさびしい気もするなという感じです。そういうわけで、財政現象というのも生の情報から集めたということが、恐らく現代財政論の第二番目の柱としてあるのではないかと、このように思います。そして実証研究の過程で、また財政学の独自の分野がなくなりつつあるのではないかと思います。私はこれを悲観して言っているわけではなくて、当然の結果と思って言っているわけでございます。つまりモデルを組むとき、
恐らく政府セクターだけのモデルを組んでも意味がない。ほかの民間の家計なり企業を入れたセクターと当然リンクして、言うなれば連立方程式体系みたいに組むわけでありますから、財政学者といえど民間のいろんな金融なり、労働市場なり、あるいは家計の消費行動なりがわからなければ、そういった財政の分野のモデルも組めないわけであります。したがいましてこの頃財政学者と言われる人は、労働のこと、金融のこと、国際貿易、特にいまマクロ経済学も閉鎖体系ではなくてオープンマクロと言っておりますように、外国セクターを入れてやらないと話にならない。外国貿易のことも知らなきゃならないということで、学問分野を浅くではありますが広くカバーしないと財政学の研究自体ができないということになってきております。そういった意味で、財政現象も経済の現象の一部であるというとらえ方をされ、したがって先ほど、理論的な流れの中で財政学者というのがなくなってくるんじゃないかと同じように、この実証分析の中でも財政学者、あるいは財政学の、特に研究している実証研究家のカテゴリーもだんだん減ってきたという、あるいはそういうものはそもそもなくなってくる可能性が十分にあるわけでございます。現にアメリカでは若手の財政学をやっている人でも、労働のところでいい業績を出したり、金融のところでまた何かを言ってみたりということで方々飛び回っているという感じでございまして、恐らく私より一世代下の財政学から上がってきた人たちも、それをやらないとちょっと太刀打ちできなくなるのではないかと思います。

    現代財政学の経済学化と時代的背景

 さて現代の財政学というのが経済学の中に入り込み過ぎたと申しますか、入らざるを得なかったということは、何も理論家がいけない、あるいは実証研究家がいけないんじゃなくて、僕はここ三十年の問の財政現象そのものが大きく変わったということにひとえによっていると思います。

 と申しますのは、政府のやる仕事の守備範囲が非常に拡大したということに尽きるわけです。戦前の政府の仕事といまの政府の仕事を比べますと、その守備範囲の違いは歴然であります。恐らく戦前政府がやる必要のなかったことまでいま政府は当然やらなければいけません。この一番いい例が福祉だと思います。あるいは教育だと思います。あるいは補助金を使ってほかの個別の産業を育成するといったたぐいのことは昔もあったと思いますが、あくまで従たる地位にあったのが、いまや主たる地位に回っている。それがないと、要するに財政政策というのは成り立たないという時代になった。つまり福祉国家であれ、ケインズによる景気刺激政策であれ、こういうものはいまや政府の本来の仕事になりつつあるわけであります。そういう意味で経済、財政の実態がそれだけ広がったということをフォローする意味で、財政学の方もそれに従って勉強もついていかなければいけない。

 一番いい例は公企業の問題でしょうね。あれは恐らく昔は財政学の領域でそんなに大きく幅をきかせていなかったと思いますが、公企業の問題、やはり政府が公企業というのをつくってどんどんやります。したがってそれに対する回答も学問的に求められるという意味で、公企業の財政論みたいなものも当然、つまり公共料金の決定なんていうのも重要な課題になってきたというわけです。

 ただ、イギリスのサッチャーとか、アメリカのレーガンとか、日本の中曽根さんも入るのかもしれませんが、いわゆるスモールガバメントということ。行革、財政再建等々というのは一つの大きな世界的なうねりとして出てきています。一たん広がった財政の守備範囲を縮小しようと、そういう方向が現実的になってきました。しかしこれは学問的に影響を与えるほどの意味はないんだと思います。つまり民間でやるべき仕事、政府でやるべき仕事。これをどうするかというようなことを恐らくわれわれが求められると思いますが、一たん広がってしまった仕事を現に政府がや
らなくなったとしても、これは絶えずそうあるべきかどうかというのは学問的に議論しなければいけない。学問的には守備範囲は広がったままだろうと思います。

