関恒義先生 没後10年メモリアル(令和5年10月)
令和5年10月22日 18:34 北村尚巳(第6回生)
恒友会会員各位(BCCにて送信しています) 6回生の北村です。 明日10月23日は、関先生がお亡くなりになって10年目になります。 関家は神道のため、10年目の葬祭の十年祭を行ったことと思います。 恒友会では今回は特別の会をおこないませんでしたが、ご逝去の年にお別れの会、翌年に偲ぶ会を行い、5年祭の歳には有志で郷里にお墓参りを行いました。 それぞれの会の報告は恒友会ホームページに掲載されていますので、ご覧になり振り返って関先生を偲んで頂きたいと思います。 また、来年9月27日は関先生生誕100周年になります。 私もあすが誕生日で82歳になり、最近気力・体力もやや衰えてきました。 今後は、若手の皆さんで生誕100周年をどうするか、残された恒友会基金(約12万円)の扱いを考えて頂ければと思っています。 令和5年10月22日 23:02 楠木孝雄(第1回生)
いつもお世話様です。関先生の10年祭、在りし日を偲ぶ1日にします。 長年の恒友会とりまとめ本当にご苦労様・・深く感謝しています。 お誕生日が先生の御命日・・・これも二人の間の因縁の一つでしょうか。 当方88歳、相次ぐ身近な人たちの訃報に心が沈む昨今です。 令和5年10月23日 10:52 新田良昭(第2回生)
お知らせありがとうございました。また日ごろから恒友会のお世話をしていただき感謝感謝です。 つい最近の手賀沼通信ブログに「手放したくない本」の一部として「恒友」を取り上げましたが、その時昔の先生の写真と文章を拝見して昔を懐かしんだところです。 生誕100年の祝いの会を実施して基金をその費用に充てるのがいいかもしれませんね。 私は足腰が悪く主席出来ないと思いますので無責任な発言ですが、若手の会員が頑張ってくれることを期待しています。 令和5年10月23日 14:54 薮田剛由(第5回生)
こんにちは 北村様には、いつも恒友会のためにさまざまなご苦労、大変ありがたいことと感謝しています。先生が、「亡くなられてから十年とは」、最近時の流れの速さに驚いています。自分も耄碌するはずだと思っています。 60年代の前半は、「先生は向かうところ敵なし」で活躍されており、私たちは世の中は良くなる方向に変わることを確信していました。 しかし自分も80才を過ぎても、未だに世は混とんとしており、まったく希望がないわけではありませんが、なかなか先が明るいとも楽観は出来ません。 先生はこういう時、何とおっしゃるのでしょうか。あの強気一辺倒の人でも苦笑いでしょうか。 「没後十年祈念の談話会」でもやりますか。 令和5年10月24日 12:01 高橋宏澄(第5回生)
メール拝見しました。小生、老化の進行で往事茫々、先生の10年忌や生誕100周年のことなど念頭にありませんでしたので貴信ではっと我に還ったような気持ちです。 コロナ禍で恒友会員諸兄の会合も暫く途絶えておりこの機会に集まることは結構なことだと思います。と言っても万端は貴兄や後輩会員に頼るばかりで申し訳有りませんが皆様のご意向に従いますので勝手ながら宜しくお願いいたします。 令和5年10月25日 9:01 藤本啓一郎(第3回生)
関ゼミの皆様小生は1961年(昭和36年)卒で、関ゼミには15名在籍していました。 昨日コロナの影響で開催が延びていた卒業62周年のOB会がありましたが、関ゼミよりは僅か2名の参加でした。 増えることのないOB会ではありますが、寂しさを感じざるを得ませんでした。 皆様のご健康を切に祈ります。 令和5年10月26日 15:06 田中文夫(第12回生)
私は関ゼミ12回生の田中文夫と申します。いつも色々な情報をお送り頂き真に有難うございます。 下記のメールに10月23日で83歳と書いておられますが、私も同じく10月23日生まれです。 76歳になりました。 北村先輩のメールを拝見して、関先生の命日が自分の誕生日と同じ日だった事を思い出しました。 |
関先生の愛した郷里-安曇野と北アルプスの山々 |
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