百四十年目の 「お帰りなさい」

     さかい まさこ 
     酒 井 雅 子
         (57法・平18修企)
 ホイットニー先生の曾孫ご一行がホームカミングデーにおいでになると大学から聞いた。「一橋大学の歴史」を
母校で講義している私にとっては久々のビッグニュースだと思った。うれしさの余り早速、ホイットニー家の人々に心惹かれる方々に急遽連絡し、ご一行を迎える際にご同席をお願いした。
 ご訪問されたのは、ウィリアム・ホイットニーの曾孫のジョセフ・ホイットニーさん、夫人のダイアナさん、ジョセフ氏の娘であるカーレンさんご夫妻。ウイリアムの娘クララの曾孫であるダグラス・ステイフラーさん、津田仙の曾孫である津田道夫さん、勝海舟の玄孫である高山みな子さんの七名である。商法講習所に招聘され来日後幾多の困難に見舞われたホイットニー一家を支援したのが、勝海舟であり、津田塾大学創設者津田梅子のご父君、津田仙であった。
 
 五月十六日、兼松講堂におけるホームカミングデー式典で、江夏由樹名誉教授の記念講演の折、先生からジョセ
フ氏らが一人ひとり紹介されると、会場から大きな拍手が沸き起こつた。ホイットニー一家の来日が明治八年、ち
ょうど百四十年前である。心の中で「お帰りなさい」とつぶやいた。
 「一橋の 『学問史』 を考える」という江夏先生の記念講演が大きな拍手で終わると、ご一行は附属図書館に移動
された。用意された特別室で、江夏先生による出席者の紹介、山部俊文附属図書館長のご挨拶の後、ホイットニー
先生の肖像画や関係資料を興味深くご覧になり、昼食や歓談を楽しまれた。
この肖像画は中山正画實伯制作である。画伯は神戸高商卒業後、東京高商専攻部に進学された。神戸高商時代の親友に赤松要先生がおられる。また、画伯は神戸大学の大壁画でも名高い。
 
ホイットニー先生の肖像画と並んだジョセフさんは、確かに似ておられるように見えた。行事予定の合間をかい
くぐり、蓼沼宏一学長もおいでになり、心からの歓迎の挨拶をされた。大月康弘経済学研究科長、中野聡社会学研究
科長もおいでになつた。中野先生は、『海舟座談』 をまとめた巌本善治の曾孫である。


一九七四年、勝海舟の息子と結婚したクララの五女ヒルダさんが本学に見えたときは、都留重人学長らが歓迎し
た (本誌五三〇号)。そのときの写真が掲載された会報のコピーをさしあげたところ、ステイフラー氏は「ヒルダ
は僕のおばあちゃんなんだ!」と大喜び。また皆さんに贈呈した「キティちゃんクリアファイル」 (兼松講堂とキ
ティの絵入りの一橋大学限定品) も、大変好評であった。
 二時間ほど展示物と会話を楽しまれたご一行は次の訪問先である津田塾大学に向けて出発された。一橋大学訪問の前日・前々日には、勝海舟ゆかりの東叶神社、鰻屋梅本、墨田区役所、能勢妙見堂、そして勝海舟やアンナ夫人が眠る青山霊園と赤坂教会に行かれたという。

わたくしは両親の月命日と、家の過去帳に載っている人々の祥月命日に墓参しているが、異国で亡くなった方のご子孫にとっては、墓参は容易ではない。今回駆けつけてくれた葛谷登先生によると、毎年秋に開催されるアンナ夫人の共同墓前礼拝に一橋関係者が行くと、とても喜ばれるとのことである。
再来日の途中、ロンドンで亡くなつたホイットニー先生のお墓は、加水会ロンドン支部の方々が気にかけてお参り
に行かれていると以前本誌で紹介されていた。
 商法講習所開設から百四十年、一橋大学が社会科学の殿堂として今日あるのは、実に多くの先人の苦労の賜物であると思う。その有り難味をかみしめ、
感謝をこめて、アンナ夫人の秋の礼拝に臨むつもりだ。
                                      ([有]社会責任投資研究所 社長)

*左記のご寄稿も併せてご一読ください。
・如水会々報2015年6月号
 橋畔随想「ホイットニー先生」
 葛谷登氏(55社・61博社)
・同2014年12月号橋畔随想
 「十二年ぶりのホイットニー先生
 記念碑再訪」大西一成(平2法)
              (事務局)


 ホイットニー先生の肖像画と並んだジョセフさんは、確かに似ておられるように見えた。行事予定の合間をかい
くぐり、蓼沼宏一学長もおいでになり、心からの歓迎の挨拶をされた。大月康弘経済学研究科長、中野聡社会学研究
科長もおいでになつた。中野先生は、『海舟座談』 をまとめた巌本善治の曾孫である。