如水会ゝ報 平成十九年(2007)3月 第922号 p5 [橋畔随想]

ポンド紙幣にアダム・スミス像が初登場

たわら のぷかず
俵  伸一
(昭24学)


アダム・スミスや国富論に何らかの思い出や関心を持たれる如水会員は多いと思う。

今年の春以降に英国を訪問すれば、
新しい二〇ポンド紙幣の裏面に
スミスの肖像と、ピン作りの工場の絵とともに 『国富論』の分業についての一節
(”and the great increase in the quantity of
 work that results」 
がキャプションに見られるであろう。

この新札発行の計画は昨年十月末、
イングランド銀行のキング総裁がスコットランドのスミス生誕の地カコーディを訪れ、
アダム・スミス大学で講演した際に発表された。

同総裁は、
古典経済学の祖アダム・スミスは英国紙幣に登場する最初のスコットランド人にして最初の経済学者であり、後世に伝えるべき「英国の遺産」 であると敬意を込めて語っている。

翌日のイングランド銀行プレスリリースによると、
新札発行日は「来春」とあり、具体的な日付は発表されてない。
新二〇ポンド札は現在と同じ大きさで、表面もエリザベス女王像が描かれ、今と変わらない。
偽造防止に多くの最新技術が施されるという。

裏面に登場するスミス像は
スコットランド・ポートレート・ギャラリー所蔵のジェイムス・タッシーの作品に基づくもので、
分業の象徴として描かれるピン工場のイメージは大英博物館所蔵の彫版画からとられる。
二〇ポンド紙幣(約二五六〇円) は総流通量の約五五%を占める。
新札シリーズの第一弾として最も流通している紙幣にスミス像を起用するところに英国の英知が示されている。
この新札発行にはもうひとつの意味がある。
二〇〇七年はイングランド王国がスコットランド王国と合邦し (一七〇七年Act of Union成立)、
グレートブリテン連合王国(United Kingdom of  GreatBritain=UK) となって三百周年に当たる。
これを記念して英国法定紙幣で初めてのスコットランド人としてスミスを登場させた。
スミスは一七二三年生まれ、UK形成後の誕生だが、同法の精神を強力に支持していた。

私は昭和十六年に北多摩郡小平村の商大予科に入り、
戦時統制経済が強まる社会の中でも平静な学園の空気に安堵して予科時代を過ごした。
入学した春の教科書に
The Wealth of Nations復刻版の分厚い五、六センチの洋書を手にした感激は忘れられない。
いまとなっては英文の解釈が一年かけて労働賃金・資本利潤くらいまで進んだか定かではないが、
第一篇第一章「分業論」 (the division of labour) 
に出てくるピン作りを例にとった分業の効果に関する部分は鮮明に覚えている。

その後、十八年十二月に学部一年生で学徒出陣、
マレーで終戦を迎え、英国軍命令の強制労働に従事した。
二十二年に復学、卒業後は商社勤務でロンドンに駐在し、帰国後の四十五年、
改めて高島善哉先生(昭2学) の 「アダム・スミス」 (岩波新書) で学習した。

スミスを日本の経済学界に広く知らしめるのに
福田徳三先生(明27本)をはじめ\一橋の先生方が多大な貢献をされている。

加水会々報にも、板垣與一先生(昭7学) から直接話をうかがった中路信氏(昭32社)が、
武井大助先輩(明42本)がカコーディを訪れ国富論日本語訳本を寄贈し、
スミス顕彰の魁を果たされた経緯を「母校を思う」 (〇二年三月号) に紹介している。

また水田洋先生 (昭16学後)は上田貞次郎学長から「アダム・スミスを読め」と言われて以来の宿題を果たし、カコーディ博物館のその後を橋畔随想(〇五年十一月号) に書かれている。

(HP編者の註)
如水会報  2005・11 No.907 橋畔随想
カコーディ博物館の 邦訳『国富論』その後  S16学後 3組 水田洋 (日本学士院会員)

私が八十三歳にしてインターネットでイングランド銀行のプレスリリースに出会ったのも何かの因縁であろう。 二〇ポンドの新札を前に多くの如水会員が一橋学問の伝統を思い、
感慨にひたる姿が目に浮かぶ。

(元三菱商事常務)