木村増三の思い出 7組 木村登志子

 

 夫、増三が1991年12月18日に逝きましてやがて10年になります。一橋大学退官後青山学院大学に在職中のことでございました。年度末までに研究室をあけなければなりませんでしたので一週間ばかりかけて蔵書の整理をいたしました。一冊の洋書が出てまいりました。

 山中篤太郎先生のもとで勉強したもの、頁をめくって行きますと、小池真澄様、相川周平様、谷虎三郎様、山本恒太郎様、高橋勝様のお名前が付されてありました。先生が割り当てられたのでしょう。増三がこの本を読破しましたのは戦争、シベリア抑留があってかなり後のこと、研究者としての道を開く第一歩になったのもこの本ではなかったかと思います。彼が鉛筆でお名前を付したゼミテンの方々は今はほとんどが故人、メモをみつけた時片柳様にお電話で伺ったのですが、小池様は戦死されたとのことです。22才の時に学んだその一冊は10年遅れて研究者への道に入ってから常に大学の研究室で彼を見つめておりました。片柳様は戦災ですべてを失ってしまわれたということですので形見にお持ち頂けるようお願いいたしました。

 悲痛な思いで研究室をかたずけてから10年近くが過ぎていました。悲しみは表情を変えて、心に居座り続けながらも、前向きに向わせる力を与えてくれたのは、やはり夫、増三であったように思えます。何かに一生けんめいになりなさいと。出会えたのが Shakespeare の勉強会でした。11人のメンバーですがご指導下さっている方は元、横浜国大教授、夫は横浜高商出身ですのでご縁がないわけではございません。一番年長の方が82才、研究心溢れる方で如水会員の奥様です。しかも夫の恩師山中先生の奥様とそっくりの方なのです。私にはどれ程慰めになったことでしょう。メンバーのもうひとりの方は一橋出身、小グループの中で3人も夫と何らかのつながりがあると思うと、お笑いになるかも知れませんが不思議な感じです。会に入れて頂いて7年目、12作目で今は Measure for Measure を読んでいます。夫が生きていたら付合ってくれたかもとか、英国から劇団が来ますと、老後の優雅なひと時が恵まれたかも、などと考えたりします。

 そんな中で自然な形で私の心を捕えたのが聖書でした。あと何年のいのちを許されるかわかりませんが、人生の中での数々の出合いは私が生れる前から神が用意されたもの、素直に信じております。青春の真っ只中にあって、戦死された小池様を思えば、72才の生涯は、短すぎたと言ってはならないのでしょう。

 一橋の方々との出会い、ご友情を亡き夫、増三と共に感謝する日々でございます。

 生前に会うことの出来なかった末の孫娘、美紗(4才、在米)のことも、私は伝えなければなりません。