 それから、ここ三十年間、いま福祉がふえたという話をいたしましたが、もう一つ一番財政学が関心を持たれ、今後経済学化された財政学の評価が定まるのは財政赤字の問題だろうと思います。この財政赤字の問題といいますのは、戦前からずっと歴史的にはあった。まさにナポレオン戦争あたりから、ずっと前からあったわけです。大体第二次大戦前までは財政赤字の蓄積というのは大して大きな問題ではなかったはずであります。
 
 つまり、大体猛烈なインフレでなくしてしまう。財政赤字がたまって非常に問題になった頃何となく戦争が起こり猛烈なインフレになり、国債の残高というのは事実上帳消しになったというような経過がございます。歴史的に見ますと、財政赤字の蓄積が大きな問題になるという、そういう長い時間がなかった。ところが今後はそうはいかない。当然のことながら、戦争を起こして財政赤字をなくすなんていうことはいけませんでしょうから。財政赤字がたまっていった先ー体どうなるかというのは、恐らく日本のみならず世界のあらゆる国の財政運営に絡む、あるいは一国経済に絡む問題で、これぞ財政学の領域、あるいはマクロ経済学の領域で解決しなければいけない大きな問題だと思っております。したがって、私は、これから大学院に入ってくる若い学生に、特にこの辺を中心的に勉強せいというような話もしているわけです。

 それから、財政学の守備範囲が広まったというのは量的に財政赤字がふえたというほかに、やっぱり国際的に一国の財政運営というのが非常にリンクし合い出したということでございます。租税の分野で申しますと、タックスハーモナイゼーションという言葉がございますように、一国だけ、何か一人だけ、ほかの国を見ずにやっていいということでもないという話になってくると思います。法人税率の税率一つにしましても、ほかの国が四五%だったら日本はどうだとか、あるいは三〇%に下げられたから日本はどうだという現象がすぐ出てまいりますから、そういうことが恐らく大きな問題として登場してこようと思います。

 こういうわけで財政現象そのものが変わったことを踏まえて財政学の学問分野も変わり、かつその中身が理論化と実証化の方向にきたというのが、私のきょう一番強調したいことでございます。

 そこで、これは悲観して言っているわけではございませんが、財政学という学問体系の主体性は次第になくなるだろうと思います。つまり私が一九七〇年代の当初アメリカに行って財政学者というカテゴリーがなくなったと同じように、私の下の世代あたりから恐らく財政学者というようなことで自分の専門分野を説明するような、そういった言い方というのが一般的でなくなるというふうに考えております。

 ということは逆に言えば、財政学者は―私、自分では財政学者と思っておりますけれども―いまの財政学者はやるべきことがどんどんふえてきたということでございます。つまり公債が出たが故に金融もカバーしないと財政赤字の消化の問題がわからない。それから、国と国の国際的な結び付きが出てきたから、したがって国際経済学もわからないとできない。特に所得税減税、公共投資拡大なんていう内需拡大というのがどういう意味を持つかと言えば、経常収支の黒字が問題だとか、あるいはドル高円安の問題だとか等々すべて絡んできています。そういった意味で財政学という昔流の家計的均衡だけの小さな範囲、そこで財政の学問分野というのは非常に進歩して、それだけ独自の領域を誇ったんでしょうけど、その垣根が崩れてきて、逆に言えばそれだけ財政学の一般化、あるいは財政学の進歩といいますか、将来の発展があるのではないかという感じがいたします。

 ちなみに申しますと、いま経済学部の財政学の体系というのは、昔、財政学部門というのを一つ持って、それが経済原論とか経済政策と同じ地位に置いて五部門で講座編成をしておりました。しかし最近、それは公共経済学部門と
いうことにしまして、その下に六つはど講義の名前を付けているという大講座制にしたということで、財政学という大きな学問分野で経済原論と匹敵するような地位に置かなくしております。それも一つ学問体系の変化、あるいは学生に教育するときの一つのプログラムの提示の変化だというふうに考えております。

 きょうは諸先輩からいろいろお話を伺った方がいいと思いますので、質問の時間をいっぱい設けたいと思いまして、ちょっと口早に申してしまいました。いまの財政学の話以外でも結構でございます、一橋の現状なり、ほかの学問分野でどうだということも、いろいろ御質問いただきましたらその過程でお答えいたしたいと思います。最初の話をこれで終わらせていただきます。

