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米国におけるバイオ研究の育成促進について 5組 重松 輝彦

 

 私事で恐縮乍ら、長女夫婦が米国において、20年近くバイオ研究に携っており、最近では孫娘もこの分野を目指しているから、門前の小僧何とやらで、小生の聞き覚えをこの機会にご披露申し上げたい。

 バイオについては、生化学、分子生物学、ゲノム科学とかいろいろ言われているが、一言で言えば生命に関する科学の総称と言えよう。具体的には、ガン、神経疾患、免疫疾患、細胞発生、加齢等々と各個別の項目に分れる。米国におけるこの研究の中枢にある NIH(後述)では、BIOMEDICAL という言葉で表現している。

 さて、研究を進展させるためには、先ず研究者の育成が必要である。米国の採っている方法は段階別に以下の通りと思われる。


 第一段階は高校生の時に始まる。この方面の研究に関心のある者は、夏休の3カ月を利用する。高校生は米国のガン学界の奨学金などにより、大学なり、研究機関なりの第一線の研究者から直接訓練を受ける機会が与えられる。

 この訓練に参加すれば、高校の教育レベルではカバーされないような高度のテクニックは勿論のこと、研究をしていく上での論理の組立て方、進め方なども学ぶことができる。

 見渡す限りの麦畑の中で育ったある高校生が、この制度を利用して、一夏都会の研究所に配属されてサイエンスを教え込まれ、その感激が忘れられず基礎医学に進み、今は押しも押されぬ研究者になっているという具体的な話もある。


 第二段階は大学の学部(米国式に言えば UNDERGRADUATE)の時代である。

 大学の中には夏期フェローシップを出すものもあり、またそうでなくても、夏の間学生はフルタイムで研究室に雇ってもらって、一人前のプロジェクトを与えられ、研究に従事することができる。夏休に開始したプロジェクトは、9月に入って新学期が始まってもそのまゝ続行し、一つの研究を完成することが可能である。

 研究活動のさかんな大学では、毎年一回これらの研究プロジェクトを一冊の本に纏めて発表し、質の高い研究を成就した学生には、教授陣が投票により、プライズを出すという形で志気を高めている。また著名な化学雑誌に研究成果を発表できる場合もある。


 第三段階は大学院受験である。バイオ関係の大学院の博士課程は、研究費と生活費を必要最低限ではあるが、大学院から支給してくれる。

 大学院としてはこれらの負担をしてでも優秀な学生を獲得したい。従って博士課程合格は実質的に厳しいものになる。受験の際に前記の通り学部学生であったころの研究実績が重点的に考慮される。

 受験の願書も通り一遍のものではなく、
(1) 当該大学を選んだ理由
(2) 専攻したい研究の種類、内容
(3) 研究に就いての過去の実績
等々詳細な説明書の添付が必要である。

 大学院では願書の内容を審査の上、その学生がインタービューに値するものと判定すれば、交通費を出して、受験生を面接試験に招待してくれる。受験生は自分が学んだ学部と同じ大学に属する大学院を志望することは先ずない。受験の際に大学院の所在地に2日程度滞在するが、その間に受験生が希望する6人程の教授とそれぞれ30分乃至1時間の個人面接が用意され、お互によく相手を理解できるようになっている。少しでも質の高い学生を採ることが重要であるから、大学院側も極めて真剣に対応する。一番の選考基準は研究能力でもあり、出身大学の指導教官の推薦状が重視される。大学院共通試験の成績よりも実質的な研究能力と経験の方が評価される。


 第四段階は大学院に入ってから後である。標準的な大学院においては、大学院生は、初めの1年の間に、自ら選んだ3つの異る研究室において、それぞれの研究室のテーマに沿った研究を行う。1つ毎の期間は3カ月と短いが、その成果を教授連および院生全員の前で報告することになっている。

 院生のほとんどは、これら3つの研究室の中から1つを選んで、その後の博士課程の研究を行うことになる。従って研究内容以外にも、人間関係などいろいろな面から、今後5年程のベストの生活環境を得られるように考慮して決める。

 大学院では最初の2年間は専門分野を徹底的に教育される。その手段の一つとしてジャーナル・クラブ(論文紹介が目的)というものがある。これは学部・大学院生全員および教授も加えての聴衆の前で、自分の選んだ1つのペーパーを題材にして、その背景、データー、今後の問題、展望を徹底して解り易く説明する。これはペーパーを厳しく批判的に読むことの訓練になるとともに、人にどうしたらわかってもらえるかという発表の技術を学ぶことになる。

 この発表の前に教授が2人がかりで個人指導をする。日時をかけて助言し、やり直しに次ぐやり直しをした後、ようやく発表することになる。教授が弟子を育てる努力は並大抵のものではない。院生の能力にもよるが、このような教育を受けることによって、多くの院生は世界レベルの学会において堂々と発表できるようになる。


