7組 坂本 冬彦(坂本 保長男) |
今から4年前、大病から生還してくれた家内とニュージーランドに思い切って旅しました時、道中ラクガキメモした230句の“自己流俳句”(標語?)を栞にして父に送りました。感想を聞かれた父は電話の向うで申しした。“まあいいだろう、こういうのも。いい思い出になるだろう”。“俳句”と認めてもらえませんでしたが、“いいだろう”と言われたのがちょっと嬉しい気持でした。 * * * 今春、父の三回忌に、父との約束でした遺作句集を「万緑のなか走る」として自費出版しました。その句集を契機として、父の大学時代、高商時代、中学時代の友人の皆様とご縁が出来ましたのは私の大きな喜びでした。父は2度の空襲で学生時代、少年時代のアルバムを全て焼失しておりましたので、中村達夫様始め友人の皆様からお貸し頂いたアルバムのコビーは家族にとってかけがえのないものとなりました。そんな中、下関商業時代のアルバムで、父が「蛙飛び込む同人会」という俳句クラブに所属していたことが判明、父の“俳句への思い”が中学時代に始まっているのを知ったのは“大発見”でした。アルバムで手にしている「俳句研究」という雑誌は、本をひもときますと、昭和9年、父が下商四年生の時に創刊され、心をより自由に詠う新興俳句を積極的に掲載、1930年代の俳句ブームの大きな潮流を引き起したとありますから、そうした“息吹き”の中で“父の少年の俳句人生”はスタートしたのでしょう。私の自己流俳句はどうしても季語がつかいこなせず、“無季俳句”となってしまいますが、父の師系である日野草城を始め堂々“無季俳句”が当時から出発していますので、“まあいいだろう”ともなったのかなどと想像したりしています。 * * * 父の好きな俳人の本を少しづつ買い求めておりましたら、いつしか俳句の本が本棚で、“存在感のあるコーナー”となって来ました。私の俳句自身は、相変らずの“自己流俳句”で、とても上達しそうにありませんが、名刺カードに書きつけた“俳句”ならぬ“標語”は1000枚を越えて、私の秘かな“父との対話の無限時間”となっています。以下そのラクガキの一部、誠にお恥ずかしいものですがご笑覧下さいませ。 窓下に チューリップ咲く 春不思議 はにかみて 少女の如し 梅の紅 生きるとは イタズラすること 梅二輪 老人に 声掛けて晴れ 冬運河 大寒の 空に明るき ことを言う ひたすらに 足になりたし きんぽうげ 電車内 瞑目体内 周遊す サラリーマン 廻り道して さくら咲く 煙る都市 若葉無心に いのち燃ゆ クレーン林立 朝の埠頭を かもめ切る 小レター ひまわり空へ 高く咲く 父の来し 港の駅に 坐わりおり 涙ホロホロ 父のネクタイ 締めてみる 手作りの 栞はさみし 父の本 “今”という 時を整理し 父生けり パリジェンヌ 父の口ぐせ ふと沸けり 父らしく いい音しおり どの詩も 老年期 父はますます 父となる 子らを見る まなざしやさし 父無限 海峡の 流れや父の 気の起源 旅人の 如少年の如 父自由 この一句 父の心読む 日々を読む この一句 父の作句の 瞬間に棲む 俳句術 翼を父に もらいおり 野を往きて 黒揚羽と会う 父と会う 海峡に 育ちし父は 耳澄ます 父に賜りました十二月クラブの皆様の厚きご友情に重ねて心から御礼を申し上げます。 |