     [質 疑 応 答]

  財政赤字はどうして出てくるのか。財政赤字はどうしたら直るのか。これが財政学の目的じゃないですか。

  まさに鋭い追及があった感じがいたします。つまり、財政赤字の原因とその対策を学問的にそれを詰めていかなきゃいけないというのはまさに御指摘のとおりでございます。

 恐らく原因については、これは大体どこの国でも共通しておりますが、歳出が伸びて歳入が減ったということです。一言で申せば、つまり福祉であるとか、あるいは景気が冷え込んだときに公共事業を政府支出を膨張させた。ところが本来景気がよくなれば引き締めてもいいときに歳出カットができない。あるいは福祉が行き過ぎたといっても既得権益が全部減ってしまうと、いまのデモクラシーの世界においてはなかなか、選挙もありますから政治的にむずかしいわけです。これはどこの国でもそういう現象として歳出が伸びた。歳入は税収がオイルショック以降とんと伸びなくなったというのは、これまたもう一つの原因。これも各国で共通しておりますが。そういった意味で税収が伸びなくて歳出がふえたというところが恐らく一番の財政赤字の原因だと思います。と同時に増税ができないということ。
逆に言って、あるいは歳出カットもできないということ。

  責任はだれにあるんですか。

  責任は、僕は一般の国民だと思います。つまり、いま昔みたいに上から命令して財政というものが絶対主義的に決まるわけではなくて、民主主義ということを前提にして個々の納税者、あるいは個々の公共サービスの受益者が一票を持って投票して政治家を選んで、国会で税をつくったり予算をつくったりしています。しかしグローバルな見方がみんな足りない。つまり、自分が犠牲になってもほかの地域がよくなればいいよという発想はいまだれもとらないわけです。どこかの選挙区の公共事業がどうだこうだ。そういうことでしょうね。
そういう意味では、アメリカのある有名な学者が、『民主主義のもとにおける財政赤字』という有名な本を書きましたが、まさにそのとおりだと思います。というのはへ民主化しちゃったということが恐らくつらいメニューを受け入れなくなった。つまり増税しようとか歳出をカットしようというのは、誰にも歓迎されない。

 そこで問題は、おっしゃった対策ですね。これを今後どうしていくかというのは、これはいろいろ意見があると思います。結局のところ先延ばし、先延ばしになっておりまして、いろんな財政赤字をカットするという方法。そういぅ意味でこれぞというメニューは出しても政治的には受け入れられない。そこで学者と政策当局者の間の責任分担というものが当然出てくるわけですが、われわれやっぱり研究者というのは原因、結果を踏まえてメニューを出して、それを選択して実行してもらうというのは、やはり政策当局なり、あるいは政治家の仕事なんでしょうね。そのメ二
ユーは十分出せると思います。ただ、ことごとく気に入られないメニューなので、恐らく財政赤字というのは減らないだろうと、僕はそう思っております。

 ― そうするとずっと財政赤字は続くわけですか。

  結局国の経済力がふえますから、相対的にはいずれ落ち着くだろうと、長い目で見ていまして。いま国債残高百三十三兆円ございますか。だからいま一つ有力な意見は、名目の国民所得の伸び、つまり名目成長率国債をふやさなければ、伸びで下にしておけば、長いこといけばだんだん相対的にはよくなるだろうと、こういう意見もあるわけです。

  先生のお話の中に、財政学も非常に実証研究が活発になっている。民間の研究所、あるいは民間の組織のところでは大きなコンピューターも入れるしチームも組むし。ところが大学はやはり文部省の予算。スタッフもそういなくてせいぜい二、三人でやらないといけないとおっしゃっておりました。

 私、多少技術の方に関係が深い人間なんですが、技術の世界でもそういう意味では基礎研究の重要性ということを言っております。いまの財政赤字でも、やはり私は何か、理論的には期待したいところがあるわけです。成り行き論でいくのもまあまあ一つの政策、日本なんか非常に希望的に考えられないこともないんですけども、やはりメニューの中に、こうすればこうなりますという選択をちゃんとケインズのように明解に理論化して選択を迫まっていくと、われわれ実際の方も何か反省してみるということになる。ところが日本では何か、大変経済は成長しましたけれども非常に短期にすぐ、何のために、大学の先生は一体何をしているんだとか、すぐ効果を要求する。私は、そのとき何かもう少し理論的に、やはり段取りも付けて、大学の方で予算も付けていただいて、理論的にちゃんと探究していけるような措置を期待しているわけです。

