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■現在地:ホームリレーエッセイ

■リレーエッセイ

「三宅島緑化再生事業に参加して」

湯川 敏雄 (Hクラス)

 日本山岳会の主宰する森林ボランティア団体に「高尾の森づくりの会」がある。通常は高尾山の北西に位置する「高尾小下沢国有林」をフィールドとして、広葉樹の植樹や、杉・檜の間伐などの森林管理活動を行っている。
  この団体の外部活動のひとつに、三宅島の緑化再生事業がある。春と秋の年2回、40名前後のメンバーが2泊3日で島を訪れ、現地の人と一緒に作業を行う。今年5月が第7回なので、今まで3年半ほど活動をしている計算になる。私は、2年前にこの団体に参加、三宅島はこの5月が3回目の作業参加である。たまたま、この活動の現地側の責任者である三宅村森林組合の事務局長、守屋広次さんが一橋大学の学生であったことを知ったことから、彼の話を交えて、体験記なるものを以下に記したい。

 三宅島は、東京から南へ約180km、周囲約40kmの火山島である。何よりも、2000年の火山噴火により、全島民が島外での避難生活を余儀なくされたことで世間の耳目を集めた。その後、噴火活動の沈静化に伴い、避難から4年半を経て3800人のうちの2800人が帰島、一部地区に残っていた居住規制も今年(2011年)になってすべて解除された。
  とはいえ、島の中心に位置する雄山(775m)は依然として白い噴煙をあげ続けており、火口を中心に半径約3kmのエリアは、概ね標高300mの等高線に沿って危険区域に指定され立ち入りが規制されている。火山性ガスの濃度レベルを表示する青、黄色、緑、赤の4色の回転灯が島のいたるところにあって、防災行政無線がひっきりなしに警報・注意報の発令と解除を放送している。一定以上の濃度になると「○○地区で警報が発令されました。ガスマスクをつけて、屋内に退避して下さい。」という放送が流される。最初はビックリしたものだが、すぐに慣れてしまう。最近は警報の回数もかなり減ってきているようだ。
 
  今回の噴火で、島内では面積で約6割の森林が被害を受けたといわれている。最初に三宅島に行った時は、枯れて白骨のようになった木々が林立していた。かなり胴吹きをしていて、放置してもいつかは緑が復元するようにも見えたが、倒れると危険ということで次々と伐倒されたせいか、今回はそれほど目立たなくなっていた。これも、働いて賃金を得る場所を創出する復興事業の一環のようである。
  三宅島は、過去20年周期で噴火を繰り返してきた。それぞれの場所を見れば、植生の遷移が明瞭に見て取れる。20年前の黒い溶岩の原っぱに、やっとハチジョウイタドリ、ハチジョウススキが最初の緑を作りはじめ、40年前の溶岩流はツバキなど中型の樹木の林になる。そして最後はスダジイとタブノキが支配的な樹木として重厚な林を形成していく。村役場のバスで案内をしてもらいながらネイチャーガイドからそんな説明を聞くと、すんなりと頭に入ってきて非常に分かりやすい。
  当然のことながら自然は豊かだ。作業の休憩時間に少し周辺を歩けばジャムを1リットルも作れるほどのキイチゴが採れるし、木の根元で弁当を食べていると、その梢で鳴いている鳥は天然記念物に指定されているという。道路の両側に生えている草はアシタバだ。そういえば、最初に受けた歓迎の辞は、「東京だったら年金だけでは生活できないでしょうが、ここなら1反歩の畑にアシタバを作れば、年金だけで充分生活できます。島民になりませんか?」だった。この発言の主は前出の守屋さんである。
  さて、ここ何回かは、「こしきの穴」という400年ほど前の噴火口(周囲300m、深さ50mのスリバチ状をしている)で、内側斜面にびっしりとはびこったアズマネザサを刈り取り、遊歩道を作ってアジサイ、ツツジを植えて公園化する作業を継続してきた。
  前回はこれに加えて、3グループで近くの電波塔周辺にオオシマザクラを植樹する作業を行った。上下3列、1列に10本計30本位を1グループ4〜5名で担当し15m間隔で植える。理論上は30m*135mのエリアだが、かなりの急斜面で、足元に枯れた倒木がごろごろする中を、ヤブをこきながら重い苗を何度も往復して運び、唐鍬で落ち葉の下の火山灰層(約10cm)を掻きとり、土を表出させて植え込む。何年か後に、阿古港の正面の山にサクラが満開になって入港する人を迎える絵を想像して、この重労働に耐える。
  三宅島では、企業のCSR活動としていくつもの団体が植林を行っているが、平坦なところで、準備をすべて地元が整え、ただ植えればよいというケースも多いようだ。その点、どうもわれわれは日本山岳会の系列の団体ということで、斜面でのきつい作業をこなせると期待されているらしい。島にはマムシなどの毒ヘビやスズメバチのいないことがせめてもの救いである。
  なお、植林する苗木はすべて島の中のもので、森林組合から購入する。DNA管理の面から山には島外から持ち込んだ苗を植えてはならない。地元の農家が挿し木などで生産したものを使用する。これも復興支援の一環となる構図である。

 さて、次に守屋さんの話に移る。私より3つ下なので昭和41年入学になる。東京の京華商出身、18歳で税理士試験にパスし、その当時は最年少合格ということで新聞に載ったほどの逸材だが、大学入学の前に父親を亡くし、学資を仲間との起業資金に流用して、学業を放棄した経歴をもつ。従って大学は卒業していない。三宅島には高校生の頃からよく釣りに来ていて、いつのまにか居ついてしまったとのことである。
  折から、東日本大震災で万を越える人が避難生活をしている時期である。話は当然に三宅島の避難生活についてとなる。

