わが大隊は、幾多の点で特異な部隊でありました。


まづ戦前の国際都市上海の居留民を主体として編成されたため原隊がなかったこと、

第二に概ね妻子を持つ平均年齢の高い兵隊であって、軍隊としては多分烏合の衆に属したのではないかと思うこと、

第三に歩兵大隊でありながら第一次任務が支那馬の徒歩輸送部隊で、輜重類似の大隊であってその装備は余りにもお粗末であったこと、

第四に大本営の米軍支那大陸上陸迎撃作戦に対応して支那派遣軍が作戦大転換を模索中に応召し、大別山脈行軍中に終戦を迎えたこと、

第五に漢口より南京への帰還について、中国の秘密結社 青(弊巾)(チンパン) が全面的に援助してくれたお蔭でいのち拾いをしたこと、

第六に支那派遣軍は終戦とともに資料を焼却したために今やわが大隊は幽霊部隊と化したこと、などであります。


以上のいづれも重要な因子でありますが、上海は、戦前中国随一の商業、金融の大市場として列強の大資本が覇を競い、各国の祖界によって治外法権を認められた一大国際都市でありました。戦争とともに日本はすべての敵産を接収し管理下におきましたが、わが部隊編成のため応召した兵隊は、或いは自ら地場企業を経営し、或いは大中企業の経営に参加していたなど、本邦資本進出の第一線の担い手が多かったわけであります。


わたくしたちは、この出身母体に最も郷愁を感じておりますので、題名を「上海部隊」と致した次第であります。

                                                編者  (八 杉)