 そこで先生がわれわれに訴えるところがございますか。一橋大学で。これは技術の方でもいいです。企業はすぐ何か研究すると何のためにとくる。これは文部省でもくると思います。しかし、何のためにと言うよりも、こういうことはこうなりますよという、もう少し卜ータルに理論を示す。それが本当に、経済学で言えば日本の場合でも、日本経済学が繁盛して世界じゅうが注意しているわけです。それを政策的に、日本人は勤勉だとか、そういう言い方ではなしに、もう少し理論的というか、計量的にも先生のねらわれているように示すようなことがこれは大学の仕事だと思います。モデル化してすることができれば、今度は技術の方でもそうなんです。世界に対して日本がただ黒字だというのでなしに影響を出していける、日本の経済論が。

 だから、例えば先日広中さんが、技術の方でも日本流の技術論があるはずだと。江崎さんも言っている。福井先生も、日本流のものの考え方があるはずだと。ところがそれを日本流と言うとわけがわからなくなってしまう。何かそれをもう少し客観性の持つ理論で出していきたいということになりますと、これは大学の問題になる。ところが企業ベースになると非常に、例えば技術系の大学でも、大学の研究なんか問題にならん。民間はどんどん金を使って、大きな設備を使って、大学の方では数人のスタッフがいてなけなしの予算でやらないといけない。と、嘆かれますと同時に―大学にはもう一つ―民間の方はやっているんだけど理論を持たないという考え方がある。すぐそれを実効的に問いかけてくる。そういうものでなしに、それを踏まえたもう少し多くの研究をしたいというのは技術サイドの話ですけども、経済学でも同じようなことが言えると思います。日本はこれだけ上手に進歩してきたわけですから、これを何とかもう少し客観性を持った理論で日本のモデル経済学を出したい。これには、しかしスタッフがいるということにもなってくるんだと思います。そういうことを私は訴えているわけですが、先生、もう少しわが意を得たりというところで何かおっしゃっていただけますでしょうか。

  いまおっしゃっていただきましたことは一つ一つ心にしみるものがございまして、まさにそのとおりだと思います。
 大学人が求められているものは、まさに基礎研究を土台にして、そうガタガタ計算機だけ動かして、すぐさまその場その場で成果が挙がるような、そういう軽いと言ったらいけませんが、もうちょっとどっしりした何かあるだろうということだと思います。理科系だと恐らく基礎と応用と分かれていろんな体系ができていると思いますが、経済学でも恐らくそういった基礎研究というものはあるはずだろうと思いますが……。

  技術の方も基礎がないわけです、応用ばかりですぐ実効性のある…‥。

  ですから、私が経済学で特に言いたいのは、その基礎のところがいま余りにも現実から少し遊離したところで数学的にやり過ぎたり、モデル化が過ぎたりということで、理論家は理論家でやや自己満足に陥っていることもないことはない。そこのフィードバックですね、そこがどうもうまくいっていない面がひとつわれわれの側の反省としてはあるんだろうと思います。理論は理論として非常に重要ですから、財政赤字ということに一つ限って言えば、まだその純理論から何かプラクティカルなサイドにまで応用できるところ。橋渡しのところがまだどこの国でもこれぞというのがないということです。恐らくケインズは不況対策としてあれだけのものを出したわけです。インフレに対しては、いまのいろんな形のフィリップスカーブであるとか、あるいは合理的期待形成とかいろんな人が言っていますけれども、それに似たような形の財政赤字の理論というのが恐らくいずれは出てくるし、われわれもそれを求めなければいけないだろうと思います。

 いま一橋大学の研究体制から言いますと非常に問題があるのは、日本の経済学者もほかの大学の人もそうだと思いますが、教育と研究と行政と三本立ての重荷を担っていますー つまりおれは教育は非常にうまいという人もいますし、おれは研究一本だという人もいるし、行政能力がないのに学生委員やらされたということがある。その辺の能力の使い方が、僕から言わせるとうまくいっておらんのですね。

