4組 柿沼幸一郎 |
平日のあさ5時から10分間、NHK 教育テレビに「漢詩」という放送がある。二松学舎大学学長の石川忠久氏の監修で「NHK 漢詩紀行」という5冊のテキストが出はじめてから10年になるが、放送の方は、その時により違った時間や方法があった。 私がいまのむつかしい時刻につきあうようになったのは、それまでの経緯がある。また以前から日本クラブの「漢詩会」の会員として、この方は月1回、1時間半ほどずつ、漢詩に親しむ機会があることと関係している。 銀座の柳や渡良瀬川原の猫柳の花は知っていても、中国の柳には「柳絮(りうじょ)」という柳の花が開き、その季節には入り乱れて晴れた空に舞うということは、話にはきいていても、テレビの漢詩の時間で見るまでは、実感がなかった。 武漢市の黄鶴楼は昭和60年(1985)いまの山上に建てられたものになったそうであるが、これもテレビの漢詩の中ではじめて実感した次第である。 日本クラブ百余年の歴史の中で、「漢詩会」がどのような経過を辿ったかは詳かにしないが、私が参加させて頂いてからの20年は、俣野太郎先生、市川任三先生、浜久雄先生のお三方から、順次、唐詩選、白氏文集、中国名詩選について、御講義をうけたまわってきている。 国家公務員 OB の多い会員としては、漢詩の作者の多くが、中国三千年の歴史の中で官途と関係の深い人が多かったことが、関係をもつことになる一つの点である。その関係も中国の歴史の中で、大国の公務員もあれば小国の公務員もある。成功した公務員もあれば公務員試験にもなかなか合格しなかった人もある。そして、わが国でいえば政治の領域に入る人、政争に破れて流亡の境地におかれた人もある。 もう一つの点は、広大な中国の地理への関心である。辺塞詩を含めて、現代のわれわれでも関与しにくい辺境の各地の観察が鋭い眼で行われている。 東京商大を繰上げ卒業した昭和17年1月、就職先の同窓になった一人の友人から、話しかけられた話題の一つが漢詩で、「一片冰心在玉壺」という句であった。その後これは、唐の詩人王昌齢の都へ旅立つ親友への送別の詩であることはわかったが、この時どういう意味で私への話題にえらばれたかは、まだわからない。 それから40数年たってまたその友人が一つの漢詩を引いて話題を提供された。それは唐詩選の筆頭をかざる魏徴の「述懐」の冒頭の4句であった。これが唐詩選の初めにあるということはそのあとで知った。 唐詩選といえば、唐代の三大漢詩人と聞かされていた李白と杜甫は唐詩選にでてくるが白楽天はでていないことを知ったのも最近である。 もう一つこの友人について書いた読売新聞社の本の中で、喬冠華外務部長と唐の詩人李白の「峨眉山月歌」と「子夜呉歌」について話をかわすところが出ていた。 この三つの話がいずれも中国の詩であり、唐の時代の詩人であるのに、なぜ漢詩なのだろうか。 |