ふるさとの思い出 7組 小寺喜一郎

 

 私はこの8月を以って満85才に達した。思えば随分長生きしたものだ。近頃、時折り過去を振り返り過去の思い出をなつかしむことがある。

 私には8年制の尋常高等小学校を卒業後3年間、家業の農業を手伝った時期があった。農作物といふのは気候の変化の影響が大きい。又、人間が丹精こめて手入れをすれば正直に応えてくれる。農業では何と言っても家族が一緒に働き苦楽を共に出来るのが嬉しかった。そんな時期に大規模農業を夢見て胸をふくらませたこともあった。振返ってなつかしい。

 昔の農作業はきびしかった。現在のような機械化も農薬もなく耕作・除草・収穫はすべて馬と手作業によらざるを得なかった。然し若かったせいか、はた又夢があったせいか思い出はすべてなつかしい。

 そんな思い出の中で私の脳裏に今も鮮烈に焼付いている光景がある。それは収穫の秋のことである。母と姉と私の3人がその日の稲刈りに精を出してゐた。母はやおら疲れた腰を伸して茜色に染まった西の空を眺め、美しい夕日に向って手を合わせ、豊作を感謝し、家族の幸せを祈った。私達姉弟も母にならった。母は美しく紅葉した周囲の山々を眺め、「まるで極楽のようだ」と嘆息した。夕日と紅葉の美しさ、土に親しむ家族の平和なたゝずまい、ふと、ミレーの晩鐘を連想させられる今日、此頃である。

 夕日に祈る母の姿を思うにつけ、私達大勢の子供達を育て、必死に生き抜いて来たけなげな母の姿がしのばれ胸のしめつけられる思いがします。昔は貧しかったが心は豊かだったように思われてならない。