 と同時に、文部省から予算もらつても、単年度主義ですから、九月頃予算がきて三月までに使い切って報告書出せとか、そういう制約。それから、一番腹立って怒っているのは、民間から研究助成金をいただくと国庫に入れて、それを税金と同じ一ような扱いにするとか。したがって買った本は全部同時に図書館のものになるとか、そういう予算面からの制約。それから、様々なわれわれを取り巻いている義務。そういう点から言って、逃げようと思うと外国に行くのが一番いいんですけれども、そういうことで少し脱出を図らないと自分のインプットがなくなっちゃうとか。そういう意味でわれわれは周りのことに関していっぱい不満があるんです。といってもこれはわれわれだけの個有の問題ではありません。ですから、そういう体制を少し直して基礎研究みたいのを少し二、三年成果が挙がらなくてもいいからちょっとやってみろというようなことが言えるような環境がほしいですね。

  先生も行政のことをやらなきゃいけないし、一口に言うと雑用ですね。そういうときに先生自身の能力がいろんな能力の方がいらっしゃるわけです。そういう評価が論理的に非常にあいまいだ。これ大学もですよ。

  大学 ― あいまいですね。

  会社などでは人間の総合能力ということもありますけれども、仕事をする場合の能力評価が非常にあいまいだ。
 
  日本ではひとえに研究論文ですよ。いかにいい教師であっても、いかにいい行政官であっても評価は全然してくれない。要するに研究業績一本。といって研究業績を幾ら挙げても給料が上がるわけではない、わが社会は。外国へ行けば上がるんですよ。どこかで賞をもらうとかすれば。日本の大学はそういう競争原理がないです。逆に言えば、少し競争力を失った人を安閑としてのんびりさせておく社会でしょうね。(笑)会社ではとても窓際へ行っちゃうよ
うな人もまだ真ん中に座わっていられるというところだと思います。

  大変率直な御意見を伺って、われわれもそういう大学に理解を示さなければいかんと思うんですが、そういうことを前提として私も非常に、失礼ですけど同情的な気持ちにおいては人後に落ちませんけれども、注文を出しますと、学問の進歩ということをさっきおっしゃいましたけれども、しからば学問の進歩とは何だと。この基本を私は問いたいと思っているんですが。

 どうも最近において、石先生すら若い人がわからなくなってくるといわれる。私、これ困ると思うんです。
と言うのは、経済学というのは、私ども古い人間になりましたけれども、でもやっぱりずっと経済と格闘してきて
多少のことはわかるつもりなんです。それが読んでもちんぷんかん、訳のわからないような論文が出てきて、それで業績評価といわれてもちょっと困るんですね。

 この頃の数字とか何とかむずかしくてなかなかわからない。私の娘は実は数学者なんですけど、それにときどき説明させるんですけれども、どうもその説明もなかなか入りにくい。そういう点はあるけれども、非常に細部に入り過ぎて、強い言葉で言えば独善的に自分はわかって自分は面白いと思っている。しかし周りはわからない。自分の先生すらわからない。それでこれだ、これだと言っていましても果たしてそれが学問の進歩だろうかと。

 さっき松村さんが言った基礎研究と政策という問題はあります。基礎というものはやらなきゃいけませんけれども、しかし、その基礎といえども政策の上につながるような基礎であり、ときには素人、経済学という意味では私どもは半シロ半クロだと思いますが ― 私どもにもわかるような経済理論なり経済思想というもので説明があってもいいんじゃないだろうかと。そういう感じがするんですね。

  あえてお言葉ですが、わからないという意味のわからなさでありますが、いろいろ意味があると思うんです。

 ですから、例えば若い人の論文を見て、確かに細々したときの実証なり証明方法等のテクニカルなところがわからないというのは事実もう起きていると思います。われわれの時代に起きているわけです。ただ、彼が何を問題意識として持ち、どういうふうに解決をしたといったベーシックなところ。これはやはり共通の領域でありますから十分わかっていますし、それに対する指導もできますし、それに対する評価も僕らは十分できると思っています。そういういう意味ではちょっと言い方が、私の一世代あとの若手の研究はちんぷんかんだという意味ではないのであります。ただ、はっきり言って歴史にしても何にしてもどんどん分化しちゃった方がいいでしょうね。