 次は博士論文の内容となる研究に入ることになるが、その前になすべきいくつかのステップがある。

 (1) 研究課目について詳しい Proposal を書き、それを数人の教授達の前で発表しなければならない。
   説明、質疑応答、批判という段階を踏む。

 (2) また大学院によって異ることもあるが、通常、院生は博士論文以外の研究テーマについても、Proposal を作り、これについて各教授達の前で、博士論文の場合と同じような順序で討議が行われる。

 以上の課程がパスして初めて博士論文の研究に入ることができる。

 博士論文というものが出来上るまでに、普通、この時点から3年乃至5年かゝる。それ以上の年限を要する者も、当然、大勢存在する。

 博士論文がパスする為には、勿論、今まで発見されていなかった新しい事実を得て、それがペーパーとして科学雑誌に発表されなければならない。


 第五段階はポストドクター所謂ポスドクの時代である。

 以上数々の努力の末、博士号は取得できたが、これで独立した研究者として認められるかというとそうではない。ポスドク時代がこの後2年から最長5年続く。

 この段階は、将来自分の一生をかけて行う研究テーマを形成するという意味において、一番重要なステップと言える。その為に、自分の最も興味のある分野の第一人者が主宰する研究室において、一人前になるべく訓練を受ける必要がある。他方、指導する研究者から見ても、ポスドクは指導者自身の研究を進める上で、一番の知的且つ労働的な右腕となる。この期間中の給料は低額ながら研究室から支払われる。

 上記の年月をかけた訓練の成果が現われた頃、どこかの大学または研究所が、そのポスドクの研究分野において、新たな人材を必要として、研究者を募集した場合、このポスドクがこれに応募し、条件の析合がつけば、ポスドクは正式なポスト(アシスタント・プロフェッサー)として雇ってもらうことになる。

 これで高校生以来念願してきた独立した研究者となる。この段階に至る者はポスドクの中でほんの一握りに過ぎず、多くの者はビジネス方面その他へ転身してゆく。


 第六段階 独立した研究者の初仕事

研究者が先ず第一に行うべきことは、National Institue of Health(NIH と略称)という米国厚生省の機関に対して研究費のグラントを申請することである。NIH からグラントを供与されることは、独立した研究者として一般的に認められたことになる。何故ならば、このグラント獲得により、それまで一介のポスドクに過ぎなかった者が、自己の研究室を開設し、必要に応じて数人のポスドクを雇庸して、独断専行自己の研究に邁進することができるからである。この状況が第六段階であり、いよいよ研究者として出発したことになる。

 バイオ関連の研究資金は主として NIH のグラントによって供給されている。米国のことだから個人でも団体でも多くのグラントが用意されるが、NIH 程20年30年の長期に亙って継続的にグラントを供与してくれる機関は外にはない。尤もグラントの期限が来るたびに、後述の通り、厳しい審査を通過しなければならないが。これらの審査も後述の通り、できる限りオープンであり、公平性が保たれているので多くの研究者が殺到する。


 第七段階は NIH のグラントを継続して獲得するべく努力している時代である。

 しからば NIH とはいかなる機関なのか。

 日本のマスコミは、米国立衛生研究所と訳している。これは実体よりも軽いイメージを与えるように思えるから、拙稿では主として NIH なる略称を使わせてもらう。

 NIH の任務は次の通り。

「生物医学と行動科学の研究を通して、人体の健康改善増進に資する。」NIH はこの任務遂行のために、次の業務を行っている。

 (1) 自己研究所内部での研究
 (2) 米国内外の大学、医学校、病院、その他研究機関の科学者が行う研究の支援
 (3) 基礎と臨床の研究を行う者の訓練
 (4) 生物医学の情報伝達支援
 (5) 公衆衛生情報の普及


 一般に NIH グラントと言われるものは、上記・に分類される。このうち個人の独立した研究者に対して出すグラントを NIHROI と呼び、数人の研究者による共同研究に対して出すグラントを、NIHPOI と呼ぶ。これらは通常3年−5年の期間のグラントである。これらとは別に、その時々の問題性と必要性に応じて、特異的な分野の研究を奨励したいものを NIH が一般公開し、そのグラントの申請を促すことがある。このグラントを RFA(Request for Application)と言い通常、比較的短期間で、金額も少ない。

 2000年の NIH の総支出額は、概算で178億ドル、このうち、上述の3種類のグラントが含まれている「米国内および国外業務」が83%で148億ドルであった。これは120円換算で1兆7760億円になる。

 さて、申請されてきたグラントの内容をなす研究の価値を、NIH はいかにして決定するのか。

 NIH は現在その業務を専門分野別に19の Institue に分けている。例えば NCI(National Cancer Institue)NIA(National Institue on Aging)等々である。

 グラントを求める者は、NIH の本部へ申請書を送付すれば、本部ではその研究の専門分野に従って、最適な Institute にこれを割り振り、その事実を申請者に通知してくれる。19の Institute は担当分野の国家予算を割り当てられてはいるが、自ら研究の評価を行うわけではない。

