田上ゼミナール

限りなき碧海原

若き子等の初旅を待つ、

国立三年の思い出、

その胸に強く生きんことを

              
譲 治
仲山淑夫

・三井鉱山
・亦楽会
・府立一商
・賠償責任論
山崎坦

・三菱商事
・亦楽会
・府立四中
・政治・法律・社会
小平隆雄

・華北塩業
・望嶽会
・専門部
長谷井輝夫

・大蔵省
・望嶽会
・横浜高商
・イエリネック
一般国家学研究
宮崎國夫

・華北石炭販売
・望嶽会
・専門部
  集合写真はクリック すると拡大します。

(註)集合写真には一二年後輩の方々も写っています。浅田源次君、浦田金吾君、(故)皆川広宗君などの顔が見えます。私共は先生のゼミの第一回生です。
 級友の仲山淑夫君は昭和19年11月17日マニラ転戦中、黄海朝鮮沖にて魚雷攻撃を受け戦死されました。



後記(山崎)

下の写真は戦後の田上ゼミナール・ゼミナリステンOB会の写真です。
「卒業アルバム」にあったものではありませんが、私(山崎)の手許にありましたので、入れました。
後輩の方々が大勢おられます。
法学部名誉教授・市原昌三郎君、杉原泰雄君などの顔もみえますので、
この写真をご覧になった方からのメールを楽しみにしています。

田上先生は1991年10月22日逝去、虎ノ門芝教会で葬儀が行われました。
先生は敬虔なクリスチャンで、真に師と仰ぐことの出来る人格者でした。
昭和17年2月1日殆ど総ての同期生が軍隊に入営したのです。
当日早朝先生は私の入営を拙宅まで来て下さって見送ってくださいました。

先生は「天皇機関説」美濃部教授の直弟子であられました。
戦前商大必修の憲法の先生は神道の筧教授で、神がかった憲法でしたが、田上先生は左寄りと言われました。
戦後は右寄りと言われ、先生の立場が中庸であったことが解ります。

私は「Conventional Constitution」英書をあたえられ、
イギリスの成文法でない憲法があることをしりました。やはりイギリスは先進国か?
急遽繰り上げ卒業で戦場に赴かねばならなくなったので(全学生がそうでした)
不可解の思いを不可解な卒論に書いたようでした。

奥様(元津田塾大同窓会長)はご存命にて土浦のマンションで自適の日々を送っておられます。