21世紀に想う 3組 二木正治長女 小柴順子

 

 日本列島は改革と不況のうねりに渦巻き、教科書問題、外務省の不祥事、靖国参拝の是非等難問を抱えて新たなる世紀に船出をしたばかりですが、十二月クラブの皆々様には卒後60年を迎えられ心よりお祝い申し上げます。父二木正治は今年12月25日に7周忌を迎えます。テニスに明け暮れ、私共家族を愛してやまなかった、いつも飄々として我関せずを装っていた父もあちらから皆様のパワフルなご活躍を羨ましく応援しているに違いありません。

 私も事あるごとに皆様が四国旅行をされた折、牟岐までおいで頂き、主人の医院へもお立ち寄り頂き、お目にかかることが出来ましたことをつい先日のように思い出します。もう10年にもなりますか…。父の娘であった23年を、嫁いでからの日々が優に越えてしまったことに感慨深いこの頃です。転勤を繰返し、主人の生まれ故郷に帰って早20年。私も四国の果てのこの地に根を下ろし、今や苔すらはえかけている自分に驚かされます。

 医療に関わって15年、国民皆保険の制度は破綻寸前。介護保険の導入、老人保健の見直し、負担金の倍増と今や雪崩状態の医療の現場で窓口業務、レセプトの作業は困難を極めています。このままですと我々が老後を迎えた時、自分のことは自分でと社会福祉制度に頼らない、頼れない現実が降りかかってきそうです。社会保険の説明会に出掛けますと「今ご自分でかけている厚生年金及び社会保険料はご自分のためではなく、上の世代を支えるのだと認識して下さい」との事です。

 私共の世代を支えてくれるはずの若人は少子化であてには出来ず、贅沢一杯に育った彼らは3Kと呼ばれる仕事には我慢が出来ません。都会はもちろんでしょうが、人口の少ない老齢化したこの地域でさえ東南アジアからの研修名目の外国人労働者が日に日に増加。日当の高い日本人は職を失う有り様です。

 また、教育委員会の仕事をお引き受けして11年になりますが、牟岐町では幸いにして何事もなく無事でしたが、各地の成人式の荒れようを聞くにつけ、日本の教育の在り方を憂うるばかり。傍若無人な若者のしたい放題、言いたい放題! このままで日本はどうなるのだろう、どこへ行ってしまうのだろう、不安なことばかりです。

 少なくとも私が子どもであったあの時代、質素ではありましたが、未来は夢が溢れ、先にはバラ色の世界があった気が致します。それは皆様方の努力に拠って成り立っていたのだとすれば、今のこの暗黒はいったい誰がこうしてしまったのか、まさに天に唾する思いです。

 この7年、残された母は父の介護の疲れで随分と年を取り、骨粗鬆症のため背は曲がり杖を頼りの独り暮らしをしております。幸いなことに食欲と好奇心は旺盛で、私や兄が付き添えばどこにでも出掛けられます。昨年は少女期を過ごした大連へ、今年は私の次男の居る仙台へ二人して出掛ける事が出来、母も大喜び致しました。ただ、美味しいものを食べるにつけ、楽しいことに出会うにつけ、母は常に父を思い出しますようで、それが娘である私に取りましては哀れに思われます。生きていれば83歳。まだまだしたいこともたくさんありましたでしょうに…。

 私共夫婦は7年ほど前からお茶のお稽古を始めました。仕事を終え、自宅に帰りましてから主人はお炭の準備にかかります。お濃茶を練る日もあれば、簡単にお薄だけの日もあり、月に一度は母も一緒にお師匠さんをお訪ねするのが楽しみとなっております。膝が痛むので母は私たちのお点前を見ているだけですが、四季折々の見事なお道具だてのお稽古に、一服のお茶は母も私どももこの上ない喜びです。

 10月の慰霊祭には母のお供で是非参りたいものだと今から楽しみに致しております。どうか皆様くれぐれもご自愛の上、この異常気象を乗り越えられますよう! 浅草寺での再会を母共々祈念致しております。