 NIH はこの Institute の分類とは別個に Study Section という審査委員会を設けている。

 この委員会は Institute よりも更に具体的に専門分野に分かれており、現在全体で111の Study Sections がある。これらの委員会によって個々のグラント申請研究の真価が決定される。どの委員会にグラント申請を送るかの選択は本部が行い、委員会名が申請者に通知される。それぞれの委員会を構成する委員は、第一線で現役として活躍している中堅の科学者の中から任命され、それも4年の任期で交替させている。委員は特に報酬はなく、ボランチア精神でこの重大な任務を引受ける。それぞれの委員会は20名乃至25名からなる。勿論多少の増減はあるようだ。

 審査委員の任務は、1年間に3回開かれる審査委員会に出席して、合議で1回ごとに80乃至100件の NIHROI を審査して、その点数を出すことである。一方前記した POI と RFA の場合は、その度に特殊の委員会が設定されて、必要ならば、グループの研究者達の働いている場所へ出向いて審査することもある。

 こゝでは主に NIH 業務の中心であり、大部分を占める ROI について述べる。具体的には、それぞれのグラント申請書は、本部員から審査を担当すべき3人の審査委員に、会合の始まる5週間前に送られ、委員1人1人はこれを熟読して徹底した評価を書くことが要求される。1人の審査委員としては、1回ごとの会合に10〜15通程の申請書を読まねばならず、5週間というもの1日当り数時間この為に費やすことになる。

 これらの申請のうち、先ず約半分は審査するに値しないということでドロップされる。即ちトップの50%に対してのみ、会合において合議で順位がつけられる。

 このドロップするか否かの決断は、会合の開かれる前に、担当の個々の審査委員がほゞ目安をつけ、正規の会合でそれを提案し、全員に披露して賛同を得る。

 審査委員会は、主に NIH の所在地であるワシントンのホテルで開かれ、2日間は朝8時から夜10頃まで、食事以外は審査室に詰め切りで行われる。

 100件のグラント申請が1つづつ20〜25人の審査委員の前で採り上げられ、それぞれの案件を委された3人の審査委員が、全員の前で批評を読み上げ、点数を提案する。グラント申請書のコピーは、当番以外の審査委員にも予め全通送付され、また会合をしているテーブルの上にも、1人づつの審査委員の前に全コピーが積まれており、全委員が各申請の評価に参加する。丸テーブルでは、意見の交換が白熱することがよくある。申請書1個づつについて意見が交された後、各委員は点数をそれぞれ書き込む。本部員が後に全審査委員の平均点を出す。

 さて、100件程のグラント申請が、同時に審査されるから、特定の案件がその委員会において、他の全案件に比べて、いかなる順位であるかがポイントになる。その順位はトップ何パーセントという形で決定される。そのパーセント数値が、各申請書の割り当てられた Institute に通達される。また同時に、最初の段階でドロップされた申請者以外は、その成績に拘わらず、詳しい批評が書類の形で各申請者に通知され、もし成績が悪くてグラントが今回貰えなくても、次に再度申請する時に役立つ。

 順位が飛び抜けて上位ならば問題はないが、ボーダーラインに近い場合には、次のようなことがおこりうる。即ちその申請が例えば A Institute に割り当てられていたから、審査成績が多少低かったけれどもグラントが貰えたが、もし B Institute に割当てられていたならばグラントは貰えなかった。それはたまたま A Institute の方が B Institute よりも予算の割当てが多かったということである。

 グラントの成否に大きく影響のある問題は国家予算配分の多寡である。厳しい時は、トップ10%に入らなければ金が出ないこともあった。現在は20%強がグラント受領の対象となっている。

 研究者にとって、NIH のグラントを継続的に獲得することが必須であるが、それが仲々困難である。第一回目のグラントが取れたとしても、第2回目が継続して取れなかったとしたら、大学側、または研究所側が一時的にもサポートしてくれなければ、その研究室は店仕舞となる。実際そうなった例は数多くある。

 第一回目のグラント申請の際、いくつかの具体的な研究事項を提出するが、提示した年限の間(3−5年)に、ほとんど、これらを全部やりとげなくてはならないのはもちろんのこと、さらに継続を説得されるために、次の3〜5年間のプロジェクトの基礎となるデータを集め、これを申請書に詳しく書きしるさなければならない。大変な競争であるから、次の仕事を、より完全な形にまで持っていった者、即ち、必ず出来ると証明される段階まで築き上げた者の勝利となる。この為に、一回ごとの年限の中で、1.5倍の仕事を余儀なくさせられるわけである。

 審査委員に任命されて、奉仕したからといって、その後の自身のグラントが無審査で貰えるわけでは決してない。グラント申請は回を重ねても、最初の申請の時と同じ手順方式で行われ、審査委員全員の評価を受け、その結果を待つことになる。即ち研究者は、グラントの期日が近づくたびに、入学試験に類似した事態を、研究生命を維持する為に何回も経験しなければならない。

 何はもとあれ、皆専門家同志の競争であるから、プレッシャーが極めて高い。何時でも質の高い科学雑誌に、研究成果を発表し続けることが肝要である。

 かくして、NIH は、米国のバイオ研究のレベルの向上と、その重点の置き方、方向性の舵を採り、研究者はより高い評価を NIH から受けるべく、日夜研究に邁進してゆく訳である。

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