 例えば西洋史、東洋史聞きましても、ある国のある時代が専門だという人がいますから、結局共通の言葉で徹底的に細部にまで渡って議論し合えるというグループは、やっぱりちっちゃなグループになっちゃうんです。それ、いまおっしゃった問題だと思います。ただ、そのつなぎ目のところをわれわれは大いに考えなきゃいけないと思いますね。

 ― どうも細々したものは知識としてはいいけど、これいい言葉かどうか知りませんが、東洋では知恵という言葉があります。これはかなり総合的なものだと思うんです。総合面もやっぱり学問の領域じゃないだろうかと。分化していくばかりが学問であれば、どうもちょっと……。分化も大事だけれども綜合も必要である。いうなればみんなが分化分化に夢中になって綜合面がバランス的に言って極めてうすくなっていくのではないか。どうでしょう。

  いま理論経済学の最先端いっている若手の、世界的に有名なのが理論経済学で二、三人いるんです。荒先生のお弟子で、一回ここへ呼んできてちゃんとうまく説明してくれると思いますよ。彼らのやっているレベルの話をみなさんにわかってもらえるように二回聞いて。いま言ったような非常に細かいことをやっていますけど、到達すべき目標というのを持っているはずです。いかに細かいことをやっていても、そういうことを少し議論の種にして皆さんと議論してみるのもいいんじゃないかと思います。


  御推薦願えませんか。われわれもそういう新鋭の学者に蒙を開いていただけることはやぶさかではございませんけれども。

  是非やらしていただきたい。彼らも大いに刺激を受けるし、勉強になると思います。

  私、それが産学協同だと思っております。それが実はいままで足りないんですよ。

 財政学の問題でわれわれがいま一番考えてもらいたいのはコストベネフィットの関係。財政というのは経済的に測定できない部分もあります。そういうことをはっきり分けて経済的に説明できるところはコストベネフィットで説明して、納税者から見てどうだとかいうふうな観点から見る方法と両方くっ付けていただく。これは計量的に判定できますから。そうすると税金の問題にしましても、あるいは財政赤字の問題にしても、ああそうかということが時間がたつにしたがってわかってくる。そういう資料というのは案外出てこないんですね。

 それが一つと、それから時間です。財政の話は単年度でしたね。長くても五力年計画とか、それは片一方だけです。五力年計画の方は。ですから総合的な、例えばいまですと十年ぐらいのレンジでどういうふうになるのか。やっぱり時間をもう一遍問い直さないと、いままでの一年、一年でやっていたら直らないと思います。時間を少し長くして、そこでコストベネフィットで説明できる部分とそうでない部分は何で判断するか。判断基準が実はないわけです。だから利害関係の力で政治力で動いちゃう。そういうことになるんじゃないでしょうか―と思いますけど。

  まさにコストはわかってもベネフィットがわからないというところに財政学の存在理由があります。要するに利潤追求で計れないことを結局財政がやるわけですから。

 ただ、いまおっしゃった一点ですけど、国鉄があれだけ問題になってきたのはコストベネフィット的アイデアがまさに出てきてからです。あるいは国鉄的に処理できる分野がほかの一般行政なり、防衛なり、社会保障等々にくるかというと、それがあいまいになってくるということでしょうね。恐らく大蔵省流の発言をすれば、単年度であるから無駄をなくす努力をしている。アメリカみたいに多年度にしていつでも予算計画が自由に使えるようになったらもっと無駄遣いが起こると言うと思います。その辺のやり方をどうするかというのが財政制度の仕組みの問題、いろいろ考えなきゃいけないんでしょうね。僕は両方一長一短あると思うんです。

 ― 財政の歳入、歳出は一年でもいいんです。だけど物を考えるときに五年とか十年とか、もう少し長い……。
  科学研究費をもらって一年で研究成果を挙げよなんて困るんですよね。一年なんて挙がりっこないんですよ。
  いまおっしゃった単年制度。これなんか基本的に考えないと予算の無駄ですね。

  どうなんですか、それも一長一短あると思いますよ。
                                          
                                        (昭和六十年十月三日収録)