 全島避難で最大の課題となったのは、村というコミュニティーをどう維持していくかということで、皆が同じ場所に住むか、分散するかでずいぶんと議論があったようだ。結局空いている都営住宅や公団住宅に分散して住むことになり、子供たちは寮生活にするという方策が編み出された。子供を通じて村への帰属意識を保持しようとしたわけだ。避難生活とはいえ、全員が同じ場所に住んで家賃免除などの優遇を受けていれば、いつか近隣から好ましくない視線で見られることになるという危惧は当然であろう。
  次に、個々の生活の組み立てである。援助があるからといっても、避難生活では結構お金がかかるものだ。考えてみれば当たり前だが、家にいればいらないようなことにもお金がかかってくる。そのうえ、殆どの人が、土地や地域に根ざして収入を得てきたものを、その基盤を失ってしまったものだから、生活の糧を得る道を作りださなければならない。若い人たちにはそれなりの選択肢があろうが、中年以降ともなればさらに難題である。
  そこで守屋さんたちが始めたのが、花卉栽培だ。江東区木場に東京都の土地を借り、ビニールハウスを12棟建てて、花苗を育てることにしたのだ。この原資にしたのは緊急雇用対策費。いわば官製の事業で、営業成績は問われなかったものの、民業を圧迫してはならないという縛りがあったため、大きなイベントでの花苗の無料配布など、販路には苦労したようだ。ここから彼の考案による溶岩鉢が生まれる。工事などのため廃棄される三宅島の溶岩を穴あけ加工し、ミズゴケを埋め込んで盆栽の鉢にするもので、天皇陛下に直接説明したことが守屋さんの自慢でもある。
  そのほか、村のコミュニケーションを保持するために、避難生活者たることを最大限活用しての春・秋の団体旅行を企画するなど、三宅村には避難生活に対応するノウハウがいっぱいあるようだ。
  守屋さんによれば、帰島者2800人のうち、300人は復興工事の従事者で、いまは殆ど離島し、島の人口は実質2500人だという。噴火前と比べおよそ35%の人口減となる。島を発展させていくには、もっと人口も観光客も増やさなければならない、という。しかし、就航率20%台の航空路線、1日1便それも台風がくると2日間は欠航する船便では、なんとも心許ない。島の緑はいよいよ盛んになるだろうが、高みを望めば、決して楽な道ではないように思える。
 
  最近、あるNPO法人の指導者から、猯せ海寮鞍をうまくやるには、「ばか者(もん)、わか者(もん)、よそ者(もん)」の三者が必須なのだ。瓩箸龍擬┐鬚い燭世い拭ゴロあわせでこのような言い方をしているが、その意味するところは、 蔽聾気如北簑螳媼韻鬚發辰洞舷的とも言えるほど熱心に打ち込む人あるいはその熱意、⊆磴ぁ△△襪い禄縞な労働力、そしてK富な知識で、適正な手段を用い、外部との調整もうまくとれる能力で、これらのどれが欠けてもうまくいかないとの言である。
  これは避難生活の建て直しにも当てはめることができる。コミュニティーのリーダーシップを取れる人がいて、適量の労働力と、的確な行政または外部からのサポートがそろって、初めて展望も開けるというものであろう。
  このたびの東日本大震災の報道を見ても同じことを考える。
  地元にリーダーはいるのか?うまく労働力は配分されているのだろうか?そしてこれらを組織立てて前へ進めていく人は誰なのか?数値や金額で事態を把握する能力はもちろん貴重だが、相手は生身の人間であることも忘れてほしくないものだ。
 
  そして結論。三宅島については、もう暫く、私は「わか者」でいたいと思う。

以上

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三宅島
    29 「農的生活をめざして」 後藤 守孝(Iクラス)
28 「三宅島緑化再生事業に参加して」 湯川 敏雄(Hクラス) 27 混声合唱団「響」チェコ演奏旅行記(最終回) 阿部 祐一(Iクラス)
26 混声合唱団「響」チェコ演奏旅行記(2) 阿部 祐一(Iクラス) 25 混声合唱団「響」チェコ演奏旅行記 阿部 祐一(Iクラス)
24 「天使のピアノと美智子皇后」 春本 榮三 (Iクラス) 23 水と水道のお話  中島 薫 (Cクラス)
22 「ヌシャガクの一杯」 吉澤 一成 (汽ラス) 21 「とても楽しい教授暮らし」 福島 清彦 (前期Dクラス 後期永原ゼミ)
20 −THE NORTH AMERICA−松本 正義(Eクラス) 19 旅を楽しみ、感じ、学び、思うこと 西村 周一(Lクラス)
18 バドミントンとの出会い、そして50年  杉本 伸之(Eクラス) 17 小唄雑感 月崎 博章(Dクラス)
16 人類の遺産(世界遺産)について 羽山 章一(Iクラス) 15 「坐禅の春秋」 柏田洋征(Iクラス)
14

「将棋と私」 井上 紘(Fクラス)

13 法律と「世間」あれこれ 川村 忠太郎(Kクラス)
12 若き世代を良導すべき年配者の責任 安藤 賢次(Jクラス) 11 よき時代の流れの中で 徳永 興亜(Gクラス)
10 中高年のデジタルディバイド 吉田 勝信(Fクラス) 9 「下流社会」 から見えてくるもの 國武 胤清(Gクラス)
8 森林インストラクターになって 佐藤 征男(Hクラス) 7 42年会誕生の頃 永井 孝彦(Cクラス)
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2 アメージング・タイランド 檀上 正泰(Iクラス) 1 紀州のケンケンかつお 田所 保(Gクラス)
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