「名を惜しむ:私の勧める現代史書」

                                         5組 山崎 坦

キャプテンオブインダストリーに関しては既にトップページから文献を辿れるようにしたが、さらに考えてみる。

キャプテン・オブ・インダストリーの発想は、現代文明の源である英国産業革命によって生まれた工業の環境の中から生まれた考えであった。

オクスフォード辞典によれば現代史は15世紀(ルネサンス)からで、それ以前は中世となっているが。

アダムスミスの考えたことも、マルクスの考えたことにも、カーライルの考えたことにも、そのような背景があった。
そのような背景を知るために、歴史を学ぶ必要がある。
その様な環境で、 「より良き社会は如何にあらねばならないか」 と、みんな 考えている。

そして、今や世界を見渡すと、相対的に、日本が世界で一番幸せな国になっているようだ。
貧富の差が少なく、飢餓はなく、犯罪が少なく、戦争をしない。

最低これだけはやらねばならぬ国の仕事は、治安・治山・治水と思うが、日本はまずまずであろう。
どの国でも先ずこれを忘れてはならぬと思う。
その余のことは、各自の自助努力によるべきで、日本の国は人の世話をやきすぎると思われる。

一橋でキャプテン・オブ・インダストリーたれと教えられるとき。
私は吉田松陰と松下村塾と、そこから排出された伊藤博文達を連想する。
もひとつ松陰が30歳の若さで刑死させられる時勢というものが、昨今の時勢を見ても考えさせられるけれども。
立派な教授と、立派な一橋大学と、大平総理のような立派な方々の排出。
一橋人たるもの、これを誇りに思うべきであり。自負自重すべきと思う。

先述の賢人達の思想の根底には、強い倫理観があることを銘記すべきである。

産業革命以前にはgentlemanとかchivalry、noblesse obligeというような考え方があった。

当今では大学まで進学する人が極めて多数で,エリート意識が希薄になったと言われる。
戦前の大学生は人口の1%で、皆エリートと思っていた。

「Captain of industry」は
”Past & Present” の中に Carlyle(1795〜1881)によって説かれているが、
Carlyleには”On Heroes and Hero-worship”の著作がある。

この書が深い影響を与えたのだが、「英雄崇拝」でなく「神を拝する如く」でなく描かれた書物に

{”Japan and the Japanese”  1894(明治27年)}の中の主要部分から、
”Representative Men of Japan”1908(明治41年)内村鑑三(1861〜1930)があり
”Bushido,The Soul of Japan”1899(明治32年)新渡戸稲造(1862〜1933)などがある。
また ”The Book of Tea” 1906 (明治39年)岡倉覚三(天心)(1862〜1913)と前二者の著作・三著作はともに日本人が英語で日本の文化・思想を西欧社会に紹介した代表的な著作である。
三著者はほぼ同年生まれであることにも興味をひかれるが、かれらの書物は世界数ヶ国語に翻訳され、時の世界の人々、要人にも読まれて、日本人が尊敬されたのである。

日清(明治27/8年)・日露戦争(明治37/8年)前後の著作である。

戦前は本居宣長たち国学者の説いた日本精神研究の伝統が生きていて、日本人は誇り高く、潔く、正々堂々たること(フェアープレイ)を大切にしていた。

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次にドイツ在住・ノンフィクション作家・クライン孝子が2002・11・27産経新聞・正論に寄せている文章の一部を引用する。

 「ドイツでは占領国に教育を丸ごと委ねることをよしとせず、当時占領国の干渉を頑としてはねつけ、アデナウアー首相はもとより、つい13年前、「ベルリンの壁」崩壊まで、米ソ対立によりドイツが東西に分断されていた最中にあっても、日本の教育勅語とよく似たドイツ教育理念を固守し続けた。
一方日本はどうか。この国は敗戦と同時に、その教育理念とシステム(確かドイツ方式だったはず)を米国式に切り替えた。そして、米国の占領政策に協力する形でその導入に率先して手を貸してきた。

旧日本軍の執拗な抵抗でキリキリ舞いさせられた米国は、当時の苦い体験を教訓に、日本人の多くが持ち合わせていた国への奉仕による自己犠牲を重んじる戦前教育を ことごとく排除し、骨抜きにすペきだと誓ったに違いない。
この骨抜きで、日本の若者のひ弱さはもとより、その根幹ともいうべき日本古来の伝統文化の氷解=破壊に急速に繋がった。

一方で米国は日本弱体化推進策の一環として韓国を抱き込み、見える部分では若者に三十カ月もの兵役を課すなどして軍備強化を図り、見えない部分では反日教育を背後でサポートし、日韓の力のバランス削ぎに着手している。これは歴史か如実に証明している通りである。

断っておくが、だからといって私は米国を責め立て糾弾する積もりは毛頭ない。なぜなら米ソの狭間にあって、冷戦の犠牲国としてその直撃を受けたここドイツという地で、双方の占領政策の相違を偶然垣間見た私の選択は、最初から米国でしかなかったからだ。

 にもかかわらず、ドイツ国民は、ゲルマン民族存続のため、占領国のいいなりにならず魂を売ろうとしなかった。
ドイツのリーダーは国民の心情と、そして誇りある歴史を十二分に知り尽くして戦勝国に対処し、教育面でも、いや教育面だからこそ、彼らの指図を拒んでみせた。
もちろん当時の世界情勢は今日と違い白人に絶対的に有利で、白人=米国人対白人=ドイツ人と白人=米国人対黄色人種=日本人では、その占領政策に温度差かあったのは周知の事実であ。

