1組 諸橋明子 |
御卒業六十周年おめでとうございます。何か一筆お仲間に入れていたゞきたいと存じ、色々と考えましたが、良い案も浮かばず、ある春の一日、東京でお花見の「はしご」をした事を書かせていたゞきます。 四月の始め、急に暖かくなり、桜が開花 スポーツ会館で水泳をした後、お互いに来年はどうなっているのか分らないから、とお友達三人で近くの戸山公園の中の通称「箱根山」、23区随一の高さを誇ると云われる小さなお山に登りました。ぐるりと満開の花に囲まれ、花以外はビルも何も姿を消し、都心で静かにお花見が出来て本当によかったと喜びました。 皆様、東京の「箱根山」とは何かご存知ですか? 標高44.6メートルありこの山は徳川ご三家の一つ尾張家の二代目藩主光友の屋敷内に箱根山を模して造った築山がそれという事です。 花吹雪に送られて山から下りてきましたら、仲間うちの一人が、永年東京に住んでいながら未だ千鳥ヶ淵に行ったことが無いと云い出し、また丁度都合よくタクシーが通りがかったので、乗せて貰い千鳥ヶ淵に参りました。緑に映えて美しい光景でウィークデーにもかかわらず大へんな人出でした。花に浮かれてこんなに喜んで出てくる日本人って可愛いわね等と云いながら、ぞろぞろ人の波に乗り、途中「身元不明戦没者」の霊に心から手を合わせ、次に靖国神社に着きました。お国の為に散って行かれた英霊の御冥福を祈りましたら少々暗い気持になりました。 その後神社の横手に廻り泰麺鉄道の機関車に再会しました。映画「戦場にかける橋」、テーマ音楽「クワイ河マーチ」の舞台になりました泰とビルマの間に橋を架けて輸送に使われました機関車です。私ども泰に駐在しておりました時に、カンチャナブリと云う処へ、亡夫と一緒に見に行きました。 帰国後、昭和54年7月に機関車が日本に送られて来て靖国神社に置かれたということを新聞紙上で知り、散歩かたがた見に行こうと2人で8月の暑い日に行き汗を流しながら眺めていた亡夫の姿を想い出し感無量になりました。あの時には手入れされてピカピカ光っておりましたが、今は光も失せ、多くの人々の苦しみを乗せてたゞ佇んでいる様でした。主人はその年の十二月にあの世に旅立ちました。あれから22年の歳月が流れ仏様の御加護か私は一人で無事に過ごして来ました。 一日、盛り沢山のお花見をして、帰る時には陽がとっぷり暮れて、へとへとになりましたが心地良い疲労感を覚え、良いお友達に恵まれ、楽しい一日を過ごさせて頂いた事を感謝しつつ一日が終りました。 (編註)箱根山・戸山町は江戸期、町域一帯は尾張徳川家の下屋敷で、屋敷の庭園を戸山山荘と呼んだ。箱根山は庭園内の築山で正式には玉円峰といい、現在は新宿区文化財、旧市内最高の44.6mの高地。戸山山荘時代これを箱根山に見立てて庭園を旅する趣向から名づけられた。(角川日本地名大辞典より) |