 とはいうものの、日本もまた二千年にわたる誇りある歴史と伝統に彩られた、押しも押されもせぬ独立大国である。
それなのに占領をとっくに解かれた今もなお、占領時代の負の遺産である教育基本法の呪縛から解放されないでいるのはなぜだろう。実におかしな話である。そんな折も折、教育基本法に関する中間報告がまとめられた。遅すぎたとはいうまい。国会はためらわず、早急にこの法成立を急いでほしいものである。」以上
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戦後生まれの人(1945年〜)は知らないのだが、戦争直後、占領米軍は日本の教科書のなかで米国の気に入らぬ個所を真っ黒に筆を入れて抹殺した。以来戦前の我々が誇りに思っていた日本の歴史は、特に現代史が抹殺されてしまった。
教師は殊更、現代史に触れることを避けた。この辺の事情は別途、書き残したいと思う。
学校で歴史を教えなくて、日本人は、外国人から、日本の歴史を尋ねられたとき、如何に答えるのだろうか。

最近 韓国・金完燮氏著、翻訳 荒木和博、荒木信子氏 「親日派のための弁明」を読んだ。是非一読されんことをお奨めするが。次に帯の辞を引用すると、
「初めて公平な立場から書かれた日韓の歴史」とある。
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2002・11・19産経新聞に李登輝氏が三田祭での講演に準備した原稿全文が掲載された。
その要旨は 「日本人の精神」と題し 故 八田與一氏が尽力した台湾の水利事業の事蹟を詳細に紹介し、八田氏夫妻が今でも台湾の人々によって尊敬され、大事にされる理由に、義を重んじ、まことを持って率先垂範、実践躬行する日本的精神が脈々と存在しているからです。日本精神の良さは口先だけではなく実際に行う、真心を持って行うというところにこそあるのだ。ということを忘れてはなりません。---とあった。

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また2002・09・30発行「百年の遺産」-日本近代外交史73話-岡崎久彦氏著を読んでいただきたい。
その本の帯には次のように書かれている。

「日本の占領が終わり50年を経た今日でも、左翼勢力による“偏向史観”は温存、増幅され国民に深く浸透している。
この偏向史観を打破するには、歴史の真実を追究するとともに、真実と真実との間の軽重、大小のバランスを失しない事が重要である。本書では「このあたりが客観的妥当な線」を描いたつもりだ。戦争、占領の残滓を払拭し、新しい世代に何ものにもとらわれない真っ白なキヤンバスを用意することがわれわれの世代の責務である。

陸奥宗光、伊藤博文、小村寿太郎、幣原喜重郎、吉田茂‥‥‥
激動の時代の中で、彼らはいかに日本の舵取りに苦心したか。   
ペりー来航(1853年)から占領の終了(1952年)までの100年間を曇りのない眼で描き上げた著者渾身の力作。」以上

日本の現代史を考えるとき、「坂の上の雲」司馬遼太郎著は是非読んで頂きたい。

私はトルストイの「戦争と平和」と比較しています。
「戦争と平和」には海戦の記述はないんです。それはそうでしょう、ロシヤ人の書いたヨーロッパ大陸の陸戦の記録であり、欧州大陸で起きた、フランスのナポレオンがロシヤ・モスコー遠征し、惨敗する記録です。(1812)

「坂の上の雲」には日本海海戦(1905・5・27)の記述があります。
ロシヤ・バルチック艦隊にたいして東郷提督の連合艦隊がいかに素晴らしい戦果を挙げたか。そして陸戦の記録、日露戦争において日本陸軍は如何にしてロシヤ陸軍を降伏せしめたかが書かれている。(1905・3・10)

正岡子規も出てきます。

トルストイの書かなかった海戦のほうは、イギリスが受持っている。
ネルソン提督のイギリス艦隊がナポレオンのフランス・スペインの連合艦隊をトラファルガル沖で撃破し(1805・10・21)、ナポレオンの英本土上陸作戦は挫折、英国が制海権を掌握した。

英国製「Lady Hamilton」(邦題・美女ありき)、1941 という映画がある。
駐ナポリ英国大使ハミルトンに売られた美女エマとネルソンとの18/19世紀・2世紀にわたる接吻、レイディー・ハミルトンがナポリ王妃に働きかけてネルソンの要請に応じて、英国の危機を数次にわたり救援する。引退して、エマと、平和な生活をしていたネルソンがナポレオンの進攻を阻止すべく再度起用されて、艦隊を指揮して、トラファルガル海戦にのぞみ、Z旗を掲げ、18隻の敵艦を撃沈し降伏せしめたが、狙撃兵に撃たれたネルソンは I have done my duty.といって息を引き取る。
レイディーとの恋の話を除けば、戦前の私達は良く知っている美談なのだけれども、
英国はロンドンにトラファルガル広場をつくり、広場中央の円柱上に誇らしく空高くネルソン像を据えた。    

(ネルソンを演じたのはシェークスピア俳優のサー・ローレンスオリビエでレイディー・ハミルトンを演じたのは、かれの妻になった「風と共に去りぬ」のヴィヴィアンリーであった。)

「坂の上の雲」日本海海戦では東郷提督の連合艦隊は世界海戦史上空前絶後の完勝であった。

我々はもっと自分の国に誇りを持ったほうが良いのではないか。
我々はもっと自分の母校に誇りを持ったほうが良いのではないか。

一橋人は、ひとりとして、いかがわしき振る舞いはいたすまじく候。
                                           以上